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人の心、人知れず
登場人物一覧
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彼女は、その音を知っている。
よく知った友人の音だ。
ただ、その音色は少々複雑で、知ってはいるのだけれど、理解出来るかと問われれば否定を返さざるを得ない。
人の感情は難しいものだ。
そう思いながら、彼女は、近づいてきたその人が出した声に、振り返った。
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ギルドの日中は、騒がしい事が多い。
ここ最近、幻想から広がった評判が事件と依頼を呼び、入れ替わり立ち替わりでの出入りがあるからだ。
加えて、帰還者からの情報共有も盛んだった。
鉄帝、海洋、天義、深緑。
あちらこちらと遠出をしては戻ってきて、その時その時の話を報告しあっている。
「色々、あったからな」
その様子を、入り口に立つサンディは見ていた。辺りに視線を向け、漏れ聞こえてくる話し声を雑に広いながら奥へ。
色々あった、と、改めて思う。
ドラゴンと戦ったり、未踏の海へ赴いたり、地下遺跡に潜ったりした。
それ以外にも、依頼さえあればどこへでも行ったし、休む暇無しとまでは行かないが、結構、忙しなかった様に思う。
「でもまあ、今は落ち着いてるよな」
カウンターに着き、依頼の募集を横目で流しながら、見知った情報屋と二言三言を交わす。
現状だと、妖精郷の話だったり、絶望の青で拠点を得る話だったりがトレンドだ。そしてそのどちらにも、サンディは既に関わっている。
「深緑はまだまだこれから、って感じだけど、アクエリア方向はようやくだな」
独り言ちる。
絶望の青に浮かぶ島の開拓は始まったばかりだけれど、そこへ至るまでに随分と多くの事があったのだ。
海へ出る準備期間から始まって、領海内の荒くれ者を取り締まり、いざ出航の時には鉄帝の思惑と介入があって更なる一悶着があった。
そして。
「……キャプテンと次に会うときは、どうなってるかな」
魔種となった男の姿を、サンディは思う。
絶望の海上で会い、話して、知った事を、思い出す。
「死兆か」
罹患すれば、そこには等しく死が訪れる呪い。
「イレギュラーズの中にも、その発症者はいる……」
なんとかしなければと、漠然とした想いが胸にある。
解呪の方法は一つ。冠位魔種であるアルバニアを倒す事だ。
それ以外の方法はあるかもしれないし、無いのかもしれない。
「難しいなぁ」
溜め息を一つ吐き出して、サンディは踵を返した。
何となく今日は、依頼を受ける気分じゃ無い。
そう思い、出口へ向かって、
「なぁ、聞いたか、廃滅病の事」
「あぁ、恐ろしい事だ……」
喧騒の中で、そんな話し声が耳に入った。
歩幅を小さくして速度を落とし、なんとなしに視線を向けてその声に注力すると、会話のやり取りは一般人の噂話なのだと解る。
「実は前に世話になった孤児院の娘が患ったようでなぁ……」
「おいそりゃあ、つまり……死んじまうってことかよ」
足が、自然と進路を変えた。
そんなわけはない、そんなはずはない。ただ知り合いとよく似た経歴のイレギュラーズが居ただけだろう。
思えば思うほど、心臓が鼓動を煩くしていく。
「いやそうと決まったわけじゃあねぇんだが──」
「なぁおいおっちゃん、その娘って」
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嫌だ。
その可能性を考えたとき、彼の胸中に浮かんだのは、そんな感情だった。
道へ飛び出し、驚きと好奇の視線にも気付かずに走って、走って、がむしゃらな疾走に呼吸は乱れに乱れる。
何が嫌なのか、判然としない。というより、あらゆる事が嫌だと思ってしまって、ごちゃ混ぜの感情が整理出来なくなっていた。
ただ、確定して解る事がある。
彼は、失われる事が嫌だったのだ。
それが嘘であればいいと、そう願って、いつもより重く感じる脚を、懸命に動かした。
●
暖かい昼下がりの陽光に、孤児院はあった。
森から抜けてくる湿り気の風は、ひっそりと佇むその場所を撫でる。
「よしっ、やっちゃおうか!」
そんな、緩やかな時間が過ぎていく場所に、リアは居た。
声と共にどさっと重たげな音を立てて地面に置かれるのは、水気をたっぷりと含んだ大量の衣類。孤児院の子達の着替えだったりタオルだったり様々な洗濯物だ。
纏めて一気に洗いを済ませた今、彼女の仕事はそれを干す事にある。
「午前一杯使っちゃったけど、これだけ暖かいなら夕方には乾くよね」
木から木へと、長く渡して張ったロープには、軽い物を洗濯バサミで吊るす。
重くなりがちな物は、両脇に置いた枠に乗せた堅い棒へと、ハンガーを使いながら引っ掻けていく。
「──リア!」
