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風揺れ二人静
登場人物一覧
●見渡す限りの
「綺麗やねぇ……」
風に揺れる藤の花を見上げて、紅楼夢・紫月はほぅ。と息を零す。
この藤の花の下で行われるお茶会を知ったのは偶然だった。
「当日参加可」の言葉につい参加してしまったけど、参加して良かったと心から思うほど藤の花は美しかった。
満開の日は数日しか続かないという話だ。今日偶然とはいえここに来れて良かった。
長椅子に腰掛け、甘い和菓子と薄茶をお供にどこまでも続く藤の花を楽しんでいると、紫月が来たのと同じ方向から誰かやって来た。
「お隣宜しいでしょうか?」
座っているせいか見上げるほど大きく思えるが、女性の雰囲気は柔らかい。
「勿論やわぁ」
ゆるりと微笑み頷くと、女性は袴の裾を直して長椅子に腰掛けた。
「私は月羽 紡と申します。よろしくお願いします」
「私は紅楼夢・紫月やわぁ。折角のご縁やし、紡、と呼んでも?」
「勿論です。私も紫月と呼ばせていただきますね」
どこかおっとりとした紫月ときりりとした紡。
ぱっと見は全然違う雰囲気なのに、お互いどこか似た物を感じたのか、二人の間に流れる空気は緩やかで穏やかだ。
「今日は偶然近くを通りかかっただけなのですが、このようなお茶会に参加出来て良かったです」
「ふふ、それは私も同じやわぁ。奇麗な藤の花とお茶に惹かれて、参加したの」
座って見上げれば、視界一面を藤の花が埋め尽くす。
風がなくても魅入ってしまうし、風で揺れる様も柔らかで美しく、二人は微かなため息をついて魅入っていた。
「……紫月は、名前からすると練達の方でしょうか?」
首を傾げながらのその言葉に、紫月は緩やかに首を横に振る。
今は邪魔になるからと背中の六枚羽は仕舞ってある。そのせいで、余計に種族が分かりにくく、名前で判断するしかないのだろう。
「いいえぇ。私はウォーカーやねぇ」
「まぁ! 私もです! ということは紫月もイレギュラーズなんですか?」
偶然が呼んだ出会いに紡は嬉しくなる。
「えぇ。と言うても私は境界図書館での仕事がメインやねぇ。色んな世界で、色んな出会いがあったわぁ」
「そうなのですか……!
私はまだイレギュラーズとしてはあまり働けていないので、もしよろしければ紫月が今までどんな活躍をして来たのか教えて貰えませんか?」
ぱっと見は自分よりも年若く見える紫月だが、イレギュラーズとしての経験は紡よりも積んでいる。
いや、イレギュラーズに限らずこの世界では見た目通りの年齢でない存在が多いので、一見しただけでは年上か年下か分からないことが多い。
実際紫月も紡より年上か年下か分からないが、見た目的には紡のほうがお姉さんだ。
「そうやねぇ……」
境界図書館は、本の数だけ様々な世界に繋がっている。
紫月が行った世界もそれなりの数になったが、まだ知らない世界のほうが多い。
「私は、今まで見てきた世界を、出会った人たちのことを唄にしてるんやわぁ。
その唄で良ければ聞いてくれるかしらねぇ」
両手で抱えて持っていたお茶を長椅子に置き、紫月は深く息を吸った。
そして淡く色付いた唇から、今まで見てきた世界の、出会った人たちのことが唄として紡がれる。
その唄は風に乗り、高く、低く、遠くまで響いていく。
月の魔力か、大切な人と再会出来る世界。
秋空の下で、仲間と作ったサンドイッチ。
宇宙のどこかにある、バグが増殖した世界で集めた宇宙樹の葉。
片手どころか両手でも数えきれない程の世界に行った紫月の唄は、行った数だけ増えている。
その中の数曲を唄いあげると、紡はうっとりとその唄に聞き入っていた。
