SS詳細
これから
登場人物一覧
混沌世界には平和が訪れました。
そんな文面がモニターに表示されるようになってから暫く。神秘とは秘匿されるべき事案とさえもされた希望ヶ浜の様子は余りにも様変わりしていた。
近代的な世界は旅人たちにとっての憩いの場所である事には違いはない。されど、全ての神秘が秘匿されるわけではなくなった。
夜妖は当たり前に存在し、希望ヶ浜の外にも世界がある事を誰もが知っている。ここが人工的な場所であることを理解しながらも彼らは日常を歩んでいくのだ。
世界には魔法も何もかもがないような顔をして過ごしていた者たちは、これからもずっとその考えを変える事はなくのんびりと日常を謳歌していくのかもしれない。
「晴陽」
「何かありましたか?」
「ああ、いや。結婚式の話なんだが……」
幾つか、まとめ上げた書類を差し出す天川に晴陽は「ああ」と呟いた。
二人は結婚をした。先んじて籍を入れ、天川が婿入りの形で澄原のサポートに入る事となったのだ。
法的な手続きをさっさと終えて仕舞おう、というのは晴陽らしい言動だ。その上で、結婚式などは一般的な政治なども絡むような人間を呼ぶ場でもあるからと、それにふさわしい者を整えたいと彼女は言った。その上で、龍成や、彼の最愛の恋人である雛菊、水夜子などを呼んだ身内パーティーをしたいというのが晴陽の
彼女のそんな可愛らしい我儘に天川は応えてやりたかった。晴陽がわがままを言うなんてことは早々ないことだ。
ならば、彼女が求める通りにできる限り応えてやろうと天川はパーティーの用意を最も適任だと思う水夜子に任せて置いた。
それ以外はプランナーに頼り乍ら天川が口出しを行う事にした。晴陽に任せれば彼女が頓着しない部分に対してはかなりおざなりな反応を見せる事も知っている。
天川はドレスに関しては晴陽に任せるがその他のプランについては自分がしっかりと監督しておくと晴陽に告げたのだった。
それからというものの天川の毎日は大忙しだった。
澄原病院の秘書業務をこなしながらも結婚式のプランニングを行う。時に、晴陽が食事を忘れるほどに仕事に没頭していることに気が付いたならば強制的に連れて帰るという事も多かった。
晴陽が食事を忘れるという事も随分と減ってくれた事は喜ぶべき事柄だ。天川が居る事で「食事の時間ですか?」と思い出すことが増えたのだ。
寝食を忘れてまで仕事をするというのは彼女が澄原を担ってきた証拠なのだが、もう少し体には気を付けてほしかった。
「晴陽、そう言えば旅行のタイミングは決まったか?」
「ええ。一応スケジュールの調整を行ってはいます。が、急患が入ればどうなるか……」
ぶつぶつと呟いている晴陽に「晴陽以外も仕事をできるように任せるべきだぞ」と天川は肩を竦めた。新婚旅行もいける時に行きましょうなんておざなりな決定をしてしまっていた。
水夜子に言わせれば意地でも義姉を連れて行ってほしいとのことだ。連行するべきなのかもしれないが――なかなか、晴陽の日常をぶち壊すというのは彼女を愛する男として難しかった。
「そうですね。私だけで何でもできるではいけないとは分かっています。天川さんに言われると、本当にそうだと身につまされる様な……」
「おいおい、そんなことはないだろう? 晴陽は頑張り屋だからな、あまり無理をしすぎると体に響く。結婚式も新婚旅行もそれどころじゃなくなってしまうだろう?」
「ええ、そうですね。私はこれでも新婚旅行を楽しみにしています。混沌世界を案内してくれる、というのは中々によいことですね」
「ああ、ご期待のパカダクラもしっかりと会えるようにしておく」
相変わらずだが、少々顔立ちが潰れているような生物を見れば晴陽はすんと澄んだ表情から明るく笑う事が多くなった。
パカダクラも妙な生物ではあるが、晴陽は会ってみたいと天川に告げていたのだ。他の混沌世界の生物たちの中にも、きっと晴陽が気に入るような生物が存在しているはずだ。
