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虚飾の神と人形の家
登場人物一覧
「少し、考える時間をくれないか」
メイド人形は口をつぐんだ。
彼女の目の前には白い鴉の仮面をかぶった性別不明の存在が顎に手を当てている。
彼、あるいは彼女――ルブラット・メルクラインという名を持つその人は、深呼吸するように肩を上下させた。
「初めから確認しよう。まず、私への指名依頼が来たという話だったな」
「肯定」
目の前のメイド人形は瞬きもせずに同意した。見た目だけなら境界世界コバルトレクトの境界案内人と瓜二つである。
絶海の孤島、アルカモトラズ監獄の最下層。深海色をした天鵞絨のソファに腰をかけたルブラットは足を組みかえる。そして正面から注がれる視線を受け流しながら、うんうんと頷いた。
「依頼の内容は?」
「ルブラット様をパーティーにお招きしたいと仰せです」
「パーティー」
ルブラットは手の中にある封筒を指で弄んだ。招待状の入った深い暗赤の封筒はまるで酸化した静脈の血の色だ。無機質な白い文字で綴られた宛名をルブラットは己の顔に近づけ、肖像画と題名のように並べてみせた。
「断るという選択肢は」
「否定。ございません」
頭を下げるメイド人形のつむじを眺めながら、そろそろ行動を起こすべきだとルブラットの直感が告げている。
訪れたときから奇妙ではあった。見慣れた監獄や画廊は無人で、絵画の一枚も掛けられていない。平素であれば囚人たちの怒号や悲鳴が響き渡る回廊には人の気配がまるでなく、ようやく面会所に見知った顔がいたかと思えばどこか様子がおかしい。
断言はできないが、ルブラットは異常に巻き込まれている。しかし、何の?
情報が必要だった。
ゆえにメイド人形の様子がおかしいと理解しながらもルブラットは普段通りの会話を続けている。
「依頼人の名を教えてくれ」
「コレクターです」
聞き覚えのある名詞だった。ルブラットは数人の友人がその称号を冠していることを知っている。
「私を招いているのは、どの蒐集家だろうか。蒐集家には心当たりがある。名前を教えてくれ」
きしり、と人形の首が傾いだ。
どこかで見たことある動きだ、とルブラットは思った。
無機物による動作と軋む音声は
「依頼人の名をお教えすることはできません。かのコレクターはこの世界の神であり、間違いを犯さない絶対的な存在です。そこに固有名詞を当てはめるなど烏滸がましいこと。ですので代わりの代名詞を」
以前であれば「神」を名乗る不届きものが目の前にいれば、ルブラットはその伝達者ごと相手を殺していたかもしれない。けれども今はいささか冷静に情報収集を続けることができた。見た目が知人と同一であったから、というのも理由の一つだが、やむをえぬ事情(友人からおすすめされた本や映画を素直に閲覧する好奇心)により、ルブラットはD級~B級ホラー映画の知識が豊富になった。なってしまった。
それは普段の生活や社会ではまるで役に立たないものの、一つの無駄知識としてルブラットの人生にちょっとした華やかさと、怒りの矛先の逸らし方を教えてくれる。
「人は依頼人を剥製コレクターと呼んでいます」
「その代名詞を使うのは、まずい」
予想外の単語が出た。自分は怒りを耐えたというのに別の人物の虎の尾を思いきり踏み抜いた。
ルブラットが仮面を押さえた時だった。座っているソファが大きく揺れ、続いて監獄全体が大きく振動した。
いひ。いひひ。いひひひひ――
反響。硝子の割れる音と共に照明が消え、暗い部屋を狂笑が包み込む。
ソファに座るルブラットは足をそろえ、咄嗟に擦ったマッチを松明のように掲げた。
非常灯としては心もとないが惨劇を確認するには充分だった。
まず荒れ果てた小麦畑のような髪が見えた。それから革靴から滴る赤いジャムのようなもの。
人形の姿はない。代わりに、その残骸が床に散らばっている。
その破壊を引き起こしたタキシード姿の背中は細く小柄だが、巨大な怒りが詰め込まれているのは明らかだった。
「ひどく不愉快な単語が聞こえた」
「マーレボルジェ」
ルブラットは目の前の友人に声をかけた。
彼女は今でこそ剥製を没収されたが、かつて「剥製蒐集家」とは彼女の事を指していた。その誇りを勝手に他人に使われたのだから激怒するのは当然だ。
