PandoraPartyProject

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オーロラの降る夜。或いは、これからもきっと…。

登場人物一覧

オリーブ・ローレル(p3p004352)
鋼鉄の冒険者

●雪原逃路
 血の雫が、白い雪を斑に染めた。
 荒い呼吸を繰り返しながら、雪の上を駆ける女の姿が1つ。
 白い衣服を血で濡らした、黒と白の髪色をした怜悧な女性だ。その脚の膝から下は、まるで猛禽のように屈強な鳥類のそれであった。
「……なんで、あんなものが雪原にッ」
 思わず零したその声には、焦りの色が滲んでいた。
 だが、彼女の問いに答える者は誰もいない。
 血を流しながら、ただ1人。
 彼女は雪原を駆け抜ける。

●帰郷旅行
 ある晴れた日のことである。
「1度、里に戻りたい」
「休暇申請というやつだ。通るか?」
 鉄帝、とある宿屋の一室。
 ノックもなしにオリーブ・ローレル (p3p004352)の部屋を訪ねて来たのは、まったく同じ顔をした2人の女性であった。
 長身痩躯に実用的な筋肉を纏った、そこはかとなく“野生”を感じる彼女たちの名はクアッサリーとエミューという。かつてとある依頼の折にオリーブが出逢った“強き脚の戦士たち”であり、それ以降もなんとはなしに交流している間柄。
 今となっては、オリーブと一緒に冒険者などを生業として、鉄帝の各地を旅してまわるような生活をしているわけだが、さてそんなクアッサリーとエミューの言動は今も昔も少々突飛で説明不足な傾向にあった。
「休暇? それは構いませんが……里帰り?」
 2人の言う里は、雪深い山岳地帯を超えた先にある雪原にある。
 里には彼女たちの同胞……つまり“飛べない翼種”たちによって構成されたコミュニティがあった。オリーブは何度もそこに足を運んだことがあるし、2人を連れて冒険者稼業に勤しむ傍ら、今でも定期的に訪れている。
「……ふむ?」
 思えば2人の方から「里に帰りたい」と申し出があったのは初めてのことだ。
 幸いなことに、今は何の依頼も受けていない。
 冒険者という生き方は、存外にこういう“暇になるタイミング”というのが多い。数日から数週間ほども休みなく仕事をしている時もあれば、数週間ほども仕事にありつけないこともある。なかなかどうして不安定なライフスタイルなのである。
「オリーブはどうする?」
「よければ遊びに来るといい」
「えぇ、それはまぁ……誘われたなら是非もなく」
 とりあえずノックも無しに他人の部屋に勝手に入るべきではない、と。
 そう伝えるか迷いながら、オリーブはベッドから身を起こした。
 
 善は急げという言葉がある。
 オリーブたちが、宿泊していた宿屋を立ったのはその日の午後のことである。
 里帰りの打診を受けてから行動までが異様に早いが、まぁ、冒険者稼業とはそう言うものだ。常に“万が一”を備えて荷物は1つに纏めているし、食料や水も買い込んでいるので、こういう場合に迅速に行動出来るのである。
「良かった。あまりのんびりしていると、雪が降り始めるかもしれないからな」
「出来るだけ急ごう。この時期、雪原の辺りの天候は荒れるんだ」
 オリーブの愛車、装甲蒸気車両『グラードⅤ』の後部座席に座った2人は何やら浮かれた様子であった。その顔には喜色が滲み、どことなくソワソワと落ち着きがない。
 そんな2人の様子を不審に思いながらも、オリーブは黙ってグラードVを走らせ続けた。2人の言う通り、天候が崩れそうだったからだ。
 グラードVの性能であれば、多少の降雪、積雪などはものともしないで走行できるはずである。だが、平時と比べて吹雪の中の移動には危険が伴うのも事実。
 どちらにせよ、2人の里まで距離がある。
何日かは車中泊となるだろうが……その程度のことは、2人とて理解しているだろう。その証拠に、後部座席の2人は少し前から食材や寝具の準備を始めていた。
「すっかり手慣れて来ましたね」
 オリーブがそう言うと、2人は顔を見合わせた。
 それから、どこか挑発的な笑みを浮かべるとこう言葉を返す。
「冒険者だからな。迅速に、そして速やかに、だ」
「ゆっくりはスムーズ。スムーズは速い、だったか?」
 冒険者稼業の中で、オリーブが教えた格言である。
 慌ただしく、危険と隣り合わせの多い生活であったが、何かと2人の糧にはなっている様子。その事実にそこはかとない嬉しさを感じつつ、オリーブは「それはよかった」と当たり障りのない言葉を返すのであった。
「もしもの時は……いや」
「うん? どうした?」
「言いたいことがあるなら、言うといいぞ」
 首を傾げる2人に、オリーブはちょっと困ったような苦笑を返す。
 言えるはずが無いのだ。
 もしも“自分に何かあっても、2人ならもう大丈夫”だなんて。
 そんな無責任な言葉など、口が裂けても零すわけにはいかないのである。

