PandoraPartyProject

SS詳細

世界十年分の魔法菓子

登場人物一覧

ルブラット・メルクライン(p3p009557)
61分目の針

 おかしな魔法が拡がる日、決まって『そのひと』はやってくる。
 終末の喇叭みたいな声で笑う悪戯妖精馬に、物静かで毒々しい色した環状生物のぬいぐるみ。なだめる灰白質の鴉の両手にはパステルカラーの砂糖菓子。邪悪というには純粋すぎて、無邪気というにはあまりにも残酷な音楽隊が今年も街にやってきた。


「この光景にも、随分と慣れたものだ」
 白いペストマスクに黒い軍属コート。その立ち居振る舞いは生まれながらの貴族のものだ。
 そんな目立つ恰好の人物が立ち止まっていても、誰も不審に思う事は無い。なぜなら今日はファントムナイト。街中に魔法がかけられ、誰もが好きな姿になれる日だ。
 教会前の庭には、狼男に魔女、吸血鬼に王族などの見慣れぬ色彩が溢れている。想像もつかない出で立ちは、おそらく世界を救った特異運命座標なのだろう。
 特異運命座標――……突然召喚され、この混沌を崩壊から救った者たち。市井の民には救われた者も多く、恩義を感じている者も少なくない。それゆえに、ファントムナイトの魔法によって彼らの姿を模す者も多い。
 教会が主催するチャリティバザーの白いテントが芝生の上に軒を並べ、魔法にかけられた人々はいつもより大胆な姿で買い物を楽しんでいる。
 他人になりきってはしゃぐ子供たちの歓声を聞きながら、ルブラット・メルクラインは檸檬色の陽射しに照らされた光景を眺めた。
 最初にこの魔法を目にした時は驚き、そして憤ったものだ。神に与えられた形を偽るなど神に対する冒涜以外の何物でもない。そう思い眉をしかめたものだが、今は指折り数えてこの日を待ち構えているルブラットがいる。
 時間とは不思議なもので、経験を加えれば斯くも人を変化させる。いまだにルブラットがファントムナイトの魔法にかかることはない。少なくとも覚えている範囲でその自覚はない。だが、いつか自分が魔法にかかる日がやってくるかもしれない。そんなことをつい考えてしまうくらいにはルブラットは長い時間を、この世界で過ごしている。そう考えながら、秋風のなか微動だにしないルブラットの姿は飛びたつ前の鴉によく似ていた。
「あっ、ルブラットさまだ」
 舌足らずな幼い声が聞こえ、鴉を模したルブラットの白革の仮面が少しだけ傾いた。その拍子に黒のベルベットリボンで括られた雲色の髪が流れ、首元を隠す白いタイの下で銀白のロザリオが小さく音を立てる。
「ほんとだ、ルブラットさまだっ」
「いつ、おつきになられたのですか?」
「おひさしぶりです」
 仮面に隠されたその表情を見る事は叶わないが、眼窩と思わしき場所にぽっかりと開いた黒い穴が、走ってくる子供たちを思慮深く、そして感慨深く見つめているのは間違いなかった。
「エリシェバ、アダ、チラ。壮健そうで何よりだ。この辺りで肺病が流行したと噂で耳にしたが、その肺活量から察するに君たちは問題ないようだな」
 かしましくなった周辺に、安堵とも皮肉ともとれる台詞をこぼしたルブラットは手慣れた様子でバスケットのなかに手をいれた。いつもの、例年通りの挙動に子供たちはにんまりと笑いあう。
「トリックオアトリート!!」
 背骨のクッキー、髑髏のチョコレート、肋骨のキャンディに内臓のキャラメル。
 おぞましく、そしてシンプルなデコレーションに象られたお菓子たちが子供たちの目を輝かせた。
「ハッピーファントムナイト。今年の仮装もよく似合っている。三銃士、というのだったか」
 うやうやしく差し出された銃士帽のなかに、丁寧にラッピングされた袋をルブラットはいれていく。似合っていると言われて嬉しいのか、帽子を差し出した子供たちは破顔していた。
「ところでルブラットさま。ことしはおひとりなの?」
「エーグルちゃんとヒルデガルトさんがいないのは、めずらしいですね」
 子供たちの言葉を受けてルブラットは背後を振り返った。一呼吸ぶんの、沈黙。
 連れてきた使い魔2匹が、いつの間にかいなくなっている。影のなかも半径1m以内にも反応がない。
 大きな悪戯を起こしていなければ良いのだが、と平然を装った仮面の下で思案する。
「二匹とも別行動をしている。出店を見に行っているのではないか?」