それらとも会えるようにとしっかりと準備をしてやらねばならないと天川は心に強く決めていたのであった。
「じゃあ食事に戻ろうか。ランチはどうする?」
「ええ、一度マンションに戻ろうかと。昨晩の残りがありましたよね? それを水夜子に頼んでアレンジして貰ったんです」
「ますますみゃーこの調理スキルが上がってるな」
天川はそう笑ってからちらりと晴陽を見る。自慢げな彼女は「そうでしょう、そうでしょう」と誇らしげに自らの従妹を褒めたたえるのだ。
彼女たち澄原は利権争いの中にあった。
特に、長子として生まれ優秀であった女。彼女と同等であるべきと求められながらも、不出来だと己を恨んだ弟。それだけでも天川は苦しくもなった。
もしも
しかしながら彼女は女だった。澄原当主の配偶者の座を狙うべくと幾人もが差し向けられても、龍成に継ぐつもりはなかっただろうし、晴陽も頓着はしなかった。
その一人が、当主の配偶者に慣れないならば取り入れと教育を為されてきた水夜子であっただろう。
――そんな、関係性であった筈なのに。
「義姉さん!」
彼女は明るく朗らかに笑うのだ。手をぶんぶんと振って、楽し気に彼女はランチバスケットを持ってやってくる。
「昨日の残りをアレンジする話でしたから、きっと仕事が忙しいのではないかと思いまして。
天川さんと義姉さんの分を持ってきました。休憩室でお食事にしてはどうですか?」
「おお、みゃーこ。俺の分もあるのか? すまないな」
「いいえ。あ、そうだ。スープジャーも持って来たんですよ。昨日はラタトゥイユだったんですよね。それをカレーにアレンジしました。
こっちのスープはコンソメスープです。家で作っていたんですけれど美味しくできたので。
ああ、パンも買って来たんですよ。行きつけの。ほら、あのサンドイッチのお店の奴です」
うきうきでそう笑っている水夜子に晴陽は「いいですね」と嬉しそうに笑った。二人が幸せそうにしている背中を天川は何処か微笑ましく眺めるのだ。
――そうやって、二人が幸せであればそれでいい、と。そう思う事もあった。
それでも「おいおい、俺を忘れるなよ。晴陽」と揶揄いたくなったのは彼女との関係性が変わったからだ。
「忘れてはいませんよ」
「みゃーこに夢中だろう。食事の時は俺よりみゃーこが良いって顔をするようになったからな……。
全く、みゃーこに晴陽の胃袋を掴まれちまったからな。これは敗北だ」
「ふふ。天川さんの胃袋も掴みましょうか?」
「いや? その代わり教えてくれ。今日の料理もおいしそうだ」
勿論ですともと笑う彼女に天川は頷いた。飲み物をとってくると告げる彼女の背を見送ってから天川が「寂しいだろ」と晴陽へと揶揄うように言った。
「あら、寂しがる必要性がありましたか。私は天川さんならば水夜子が来ると喜ぶと思いましたが」
「まあな? でも、俺なんかいなかったように振舞うから驚いた」
「……天川さんは常にいるではありませんか」
不思議そうな顔をする。本当に鈍くて、周りが滲ませる空気の一つも分かっちゃいないような顔をするのだ。
結婚をしてから幾度となく彼女に愛しているだ、好きだ、何だと伝えてきたがその時は答えてくれるものの日常生活ではあまりに伝わっていないように思えてならない。
「晴陽は俺をやきもきさせる天才だな……」
「どうしてでしょうか。私は普通にしているつもりではあるのですが……」
困った調子でそう言った晴陽に「何もねぇよ」と天川は笑ってからその頭をくしゃりと撫でた。
優しい掌に晴陽は思わず目を閉じる。心地よさを感じてから「眠ってしまうので、撫でてはいけませんよ」と彼女はそう言った。
それは無意識ながらの晴陽にとっての甘えだ。天川と言う存在を安全圏であると認識しているが故の発言なのだから。