 多少の吹雪に見舞われたり、野生の怪物と遭遇したりという不測の事態こそあったものの、里帰りの旅は概ね順調。
 グラードVの性能もあり、予定していた日程通りに3人は“里”の近くにまで辿り着いていた。
 時刻は夜。
 今夜のところは車両を停めて野営とするか、少し無理をして夜中の内に里に帰還するべきか。判断に迷うところである。
「天候は……んん?」
 空の様子を確認しようと、視線を頭上に向けたオリーブはそこで奇妙なものを見た。
 真っ黒な空に、ほんのりと赤い波紋が揺蕩っている光景である。それはまるで夜空に薄いヴェールを敷いたかのようにも見えた。
 ゆらゆらと揺れる赤い波紋に目を凝らすオリーブ。
「おぉ、そろそろだと思った!」
「やっぱりな! いい時期だったんだ!」
 対してクアッサリーとエミューは、興奮した様子でグラードVから身を乗り出した。2人が落車しては不味いと、オリーブは慌てて車両を停める。もちろん、急ブレーキをかけたりはしない。ゆっくりと雪の上を滑るようにして車両が停車すると同時に、クアッサリーとエミューは、外套も纏わず吹雪の中へと飛び出して行った。
「なんですか、あれは? 2人はあれが何かご存知で?」
 窓から顔だけを覗かせながらオリーブは問う。
 その問いに2人は悪戯っぽく顔を見合わせ、言葉を返した。
「「オーロラだ。見たこと無いか?」」
「……む」
 空に見える赤いヴェールがオーロラと呼ばれる自然現象であることなど、オリーブは理解している。
 だが、オリーブの知るオーロラとは些か雰囲気が異なっているのも事実であった。
「オーロラなのは分かりますが、自分の知るオーロラとは少し色が異なるようですが」
 オリーブの知るオーロラは、青や緑に近い色をしている。
 だが今現在、空に見えているオーロラの色は燃えるような赤色だ。
 少なくとも、それはオリーブがこれまで見たことの無い色であった。
「あー? なんだっけ? セクレタリがなんとかって言ってたな」
「高度がどうとか? 高いと赤いとか、なんとか?」
 首を傾げる2人を見て、オリーブは小さな溜め息を零した。
 セクレタリとエミューは、高い身体能力と闘争本能を有する生粋の戦士である。大抵のことは実力行使で強引に解決できる彼女たちは、まさしく弱肉強食の体現者と言えるだろう。だが、そのおかげか少しばかり考え足らずで本能的な傾向にあった。
 有り体に言ってしまえば、考えたり、記憶したりすることが苦手なのだ。
 本人たち曰く「考えるより、まず走れ」が信条であるらしい。
 と、それはさておき……。
「赤いオーロラが、里帰りと何か関係が?」
 2人の様子から、里帰りの目的が“赤いオーロラ”にあると予想したオリーブはそう訊ねる。2人はまったく同じ動作で首肯を返し、旅の目的についてを語った。
「うちの里では……まぁ、壊滅した方の里だけど……この時期になるとオーロラを見ながら宴をする風習があったんだよ」
「翌年の無事と豊猟を祈願するんだ。無事に関しては、あんまり祈願の効果は無かったけどな」
 クアッサリーとエミュー、そして里に暮らすセクレタリを始めとした部族の女性たちは皆、住まう故郷を追われた身である。
 故郷が壊滅した際に部族のほとんどは死に絶え、生き残りたちも鉄帝の各地に離散した状態だ。
「とはいえ、長く続けている風習だ。今の里でも続けていてな」
「そろそろ時期だと思ったんで、里帰りしようってわけだな」
 部族が滅んだのは、もう何年も昔のことだ。
 ある程度は割り切れているのか、それとも意図的に明るく振舞っているのか。
 もう滅び去った故郷のことを語る2人の表情に、悲しみの色は見られなかった。

