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Hercule's Monologue

登場人物一覧

アンジュ・サルディーネ(p3p006960)
いわしを食べるな
アンジュ・サルディーネの関係者
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 深夜。ちらつく炎が部屋を照らし、二つの影が炎に向かって伸びている。
 話し声は、控えめに。
 静かな、静かな密会。

 ──旦那様。どうしても行かれるのですか。

「……くどいな。考えを改める気は無いよ」

 ──お嬢様は、いかがされるのですか? あんなに幼いのに──。

かのじょと君がいるじゃないか」

 ──……置いていくつもりですか。

「とんでもない。きちんと帰って来る心算はあるさ」

 ──……。

「その顔は信じていないね? まったく、君は昔から分かりやすい顔をする」

 ──……申し訳、ありません。所詮召使の身で差し出がましい事と承知しています。ですが!

「はあ……召使とか、身分とか。そういう事じゃあ無いんだよ」

 ──……え?

「……覚えているかい? 君と初めて会った時の事を」

 ──忘れませんよ……十二年前の大号令。あれに乗じて、あなたは初戦にして類まれな戦果をあげました。

「職業軍人とはいえ、たかだか一兵卒だった僕は、手柄を買われて艦隊の指揮まで任されたね」

 ──……私は、あなたの初めての部下でした。こんな年若い青年が上官とは、と当時は思ったものです。

「それはこっちのセリフだよ。僕より若い子が居るとは思わなかったし」

 ──あの時の海賊掃討任務。意外なほど手練れな海賊たちに苦戦した私たちは──。

「あれだけ大口を叩いておきながら、取り逃がしたね。払った犠牲も多かった。それに君も──」

 ──……ええ。二度と、銃を握れぬ身体になりましたね。

「……恨んでるかい?」

 ──まさか。戦えぬ軍人の居場所などありません。あなたが拾ってくれなければ私は……。

「違うよ。あの頃の僕は、随分とやんちゃで……若すぎた。大きな手柄を得てしまった事による慢心。期待への重圧……様々なミスや甘さが敗北を、何より君の負傷を招いた。僕の下に居なければ、もしかすると君は今も……」

 ──そうかもしれませんね。でも、それでも。私は、あなたを恨みなどしませんよ。だって……。

「……」

 ──あなたは今、こうして海軍の指揮官として大成した。もはや、あなたの実力を疑う者は居ません。それだけで、お釣りが来るくらいですよ。

「……」

 ──私の言葉は、信用なりませんか?

「……そういう訳じゃ」

 ──心細くてどうしようもない時、髪をいじってしまう癖。若い頃から何もかわってないのですね。

「……僕、そんな癖があるのかい」

 ──はい。

「初めて知ったよ」

 ──初めて言いましたから。

「……ははっ」

 ──ふふ。

「君とは、もうずいぶんと長い付き合いになったね」

 ──そうですね。

「今、この瞬間はね。雇い主と召使ではなく──対等な友人でありたい、と。僕はそう言いたいんだ」

 ──……。

「君になら、アンジュを任せられる」

 ──……。

「大切な友人の頼みなんだ。聞いてくれるよね?」

 ──……フィルシャード、私は──。



 きぃ、と扉があいた。

「パパ……こわいゆめ、みた……」
「ああ、アンジュ。怖かったね。もう大丈夫だよ」

 旦那様は、4歳になるお嬢様の頭を優しく、優しくなでて。
 ゆっくりと抱き上げて、私にお嬢様の小さな体を預けてきた。

「話は終わりだ。アンジュを寝かしつけてあげなさい。アンジュ、ゆっくりお休み」
「……旦那様」
「むにゅ……」

 お嬢様は、私の胸の中で目を擦っている。
 これから父が、どうなるかも知らずに。
 こんなに幼いお嬢様を遺して。病気がちな奥様を遺して。
 貴方は海へ逝くというのですか。

「……さ、遅くまですまなかったね。君もアンジュを寝かしつけたら、もう休みなさい」
 昔と変わらない笑みで彼はそう言った。
 嗚呼。どうして笑えるのですか。
 貴方が挑むのは、『絶望の青』。
 恐らく、いいや。間違いなく、貴方は『貴方』として帰って来れない筈だ。
 怖いくせに。貴方はそうやって、一人で抱え込む。
 貴方の悪い癖だ──その言葉を飲み込んで。

 彼の、孤独の覚悟を揺らさないように。

「妻と、アンジュの事は頼んだよ──エルキュール」

 ──それが最後に聞いた、彼の言葉だった。



 彼は、確かに戻って来た。
 そして、やはり『ヒト』の姿では帰ってこなかった。
 彼のギフトは、『己の魂をたった一度だけ、身近にある生物』に移すモノ。
 奇病の前に滅びゆく肉体の代わりに魂を吹き込んだのは、たまたま通りかかった魚群だったのだと後から聞いた。
 無論ただの鰯の群れに軍人が務まる訳もなく、彼は『絶望の青』攻略中に戦死した事にされ──サルディーネ家は当主を失った。

 数百万にも及ぶ鰯の魚群──人の言葉も解さないただの魚に、彼のひとつの魂は数百万に分断されて等しく宿った。
 あれはもはや、『彼』ではない。
 きっとヒトであった頃の記憶や思い出も、何もかも吹き飛んでいるだろう。
 たかだか三十センチにも満たない小さな魚の器に、そんなモノを記憶する力などありはしないのだ。

 それを悟った時、私は泣いた。もう、何十年と流していなかった涙が、溢れて止まらなかった。
「なかないで、エル」
 お嬢様が、そう言って、私の頭を撫でつけた。
 私は、彼女の小さな、小さな身体に縋りついて泣いた。


 
 ──あの日から、十年が経った。
 何時だったか。お嬢様が、押し入れから見つけてきた、と言って私に見せてきたそれは。
「凄くない? 立派なコート。これ、誰のだろ? ねえ」
 旦那様がいつも着用していた、海洋王国軍のコート。
 幼いお嬢様は、本来の父親の記憶は無い。
 彼女の知る父親は、ヒトである事を忘れた魚群との記憶が全てなのだから。

「何だろうね。どこか懐かしい気持ちがする」
 コートに顔を埋めて、ぽつりと呟いて。
「遠い記憶の中。誰かが、私の頭を優しく撫でてくれたような──大きな手のあの人は……誰?」
 開きかけた口を、閉じた。
 きっと、それは正しいと思った。
 彼女の記憶の片隅に居る人は、もう何処にも居ないのだから。
「これ、貰っちゃお。誰のか知らないけど、かっこいいし」
 男性用の、大きすぎるコートを羽織って見せた。
 ぶかぶかで袖は余って、裾も引きずりそうなくらい。それでも、満足げに笑ってみせて。
「ねー。ていうかこれだけじゃ可愛くないし、アンジュ仕様にデコっちゃお。バッジとかワッペン付けてさあ。エルも手伝ってよ、ほら!」
 ぱっと花咲く笑顔を見せたお嬢様に、私は幾ばくかの思いを馳せて、彼女の傍に泳いでいく。

(──フィルシャード。貴方の娘は、随分お転婆に育ちましたよ。まるで、昔の貴方みたいに)

 屋敷の半分ほどもある、大きな大きな水槽の中を泳ぐ魚群を見上げる。
 そのうちの一匹が私を見下ろしながら、ガラスをこつんと叩いた。

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