そんな晴陽を思えばこそ天川は愛おしいのだと感じるのだ。これまで大変なこともあったが、彼女が甘えて微笑む姿を見ればすべて救われてしまったようにも感じられるのであった。
「食事をしてからにしろよ、仮眠をするのは」
「ええ、分かっています。水夜子がせっかく作ってくれたんですから……」
ゆっくりと眠りに落ちていこうとする晴陽をつんと突きながら天川は小さく笑うのだ。
これがきっと幸せと呼ぶべき時間なのだろう。さて、次は何をしようかと考えた時に、漸く飲み物を持ってかえってきた水夜子が「義姉さん、寝るつもりですか……!」と少々拗ねたように言い出したのであった。
――日常で、一番に大切なのは、きっと彼女が当たり前のように過ごしている姿だっただろう。
結婚式も、新婚旅行も、節目となるものは全て与えてやりたいと考えていた。
だが、それ以上に努力の人であった晴陽には圧倒的に日常と言うものそのものが足りてやいないように感じられたのだ。
故に、天川は晴陽と過ごす在り来たりな日常を大事にすることにした。
朝はおはようと告げて朝食を共に食べる。出勤後は仕事をするがランチタイムの時間は出来る限り合わせて置く。仕事の忙しなさに忙殺されながらも当たり前の様に会話を重ねる事を意識した。
「そういえば、天川さんは混沌世界が平和になったら他にやりたいことはなかったのですか?」
夕食後、のんびりとした時間を過ごしていた天川に晴陽が唐突に問い掛けた。突然の問いかけだったこともあり天川はついつい気の抜けた表情をしてしまったのも仕方がない事だろう。
「いや、他にか……。晴陽の事ばかり考えていたからな。好いた女の未来のことくらいしか考えてなかったから、そう問われると困ってしまうな」
「私の事を気にかけてくださるのはとても嬉しい事ではあるのですが……他に、何かあったのかな、と。そう思いまして。
様々な場所を見に行こうと誘ってくださるのも私の為ではないですか。天川さんが天川さんとしてやり残した事なんかがあったのではないか、と思いまして」
「そうだな……ないと言うと嘘になってしまうが……それもすべて晴陽と一緒にというのが理想だったな」
そう呟いた天川に晴陽はやや拗ねたような顔をした。どうにも、彼が自分ばかりを優先してしまうのだから、それでは彼の事が分からない。
晴陽にとって自分をこれ程までに愛してくれるというのは喜ばしい事でもあった。しかしながら、彼自身が幸せになってくれなくてはいけないとも考えている。
与えられるばかりではいけない。愛に肥え太っていくだけではいけず、しっかりとその愛を返さねばならないと晴陽は認識していたのだろう。
「今度、休みを取ります。その時にどこかに出かけませんか? 勿論、天川さんのやりたいことを優先していただければと思います」
「晴陽と出かける事が俺のやりたいことだって?」
「ええ。そうでもしなければ、天川さんは私が仕事をしているならば自分も、と言いがちです。
折角の休暇でも私に合わせてしまうのはもったいない事ですから。私も天川さんにあわせてみようかと思いました。
貴方のやりたいことを教えていただきたいのです。なんだって構いません。二日程度、時間をとる様にします」
堂々と告げる晴陽に天川は悩まし気な表情を浮かべた。何処かに出かけようと提案する事も出来るが、自分のやりたいことと言われれば難しい。
彼女に様々な混沌世界の風景を見せてやりたい、とも思うが――さて、何処に行くべきかを悩んでしまうではないか。
延期にされていた新婚旅行とはまた別の、それも天川が主体となる遠出というのだから、難しさと言う意味でのハードルが上がっている。
「……少し、考えさせてくれ」
頭を抱えた天川に晴陽は小さく頷いた。兎に角、天川が求めてくれるそれに従うと彼女はもう心の底から決めていたのだろうから。
「それで私に相談ですか? ふふふ、面白い」