●救急波乱
 セクレタリの行方不明。
 里に到着するなり、まず最初に知らされた報にオリーブは目を見開いた。
 セクレタリ。
 “強き脚の戦士たち”の1人であり、クアッサリーとエミューにとっては姉のような存在である里のまとめ役である。
 セクレタリは考え足らずな者の多い“強き脚の戦士たち”の中において、異例とも言えるほどに思慮深く、頭の回る女性だ。だが、だからと言って決して弱いわけでは無い。むしろ、クアッサリーやエミューと並ぶ里の最大戦力の1人と言っても過言ではないだろう。
 その強靭な脚から繰り出される蹴りは、歴戦の冒険者であるオリーブをして“直撃を受ければ重傷は免れない”と評するほどの威力を誇る。
 そんなセクレタリが行方不明になった。
 その事実に、オリーブの背筋が凍り付く。
「……セクレタリが?」
「狩りに行ってたのか?」
 クアッサリーとエミューも、目に見えて狼狽している様子。 
 それほどに、セクレタリの行方不明とは里における“異常事態”なのである。
 そも、セクレタリは普段、あまり里から離れない。里の運営や食糧備蓄、外部からの来訪者に対応するのが彼女の主な役割であるからだ。
 そんなセクレタリが、雪原で行方不明になった。
 これが、クアッサリーやエミューであれば狩りに夢中になった挙句の遭難という可能性もある。だが、セクレタリに限って、それは無いと確信できた。
 セクレタリは強靭だ。
 だが、それと同時に自然の恐ろしさも知っているし、理解している。
 そんな彼女が、雪原で遭難するはずが無い。
「何かトラブルに巻き込まれた、と見るのが自然でしょうか」
 深刻な顔でオリーブは言った。
 里に残っていた者の話によると、セクレタリが行方不明になったのは今から数日ほど前のことらしい。
 件の宴に供するための獲物を狩りに、里の仲間数人と共に雪原へと出かけたのが1週間ほど前。通常であれば何はなくとも3日ほどで帰還するものであるという。
 それは、獲物が捕獲できた、出来なかったに関わらずだ。
「狩りの時には食糧や酒を持って行くんだが、何しろ嵩張るからな」
「持って行けて3日分が限度だ。雪原じゃ、現地調達も難しいからな」
 だというのに、1週間が経っても狩りに出かけた戦士は1人も帰って来ない。
 これはいよいよ異常なことだぞ、と思い始めていた頃に、ちょうどオリーブたちが帰還したという次第のようだ。
「捜索隊を出すべきか迷ったんだけどね。何しろ、今集落に残っている娘たちの実力は狩りに出た娘たちに比べると低いんだよ」
「狩りに出たのは、集落でも上位の戦士たちばかりだからさ。ウチらが捜索に出ても、二次遭難のリスクが拭えない」
 そんな話を聞かされては、もうオリーブに選択肢は無いも同然だった。
 そして、同行しているクアッサリーとエミューもまた、オリーブと同じ考えであるらしい。
「荷物はどうする? 食糧とか酒を補充していくか?」
「備蓄から少し貰って来よう。燃料は十分か?」
 早速とばかりにクアッサリーとエミューは、捜索の準備に取り掛かっていた。
 2人がオリーブの意志を確認するようなことは無い。オリーブであれば“自分が捜しに行く”と言い出すであろうことが、2人には分かっていたからだ。

