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星と風と砂漠の一幕
登場人物一覧
日中の灼けるような気温に対して、陽が落ちてからは凍えるように寒かった。
持参しておいた上着を纏い、前を掻きあわせてニアは白い息を吐く。次いで時間をかけて深く息を吸い、夜の空気で肺を満たした。
熱にさらされ冷気に撫でられた砂のにおい。耳をすませば、枝が爆ぜる乾いた音が聞こえる。
ラサの砂漠の一角だ。
今日のニアの任務は、深緑に向かう隊商の護衛だ。国交が回復してから初めて深緑に向かうらしく、護衛対象たちは顔をあわせたときからずっと浮かれていた。
そのせいだろう、ラクダをとめて簡易テントを張り、保存食での夕食をとった直後には、ほぼ全員が体力の限界を迎えて眠ってしまった。
「第二の故郷、ね」
隊のまだ若い男が、酒を飲みながら照れくさそうに言っていたことを思い出す。深緑は我らにとって、第二の故郷だと。
ある砂漠の隠れ里。ニアの故郷といえばそこだ。寒暖の差も砂を踏む感触も、慣れ親しんだものだ。
「あたしにとっては」
どこだろうと、考えた。第二の故郷。
肩越しに振り返る。砂塵で薄汚れたテントに囲まれた焚火が、夜闇の中で明るく見えた。舟を漕ぐ見張りがときおり目覚めて、枝を足したり温もりに目を細めたりしている。
最近安全な地域を通ること、護衛対象が少ないこと、高価な品が運搬されないことを理由にひとりでこの任務を請け負ったニアは、隊商から少し離れ、しかしなにかあればすぐに駆けつけられる位置で腰を下ろした。
砂漠の夜は星が綺麗に見える。
「リヴィ、元気かな」
きらきらした夜空を見ていたら、自然と言葉が唇からこぼれた。一拍遅れて感情が追いつく。
あの子は今日も元気にあちらこちらを走り回り、情報を収集しているのだろう。考えると笑みがこぼれた。
「最近会えてなかったし。これが終わったら連絡してみるかな」
抱えた膝の頭に頬を寄せて、口の端を上げる。
ふと脳裏によぎる姿があった。
星。砂漠。落ち着きなく駆け回る、最近会っていない『少女』。
「ミーティアは今、どこにいるんだい?」
月の指揮棒を持って星空のスカートを翻し、ちょっと行ってくるとニアの故郷から旅立った、あの
「厄介なことに巻きこまれてないといいけど」
望みは薄い、と内心ですぐに断定してしまった。
「まぁ、またそのうち会えるよ」
楽観的に呟いてニアはぐっと伸びをする。さすがに少し眠くて、あくびが出た。
足音に気づいて首をのけぞらせ、背後を確認する。防寒着兼砂除けの外套を身につけた初老の男が、親し気に片手を挙げてみせた。
「隊長」
「まだ起きてるかね?」
「仮眠しようかどうか、迷ってたところだけど。なにかあった?」
「共犯者にならんかね」
「物騒なこと言い出したね」
半分寝ながら火の番をしていたはずの男が、ちょいちょいとニアを手招く。ニアは跳ねるように立ち上がり、砂を払って隊長を追った。
「ほれ」
「うん?」
火の側に座らされ、先端を削って尖らせた枝を握らされる。首を傾けていると、荷物をあさっていた隊長が目当てのものを見つけたらしく、戻ってきた。
「往復に日数がかかる仕事というのは面倒だが、これが楽しみでやめられん」
「マシュマロ……、って」
「そういうことだとも」
にっと笑った隊長が袋からマシュマロをひとつとり出し、自分の木の枝に刺して火に近づける。甘い香りが周囲に広がった。
「他の人たちには内緒ってことだね?」
「頼むよ」
「分かった」
共犯者になることを受け入れ、ニアもマシュマロをひとつもらう。
程よくあぶり、吹き冷ましてから頬張った。
予想より熱かったが、とろりとしていて甘くて、おいしい。
「そういえば、隊長にとっても深緑が第二の故郷なのかい?」
「いや?」
例の会話中、微笑むばかりで肯定も否定もしなかった男は、あっさりと首を振って否定した。ふたつめのマシュマロの用意をしながら、ニアは瞬く。
「我がウェトレニス隊商は深緑だけでなく、幻想にも商品を卸している。鉄帝、海洋との交易も視野に入れている」
「世界を股にかけようとしてるね」
「まさしく。私にとってはそのすべてが等しく故郷であり、そうであればいいと思っているのだよ」
「……欲張りだねぇ」
率直なニアの感想に、隊長が声を殺して笑った。
「当然。
第一も第二もなく。
全てが等しいと男は誇る。
「どこにいたって風は吹くし、夜になれば星は見えるもんね」
「そうだとも」
当然のように側に在って、同時に決して縛られないもの。
風唄を想う。目には見えず、しかしニアはこの瞬間にも確かに加護を得ている。
冷たい風が吹く。ニアは砂漠の空気の心地よさに目を細めた。
「マシュマロ、まだある?」
するりと空気が頬を撫でる。
あげないよ、と言う代わりに悪戯っぽい笑みを目許に刻んで、ニアは少し焦げた菓子を口に入れた。