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特別な君と花を育てて
登場人物一覧
●突撃! 彼のお部屋の屋根裏部屋!
「お邪魔しまーす!」
「うわっ!?」
突然勢い良く屋根裏のドアが開き、ヨハン=レームは驚きながら反射的に持っていた本を閉じた。それを見て、ドアから顔を覗かせたミーティア(本名:太井 数子)と、ヨハンの飼い主もとい雇い主であるシャル=アルメリアは顔を見合わせた。
「今の反応、何か隠したわね」
「ヨハン君も年頃だし、そういう本の一冊や二冊……?」
「私の
口元を抑えてショックを受けるシャルと、赤くなったり青くなったりするミーティアを見て、ヨハンは咄嗟に隠した本を持って二人のところ向かった。
「二人して何言ってるんですか。これは掃除道具カタログです。って言うかなんて仲良くなってるんです!?」
べし! とシャルの顔にカタログを押し付けると、シャルはにんまりと笑みを浮かべた。
「あら、私の可愛いヨハンのお友達ですもの。私が持て成すのは当然でしょう?」
「当然じゃありません! 後は僕がしますから、シャル様は部屋に戻ってください!」
ぎゅうぎゅうとシャルを追い返すと、ヨハンは改めてミーティアを部屋に招き入れた。
「シャル様が済みません……」
「ううん! ヨハン君の雇い主だけあって面白い人ね!」
くすくす笑うミーティアに、ヨハンは唇を尖らせた。
「それより、今日は何の用です? 出かけるにはもう遅いですよ?」
お茶の時間には遅く、もう夕飯の時間だ。先ほど追い返したシャルも、今頃前菜を食べているか、温かいスープを飲んでいるだろう。
「わかってるわ。今日はね、この前のお礼をしに来たの!」
「お礼、ですか?」
きょとんと瞬きを繰り返すヨハンに、ミーティアはこくこくと頷く。
「そう、この前のお礼よ! ヨハン君のおかげで凄く楽しかったから!」
ローズピンクの瞳を輝かせて、ミーティアはいそいそと用意していたお礼をヨハンの部屋に運び込む。それは――。
「じゃん! ミーティア特製魚唐揚げ定食よ!」
白いおにぎりと、ゴマと鮭が混ざったおにぎりには白い漬物が添えてある。
暖かな手触りの木の器には具沢山の味噌汁。
小鉢に入った胡麻和えに、揚げたてを持ってきたのか、まだほわりと湯気の立つ唐揚げ。
その匂いにヨハンのお腹が鳴ったのは仕方がないことだろう。
「いっぱいあるから遠慮なく食べてね!」
ほかほかの唐揚げ定食を前に、ヨハンはこくりと頷くしかできなかった。
「ミーちゃんこれ美味しいです」
お箸に刺した唐揚げを美味しそうに頬張るヨハンを見て、ミーティアは誇らしげに胸を張る。
「そうでしょ? 今日は腕によりをかけたんだから」
ヨハンに美味しいご飯を食べて欲しくて、家で何度も練習に練習を重ねた成果なのだ。美味しいと言われて嬉しくないはずがない。
しかもヨハンは和食になれていないせいか、うまく箸を使えず小さな子供のような食べ方になっていて普段よりかわいく見える。
(ちょっと、役得ね)
お礼をしに来たはずだけど、今まで見たことがない可愛い姿を見られたのはラッキーだ。
しっかりお代わりをしてミーティアの倍近く食べたヨハンは、せめてこれぐらいはと食器を片付け始めた。
「私するわよ」
「いいんです。ミーちゃんはお客さんだからゆっくりしてください」
「今日はお礼しに来たのに?」
そんなことを話しながら二人で手を動かせば、あっという間にテーブルの上は奇麗になっていく。だけど奇麗になったテーブルと違って、汚れたままの場所があることにミーティアは気づいてしまった。
言うべきか言わざるべきか。言うにしてもどういうべきかとちらちらとヨハンの顔を見ていると、ヨハンが不思議そうに首を傾げた。
「どうかしました?」
「え、そ、その……!」
言うなら今しかない!
そう思ったミーティアは思い切って――ヨハンの頬に唇を寄せた。
「……!?」
突然のことにヨハンも真っ赤だ。
「ち、違うのよ!? ヨハン君のほっぺにご飯粒が付いてて、その……!