 狩りの目的地は、雪原を歩いた先にある凍り付いた湖だ。
 セクレタリたちの足取りを追って、3人はまずそこへ向かうことにした。
 徒歩で半日。
 グラードVなら半分以下の時間で到達できる距離。目的地に到着するまで大した時間はかかっていないが、それでもオリーブは随分と長い時間に思えた。
 焦りは失敗に繋がる。
 長い冒険者生活の中で、オリーブはそのことを知っている。知っているけれど、どうしても冷静ではいられなかった。
 冷静さを取り戻すべく、オリーブは何度も深呼吸を繰り返す。脳に酸素が供給されて、思考がクリアになるけれど、どうしても焦りは拭えなかった。
「死んではいない、と思う」
「私たちはそれほど弱くはない」
 オリーブを気遣ってか、クアッサリーとエミューが笑みを浮かべてそう言った。その笑顔は、しかしどこかぎこちない。
 きっと、オリーブ以上に仲間たちの安否が気にかかっているに決まっているのだ。
「駄目ですね」
 ハンドルを握る手に力を込めて、オリーブはそう呟いた。
 と、その時だ。
「待て! 待て待て! 停めてくれ!」
「人影だ! 向こう! 吹雪の中に誰かいる!」
 周囲に視線を巡らせていたクアッサリーとエミューが、突然にそんな叫び声をあげた。
 慌ててオリーブはグラードVのブレーキを踏む。
 急に停車したせいで、グラードVのタイヤが滑った。激しく雪を撒き散らしながら急停車したグラードVから、クアッサリーとエミュー、そしてオリーブが外に飛び出す。
 万が一に備え、オリーブは長剣に手をかけた。
 双子が見たという吹雪の中の“人影”が、敵性の存在である可能性を考慮してのことだ。どうやら自分は、まだ完全に冷静さを失ったわけでは無いようだとオリーブは少しだけ安堵する。
 安堵しながらも、オリーブは双子に続いて吹雪の中を駆け抜けた。
「そこの! 誰だ! 無事か!」
「返事をしろ! 集落の戦士か! それとも違うか!?」
 叫ぶように、双子は人影に呼びかける。
 吹雪のせいで視界が悪い。双子の言うように、そこに誰かがいるのは分かる。だが、その容貌はまったく把握できないのである。
「――――――――!!」
 双子の声に気付いたのか、人影がこちらを振り向いたような気配があった。
 吹雪に逆らいながら近づいて来る人影を、3人は少し警戒した面持ちで待ち受ける。
 人影との距離が、数メートルにまで近づいた。
 オリーブや双子であれば、一瞬で距離を詰められる間合いだ。それはつまり、人影が敵性の存在であった場合、攻撃を受ける可能性のある距離ということになる。
 剣を握るオリーブの手に力が込められた。
 けれど、しかし……。
「クアッサリーとエミュー!? それにあなたも!!」
 オリーブが剣を振るう必要は無くなった。
 吹雪の中から現れたのは、白と黒の長い髪を風に躍らせる長身痩躯の女性……セクレタリであった。

「湖の中央に小さな島と洞窟があったんです」
 グラードVに収容されたセクレタリが、遭難の理由についてを語る。
「見たことの無い獣がいて、私たちはそれを狩ろうと近づいたのですけれど……少々、手に余る獲物だったようで」
 怪我の治療を続けながら、クアッサリーとエミューは少し深刻そうな顔をしていた。セクレタリの話によれば、獲物は“雪原では見かけない獣”であったらしい。
 それが普通の獣であれば、セクレタリたち“強き脚の戦士たち”が遅れを取るはずもない。だというのに、セクレタリは多少なり怪我を負っていて、他の仲間に至っては洞窟に籠城したまま出て来られないでいるという。
「獣の巣穴を占拠した形になっているわけですか……それは“何処かに去るのを待つ”というわけにもいきませんね」
 この広い雪原において“寒さを凌げる巣穴”というのは貴重な場所だ。
 その獣が普段、雪原で見かけないものであるというのなら、おそらくは何処か別の場所から迷い込んで来た個体に違いない。
 きっと、寒さに強い獣と言うわけでも無いのだろう。
 そんな獣にとって、やっと見つけた“洞窟”という安全な住処を奪われることは正しく死活問題と言える。きっと、今頃は怒り狂っているはずとオリーブはそう予想した。
「とにかく行ってみましょう。他の“戦士”たちも助け出さないと」
 オリーブのそんな提案に、反対の声は上がらなかった。

