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4月23日
登場人物一覧
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例年に比べて、暖かい冬だったとは言うものの、それが尾を引きでもしたのだろう。暦の上ではとっくに春だと言うのに、どこか肌寒さを感じずには居られない日々が続いていた。
見渡せば、4月も半ばを過ぎているというのに、未だコートを手放せない者も多いようだ。しかしそれも種族を区切って計測すればと言う話で、多種族も甚だしい混沌においては、気温の感じ方というのも人それぞれであるようだが。
自らの羽毛で暖を取る者もいれば、冬の間は眠っていて、未だに時季ボケで眠気眼を擦っている者もいる。中には、その身から迸る火炎を目的に、外置ストーブのような扱いを受けている物までいた。
それでも季節というやつは路行く人々を何ら慮ることなく悠々と自分の時間を刻むように出来ているようで、木々は例年よりもやや遅く、しかし毎年のよ如く見事と言うしかない、桃色の花を咲かせていた。
野山に咲くそれらは勿論、景観を目的として人工的に植えられた一本一本に至るまで、壮大に花を咲かせては冬が明けたことを主張している。
忙しそうに早足で道を行く誰かが、不意に足を止めた。視線はその満開に奪われ、口を軽く開けたまま、呆けた表情でそれらを見つめている。
美しいと、ただただ呑まれるばかりであった時、ひとは溜息をつくことしか出来ない。言葉には表せない、筆舌に尽くしがたいとはこのことである。
花より団子というものの、それは花に目を奪われた後の話だ。飲めや歌えという頃には、花は自身の尊厳を既に振りまき終えている。
言葉が出てこない。そのような状況に、彼女もまた立ち尽くしていた。
何秒か、何分か、我に返ったハッピー・クラッカーはぶんぶんと頭を振ると、惚けていた顔が恥ずかしかったのか、その頬を軽く二度叩いて気持ちを切り替えた。
振り向けば連れ出したその人がいる。こうして誘い出すのは今回で何度目だろう。指折り数えそうになったが、途中で辞めることにした。思い出のように振り返ってしまえば、奇妙な恥ずかしさで胸が一杯になってしまいそうだったのだ。
それに悶え転がっていては、大切な一日が終わってします。思い返すのはまたいつかでいい。今はこの時を、また振り返ることができるように、目一杯の時間にしようと考えていた。
「ほらほら、サイズさん、こっちこっち! ちゃんと場所取りもしたんだから!!」
「あ、ああ……え?」
そう言ってハッピーが示す先、満開の桜木の下には、十字架が複数本突き立っていた。
どれも二本の薄い木板に釘を雑く打ち付けて作られたものであり、けして整然とは言えない様で並んでいる。
更には注連縄で囲ってスペースを確保されており、『はいるな』と筆文字で書かれた立て札があった。乾く前に運んだのか、文字から墨が垂れてしまっている。
場所取りというのは物が置いているだけでは奪い去られてしまうこともあると聴いていたが、これには全く問題がないだろう。ハッピーによる人為的なものだと理解しているサイズでさえ、この注連縄をくぐり、十字架を抜き取り、ブルーシートを敷くというのは多少の抵抗感がある。わかってはいるが、呪われそうだ。
「桜の木の下っていうのがまた……」
彼女がどういった存在であるのかを思い出せば、確かにらしいと言えるのかもしれないが、この華々しい空気を見事に反転させた空間は、ある意味で見事だと言えた。「へーい、へーい」とか言いながら注連縄にハサミ入れているハッピーに、公園の利用者がぎょっとした視線を向けている。
大丈夫なのか、罰とか祟りとかそういうケアはいけてんのか。そんな無言の抗議がサイズにもよせられるが、黙殺することにした。万が一警邏でも呼ばれたら対処しよう。その程度の心積で。
「桜の木の下には死体が埋まってるって言う短編小説があったよね!!ミ☆」
「ああ、言っちゃうんだ、それ……」
十字架も引っこ抜いて、穴を適当に埋めて、その上にブルーシートを敷いて。ガスコンロを組み立てて、その火の維持に使用済みの注連縄と十字架を使用し始めたあたりで花見客からの注目度はMAXになったが、ハッピーに気にした様子はないので、サイズも気にしないことにした。努めて、そうすることにしたのだ。
そもそも、二人きりの花見でバーベキューの準備は果たして必要なのだろうかと疑問も湧いたが、彼女が楽しそうに肉を焼き始めたものだから、そちらも気にしないことにした。