 騒ぎが大きければ、きっとそこにいるという確信がある。エーグルが暴走してもヒルデガルトが時間を稼いでくれるはずだと、ルブラットはのんびりと構えた。
「収益がみこまれるから、原価の安いものを売って荒稼ぎしようって神父さまが言ってたよ」
「チャリティバザーとは本来そういうものではないのだが、楽しんでいるのならば何よりだ」
 腹芸が上手くなったのはルブラットも同じである。元々、幼少の頃からそういった教育は受けていた。隠し事や誤魔化し方から棘が消えたのは、どちらかといえば老いや経験に依るものだ。
「エーグルも、ヒルデガルトが一緒にいるから大事にはならないだろう。ああ、そうだ。2匹とも今年の仮装に随分と気合をいれていたようだから、逢ったら誉めてやってくれ」
「もちろん」
「二匹とも、ぼくたちのおねーさんみたいな存在ですもの」
「怒ったら、ハラワタを喰いやぶろうとしてくるけどね?」
 能天気にのほほんと笑う子供たちは誰に似たのだろうか。
 名付け親として求められた時には随分と悩みぬいたものだが、こうやって赤子だった存在の成長を目の当たりにすると流れた月日の早さにルブラットは驚かされる。ずいぶんと逞しく健やかに育った。実に喜ばしいことだ。
 世界の崩壊に立ち向かってから早十年。大きな争いもなく、いまは平和と呼ばれる時代だ。
 だが不幸な事故が無くなることがない。馬車に潰された妊婦から子を取り出し、墓地に埋められた望まれない子を拾い、寒空の下で呼吸がとまった逆子の蘇生を行う。そういった出来事は日常の延長として続いている。相も変わらず死は身近で、けれども医師として、ルブラットは望まぬ死を潰そうと努力を重ねている。
 いつ何が起こるか分からない。懸念は尽きることはなく、魔種や魔族の話を聞かなくなっても、その存在は頭の片隅にいつまでも居座っている。未来への希望に安堵する夜もあれば、過去からの悪夢に苛まされる夜もある。形は違えど傷を抱えて人は生きている。十年という月日は記憶をある程度風化させるが、消し去る事はできない。古傷と共存することで人は生きている。
「そうだ。昨年、きてくれたおねーちゃんは?」
 ルブラットの背後に誰かをさがすような視線をなげながら、エリシェバと呼ばれた子供が弾んだ声をだす。
「残念ながら、今年は欠席だ。彼女は多忙でね。昨年は無理をしてもらったんだ」
 そう応えれば残りの二人も残念そうに眉を下げた。
「また来てほしいな」
「伝えておこう」
 ルブラットは膝を折り子供たちの丸い頭をゆっくりと撫でてやった。
 おねーちゃん、というのはルブラットの伴侶のことだ。
 ルブラットの人生のなかで伴侶を得たということは正に奇跡とも呼べる出来事だった。籍を入れてから随分とたつが、それでも実感するたびにルブラットの胸は温かい幸せで満たされる。
 昨年は外交の一環という名目で遥々鉄帝から幻想までルブラットについてきてくれたのだが、それもかなりの無理をした。本来であれば数週間も国を留守にできるような立場ではないのだが、美しく成長した彼女は、数多の交渉の場を潜り抜けてきた弁舌と柔らかな笑顔で以て立ちはだかる全ての障害を屈服させた。
 だが流石に2年続けては無理だったのだろう。今朝がた、控えめに肩を落として見送りをしてくれた姿にいじらしさと愛らしさを覚えて抱きしめてしまったのは記憶に新しい。
「さて、私もそろそろ教会の主殿に挨拶をせねばな。生活の上で防御技術と特殊抵抗は伸びて困るものでなく、ついでにEXAも高ければ尚良しといえる。皆、精進しなさい」
 諭すように告げる言葉を子供たちはどこまで本気にするのだろう。それはルブラットにはあずかり知らぬことだ。けれど未来へ繋がる希望たちに健やかに育って欲しいと神に祈ることはできる。
「じゃあ、またあとでね」
「ルブラットさま、ファントムナイトを楽しんで」
「おねーちゃんにもよろしくおつたえください」
「ああ。君たちも怪我をせぬように。祭りを楽しみなさい」
 去り行くちいさな背中に手を振ってから、ルブラットは歩き出す。
 全身を覆う外套の生地は厚く、軽やかに歩いても裾がひるがえることはない。幻想の肌寒さに対してやや過剰なようにも見える黒色の服装からは微かに雪と鉄の香りがした。