だが、それはそれとして。
久しぶりに会った友人に無視をされるというのは哀しいし、今のところ唯一の手掛かりを損なわれてしまった。だからルブラットが彼女を止
めようとするのは必然だった。
「ルブラット・メルクライン。私は、いま、忙しい」
「その気持ちは尊重する。だが」
床に転がっていた人形の首が無い。きしり、と聞き覚えのある音がしてルブラットは視線を巡らせた。
「マーレボルジェ」
ルブラットは再び彼女の名前を呼ぶ。
「だから何よ」
「避けろ」
単発式拳銃を懐から取り出したルブラットは発言と同時に発砲した。予兆もなく放たれた魔弾はマーレボルジェの肩越しに、顎を開いたメイド人形の頭を粉砕する。
「なるほど。『相手を倒して安心したところ不意打ちで襲われる』か。予習が生きたな」
ルブラットは手品のように短銃を仕舞った。
陶器と何らかの液体が付着した白い頬をハンカチで拭い、マーレボルジェは憮然と言い放った。
「汚い」
「お礼は結構」
ルブラットが放った一発の銃声はマーレボルジェが冷静さを取り戻すのには十分だった。彼女は平素通りの「世界の何もかもがつまらない」という表情をルブラットへとむけている。
「貴方、こいつに何をしたの?」
「冤罪だ。私は何もしていない。彼女は、最初からこうだった」
「ふん」
水色の硝子玉でできた瞳がぎょろりと動き、床に散らばった人形の残骸を蹴り飛ばす。
「私は冤罪をかけられるのを好まない。君も理解してくれていると思っていたのだが、私の勘違いだったかな」
ルブラットはソファから立ち上がるとマーレボルジェに近づいた。
「彼女は最初から様子がおかしかった。付け加えるのならば、私には、君を除いた全てが異常に思える」
「なら、いつも通りの世界ね。それとも私も偽物なのかしら? 疑心暗鬼に苛まれる貴方を観察するのは超痛快ね」
向かい合う。互いの持つ観察者と捕食者の視線が粘着質な泥のようにまとわりつき、筋肉や視線の動きを注視する。
「私に招待状を送ったのは、君か。マーレボルジェ?」
「私が貴方に送るのは蒐集箱のタグだけよ。剥製になる準備はできた?」
「いいや。今のところ、君の蒐集箱に入る予定は無い」
「そう。残念。以前なら『気が向けば』と言って呉れたのに心変わりでもあったの? もっとも私が蒐集すると決めたら、本人の意思など関係ないけれど」
「未だに私を剥製にするという妄想を抱え続けているのか。駆け出しであった私に、最盛期の君は負けた。その事実を忘れてくれるな」
「貴方こそ、もうお忘れ? 私が、初めて貴方を欲したあの日から、私はずっとずっと貴方を見続けている。いひひ、今日は随分とお喋りじゃない。不安なのね。可哀そう」
マッチの灯りが揺れて黒く長い影を映し出す。
一筋の煙を残して、唯一の光源が消えた。
「そうだ。私は不安だ。今まで訪れてきたが、このようなことは無かった」
ようやく本物と認めたのだろう。
先に殺意を潜めたのはルブラットの方だった。
「珍しいわね。たかが顔見知りを一人殺したのが、そんなにショックだったの」
「そこでは無い。あの人形は私の知っている境界案内人ではなかった」
「経緯を説明しなさい。貴方に協力するかは、その後で決めるわ」
「ちなみに私の死後の話なのだが、本気で剥製にする気があるのであれば関係各所に許可を得ねばならず、遺された者に対して迷惑をかけてしまう可能性が高いと現在の人生状況から判断している。故に今後の状況次第では先ほどの蒐集箱に入らないという判断も変更される場合があることは了承してほしい」
「律儀か!! 毒舌対決は内容を本気にしないのが礼儀なの。それから言い回しが政治家くさい!! とりあえず、一度その話は保留にしなさい」
軽いフィンガースナップの音と共に、壊れた照明の時間が巻き戻る。
再び白々と明るくなった室内の中央にはルブラットもよく知る家具が一つ増えている。シャンデリアの下には銀色に輝く解剖台が置かれている。その用途を尋ねないまま、ルブラットとマーレボルジェは蟻の行列を観察する子供のように人形だったものを見下した。