その翌日、昼休みに差し掛かった時間に晴陽はランチミーティングがあるという。天川が同席するものではなかった為、今日は珍しく離れての昼食だ。
如何しようかと考えていた頃に、廊下に彼女の姿が見えたのだ。澄原 水夜子。晴陽の従妹である。
「ああ、まあ、俺にとっちゃ晴陽がわがままを言ってくれるのは嬉しい事ではあったんだが……。
まさか、そんなことを良いだとは思わなかった。晴陽からすれば旅人で他に故郷がある俺が此処に留まる事を迷うことなく選択したのも、晴陽をすべて優先して生活するというのも不服だそうだ。人間は個があるからこそ、人間なのだから、多少の自己主張はあるべきだと言って聞かない。
晴陽の事を愛しているからだと言ってみてもこればっかりは頷いてもくれなかったな。何とも言い難いが……早急にどこかに出かける用意をしなくてはならないんだ」
「まあ……」
水夜子は少々疲れた様子でそう言った天川を眺めてから笑った。
確かに、水夜子や晴陽の様に混沌世界で、それも希望ヶ浜で育って人間と、外からやってきた旅人たちには大きな違いがある。
彼女たちにとっての故郷はこの場所で、この場所こそが護り切るべき大切な居場所そのものであったのだ。それに対して旅人たちは自身らの故郷が外にある。練達の技術者の中には混沌世界より元世界への帰還こそを至上とする者まで現れていたほどだったのだ。
晴陽や水夜子からしても旅人は元の世界への帰還を多少は夢見る者、という印象が強かった――筈なのだ。
「でも、俺が良いって言うんだからここでいいだろう?」
「まあ、そうですねえ。でも義姉さんって性格が
そう言った水夜子は「天川さんが、晴陽晴陽って優先する事に対して少し負い目があるんじゃないでしょうか?」と付け加える。
「負い目?」
「ええ、負い目。元から姉さんってそう言う人でしょう。自分にあまり自信がない人……だから、怯えたように振舞う事だって多いような、そんな人でした。
あの人が他人を近づけないのは自分がその人を理解できなかったからです。でも、今は天川さんを理解しようとしている。そんな義姉さんは天川さんがどう歩んでいきたいのかの真意を知りたいのかもしれませんよ」
そう笑った水夜子に天川は「少し考えてみる」とそう言った。行くべき場所はローレットにするべきか。
旅人たちは皆、ローレットに辿り着く。始まりの場所に立ってみれば、晴陽だって考えが変わるかもしれない。
そう思いながらも天川は「ありがとうな、みゃーこ」と笑いかけた。まるで妹の様に接している彼女が「いいえ」と朗らかに笑うその姿を見れば、天川は彼女にも幸せになって欲しいものだとそう思わずにはいられないのであった。
のんびりとしたランチを終えて廊下に出た天川はそのまま院長室に戻らずに、のんびりとした歩調で自動販売機のコーナーに向かった。適当にコーヒーでも購入して、一服をしてから戻ろうと考えたのだ。煙草は控えていたが考え事をする際には無性に口さみしくなることがある。そうした場合にはコーヒーなどで適当に気を紛らわせる事にしていたのだ。
「あ」
「ん? ああ、診察か?」
「そうだよ、天川さんはお仕事かな? 元気そうでなりよりだね!」
明るく笑った綾敷・なじみは楽し気な微笑みを浮かべていた。
朗らかに微笑んでいる少女は猫鬼が憑いていた少女だった。今やそれも封印されてしまったものではあるけれど
「私はね、もう診察が終わったからひよひよと待ち合わせ中って感じ」
「へえ、来てるのか?」
「そうそう。晴陽せんせとお話って言ってたような~? まあ、分からないけれどここで待っててほしいって言われて。
それで? なんか悩み事ならばなじみさんが相談に乗るぜ。色々な経験はしてきたから任せてほしいんだけれど! どうかな?」
「はは。そうだな……何処に出かけようかなんて言う話だ」
「へえー、せんせいと?」