「なあ、エーグル。言ってなかったかもしれないけどさ。俺、お前には昔っから感謝してるんだよ」
 黒いカソックコートを着た小柄な青年が両の膝を地面につけている。そばかす混じりの顔は、まだ年若い。神に祈るように指を組み、ひとつに括られた長い鳶色の髪を地面に向けていた。
 彼の正面では真っ赤な鬣の漆黒の木馬が悠然とコットンキャンディを食んでいる。
 鬣にきらめく小さな王冠。その中心にはめ込まれたレッドスピネルのなかで炎が燃えている。木具には宝石や大輪の華、それから色鮮やかな眼球がふんだんに飾られており、どれもが収縮、もしくは眼球振動を起こしていた。普段は絵本に出てくる回転木馬のように優雅な妖精だが、いまは地獄より現れし魔王の風貌である。長い睫毛が瞬くたびに、地獄から零れ出た熾火の炎がちらりと散った。
 そんな見るからに危険な存在にむかって、神父の青年はめげずに語りかける。
「チビどもには『この世には逆らっちゃいけない存在が居る』って良い教育になっているし、気分がのったらこの辺の治安維持のための掃除もてつだってくれる。今日だって手が足りない俺達に代わって自警してくれてたんだよな? 本当に助かってるよ」 
 だが声色は感謝というより立てこもりをしている悪魔に対して、いかに人質を解放させようか頭を悩ませる交渉人を思わせる必死さだ。
「だからさ、お前が綿飴器の砂糖入れる場所に物理的に押し込もうとしてる客。いい加減、解放してくれない?」
 ちりりん、と愛らしい鈴の音がなる。NOの合図だ。青年の、ヨシュアの笑顔が青く染まっていく。
「そいつの素行は悪いし酒癖も悪いしわざとお前にエールをぶっかけたクズなのは分かってるんだけど、それ、この辺の自治会長なんだよ。え、目玉をくりぬくだけで済ませてやる? さすがはエーグル心が広い。年々、この辺りの治安が良くなるたびにお前のアクセサリーと書いて目玉がなぜか増えている疑問が氷解しそうだけど、解決した瞬間俺の心の平穏が終わるんで強制的に迷宮入り事件にさせてもらう。とにかくだ、お前がそいつを突っ込もうとしてる綿飴器は去年買ったばっかの新品で、お客さんのまえでスプラッタすると今回のチャリティバザーの売り上げがなくなっちゃうからやめて」
 息をする時間すら惜しいとばかりに男は喋り続ける。だが周囲にその必死さが伝わることはない。
 むしろ物騒なトラブル大歓迎といわんばかりの温かい視線に包まれていた。
「ファントムナイトといえば血飛沫です。むしろ集客がみこめます」
「それに神父さま。その人がきえれば、このへんの自治会長は神父さまになります。ここで消しときましょう。こんご教会に依存するひとがふえ、権力をてにすることができます」
「エーグルちゃんの火力なら骨ものこらない」
「エーグルちゃんの咬合力に興味がある」
「遺体がなければ立件もできないのでご安心を」
「思考が物騒すぎる!! だれの影響!?」
 子供たちの半分はヨシュアを指さした。のこりの四分の一は何も言わずに人混みのなかの誰かを探し、更に残りの四分の一はエーグルを盗み見た。誰もが育ての親の影響ですと言わんばかりの無表情だ。
「……子供ってだいたい無邪気で純粋でちょっと残酷なもんだよな、うん」
 視線の圧力と育児の責任から逃れるように青年は視線を逸らした。
「ヒルデガルト。お前ならエーグルの癇癪をなだめられるんじゃないか?」
 黒髪を切りそろえた少女は悲し気に胸元で両手を組むと、即座に首を横に振った。その拍子にビビッドオレンジに染められたメッシュの部分が触覚のように揺らめく。黒髪のなか、その鮮やかな色彩は目を惹いた。大変申し訳ありませんといわんばかりの面持ちは「ファントムナイトのコーディネートにケチをつけられたエーグルさんは止まりません。それに周囲の反応が面白いと悪戯心に火がついてしまっているようです」と語っているようで、実際その通りだった。
「自分の妖精の手綱ぐらい握っておいてくれよ、だんなぁ~~」
 ヨシュアが諦めたように声をあげれば、ヴィオラに似た穏やかな声が応えた。
「少し見ない間に子守の腕が落ちたのではないか、ヨシュア」
 こつり、と碁石を置くように黒靴が地面を鳴らした。神の家へと続く巡礼路を、迷う事無く歩みを続ける主の声は、言葉上ではたしなめているが、どこか茶化した空気をはらんでいた。太陽を背に、白い仮面が立っている。その表情は相変わらず隠されたままだ。苦労のためか、年月のためか。灰色の髪にプラチナが混じり始めたのはいつからか。その人物が誰なのか気づいた観衆が名前を呼び、ざわめきが伝播した。
「エーグル」
 貴人が片手をあげれば妖精の木馬は仕方がないと男を離す。服の一部が牙で食い破られたようだが、自治会長の命に別状はないようだ。
「ヒルデガルト」
 続いて黒髪の少女が静かに侍る。
 ルブラットの友人が丹精こめて作りあげた美しいヒルのぬいぐるみ。彼女に意思らしきものが宿ったのはもう何年前のことになるか。凄腕のぬいぐるみ職人が創れば、そういうこともあるのだろう。前例を知っていたのでルブラットは受け入れた。そうして迎えたファントムナイトの日に、ぬいぐるみは人の形に成っていた。
 もちろん人の姿を取るのは毎年ではない。荷物入れとしてヒルの姿のままファントムナイトを迎える事の方が圧倒的に多いが、昨晩「今年は菓子を配る手が足りるだろうか」とルブラットが何の気なしに呟いた言葉を聞いていたのか、嬉々として人の姿で手伝いを申し出たのだ。