「誰もいない監獄を歩いていたら面会室に彼女がいた。依頼人からパーティーの招待状を預かっていると私に渡してきたのだが、様子がおかしいため、情報を得る為にしばらくは会話を続けていたのだが、君が現れて壊した」
「監獄に誰もいない? ここは犯罪蒐集家の蒐集箱よ。誰もいないってことは……いないわね」
「マーレボルジェ。この状況、もしくは似たような状況に心当たりはあるか」
「私が知っている限りでは初めてのケースよ。困ったわね、私のクリーニング衣装、いつ戻ってくるのかしら」
状況の深刻さに反して二人の言葉は軽い。
さてどうしたものかとマイペースな二人は同時に肩をすくめた。
「そういえば、依頼人からパーティーの招待状の中身を見ていないな」
「見せなさい」
ルブラットの手から紅い封筒を奪い取ったマーレボルジェは怪訝そうに眉を顰めた。
「宛名以外、白紙ね」
「差出人も、パーティーがどこであるのかも、何も書かれていない。残された手がかりは先ほど彼女が言った剥」
「製に続く例の代名詞で私以外を呼んだら殺すわ」
珍しくマーレボルジェが飾らない言葉で会話を遮った。
それは回答次第でルブラットを困らせると宣言したも同義だった。
「何はともあれ、依頼人は『あの単語』を使った。どのような意図があるにせよ依頼人の正体に繋がる手がかりだ。私と貴女の交流を知る者は少ないからな」
「残念だけど、私達の間に交流があることを知っている人間は大勢いるわよ」
「何故?」
「私と貴方が面会している風景が物語画として四階のカメーナエ画廊に飾られてたの」
マーレボルジェは深くため息を吐き、彼女にしては珍しく淡々とした、記録を読み上げる口調で言った。
「そう、か。意味は分からないが、事実は理解した」
驚きながらもルブラットは先を促した。
「次に、画廊の絵を見てインスピレーションが湧いた誰かが物語を書いた。何故かそれが書籍化した」
「そ、うか。才能がある人だったのだろう。創作意欲に溢れる人材が豊富な世界だ。想像力は止められないと誰かが言っていた」
本能のまま物語を書きそうな人物を思い浮かべてルブラットは俯く。該当者が友人ばかりなのが辛かった。
「その後、演劇、映像化、劇場化して現在は続編3本の契約が纏まりスポンサーとして監獄と香水店がついた」
「犯人グループが特定できたが、俄かには信じたくない人物が混じっている」
「題名は『羊たちの交流』。安心なさい。二人とも殺人鬼オチだけは変えさせなかったわ」
「信じていた友がまさかの監修側だった。どうして教えてくれなかったんだ」
「誰かがとっくに言ってるものだと思ったから」
「聞いていない」
仮面越しでも分かる落ち込んだ声。ルブラットは勝手に物語のモデルにされて怒る狭量な人間ではない。
ただ誰も教えてくれなかったという事実に疎外感を感じる程度には、この世界の住民と親交が深いのだ。
「誰か本人に伝えてると思ったのよ。全員そうだったんでしょ。そういうことだから、私と貴方に接点があることを知る者は多い」
「残る手がかりは君が壊した人形か」
床の残骸に再び目を戻す。残骸と称するに相応しい壊れっぷりだ。
「こいつが偽物だと知っていたの?」
「ああ。テックの瞳孔は花型で珍しい。違っているなら疑ってしかるべきだ。この人形を元に戻せるだろうか」
「当たり前でしょう。私は剥製師。轢死体だろうがミンチ肉だろうが復元してみせるわ」
「自信があるのだな。なら任せよう」
ルブラットは笑った。春の蕾が綻ぶような、そんな吐息だった。
「その後の調査は私が引き継ごう。神の御業に触れ、生命の尊さを重んじる。生ある者が内包する秘匿を詳らかにすることも、私であれば可能だ。つまり君が彼女の剥製を作り、私が彼女の解剖を行う。胸が躍るな」
ひとりは鉛筆のようにメスを握り、ひとりは握手をするように刃を握った。
柔らかな曲線を描く銀色の皿。内臓を開く管子。無機質な陶器と赤黒い液体。消毒液と口元を覆うマスク。
そして滑らかな笑い声をBGMに金属の音が響き始めた。
●
「結論。肉と陶器でできた継接ぎの人形もどきだ。血液を媒介にした呪術的な動力を感じる」
ルブラットは手袋を脱ぎながら、解剖の結果を告げた。
「可動域の摩耗具合と血液の凝固具合から逆算して稼働して間もないな。監視されていたか」
ルブラットは解剖台の周辺をみやる。