「この世界も不思議やけど、本の世界も不思議がいっぱいで、どれだけ行っても新しい出会いが待ってるんやわぁ」
小さくくすくすと笑う紫月に、紡は聞き入っていたことに顔を赤くしながら紫月の唄を称賛する。
「不思議な本の世界も惹かれますが、紫月の唄がとても綺麗で、つい聞き入ってしまいました」
「あら、有難うねぇ。そんな素直に褒められると照れるわぁ」
「本当に素敵でしたから。きっと周囲の方々もそう思っていますよ」
事実、紫月の唄が聞こえた人たちは、近くの空いている長椅子に移動したりして聞き入っており、紡は聞き入りながらもそれに気づいていた。とはいえ皆唄に興味を持ち、聞き入っているだけなので邪魔するつもりなどなかった。
「ふふ、唄ったら喉が渇いてしまったわぁ。お代わりお願いしても良いかしら?」
「あ、でしたら私もお願いします」
近くにいたスタッフに声を掛ければ、すぐに新しいお茶が用意される。
「紡は、これから先どんな依頼に参加したい、とかあるの?」
風で藤の花が揺れ、紫月の艶やかな髪と紅い彼岸花の花びらが揺れる。
「私は……幼いころから、剣を振るい過ごしてきました。
この剣で、人々を助けたい。人々の笑顔を守りたい」
元の世界では十代後半で、人とは違う道を歩き始めた紡。
そのことを悔いてはいないし、誇りに思っている。
「なら、きっと紡の剣が助けになる人は多いやろうねぇ」
剣を握り、誰かのために振るうことはとても難しい。だけどそれを真っすぐに望むこの女性なら、きっと日となり影となり、沢山の人を助けるだろう。
「いつか、一緒の依頼に行くことがあれば、その時は紡のことも唄にさせて貰うわぁ」
楽しそうに笑う紫月を見て、紡の白い頬が赤くなる。
「私のことが唄になるのは恥ずかしいですが、紫月が唄ってくれるのであれば、気になります。その時は聞かせてくださいね」
「その時は特等席で聞いて貰おうかねぇ」
「と、特等席ですか……!?」
驚き目を見開く紡の様子にくすくすと紫月は笑う。
「もう、揶揄わないで下さい……!」
「ごめんねぇ。紡の反応が素直で可愛くて、つい」
笑いが収まると、なんとなく藤の花を見上げる。
「藤の花、好きなんですか? 私が来た時も見上げていましたよね」
「そうやねぇ……。藤の花に限らず、花は好きやねぇ。散歩がてら唄を歌いつつ花見をするぐらいには好きやわぁ。
そこに美味しいお茶とお茶請けがあるともっと好きやねぇ」
おっとりと、だけどどこか茶目っ気たっぷりな紫月の言葉に紡も思わず吹き出してしまった。
「確かに、綺麗な花に美味しいお茶とお茶請け、素敵な唄があれば最高ですね。
今日は綺麗な藤の花に美味しい和菓子とお茶、それに紫月の唄を聞けたので最高のお茶会です」
「あらあら、嬉しいこと言うてくれるのねぇ」
「本当のことですよ」
にっこりと笑うと、紡は一杯目より薄めに入れられた緑茶を口にした。
いや、一杯目は和菓子と合わせることを考えて、少し濃いめにしてあったのだろう。
「そういえば、このお茶会への参加は飛び入りとのことですが、何か用があってこの町に来たのですか?」
たまたまふらりと来ただけかもしれないが、もしそうなら自分のお目当てを紹介したら喜びそうだ。
「良いお天気に誘われて散歩していただけで、特に用事があって来たわけではないわぁ」
「でしたら、この後お時間ありますか? この近くに美味しい和菓子とお茶を出す店があると聞いてやって来たんです」
「それは素敵なお誘いやねぇ。紡が良いなら是非ご一緒させて頂くわぁ」
折角だし、もう少し一緒に話をしたいと思っていたのは紫月も同じ。だから紡のお誘いを断る理由なんてどこにもない。
その上美味しい和菓子とお茶が付くなら、この後もきっと素敵な時間を過ごせるだろう。