「ルブラット・メルクラインがやってきた。孤児院の皆に、そう伝えてくれないか」


「助かったぜ、旦那」
「何を言う。騒ぎを大きくして、私を呼びつけただろう?」
 出てきたハーブティーにルブラットは口をつける。
 差し出された茶器に欠けはなく、お茶請けには手作りのクッキーが添えられている。ルブラットが教会へ送った寄付金は適正な用途で使われているようだった。
 過去、廃教会としてそこに存在するだけであった建物は教会となり、そして正式に孤児院の名がつけられた。
 メルクライン孤児院。後援者であるルブラットへの敬意を表してつけられたと言われているが、その名前を魔除け代わりに使っている側面の方が目立つ。つまるところ、世間に見捨てられた弱者をそれなりに守ることができる場所に育ったのである。
 神を祀る場所でありながら信仰する神は定かではない。様々な信仰を持つ人間が祈りを捧げる場所でありながら、争いが無いという不可思議な場所でもある。来るもの拒まず、去る者追わず。後援者の意思を反映させた孤児院は、まあまあなドライさと神の家らしい信心深さを併せ持ちながら、今日まで規模を拡大し続けている。
 寄付金以外の主な財源は薬草と酒類。商品のなかにはルブラットが指導したものもあれば、教会の孤児たちが自力で生成したものもある。薬草茶のブレンドもその一つだ。清涼な味が喉元を通り過ぎるのを楽しみながら、ルブラットは目の前の青年、ヨシュアを見つめた。
 鳶色の髪と目。成長期に栄養が足りなかった影響か、幼かった頃の面影を残したままだ。明らかに変わったのは服装くらい。子供服からカソックコートを身に纏うようになった。
「このような策を練るようになってしまったとは嘆かわしい」
「近くに旦那がいるだろうから、騒ぎを大きくすれば気づいてくれると思ってただけだよ。策じゃないって」
 照れた時ほど唇を尖らせる。視線を合わせず、早口で喋るのはヨシュアが照れたときの癖だ。
「しかし旦那も人が悪いな。なんの音沙汰もないかと思えば突然やってくるなんて」
「突然ではない。今日はファントムナイトだ」
 だから来た、と当たり前のようにルブラットは告げる。
「忙しいって言ってたじゃん」
「次の手紙でちゃんと行くと訂正しただろう?」
「うっ」
 ヨシュアは何も言わずに自分の分のハーブティーに口をつけた。言葉ごと飲み込んだのを見届けてからルブラットは口を開く。
「……ヨシュア? また、私からの手紙の封を開けていないな」
「うぅ」
 世界を救う最後の戦いに向かう際に、ルブラットは手紙を書いた。万が一、己が戻ってこなかった時のための予防策としてヨシュアに宛てた手紙だったのだが、それが当時の子供にとっては随分とショックな出来事だったらしい。それ以来、ヨシュアはルブラットからの手紙の開封を、なんだかんだと理由をつけて後回しにしていた。
 中を確かめるのが怖いみたい。そう孤児院の子供たちは言っていた。だから、ルブラットもヨシュアのこの悪癖を強く咎めはしない。フォローするためか、面白がっているのか。開封までのタイム報告も子供たちから届いていると伝えたら、ヨシュアは卒倒するだろうか。いや、時間が読めて偉いと子供たちを褒めるのだろう。
 いまはヨシュアが孤児たちに教育を施している。あの、ヨシュアが、だ。
 ルブラットにとってヨシュアは弟子のような存在だった。字が読める。書ける。計算もできる。ある程度の大人の社会も理解している。