解剖の途中で襲って来た怪物たちだ。継がれた人体や、蜘蛛に似た怪物の屍が散乱している。メスで応戦し、そして体液で汚染されたそれを捨てるを繰り返していたせいか、どの怪物の身体もメスの針山状態だ。
「いひひっ。邪魔ばかりされて頭に来る」
顔の下半分を包み込む薄緑色のマスク越しでも分かるほどマーレボルジェは笑顔だ。ご機嫌斜めだとルブラットの本能が告げている。本日二度目の危険域だ。
「この蜘蛛が生息しているのは中部地方ね。人形の毛髪には特殊な染料が使われていた。なら行先はディーテの市で間違いなさそう」
「今の襲撃自体が『パーティー』であり目的地への『招待状』を兼ねている、というわけか」
疲れた様子でルブラットが告げる。
「愛されているわね」
「悪趣味だ」
マーレボルジェは目を瞠った。ルブラットの拒絶が本気だったからだ。
飄々とした気の良い鴉は、元来、他人の好意に感謝するようなお人よしだ。そして他人からの悪意には疎い。嫌がらせを受けても「これも経験だ」と流すような達観さを持ち合わせている。少なくともマーレボルジェの認識ではそうだ。それが、拒否をした。
「何か気づいたのか」
「いいえ。依頼人の居場所も分かった事だし上階へ向かいなさい。どうせ辿り着く方法も準備されているわよ」
「君は?」
「は?」
「君は行かないのか」
マーレボルジェはルブラットを見上げ、不思議そうな白い仮面と顔を見合わせることになった。
「私は罪人よ。外へは出ないわ」
「でも今は誰もいないのだろう? 外に出ても止める者も咎める者はいない。それに経緯を説明したら協力すると言ったろう」
ルブラットの言う通りだ。そう、今は誰もいないのだ。看守の目も、犯罪蒐集家の気配も無い。
ならばマーレボルジェは自由に動く事ができる。自由……自由?
「無理にとは言わない。だが、私はこれから依頼人に逢いに行く。その時、見知らぬ土地でひとりなのは多少心細い」
「……ま、あ。そこまで言うなら、一緒について行ってあげなくもないけれど」
「そうか。それは嬉しいな。では行こう、さあ行こう」
「ちょっと興奮し過ぎでは!?」
●
「これ超凄くない!? 超超細かいんだけど!!」
手招きするマーレボルジェを見て、興奮しているのはどちらだか、とルブラットは微笑んだ。
青い空を見て口を開け、碧い海を見て目を開き、柔らかな日差しの下をおっかなびっくり歩いていく。海岸線の星砂を見て興奮している友人の反応をルブラットは満足そうに眺めた。その温かい視線をふりはらうようにマーレボルジェの咳払いが響く。
「この階段を昇れば街があるはず」
「喫茶店はあるだろうか。そろそろお茶の時間だ」
「のんびりしてるわねぇ」
「せっかく来たのだから、この街の名物を味わっておかねばと思ったのだ」
「完全に観光気分じゃない」
「ダメだろうか。君と一緒に外を歩くのは初めてだから思い出を作りたかったのだが」
困惑した表情でマーレボルジェは首を傾げた。
「私と?」
「ああ、そうだ」
「理解できない」
白い貝殻のような階段をあがれば活気にあふれた声に包まれる。
開放感あふれる街路にはたくさんの露店が並んでいた。魚介類、果物や野菜、装飾品、木彫りの置き物や染色された糸。油で揚げた菓子や、その場で作られる見たこともない食べ物。雑多で素朴な家々が軒を連ね、太陽の光を受けて輝いていた。
「動く肉塊が縦横無尽に交錯していて邪魔だわ」
「人ごみという便利な単語がある」
貴族然とした服装で佇む二人のことを人々は興味深そうに、そして遠巻きに見ている。悪意は感じないが監視者の視線だ。ルブラットはその事に気づいている。ここにいる人間は精巧に作り上げられた人形だ。
「ちなみに超興味はないのだけど、貴方の言う喫茶店というものはどこにあるの」
無表情を貫くマーレボルジェだったが、言動が明らかに浮足立っていた。
その反応をもう少しだけ楽しみたいとルブラットは歩き出す。
「あちらに、それらしい看板が出ている」
「悪くない佇まいね」
『そのゴミが気に入ったの? あげるわよ』
灰色の影が二人の頭上に射しこんだ。見上げれば、空を覆うように女の顔が街をのぞきこんでいた。
薄桃色の口紅に黒々とした睫毛。翡翠の瞳。レース付きのボンネットを被った姿はまるで西洋の陶磁人形だ。しかしその美しい瞳は街の中心部にある鐘楼よりも巨大である。
