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不器用なアンチェイン
登場人物一覧
別に、絡まれるだけの理由があったわけじゃない。
彼らにしてみれば、何でもよかったのだろう。
夜道の暗がり、官憲の眼の届かないところで、『目つきが気に入らない』という理由で、男達は青年を取り囲んだ。
――青年は抵抗しなかった。為す術も無い。彼の手はヒトを殴るためのものではなく、ぬいぐるみ達に魂を吹き込むためのものだったが故。
「オラ、立てよ。デケぇナリしやがって」
据えた匂いの路地裏で、引き摺り立たされる。
土気色をした青年の頬に、何度も拳がめり込んだ。その度に眼の裏側で火花が散る。痛い。きっと死ぬことはないだろうけど、それでも痛みは手酷く脳を揺さぶった。
「ガンくれたんならよ、一発ぐらい殴り返してみやがれ」
(睨んじゃいないよ。君達を睨むくらいなら壁の染みとでも見つめ合うよ)
「まぁ、喰らってやらねぇけどな!」
(殴ったり、殴られたりに何の価値があるっていうんだ……)
下卑な笑い声が耳にへばりつく。
――ああ、聞いていられない。早く終わらないかな。早くあの子達の声が聞きたい。俺の可愛い
幾度目かの蹴りが腹にめり込み、彼は――『おもちゃのお医者さん』イーハトーヴ・アーケイディアン(p3p006934) は、嘔吐くような声を上げて膝を付き蹲った。そこにすかさず、側頭を抉る爪先での蹴りが入る。
「行ったぁ! 容赦ねぇ!」
「おいおい、殺っちまうなよ。後がめんどくせぇからな」
「解ってるさ――」
声が遠ざかる。重なる打撃のインパクトが、他人事みたいに身体を揺らしている。
いつ終わるとも知れぬ責め苦を受けながら――イーハトーヴは、ただひたすらに早く終われとだけ願う。
――じゃらり、と。
遠くで、鎖の揺れる音がした気がした。
別に、絡むだけの理由があったわけじゃない。
ただ、虫の居所が悪かっただけだ。――言い訳めいて、そう考えた。
「おい」
「あァ?」
意識を失ったイーハトーヴを引き摺り起こそうとした悪党共の一人の顔面に、ゴシャッ、と音を立てて踵がめり込んだ。
「ゲェッ?!」
「……は?」
何が起きたか。
突如としてそこに『発生』した白髪の男が、無造作に悪漢の顔を蹴り飛ばしたのだ。悪漢が地面をもんどり打って転げた後に、遅れてびょう、と飄風が吹き、悪漢共の髪を嬲り揺らした。――現れた白髪の男の動きで巻き起こった風である。何たる速度か。
頽れるイーハトーヴを背に立ち塞がったのは、筋骨隆々たる白髪の巨漢であった。一糸纏わぬ上体は、まるで岩から削り出したかのような筋肉で覆われている。抓める贅肉など一片もない。長髪を波打たせ、金眼で悪漢らを睨み据える。
彼の名は、『無縫の咎人』ニコラス・T・ホワイトファング(p3p007358) 。
ニコラスはぶらぶらと手錠の嵌まった手を振り、心底不機嫌そうに言った。
「……なっ、なんだァ、テメェ!!」
「……てめえら。さっきそこの酒場ですれ違っただろ。…………俺の財布、スリやがったな?」
「はッ?! 何言ってやがるテメェ、イカレてんのか?!」
「人違いもいいところだぜ、俺たちゃそもそも今夜は酒場になんざ入ってねぇぞ!!」
喚き立てる悪漢達。先程一人蹴り転がして残人数七。ニコラスは敵の装備を確認。先頭の二人が喚く後ろで、後方の二人ばかりが短杖を抜いたのを見逃さない。
少しは知恵が回るらしい。うるさく喚いて気を引いている間に、後ろからズドン、という寸法だろう。
しかしそれも、状況を全体的に捉えてから動き出したニコラスには通じない。
「いいや、見たね。認めねぇならそれもいいぜ。ブチのめして懐を検めさせて貰うだけだからな」
ニコラスは鮫のように笑った。
場に緊張が走ったその一瞬。魔導短杖から
「う、うわああぁっ?!」
マジックボルトが放たれた。数射のうち一つの命中弾を手錠で弾き、踵を振り上げ踏み下ろすッ!! 短杖を持つ二人の片割れの意識を一撃で刈り取り、肉食獣めいてしなやかに着地。
「っ、てめぇっ!!」
もう一人が短杖を差し向ける前に、低姿勢から伸び上がるように突っ込む。全身のバネを込めて溜めた両手を突き出す。双掌底。短杖の男の腹に突き刺さった掌底が肋骨を砕き、身体を跳ね上げる。
「ご、っげ……ェ」
「な、何だこいつッ、」
「疾すぎる……!」
マジックボルトによる奇襲が失敗し浮き足立つ男達に、ニコラスは軽くステップを踏み顎をしゃくる。
「どうした、さっきまでの威勢はよ。一発ぐらい殴り返してみやがれ」
「て、テメェ!!」
奇しくもイーハトーヴに投げかけられた言葉と同様の言葉での挑発に乗った男が一人、ナイフを持って突っ込んだ。鋭い呼気と共に突き出されたナイフを、しかしニコラスは張った手錠の鎖で受け止め、目を見開いた男の腕に飛びついた。まるで獰猛な蛇めいた動き。足による
「ぎ、」
ゃあ、と悲鳴が尾を引く前に、身体のひねりと筋肉の瞬発力のみで、腕をへし折った敵手を投げ飛ばす。変速フランケンシュタイナーめいた投げ。もう一人の取り捲きを巻き込んで吹っ飛び、ゴミ溜に突っ込む悪漢。着地するなりニコラスはまたも宙に跳ねた。
全身にバネが内蔵されているのではないかという恐ろしい瞬発力と、尋常ならざる
ニコラスは空中で出鱈目に身を廻し、手錠の重量も使って姿勢を制御。残る敵の首に目掛け斧めいた蹴りを叩き込んだ。残敵三名を蹴り渡り、四肢を突っ張って地面に着地すれば、彼の後ろでドサドサと人の倒れる音が三つ。
「ケッ。雑魚が。……」
瞬く間に八人を戦闘不能にして吐き捨てると、ニコラスは唇を引き結んだ。
「うぅ……ん、……あれ、」
青年の声。痛々しく張れた頬を押さえ、仰臥していた土気色の膚の青年――イーハトーヴが目を覚ましたのを見たためだ。
「……ニコラス?」
「何だよ」
ニコラスは尻ポケットを軽く叩く。――そこには財布が入っている。
「……助けてくれたのかい? 俺を」
「勘違いすんじゃねぇよ。虫の居所の悪いところに、面白くもねぇモンを見たからな。気に入らなかっただけだ」
立てるか、とも聞かずに、ニコラスは歩み寄ってイーハトーヴを引っ張り立たせる。
「いたた。……はは。前から思ってたけど……君、やっぱりいい人だね、ニコラス」
「……頭でも打ったんじゃねえのか。医者行けよ」
肩を竦めてみせるニコラス。行くぞ、とも言わず顎をしゃくり、先導するように歩き出す。
その後ろに、イーハトーヴはややよろめきながらも従い歩き出した。
後に残るのは、路地裏の闇と、呻き転がる悪漢達だけ。
――巨漢の後ろを付き歩く、イーハトーヴは聡くも知っている。
ニコラスが、悪漢達から自分を助けてくれたということ。
そして彼が、それを『助けた』のだと、意地でも素直に認めようとしないのだ、ということを。