ぱちくりと瞬く彼女に天川は大きく頷いた。当たり前のように流行スポットを教えてくれる彼女の言葉に耳を傾けていれば、天川の頭の8割を占めていた晴陽と、なじみの待ち人が揃って姿を現す。
「ああ、ここにいたんですね。なじみ。構って頂いていたんでしょうか? ありがとうございます。相変わらずのマシンガントークだったでしょう?」
「違うよ、ひよひよ。なじみさんは天川さんに今流行のスポットを教えてたんだぜ。やっぱお出かけって楽しいよねって話! 一般的!」
「押し付けてはいけませんよ」
呆れかえったように言う音呂木ひよのになじみが少しばかり拗ねたような顔をした。そんな和やかさにも天川は思わず笑みを深める。
晴陽に「お時間を頂きありがとうございます」と微笑んだひよのがなじみの首根っこをひょいと掴むようにその場を後にした。どうやら希望ヶ浜学園に戻る用事があるらしい。
夜妖の対応や新入生のオリエンテーションなど考える事は山積みと言う事だろうか。
ゆっくりとした調子で歩いていく二人の背中を見つめていた天川は、書類をその腕に抱えていた晴陽に気が付いて「有意義な時間だったか?」と問い掛ける。
「ええ」
ここで荷物を持つという普段の仕草を見せれば晴陽はまたも自分に気を遣われたなどと思うのだろうか。
「新婚旅行なんだが、折角だから少し足を延ばしながら鉄帝と天義に行くのは如何だろうか」
「構いませんよ。何か見たいものが?」
「ああ、その後、幻想に戻ってから海洋……と、まあ、俺がこれまで特異運命座標として巡ってきた場所を晴陽に見せたい。
それじゃいけないか? 俺はこの世界は美しいと思っている。晴陽に俺がこの世界で得たものを見せていきたいんだ。
多少の時間はかかるだろうし、分割して赴いても良いとは思っているが……」
「それが、私の我儘の答えですか?」
「ああ、勿論。俺自身は晴陽と出会ったからこそこの世界に残る決断をしたことには違いはねぇ。
晴陽がそれを受け入れてくれているっていうならそれが一番だとも考えているが――どう、だろうか」
そっと伺う様に晴陽のかんばせを見つめた天川に、晴陽は可笑しくなって笑みを漏らした。
「そんなに恐々と聞く事ですか?」
「当たり前だろ。晴陽から、あんなことを言われるとは思っちゃいなかった。俺自身、確かに晴陽を優先しすぎているという自覚はあった。
澄原に入って、晴陽を支えるってのは俺が決めた事だったからな。それに好いた女には案外尽くす方なんだぜ」
「ええ、案外ではない程に知っていました」
「だろう? だから、晴陽が主体になっちまうことは許してほしい。それでも、それだけでは嫌だって言うのなら、時々付き合ってくれ。
俺がこれまで重ねてきた冒険なんかを教えてやる。さっきみゃーこと話したんだが、世界各国を旅して、その写真を集めてからパーティーに張り出したらどうかってな?」
「龍成たちを呼ぶパーティーですか? ……いいですね。
ローレットの特異運命座標の皆さんの事もお呼びしたいですから、様々な冒険について話を聞かせて貰えるかもしれません。
私が天川さんとなぞった軌跡を見ていただければ、これまでの心労も多少は良き思い出になってはくれませんか?」
「気遣いか?」
「いいえ。きっと、私は皆さんの様に外を巡ってみたかったのでしょう。その話の中に少しでも置いて頂けたらと思ったのかもしれませんね。
私は澄原ですから、危険な場所に赴くことはしません。ですが、話の中でだけならば、そうやって皆さんの傍らで冒険をさせて頂きたい」
「ああ、きっとしてくれる。今の混沌世界ならば大きく危険だと言われる生物も少ないだろうし、晴陽の友達も誘えばいい。
立派な護衛係の完成だ。そいつらもつれて、冒険者の真似事をしてみるのだってきっと悪くないだろう。
どうだ。世界を巡る旅を
「……ふふ、はい。そうしましょう」
――あなたが、そうしてみたいというならば。