「人形蒐集家、生きてたの」
マーレボルジェが吐き捨てるように言った。
『ええ、おかげさまで』
「人形蒐集家?」
いつの間にか、街は静まり返っていた。
街の人々は硝子玉の目を光らせ、無感動にルブラットたちを見ている。
ゆっくりと一体目が動き出す。その手には斧や鋤が握られていた。
「他人の蒐集物を浚って自分の人形だと言いはる窃盗癖のある女よ。――……そうか、お前か。私の
『ええ。だって、棄ててあったんですもの。拾って、再び価値のある骨董品にしてあげたのだから感謝して欲しいわ』
人形蒐集家は嘆くように頬に手を当てた。
『人形と剥製って大体同じ物でしょう? 空っぽで、姿だけ模したがらんどう。だから剥製は『ワタクシのドール』、コレクションの一部』
「ひとつ質問があるのだが」
ルブラットは学徒のように手を挙げた。
「ここは君の蒐集箱、ドールハウスなのだろうか」
「ええ。ここはワタクシのドールハウス。ルブラット様とそこの元蒐集家は魂が大きすぎて、ワタクシの準備した人形に入らなかった。だから魂だけをこのドールハウスに入れて削ぎ取ろうかと思って呼びつけましたの。安心してくださいな。他の人間の魂は、もう人形に移し替えて棚に飾ってますから」
「思ったより世界の危機だな」
「そうね」
マーレボルジェの同意が合図だった。
二人は弾かれたように左右に別れて駆け出した。ルブラットは踊るようにコートを翻し、懐から銀色に光る短剣を取り出すと投擲を繰り返す。
『まだお人形遊びを続ける? いいわ。その魂が溶けるまで、ゆっくり遊びましょう』
「貴女は勘違いをしている」
襲い来る人形の関節を破壊しながらルブラットは告げた。
「私の知っている蒐集家たちは作品に美学を見出していた。自分で作る者もいれば後援する者もいた。方法はどうあれ、それは偏執的な愛だった。そして己の愛に誇りを持っていた。だが貴女は違う。剥製に人形というレッテルを貼り、それで満足をしている。人形遊びが好きなのは事実だが、自らの手で創りあげたわけでも、美を見出したわけでもない」
粘着質な液体が飛沫となり壁を赤黒く塗っていく。こぼれた綿が街路を覆う。外科の手法か。刃こぼれすることなく効率的に。可動部分だけが正確に切断され、ついでとばかりに肉片と血飛沫がリズミカルに宙を舞う。
「貴女は自分のドールハウスの店を『ゴミ』だと言った。作品に敬意を払えないのは、その程度の価値しか見出していないからだ。だから貴女は自分の事を『蒐集家』ではなく『コレクター』としか言えないのだ。窃盗者」
人形蒐集家は自分が何を言われたのか理解できない様子であった。次第にその意味が脳に浸透したのか美貌が怒りで歪んでいく。
『余所者が、何を知ったような口をッ……お前には魂も意思もいらない。物言わぬ人形として未来永劫、弄んでやる!! この世界では私が神だ!!』
「ふむ。これで、全員が互いの地雷を踏み合ったな。お互い様だ」
マーレボルジェには確信があった。ルブラットは仮面の下で楽しそうに笑っている。だがその理由が分からなかった。仮面越しに視線が交差する。
「私にとって『剥製蒐集家』は今も昔も一人だけだ」
マーレボルジェは唇を弧につりあげる。
ルブラットも久方ぶりに見る、慈愛に満ちた、偏狂的で無垢な微笑みだった。
「ええ、そうね。そうだわ」
剥製蒐集家が笑う。偽りの神に、死刑を宣告するような優雅さで一礼する。
「私こそが剥製蒐集家」
劣化した紙のように空が、建物が、人形が崩壊していく。
世界は血の色に染まり、淀んだ緋色の中心では白い鴉が佇んでいる。世界の終わりを喜ぶように空を見上げ、響き始めた悲鳴の和音にうっそりと耳をそばだてた。一つのちいさな世界が終わりをつげ、大きな世界が息を吹き返していく。世界の譲渡、変革。この懐かしい空気をルブラットは知っている。剥製蒐集箱の所有権が本来の持ち主に戻ったのだ。
「蒐集家となる条件は、ただひとつ。作品を愛すること。でも貴女は自分の
力を失い、地に堕ちた陶磁の人形の前に二対の足が立ち塞がる。
「可哀そうなお人形さん。貴女には合成樹脂なんて勿体ないわ。その髪の毛一本一本、神経にしてあげる」