予め切ってある野菜を並べ、水筒から冷えた茶を注ぎ、ハッピーの前に置く。もう少し手伝おうかとも思ったが、必要はなさそうで、手持ち無沙汰となってしまったため、せっかくだからと顔を上げて桜を見上げた。
雄大で、心を打たれるものだが、これだけ美しいのは短い間で、その花弁を散らすからだろうか。ついつい、そんなことを考えてしまっては掻き消すために目を瞑る。せっかく誘ってくれたというのに、自分から気持ちに水を差すというのは失礼な話だ。少なくともそれくらいには、彼女のことを思いたいと――。
「そういえば、どうして……」
肉の匂いが充満して、花も情緒もへったくれもなくなった環境を作った原因は、心の中で少しだけ頬を膨らませていた。
勢いでバーベキューにしたのは失敗だっただろうか。やはりここはオーソドックスにお弁当にするべきだったのではないか。
いや、最後まで迷ったのだ。しかしこうスタンダードを攻めすぎるのも何だか違う気がして。朝まで悩んだ挙げ句肉にタレを漬けてコンロを用意し、その上で実は鞄から出していない水筒には味噌汁が入っている。
最終的にバーベキュー派が脳内で勝利したものの、作ったからには勿体ないと持ってきていたのだ。しかしその上で、バーベキューに味噌汁ってどうなんだろうと思い悩み、未だ表には出てきていないという有様だった。
サイズの方をちらりと見るが、何やら難しい顔で目を閉じている。何故だ。バーベキューってだけでテンション上がったりしないのだろうか。うん、「やったあBBQだぜヒャッホウ!」っていうサイズとか想像もできないのだけどさ。じゃあなんでこのチョイスにしたのか自分。
ぬうぬうと悩ましげに唸っていると、いつの間にか、サイズが触れるほど近くにいて、こちらに声をかけてきた。
「ウェルダンにしても、焼き過ぎじゃないか……?」
ちょっと意識がそれていたせいで、何気ない一言すら不意打ちだった。思わず仰け反り飛び退こうとした体に喝を入れて持ち直させる。燃やせパンドラ。煌めけ恋心。
確定ガッツで持ち直した心臓はばっくんばっくんバスドラを叶えていたが、何とか先程のかけられた言葉を反芻する程度には、持ち直してくれる。
「うぇる、だん……?」
「いやほら、それ」
見ると、放置していた肉がこげっこげになっていた。
一部を剥がせば食べられるとかいうものではない。完全な墨である。現在火の維持に使用されている注連縄及び十字架よりもふさわしいに違いない。
「おおぉおおおああやっちゃった! やっちまったよ!!」
とりあえず大声だ。少なくとも心臓よりは大きく叫べ。失敗はむしろ好機だろう。道化を演じてもいい。そうやってでもサイズが笑ってくれればいい。
気持ちが落ち着けば、やはり頭を占めるのはサイズのことになっていた。
落ち込んでいる。顔を見ればわかる。花見が嫌だったのではない。バーベキューが嫌いなわけじゃない。自信過剰でなく、そう言える。サイズが難しい顔をしている。暗い気持ちを抱えている。話してほしいとは思うが、何かあるのなら一緒に抱えたいとは思うが、それを口に出すことはない。
きっと、話したいなら話してくれる。それを無理に掘り起こすのは、きっとしてはいけないことなのだ。
顔を見る。自分の失敗を、道化であったことを、少しでも笑ってくれればと思ったが、その表情は難しいままだった。
何を考えているのだろう。何を思っているのだろう。それを知りたいと思うのは、どこまでが我儘で、どこまでが自分勝手で、どこまでが、恋で許されることなのだろう。
答えは出ないまま、会話もなく、網の上でじうじうという音だけが時間の経過を知らせている。
どれだけが――その時に。
「――――ねえ」
「何か、あった? その、私でよかったら――え?」
心配そうな顔をする彼女に、サイズは自らでもある鎌を振り上げていた。
何が何だかわからない。そんな表情をする彼女のことを少し新鮮にも思いながら、じりじりと彼女に迫る。
後ずさっても意味はない。そちらには、桜の木があるだけだ。ほら、踵が当たって、気がついただろう。もう、逃げ場などどこにもないのだ。
「その、なにして――」
言葉は聞かない。いいや、聞こえていない。自分でも、どうしてこのようなことをしているのか検討がつかない。
切った張ったに慣れているハッピーはともかく、このようなことをしても周囲から悲鳴ひとつ上がらないのは不自然だが、ハッピーの奇行に、人足も遠いのいてしまったのだろう。
嗚呼、ならこれも彼女が起こしたことだ。ハッピー。ハッピー・クラッカー。いつも突然現れて、暴風のように自分を連れて行く彼女。騒がしい、本当に騒がしい幽霊。それに、抗おうと思わなくなったのはいつのことだろう。快くも思い始めたのはいつのことだろう。心の中を、彼女のことが占め始めたのは、いつのことだろう。この焦げひりついたような感情を、一体なんと呼ぶのだろう。