と、そこに声が掛けられる。
シーツのシワをパンッと伸ばして、ふぅ、と一息を吐き出し、リアは、いつもと変わらない微笑みを浮かべながら振り返った。
「いらっしゃい、サンディ」
大丈夫だろうか、と。
目の前で、膝に両手を付け、荒くなった息を整える友人を見て、彼女は思った。
サンディの接近にはずいぶん前から気付いていたし、その要因となった、彼の心から流れる不協和な旋律にも気づいている。
だがなぜそうなっているのかはわからなかった。
音色の種類がごちゃごちゃとしていて、そう、よく孤児院の子達がめちゃくちゃに喧嘩をした時みたいな、一つに纏まりきらない、複雑な音に似ていて。
「聞いたんだぞ」
「なにを」
「死兆だよ!」
食い気味に重なった声に、吐息が漏れた。
「ギルドに来てた人が噂してたんだ。そんなの、もう、こっちはビックリでさ、まさかそんなわけないって、有り得ないだろ?」
そんな、願うような声音に、リアはやっと、息と心を乱してまでサンディがここに来た理由を悟る。
ただ、信じたくなかったからなのか、それとも無茶をした事を怒っているのか、はたまた別の気持ちなのかまでは、理解は出来なかったが、しかし。
「うん、本当だよ、ごめんね」
事実は事実として、リアはありのままに答えて頷いた。
「……っ」
そんな彼女にサンディは、息が詰まり、視線を俯かせて、胸の奥底から込み上げてくる感情を喉元に伏せる様に歯を食い縛る。
だが。
「っ、んで、お前が……なんでだよ!」
激情を抑えられるほど、サンディの心は冷静では無かった。いや、あるいは別の誰かであったなら、これほどでは無かったのかもしれない。
「リアが行く必要があったのかよ! 絶望の青を攻略するイレギュラーズなんて沢山居たし、それに俺だって!」
「じゃあ、私の代わりに誰かが廃滅病になっていれば、それで満足した?」
「それは──」
そんなわけない。知人の代わりに赤の他人が犠牲になればいいなんて、考える筈がない。
少なくともリアは、サンディという人物をそう見ているし、実際、サンディはそう考えているわけではなかった。
むしろ彼は、犠牲になるならば自分が相応しい、とすら考えるタイプだった。
「でも、だからお前が無茶していいって事にはならないだろうが! いつも俺に言ってる事忘れたのかよ!」
だから危険な依頼にだって行くし、その結果で無理をして大怪我を負って、リアに怒りを表された事だって少なくない。
しかし、今回はまた事情が違う。
だってそれは、命を失う未来が確約されているのだ。今までの、怪我をして、無茶をして、叱られたり諭されたりとはわけが違う。
死だ。
この世界から消えてしまう。
二度と会うことはないだろう。
それは手を伸ばしても止められない。
地下に沈んだ聖女も、海へ流れた仲間も、今目の前にいる友も、何も救えず、失ってしまう。
「なんでだよ!」
そんなのは嫌だ。
でも、じゃあ、どうすればいいのかなんて、その答えをサンディは持っていなくて、当然、リアだって持っていない。
だから、やり場の無い焦りと、ぶつけ先を知らない怒りがどす黒い渦を巻いて心に滲み、握り締めた拳が肉を食い込んだ。
「仕方ないじゃない」
洗濯物を干し終えたリアが、濡れた手を軽く払って籠を拾う。
サンディを見詰める彼女の顔は落ち着いていた。
元々、人の感情を音で捉えられるリアだ。サンディの百面相する旋律は会う前から察していたし、その原因が自分である以上、取り乱す事や、否定する事はしない。
とはいえ、じゃあサンディの望む様に大人しくするつもりがあるのかと聞かれれば、それはNOだ。
「あたしは、あたしがしなきゃいけないと思ったことをするわ」
その結果として死の宿命を背負ったとしても、歩みを止めるつもりなんて、ハナからリアの選択肢には無い。
「あたしや、あたしの大切な人達に危険が及ぶならそれを防ぐわ。それが廃滅病なら、冠位魔種を排除してみせる」
「そんな簡単じゃないだろ!? わかってるのか、アルバニアがどれだけ危険な相手か!」
「じゃあ諦めるの?」
「っ」
サンディは、真っ直ぐなリアの視線から目を背けた。
まだ彼女の行動に納得出来ていない。だけど、結局のところ、じゃあどうすればいいのか? と問われれば、元凶を叩くしか無いのだ。
サンディにはそれを成し遂げる自信も、いやそもそも、相対する覚悟だって出来ていなかった。
でも、リアはそれをしている。
「俺は……」
ぐちゃぐちゃだった心が、更に掻き乱されたとサンディは思う。
話は終わりと言うように、背を向けたリアの背中に伸ばした手は、まるですがり付く様にも見える。
「サンディ」
顔だけ振り向いた彼女は、微笑んでいて。
「またね」
と、そう言われてしまって、行き場を無くした腕は垂れ、彼は唇を噛んだ。
「……ああ、またな、リア」
もう居ない相手に向かって、答えを絞り出したサンディは、踵を返して真っ直ぐに前を見据えた。