●深雪凶獣
「……あれは、カンガルー?」
 洞窟の前に佇む1頭の獣を見て、オリーブはそう呟いた。
「知っているのか、オリーブ!?」
「カンガルーとは何だ、オリーブ!」
 好奇心半分、驚愕半分といった様子でクアッサリーとエミューはそう問い返す。
「草原の獣です。自分が知るカンガルーより随分と巨大ですが……」
 吹雪の中に佇む獣は巨大であった。
 身の丈は2メートル半~3メートルほどもあるだろうか。強靭な後ろ脚を使っての起立姿勢を維持したまま、洞窟の方をじぃと観察しているようだ。
 だらんと前に垂らされたままの両腕など、格闘家もかくやと言うほどに筋肉で隆起しているのが分かる。セクレタリの負傷具合から察するに、爪なども相応に鋭いのだろう。
「なんであんなのが雪原に……と言う点については、もう考えても意味がないものとして」
 本来であれば、寒い場所にいるような獣では無いのだ。
 それが、どういうわけか雪原に住み着いている。それも、おそらくは単独で。きっと何かの事情があって、雪原に流れ着いたのだろうが……その事情については、考えたところで予想の域を超える答えは出て来ない。
 それより今は、カンガルーにどう対処し、どうやって籠城している“戦士たち”を救出すべきかに思考を割くべきである。
 セクレタリの無事を確認したことで、オリーブは幾らかの冷静さを取り戻していた。
「セクレタリさんたちが狩れなかったところを見るに……少し策を練る必要がありそうですね」
 久しぶりの作戦会議だ。
 混沌世界における日常を思い出し、オリーブは不謹慎ながらも少しだけ懐かしさを覚えるのであった。

 敵は単独。
 かつ、強敵となれば囮作戦が有効だろう。
 そう言ったのはセクレタリだった。
 オリーブとクアッサリー、エミュー、そしてセクレタリ。4人の中で、実際にカンガルーと戦った経験があるのは、セクレタリだけだ。
「動きが素早く、反射神経も良いようでした。真正面からでは、私たちの攻撃もほとんど捌かれてしまって通りません」
「なるほど。では、囮作戦で行きましょう」
 かくして、カンガルー討伐作戦が開始されたのであった。

 囮役を務めるのはクアッサリーとエミューの2人。
 日頃から息の合ったコンビネーションを得意とする2人である。言語を用いずとも、互いの意思をある程度、理解できるうえに足も速い2人が、囮役には最適だろうとオリーブはそう判断したのだ。
「こっちだ、こっち!」
「どうした? ぼさっとしていると死ぬぞ!!」
 戦いに興奮しているのか。2人のテンションは高かった。
 2人は左右から挟む込むようにしてカンガルーに接近すると、その脚を狙って鋭く重い蹴りを繰り出す。
 カンガルーは跳躍することで2人の蹴りを回避。
 着地と同時に、太い両腕を用いての殴打を見舞う。
 殴打の速度もさることながら、やはり瞠目すべきはその巨躯か。およそ3メートルの巨体から繰り出される殴打は重い。直撃を受ければクアッサリーやエミューの強靭な身体をもってしても、重症は避けられないだろう。
 もっとも、あくまで2人の役割は“囮”。
 牽制のために時折、攻撃を繰り出しはするものの2人の動きは回避に重きを置いたものだ。いかにカンガルーが素早かろうと、雪原の戦いで“逃げ”に徹する2人を捉えられる相手はそう多くない。事実、カンガルーの攻撃は2人に致命傷を与えない。
「さて……今のうちに」
 吹雪に紛れ、オリーブとセクレタリは湖の中央付近にまで移動していた。
 凍り付いた湖だ。2人が上を歩いても、厚く張った氷が割れることは無い。
 長剣を抜いたオリーブは、その切先を足元に張った氷に突き刺す。ピシ、と音がしてオリーブの足元に亀裂が走った。
「いつでもいけます」
 少し離れた位置で、セクレタリがそう告げる。
 オリーブは首肯を返すと、“ぴゅい”と高く口笛を鳴らした。
 白銀世界に口笛の音が響き渡る。その音を聴きつけたのか、クアッサリーとエミューが早速行動を開始する。
「追って来い、カンガルーとやら!」
「愚鈍な草原の獣に雪原はキツイか?」
 回避を重視した牽制から、果敢な攻撃へとスイッチを切り変えたのだ。
 その上で、いつでも距離を取れるように蹴撃の威力は抑え気味。あくまでカンガルーを苛立たせ、ヘイトを自分たちへと集中させることが目的のようである。
 そうしながら、2人は徐々に戦場を東へと移動させた。
 つまりは湖の中央……オリーブの待ちかまえている位置へ。
「来ましたね」
 誘導された。
 カンガルーが、そう悟った時には既に手遅れだった。
 正面にはオリーブ、左右を双子に囲まれていては迂闊に後退も出来ない。正眼に長剣を構えたオリーブの気迫が、カンガルーを飲み込んでいた。
 視線を逸らせば命が危うい。
 野生の勘か、カンガルーは速やかにオリーブの実力を把握する。
 けれど、しかし……。
「残念ながら……自分も“囮”なんですよ」
 オリーブが剣を一閃させる。
 斬撃を放った先は自身の足元。
 ひび割れた氷の層が、音を立てて砕け散る。
 後方へと跳ぶことで双子は即座に安全圏にまで撤退。一方でオリーブとカンガルーは、崩壊する氷の下へと、極寒の湖へと転落した。
 水飛沫が飛び散る。
 その中を白い影が駆け抜けた。
 セクレタリだ。
 冷水に転落し、慌てふためくカンガルーの頭上へと跳びかかったセクレタリが“復讐”とばかりにその顔面へと鋭い蹴りを叩き込む。
 1度ではなく、2度、3度……絶え間なく繰り出される蹴撃がカンガルーの顔面を潰した。眼球は潰れ、頭蓋は砕け、首の骨も折れただろう。
 血を吐き、倒れたカンガルー。
 澄んだ水が、赤く濁っていく様をオリーブは黙って見つめ続けた。