 ならば教師役として適任、と徹底的に叩きこんだ知識は、子供たちの身を守る大きな武器となった。
 孤児院での識字率はあがり、子供たちは手紙でせっせと現在の情報を横流しにしてくれる。そのためルブラットは、メルクライン孤児院に起こる大体のことを、遠くの鉄帝にいながら把握していた。
「私は戻ってきた。世界は救われ、君も子供たちもここにいる。それが結果だ」
「い」
 真向いからの凝視に耐えられなくなったのか、遂にヨシュアは小声で答えた。
「いまは開封するまで、72時間しかかかってないし。返事だって書いてる」
 少しだけ他人行儀な文面を思い出す。敬語を使う見慣れた筆跡を見るのは、相手の成長を感じさせるものでもあり、同時に巣立った子供を見送るような温かい寂寥感もあった。
「念のために言っておくが」
 ティーカップを置き、背筋を伸ばしながらルブラットは言った。
「ヨシュア、私は現時点でこの世界から退去するつもりはないし、何らかの不慮の事故等で召される予定もない。毒や病気であっても自分で解決するし、何より愛する伴侶がいるのにどうして元の世界に戻る必要がある? 私には突発的な死を回避し、私と私の大切にするものへの障害を取り除くだけの実力がある。それは君を安心させる材料にならないのか」
 聞き取りづらいくぐもった声が答えた。
「頭では理解してるんだよ。旦那から手紙が届いても、それは死亡通知じゃないし別れの言葉でもないって。自分で解決できそうなんだ。もうちょっとだけ待っててよ」
「もう少しだけだぞ。無理だと判断したら介入する」
「そん時はよろしく」
 この様子ではまだまだ手紙でのやり取りは難しいだろう。
 後援者からの手紙に即座に返事を出さないなど、孤児院の経営者としては失格だ。しかし血飛沫の雨でも傘をさし、遺体を見ては肥料だとのたまっていた子供が、まさか己が送った別れの手紙ひとつでここまで長い間うろたえるとは思いもしなかったのだ。己にも非があるとルブラットは考えている。故に介入する期限を明確にしなかったのはルブラットの優しさだ。
 ヨシュアから返事が届いたのは戦争が終わってから1年以上経ってからだったか。そう考えると開封までに72時間という申告は、随分な進歩であるように思えてくる。
「ところでさ。旦那は最近、片翼とどうなの?」
 片翼、配偶者、パートナー、愛妻。呼び方は多々あれど、ルブラットにとってその単語が示すのは一人しかいない。
「相も変わらず分かりやすい話の逸らし方だ。話術をもっと叩きこむべきだったか……」
「算術も話術の授業も、もう勘弁。仕事でやる時は上手くやってるよ。で、どうなの?」
 ヨシュアの瞳が先ほどの話題とは変わって輝いている。ルブラットはこれみよがしに溜息をついた。話題のそらし方が想定通りだが、想定通りすぎて何を話して良いのか分からない。
「何度その話題を持ち出してきても、変わった話題は提供できないぞ」
「元新聞売りの好奇心を甘くみないでくれよ。で、実際のところ?」
「君は歳を重ねるごとに、子供っぽくなるな」
「おかげさまで四六時中警戒しなくてもいい世の中になったんでね。遅ればせながらの子供時代を過ごさせてもらってるよ」
 この部屋のなかにいるときだけヨシュア神父はヨシュアに戻る。ルブラットに甘えているのだ。両者とも、とうにそのことには気づいているが口に出す事は無い。
「私の毎日は以前話した時と同じだ。強いて言うなら穏やか、か?」