「本来であれば無益な拷問は行わない主義なのだが、君の生体に興味がある。医学の発展のために協力してくれたまえ」
●
酩酊感と放り出される感覚と共に、気が付けば二人は静まり返った監獄の面会室に横たわっていた。
「良い所だったのに」
ぼんやりと起き上がったルブラットは、まるで寝起きのようにゆっくりと立ち上がる。
「人々は、人形の呪縛から解き放たれたのだろうか」
「そうなんじゃない?」
ルブラットが隣をみれば不機嫌なマーレボルジェの据わった瞳に出迎えられた。
「また、蒐集箱を没収されたわ。戻ったのね、色々と」
「それはご愁傷様」
ルブラットは服の皺を直し、埃を払い、ふと、面会室の外に立つ看守たちの気配に気づいた。
マーレボルジェはルブラットの隣に立っている。即ち、脱獄状態であるということだ。
だが、現れた看守は、困ったように頭をかきながら書類を差し出している。
「ルブラット様。そのう、マーレボルジェに一時的な
「ほう、粋な計らいをするものだ」
ルブラットは隣に立つ最悪の友人を見やった。
彼女の思考回路が既に、外の空気――自由な夜の街並みに想いを馳せているのを見て取った。
「マーレボルジェ。世界を救ったご褒美がきたぞ。会話の続きは外で歩きながらにしよう」
「外の世界など興味は無いけれど……くれるものを断るというのも無粋よね。まずは着替えましょう、ルブラット。長時間、床に転がっていた服で人前に出るだなんて耐えられないわ」
二人は並んで、重厚な監獄の門をくぐった。
静まり返った夜の海を眺め、ルブラットは満足げに呟く。
「今日は久しぶりに沢山の人を殺した気がする」
「実際には人形だったけどね」
「以前のように殺す機会は随分と減ったが、それはつまり一人一人の死を、より慈しみ、より愛する時間が生まれたということでもある。素晴らしいな」
独白のようなその言葉をマーレボルジェは鼻で笑った。
「量より質へ方向転換? 貴方のそういう不誠実なほどに誠実な狂気、嫌いじゃないけど」
人の死を、生命の終着点をルブラット・メルクラインは賛美する
この不協和音みたいな異世界の医師は、どうやら、すっかりと安定してしまったようだ。
コバルトレクトではない世界で何をしてきたのか。どんな変数がこの偏屈モノに光を与えたのかマーレボルジェには分からない。興味はあるが、それだけだ。面白い人間。その一点だけが変わらなければ、それでいい。
この医者のことだから、いつか変数の正体をマーレボルジェに何てことない顔で告げるだろう。そういう人間だからこそ、
「そんなことを聞いたら、誰かを殺したくなるじゃない」
「君は変わらないな。いや、変わった部分も多いが、安心する」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ」
死を愛でる鴉と剥製師。混沌世界と境界世界。
親密で軽快な殺意の会話を重ねながら、二つの影が夜の静寂に消えていった。
- 虚飾の神と人形の家完了
- NM名駒米
- 種別SS
- 納品日2026年02月28日
- テーマ『これからの話をしよう』
・ルブラット・メルクライン(p3p009557)
※ おまけSS『何でもない面会日』付き
おまけSS『何でもない面会日』
「作れる菓子のレパートリーが増えた」
もぐもぐ、ごくん。
白くて丸い皿のうえに描かれたソースの模様は、崩してしまうのを躊躇うほどに繊細だ。
「そう」
もぐもぐ、ごくん。
古く、しかし丁寧に磨き上げられたグラスのなかでワインが揺れている。
「流通が改善した。物資が豊かになり、餓死する者も減ったと聞く」
「へぇ」
「少しずつではあるが戦争の傷も癒えてきているのだと感慨深くてな」
「ふーん」
「どうした。上の空だが」
「そっちの世界でも戦争はあるんだと思って」
「ある。正直なところ、自分もここで命を落とすのだと覚悟するくらいには大きな戦争だった」
「その割には、変わらず面会に来るのね」
「私は変わらず生きているからな」
「そうみたい」
「私の死体が手に入らず、残念だったか?」
「別に。生きてて良かったわね。ルブラット」
ルブラットはマーレボルジェをまじまじと見た。
剥製師の機嫌は悪くない。むしろ上々といったところだろう。
「熱でもあるのか」
「ないわよ。超失礼ね」