答えは出ないまま、大鎌を振り下ろし、首に当てる寸前で止める。当てるつもりは最初からなかった。当然だ、彼女を傷つけたいとは思わない。しかし、彼女が避けようともしないのは何故なのか。防ごうともしないのは、何故なのか。
ぐるぐると思考が渦巻く中、絞り出した言葉はひとつだ。
それは意識して組み立てたわけでもなく、それ故に、何を指してのものであったのかすら曖昧ではあったが、きっと届くと思った。届くと、思ったのだ。
「なんで俺を誘ったんだ……?」
その瞳に映る自分の顔は、なんとも怯えていて。
なんで、と言われると。
答えは複雑だった。その質問に答えるには、あまりに時間が過ぎ過ぎていて、この心は、ずっとずっと進み続けてしまっているのだから。
最初は本当に、小さなきっかけだ。きっと、想いというものは、何かをきっかけに火が点くことはあっても、燃え盛るにはそれ相応の時間を必要するものなのだ。
だから、はじめと、にどめと、さんどめと、そして今の答えは違っている。このひとが求める答えもその中できっと、変わってきている。
はじめの理由を言うのは簡単なことだ。だがそれはきっと、このひとが求めるものではないだろう。
今の答えを言うのは、勇気がいるができないことじゃない。でもそれは、きっかけとは違うものだ。
こちらをじっと、見つめる顔を見つめ返す。
少し、いいや、大いに怯えている。はじめの時の自分は、この表情を読み取ることが出来ただろうか。今の自分は、どうしてこれだけ、このひとのことを知れていると確信できているのだろうか。
サイズが怯えていることを、嬉しいと感じている自分がいる。それをサイズ自身は気づいていないかも知れないが、期待感の表れでもあるからだ。
このひとはきっと知らないだろう。この感情がどんなに満開の花々よりも飾り立てられ、世界を最も美しく彩るものであるのかを。
このひとはきっと知らないだろう。この感情が如何なる火炎よりも苛烈に燃え盛り、世界を邁進し続けられるエネルギーとなりうるのかを。
なんて勿体ないことだろう。それを知らないだなんて。そして、なんて幸運なことだろう。目の前の私は、その答えを知っているのだ。それだけの時間を、育んできたのだから。
友達か。好意か。親愛か。それともそれ以外の何かであるのか。
だから今。
「全部、全部だよ。友達としてのサイズさんと居るととっても楽しい。その……それとは違う意味でも、大好き。だからもちろん大切」
その名前の表す通り。
「それ以外にも、言葉にできないけど……いっぱい」
幸せを、打ち鳴らしてやる。
「だからそれを、行動で示しましょう」
少しだけ、体を前へ。それだけで十分だ。それだけ、このひとの顔は、近くにあるのだから。
だから、ほら、唇と唇が触れ合うには、十分だった。
…………さて。
気づいてます。気づいております。
サイズさん、めっちゃ飛び退こうとしてますね。
姿勢的に無理があったので背中に手を回してキスをしたものだから、気づいてはいるんです。
いや、たぶん否定意思じゃあないと思います。
本能的ななんかです、きっと。だから飛び退いてもきっとこのひとはしきりに謝ってくることでしょう。傷ついた顔を見せたらきっと慌てるし、感情の板挟みですっごい落ち込むことでしょう。
気まずくもなるに違いありません。しばらく連絡がなかったりするかもしれません。
そういうのをひっくるめてなんかこう、悔しいのでハッピーさんは背中に回した手をもうちょっとの間、放してあげません。
ええ、放してあげませんとも。
柔らかいし、ほっそいなあ。
やっと開放された時、思わず大きく距離をとっていた。
そうしてから、悪いことをしたと思い至る。否定のつもりはない。彼女を嫌っているわけじゃない。だから謝罪が口を出ようとして、彼女の行動で全てが止められた。
サムズアップである。
片方の手を腰に当て、胸を大きく張り、ドヤ顔で思いっきり前に突き出したサムズアップである。
オラァ、やってやったぞこの野郎。その顔からは、そんな表情がありありと浮かんでいた。
同時に、謝るんじゃねえぞ、分かってっからな、とも、言われている気がした。
だから、寧ろどうしていいかわからなくなった。
そんな自分が情けなく思えるが、こびりついていた不安感は薄れ、新たにうずまき始めた感情は、心地よいものであると思われた。
理解がまとまらない。それでも何か応えなければならない。だから、口を開こうとして。
ぴしりと、何かが割れるような音がした。
せめてそれが、最後には幸せに辿り着く道程であることを祈りながら、深く、深く落ちていく。