SS詳細
Our Shady Grove’s Dress
登場人物一覧
幻想にある手芸屋「カルメラの夢」ときたら、そんじょそこいらの店とはワケが違う。
まぁるい望遠鏡みたいなボタンに、銀の藍を縫いこんだ銀河のレース。琥珀砂糖の織糸に燃える明星の羅紗まで、何でも揃うと有名だ。
天井近くの棚上にはたくさんの生地が魔法の絨毯みたいに丸められて、ひっそりと出番を待っている。
珍しい品を求めて今日もカランコロン。古びたベルが来店を告げた。
「いらっしゃ」
店員は笑顔で振り返り、固まった。
「ここが、イーハトーヴ殿が気になると言っていた手芸屋か」
それは伸びた影法師を思わせる青年だった。
黒装束で顔の半分を覆い隠し、隙のない動作で店内を見渡している。
布で覆われた鼻梁は山脈のようにすらりと高く、なかば夢境にさしかかった紫目には白雪色の前髪がかかっている。夜に溶け込む忍び装束の黒は真昼の店内では逆によく目立つが、しかし気にした風も無くスタスタと店内を闊歩していた。
「うん。店の前を何度か通ったことはあるんだけど、俺も入るのは初めて」
そしてもう一人。弾んだ声と足音が後に続く。
こちらの青年も先程とはまた違った意味で異質であった。
太陽色をしたパーカーから伸びる長い手足。
一見細身に見えるが、引き締まった筋肉と体幹が安定した歩き方は戦場帰りの兵士び佇まいを思わせる。
清潔に切り揃えられたパーピュアの髪の下にどろりと不動沼のクマをはりつけ、店内の様子に犀利な目を細めていた。
その澄んだ虎目色には隠し切れない興奮の星が煌めいており、土気色の頬には薄らと朱がさしている。
どう見ても可愛らしさに縁があるとは思えない二人だ。
だが妙に場に馴染んでいる。
何者だ、不審者か?
他の客も店員と同じような疑念を抱いているのか、店のあちこちからヒソヒソ話が聞こえた。
こういった具合にイーハトーヴ・アーケイディアンと黒影 鬼灯は連れ合いを伴って「カルメラの夢」へと足を踏み入れた。
「む。これはまた随分と繊細で品のある商品が多い。この刺繍糸など、嫁殿の髪色に合いそうだ」
「お嫁さんは色白だから、こっちの糸と組み合わせても可愛いよね。小花を編んでみるとかレースリボンにしてみるとか」
「イーハトーヴ殿もそう思うか」
鬼灯の目が水飴のように微笑む。
「正直、こんなに愛らしい嫁殿に合わぬ美しい物などこの世界に存在していないのだが、俺一人だと何を最初に作ろうか迷ってしまってな」
悩ましく、けれど嬉し気に鬼灯は溜息をこぼす。
「霞草とミモザのエプロンドレスは嫁殿の元気さと純粋さを、ネモフィラのワンピースは嫁殿の清楚さと可憐さを前面に押し出すだろう。それに銀の鈴蘭とブルーベルで髪を結った嫁殿もさぞ美しいだろうな。今の季節なら桜の着物も仕立てたいところだが、ううむ」
「鬼灯もお嫁さんも、とても楽しそう。誘って良かったね、お姫さま」
頷くイーハトーヴは嬉しそうな小声で腕の中の誰かに同意を求めた。
「そうだ。あまった糸でレースの小花を編んでブーケコサージュにしたらきっと可愛いよ」
『あら! それは素敵ね』
「試しに三種ほど作ってみよう」
その会話に先ほどとは違った意味合いのざわめきが店内を包んだ。
ひとつは、レース編みの小花という技法を提案した青年もさることながら、暗に数種の服を縫えると忍びの青年も高い服飾技術を匂わせたこと。
少なくとも、この店に居る人間は気軽な気持ちで「ブーケコサージュを三種作ろう」とは言えない。
それは言わば「よし、アルプス山脈でも登るか」と同程度の難易度(個人の感想です)であり、並大抵の根気、体力、気力では務まらない繊細な作業が必要となる。