●夜宴嫋々
 カンガルーの肉は、さっぱりとしていて少し硬い。
 強いて言うなら、牛肉と鶏肉の中間のような味だろうか。欲を言うなら、香辛料の類が欲しいところだが、無いものねだりをしても仕方がないと諦めオリーブは肉を頬張った。
 空に輝く真っ赤のオーロラ。
 ゆらゆらと揺れる様は、まるで炎が燃えているかのようにも見える。
 どんちゃん騒ぎの宴会場から少し離れた位置に座って、オリーブは空を眺めていた。肌を刺す極寒の冷気も、今ばかりは気にならない。
「珍しい味ですね。まだまだ世界には知らない生き物が多いです」
 隣に彼女が……セクレタリが居るからだろうか。
 オリーブとセクレタリの間に、会話は少ない。
 ただ、安寧とした空気だけがある。
「皆さん、無事でよかったです」
 あの後……巨大カンガルーを討伐した後、オリーブたちは洞窟に籠城していた“強き脚の戦士たち”を助け出した。数日ほど緊張状態が続いていたせいもあり、皆一様に疲れた様子ではあったが重傷者は1人もいない。
 疲労も今朝にはすっかり回復していたようで、今は宴会を楽しんでいる。
「誰も……あなたが悲しまないで済んで、本当に良かった」
 空になった木製の器を脇に置き、オリーブは白湯に手を伸ばす。少しだけ冷えた身体を温めるためだ。
 今年の狩りは大成功だった、とセクレタリはそう言っていた。
 カンガルーという珍しい、そして巨大な獲物を捕獲できたからだ。その上、怪我人はセクレタリと、湖に落ちたオリーブの2人だけ。
 重傷者が出るのも珍しくない雪原の狩りにおいて、たった2人の軽傷者など“まったく問題”にならないらしい。
「おかげで宴の最中も、こうしてゆっくり過ごすしかないわけですけれどね」
 苦笑を零したセクレタリが肩を竦める。
 オリーブはぎこちない笑みを返しながら、セクレタリの方に白湯の薬缶を差し出した。
 騒がしく、けれど静かな夜だ。
「まぁ、珍しいものが見れたし、良しとしますよ」
 そう呟いたオリーブは、視線を夜の空へと向けた。
 赤いオーロラ。
 翌年の無事と、豊猟を祈願するというからには、あのオーロラは何か神性の存在なのだろうか。
「そうですね。これで、きっと翌年も……」
「これから先もずっと、こうして日常が続いていくといいですね」
 セクレタリの言葉を引き継いで、オリーブは言う。
 それっきり2人は無言のまま。
 時間だけが過ぎていく。




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