「穏やかって、どんな風に?」
「どういう風にと聞かれても……穏やかとしか感じようが無いのだ。毎日、とても平穏で温かく、幸せだ。彼女と共にいると安らぐ」
 ふぅん、とヨシュアは笑みを浮かべた。ルブラットが婚約を告げた時と同じ表情だった。面白がっているし、嬉しい。でも少しだけ寂しい。そんな表情だ。
「道に迷ってた旦那が、こういう人生を送るなんて。人の未来ってのは分からないものだねぇ」
「何をそんなにしみじみとしているのか理解がおよばないが、満足したのならば良かった」
「……あのさ、俺さ」
 ヨシュアは祈るように指を組んだ。
「ルブラットの旦那から手紙を受け取ったとき。俺、もう旦那に逢えないんだって覚悟したんだ。毎日探したけど見つからなかったから、きっと死んじゃったんだと思ってさ。でもさ、あんた、けろっとした顔でファントムナイトの日に戻ってきただろ。いつもみたいにお菓子をたくさん持って」
「ああ、思い出した。私を見た瞬間に号泣していたな。全身でしがみつかれたのは初めてだった」
「怖かったんだよ、あまりにも普段通りで。これは俺が生み出した幻で、手を離すとあんたがどっか行っちまうんじゃないかって思った。だって特異運命座標のなかには元の世界に戻ったやつもいるって聞いてたし、あんたは、あんたの世界があるって言ってた。だから目の前のあんたを帰らせないように必死になった」
「可愛い所もあったな。あの頃の君は澄ました顔の少年だった。あの感情表現の仕方には驚かされたが、子供たちを守ろうと、誰よりも必死に努力して大人になろうとふるまっていた君が、本来の年齢と同じ子供のように泣いているのを見た時は嬉しかった。だが、私が君を子供に戻してしまったのだと思い当たり、恐ろしくも思った。あの頃の私は、自分の行動が、誰かにこれほどの影響を与えるとは思っていなかったようだ」
 鳶色の瞳が驚きに見開かれる。
「もっとも、今はそのような考え方を改めた。納得するまでに時間がかかったが、誰かに影響を与えるのは悪くない経験だった」
「ね、ね。また旦那の片翼を連れて来てよ」
「約束はできないが本人に伝えてみよう。先ほども同じことを聞かれたな。子は親に似るというが、あながち間違いでもないようだ」
「だろ? 俺も、昔の俺ってこんなに生意気だったのかなぁって驚くもん」
「ヨシュア」
「わかってます。俺の方が酷かった」
「よろしい」
 ルブラットは扉を見やる。向こう側が賑やかだ。
 人が増えたのなら手伝いに行く必要がある。お菓子が無くなったなら補充しなければ。はたまた、エーグルの忍耐がきれるような出来事があったのか。いずれにせよ、目の前で笑う昔からの友人ともう少し語らう時間はあるだろう。
「さて。お茶のお代わりをくれ、ヨシュア。飲んだらエーグルたちを手伝いにいくとしよう。そろそろ癇癪をおこして玄関の扉を壊しかねない」
「それはそうだ。……あ。言い忘れてたけどさ、旦那」
「ん?」
 腰をあげたヨシュアはティーポットとマフィンを盆にのせながらニヤリと笑った。
「今年のファントムナイトには、鴉の仮面をかぶった医者の仮装がたくさんいるらしいよ。どうやら特異運命座標に鴉の仮面をかぶった有名な『ドクター』がいたらしくてさ。その人に憧れたり助けられたりした奴らが、何故か今日、うちの教会に来るらしいんだよね」
「やってくれたな」
 ぎしり、と音を立てて止まったルブラットに、とどめとばかりに祝福の言葉が投げかけられた。