そしてもうひとつは、彼らの中から可憐な声が一人分、聞こえた事だ。
「ふふ、うちのお姫さまのリボンにも、お花をつけようか」
「それは良い。イーハトーヴ殿の腕にかかればオフィーリア殿の愛らしさにも磨きがかかると云うもの」
「ええっと、くるみのボタン、ミルクティー色のレース。わあ、金の鈴が入った小瓶もあるよ」
――イーハトーヴ。あなた、今日はお洋服の生地を見に来ただけだと云うことを忘れているのではないかしら。あんまり買い過ぎると、この後で忍者さん達とお茶ができなくなるわよ。
「だ、大丈夫……?」
そうは言ったものの、イーハトーヴの泳いだ目は自信がなさそうだ。
「でもね。お姫さまの事を考えていると、ついつい買いすぎちゃって」
――まったく、仕方の無い子ね。
たしなめる声は柔らかくイーハトーヴの耳へ届く。
「あの二人の技量。只者では無い」
「お、オーナー!」
「オーナーが店に出て来たぞ、何年ぶりだ!?」
「お前達もよく見るがいい。二人の手中を」
「鬼灯の手の大きさだと、きっと、こっちの編み針を使った方が疲れにくいよ」
「本当だ。力が巧く伝わる」
『さすが職人さんね!』
「二人と、久しぶりにたくさん手芸の話ができて嬉しいな。ね、お姫さま」
土気色の顔色をした青年は愛らしいうさぎのぬいぐるみをそっと抱きしめた。猫柳の花に似たふわふわとした白い毛が纏うのは生クリーム色の毛糸のワンピースと若柳色のボレロ。天使をモチーフにしているのか、軽やかな裾がひるがえった。
――忍者さん達に会うのは久しぶりだものね。この子ったら昨日の晩からすっかりはしゃいでしまって。
「そ、それは内緒だよって言ったのに!」
『奇遇ね! 鬼灯くんも昨日は楽しみで眠れなかったみたいなの。だって、昨晩は普段よりも血の匂いが濃』
「嫁殿、天井近くに素晴らしい天鵞絨生地を見つけたのだが見に行っても?」
『あら、本当。ねぇオフィーリアさん、良かったらお揃いで何か作ってもらいましょうよ』
「あのワンピース、毛糸編みだというのに毛糸の重さをまるで感じない!」
「左様。裾へ向かう毛糸を徐々に細くし部分的にレース刺繍を当てる事で春風のような柔らかさと繊細さを同居させているのだ」
「そんな!? あんなに自然にゲージと編み目を合わせるなんて出来るの!?」
「単純にして激ムズ、単色にして至高。そしてもう一方は」
水玉の瞳と黄金の髪を持つ愛らしい少女人形。深い真紅のドレスは美しいドレープを描き、あどけない横顔の中にオペラ座女優のような品のある高貴さを漂わせていた。
「ドレス、帽子、リボン。すべてに同じモチーフがあしらわれている」
「縫い目の正確さと細かさから魔法製だと思いこんでいたが、まさか全て手縫い?」
「馬鹿を言え、あの一着でどれだけの作業量が必要だと思っているんだ!」
「着る者への愛が見える作品は多々あれど、あれほど製作者の愛がほとばしる作品は見た事が無い」
つ、とオーナーの目尻から熱いものが零れる。
「見事」
きゃっきゃとはしゃぐ四名の知らない所で店内が騒然としていた。
「今より当店は全力で彼らの来訪を歓迎する!」
「イエス、マム!」
「具体的に言うと盛り上がっているので声かけ接客はせず、お会計時に初回来店特典として5%割引を適用!」
「思ったより普通!」
「それでは心をこめてェ、らっしゃーませー!」
「いらっしゃいませー!!」
暖かい春の陽射しが店内を優しく包む。
アウトローな雰囲気の長身男性二人組は連れ合いを大切に胸に抱いて、ちょうど星やハートのボタンで盛り上がっているところだった。
店員からの挨拶に気がついたのか。
一人は一分の隙も無い仕草で。もう一人は心から嬉しそうに、ペコリと頭を下げた。