晴陽にとって、天川がそうしたいと望んでくれることが一番だった。
晴陽は大きく頷いてから早速スケジュールの調整をしようと院長室へと戻っていく。その背中を眺め、ゆっくりと歩き出した天川はふと、振り返った。
ひらひらと手を振ったなじみがパーティーには呼んでねと口パクで伝えてくる。少しばかり心配性のひよのなどは一礼をしてからなじみに帰宅を促していたか。
仕事に忙殺され続けている晴陽も心なしか楽しそうな微笑みを浮かべていた。次は何をしようか、なんてそんなことを言い出すようになったのは天川がそばにいるからだろう。
こうして、毎日が続いていく。
変わりゆく日常と、穏やかに続いていく時間。
自宅に帰ったならばペットのむぎがぶひぶひと鼻を鳴らして甘えてやって来てくれる。
「晴陽」
「はい、どうかしましたか?」
天川は院長室に鍵をかけて自宅へと急ぐ晴陽に声をかけた。むぎの為に早く帰らねばと言い出した彼女に天川は「これナースからむぎちゃんへって差し入れだ」と可愛らしいクッキーを差し出した。
「わざわざ用意してくださった方が入たのですね。でも、どうして天川さんに?」
「これまで、晴陽にこうしたものを渡すのも躊躇っていたんだろうよ。最近の晴陽ならば受け取ってくれるかもしれないがこれまでの事もあって渡しにくかった。
それで、俺が間に立ったってことだ。何処の誰かは解っている。今度礼でも言いに行こう」
「ええ。その際には水夜子に頼んで手土産も用意しましょう。むぎもきっと喜んでくれるはずですから」
彼女の周りの人間だって変わっていく。これまで、冷徹で、恐ろしい印象を抱かれがちだった彼女が優しく朗らかな女性として認識されるようになってくれたのはなんと喜ばしい事か。
澄原晴陽は澄原病院の院長としてだけではない。澄原グループを取りまとめる立場となる為に重たい責務を背負ってきていたが、その荷物を天川は少しずつともに背負う事が出来ているという事だ。
表情が和らいだ。穏やかな空気を滲ませるようになった。
彼女がそう言われるようになってから、天川は喜ばしくてたまらない。
「……そうだ、晴陽。長期休みに行ったら、彼女達にもお土産を買おうか。きっと、晴陽から手渡しをされると喜ぶはずだ」
「そう、でしょうか。私はこんなですから、皆さんにとってはあまり良い印象ではないのではないかと」
「いや、今の晴陽は良く笑うようにもなっただろ? だから、大丈夫だ。それに広い世界を見て、しっかりと学ぶ経営者ってのは良いもんだ。
晴陽にとっても、従業員にとっても得る者が多くなるならば、やってやりゃいい。渡すのが怖いっていうなら俺も手伝う」
「……ありがとうございます。そうですね。渡しましょう。それで、これからはもう少し、皆と関わっていくことが出来たら――」
人と関わり合いになる事さえ避けていた晴陽からそんな言葉が出るとは、と天川はぱちりと瞬いてからふっと笑った。
「ああ、そうだな。その為にも傍に居させてくれ。これから、晴陽がやりたいことも、気になる事も全部全部、一緒にこなしていこう」
「ええ。まずは世界旅行ですね。……期待をしていますよ」
「ああ、勿論。俺の奥さんはどの国を気に入るだろうな。その予想をするだけでも今から楽しみだ」
――
ゆっくりと二人の人生は進んでいく。何時の日か、子が産まれ、その子供たちが巣立つその時まで。
彼女たちは変わらぬ日常をのんびりと過ごしていくのだろう。時折、突拍子もないようなトラブルに見舞われたって、おかしいと笑いあえるようなそんな日常を。
「天川さん、そっちに夜妖が」
「――ああ、任せてくれ……!」
在り来たりではない、そんな日常を過ごしてく二人の物語は、きっとずっと続いていくのだ。
死が二人を分かつまで。人間と言う限られた時間を有意義に生きると決めた一人の女の決意の隣には何時だって彼が居るのだから。