 ハッピーファントムナイト!!
 お菓子ばかりじゃ飽きるでしょう?

おまけSS『後書き61分目のナイトメア』

「そういえばさ」
「ん?」
「ファントムナイトって毎年、どでかい事件が起きるよな」
「そうだな。君がギルドから孤児院に転職したいと言い出したときにはどうなることかと思った」
「いや、それは大したことじゃない。そういう進路問題的な話題じゃなくて、新聞に載るような事件が起こるって意味だよ」
「何を言う。ギルドを辞めて孤児院に就職して聖職者になると聞いた時、私がどんなに心配したと思っている。正気の沙汰ではないと今でも思っているが……まあ、よくやっているのではないか?」
「素直に褒められて怖いけど、一応ありがと。でも、俺の進路については今までのファントムナイトのなかでも一番の些事だから。そこは間違いないから」
「ふむ」
 ルブラットはかなりの時間、彼らとファントムナイトを共にしている。しかしながら穏やかな日を過ごした記憶しかない。商店街で皆で菓子を選ぶこともあれば、大量に作って今日のようにチャリティバザーで売りさばく時もある。それが終われば、子供たちと一緒に祈り、晩餐を共にするのが常だった。
「……他に? 事件? 何かあったか? いたって普通のファントムナイトを過ごした記憶しか無いのだが」
「エーグル誘拐未遂事件」
「ああ。あれは楽しい見物だった。童話に出てくる回転木馬であると信じ切っていたからな。エーグルのストレス発散先が必要だったから見守っていたが、思った以上にはしゃいでいたな。やはり戦闘が少ないと不満がたまるようだ」
 アンストッパブルという意味を律儀に再現した妖精が、自分をさらった犯罪組織を2つほど壊滅させた。犯人側にご愁傷様と言うほかない事件だった。拉致・監禁現場は土地再開発計画がすすめられていた廃倉庫街だった。故に重機を十台ほど搬入して一夜で解体作業をおこないました、という強引な言い訳が受理された。古びた倉庫群が更地になったということでルブラットは都市開発の担当者から初期解体費用を渡され「重い」と言って全額ヨシュアに押し付けた。
「あの袋にさぁ、アーティファクトが3つ買えるだけのゴールドがはいってたんだよね……闇市とかでみるやつ……」
「その結果、雨漏りが修繕されたのだから良かったではないか」
「それにヒルデガルト誘拐事件もあっただろ」
「思い出した。そちらはとても不愉快な連中だったな。優秀なのはヒルデガルトの愛らしさに気がついたところまで。それ以外の計画は杜撰なうえお粗末極まりないものだった。しかも救助した時にヒルデガルトの綿が偏って、埃がついていたんだぞ。あれは実に許しがたい蛮行だった」
 トリック・オア・トラジェディーを完全に体現した妖精と医師が勢いで強盗団を4つほど壊滅させた。その治療にあたったヒルは慈悲の心で治療にあたったのだが、結論として自分を主から引き離した犯人たちに根深いトラウマを植え付けた。普段おとなしい人ほど怒ると怖い。その典型例だった。
「旦那たちはいつもそう。平気な顔して、俺たちをびっくりさせる」
「驚かせているつもりはないのだが」
「本気で言ってる?」
 ヨシュアは静かに茶を口に運んだ。薄緑色の水面に映るのは疲れた大人の顔だ。その目は遠い。ここではない過去を見ているようだ。薄く笑った表情に生気はなく、過去の大惨事を走馬灯のように脳裏に流しているのだろう。ヨシュアの成長をルブラットは喜んだが、それを言うべきは今では無いとぐっと堪えた。
「……気苦労をかけたのであれば謝罪しよう」
「いや、いいんだ。旦那は謝らないで。済んだ事だし。俺も事後処理能力やら交渉力が鍛えられたけど、いい経験と言うか勉強ができたと思うことにする。まあ、結局は暴力が一番なんだよな」
「時と場合によりけりだろう。私は会話を大切にしている」
「はいはい」
 律儀にルブラットは訂正したが、その言葉に毒気を抜かれたヨシュアはソファの背もたれに体重を預けて笑った。
「俺も一度くらい旦那を驚かせたい」
「私に悪戯をしかけたいのか? ファントムナイトだしな。いいぞ」
 パッとヨシュアの顔が輝いた。
「本当!? じゃあ楽しみにしてて!!」
「楽しみに? うん? 分かった。楽しみにしておくとしよう」


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