こ、こういうのはお弁当がついてるって言うのよ!」
取ってあげただけなんだから! と顔を逸らすミーティアだが、彼女の顔も、耳まで真っ赤に染まっていた。
「あ、有難うございます……」
ミーティアの唇が当たった頬を抑えながら、ヨハンも視線を逸らす。だけど尻尾がもじもじぱたぱた。彼の気持ちのようにせわしなく動いていた。
●甘いお菓子と甘い時間
恥ずかしくてちらりと相手を見ては視線が合って逸らす。
そんなことを何度か繰り返した後、ヨハンが思い切ってミーティアを見た。
「あの」
「は、はい!」
「シャル様お気に入りのお菓子があるんですけど、一緒に食べません?」
ドキドキそわそわしていた二人だが、美味しい甘いものの力は強かった。
「んー……! 美味しい……!」
見た目はシンプルなショートケーキ。だけど一流のパティシエが素材に拘り存分に腕を振るった逸品は、感動するほどに美味しかった。
満腹だったはずなのに、ぺろりと食べてしまうのはきっと美味しすぎるからだ。
「お礼に来たはずなのに、こんなに美味しいもの食べていいのかしら……」
暖かい紅茶を両手に呟くと、ヨハンが嬉しそうに笑う。
「良いんですよ。僕もミーちゃんの手料理が食べられて嬉しかったですし」
目の前で笑うヨハンを見て、ミーティアの心がざわめく。
頑張って作った料理を喜んで貰えたのは嬉しい。だけどあれはミーティアの手料理じゃない。
「あのねヨハン君……」
「なんですか?」
「私、ヨハン君に謝らなくちゃいけないことがあるの」
ポツリと呟かれた言葉に、ヨハンは瞬きを繰り返す。
「特に、ミーちゃんに謝ってもらうようなことはないと思いますけど……」
「ううん。ヨハン君に、ミーちゃんって呼んでもらっている時点で私、ヨハン君にウソついてるの……」
パッとしない自分が好きじゃなかった。
パッとしない自分の名前が好きじゃなかった。
だけどこの世界に来て可愛くて華やかな姿になって、それに似あう名前を自分でつけた。
初めは新しい自分が嬉しかったけど、ヨハンが自分の中で大きくなればなるほど、嘘の名前で呼ばれることが苦しくなっていった。
「……ミーティアって言う名前、この世界に来て自分でつけた名前なの」
本当の名前はパッとしなくて可愛くない。だけど、ヨハンには本当の名前を知って欲しい。本当の名前で呼んで欲しい。
「差し支えなければ、ミーちゃんの本当の名前教えて貰えますか?」
嘘の名前だったことで嫌われるかと思ったけど、ヨハンの声音はいつも通り優しかった。
「私……本当は数子って言うのよ。ありきたりでつまらない名前でしょう?」
その優しさに甘えるように本当の自分を少しずつさらけ出していく。
「そんな事ないですよ。こっちではあまり聞かない響きですけど、僕は素敵だと思います。
……ミーちゃんの本当の名前、呼んでも良いでしょうか?」
俯きがちだったミーティア、いや、数子と視線を合わせるようにしながら微笑むと、数子は泣きたくなった。
嫌われなくてほっとして、受け入れてくれて嬉しくて。
だけど急に可愛い態度を取るなんて難しいから、
「ふ、二人きりの時だけ呼んでいいわよ……!」
ちょっとつんつんした態度になるのは仕方がない。
「えっと、じゃぁ……数子さん」
慣れない響きの、だけど特別な名前を口にするだけでドキドキする。
おべんとうの時よりドキドキそわそわ。
「な、なによ……」
「数子さんって……その、付き合ってる人とかいます?」
恥ずかしさで途切れてしまった会話を繋げようとしたヨハンだったが、咄嗟に出た質問はよくなかった。何故なら数子がこの世界に来てから一番近くにいるのはヨハンなのだから。
「いるわけないじゃない!!」
一番近くにいるのはヨハンなのに、他の人にモテるはずがない。
ドキドキから一転ぷんぷんと怒る数子に、ヨハンはほっとしてしまう。
くるくる変わる表情が可愛くて、素直になれないけどとびっきり素直なところも可愛くて、いつだって目が離せなくて隣にいたい。
「じゃぁ、僕が数子さんの隣にいても良いですか?」
「え……!?」
そう思うより前に、いつの前にか気持ちは言葉になっていた。
真っ赤になった数子を見て、ヨハンは何だか嬉しくなっていく。
彼女を思うこの気持ちはまだ芽生えたばかりの二葉のようだけど、いつか大きな花を咲かせるのだろうか。
「もうこんな時間! 今日はそろそろ帰るわ……!」
時計を見て立ち上がった数子に、ヨハンも送っていくと立ち上がった。
「大丈夫よ。そんなに遠くないし」
「夜道は危ないですから。それに、僕がミーちゃんのこと送りたいんです」
もう少し傍にいたいと言われて数子の頬が赤くなる。
いつもなら他愛ない話をしながら楽しく賑やかに過ぎる時間が、今はドキドキそわそわ、静かなままで中々進まない。
「あ……」
玄関のドアを開けたヨハンは、湿った重い空気と静かな空気の中に響く音、それから軒先にかけれれているランタンの光を反射しては消える煌めきに、雨が降っていることに気づいた。
「雨……」
「え、嘘……。傘も何も持ってきてないわ……!」
ヨハンへのお礼だけ考えてやってきたから、まさか雨が降るなんて思っていなかった。
真っ暗で雨が降る中、このまま走って帰るには遠いし、傘を借りて荷物を持って帰るのも大変だ。
「どうしよう……」
困り果てて呆然と空を見上げていると、不意にヨハンがミーティアの手を握る。
「こんな状況で帰らせるのは不安ですし、と、泊まっていきます? ミー……いえ、数子さん」
「ふぇ!?」
ヨハンの言葉に真っ赤になった数子は、少しだけ迷ったが、思い切って小さく頷いた。
「一晩泊めるなら、私の部屋へ来なさいな!」
部屋に戻る途中にシャルに見つかり、ヨハンの部屋とシャルの部屋、または客室のどこに泊まったかは本人たちのみぞ知る。