SS詳細
旅立ちの夢に指切りを
登場人物一覧
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ズズズ、という地響きと共に大地が揺れる。
海洋国某所。冬の浜辺に大量の砂埃を巻き上げて現れたのは、蟹の魔物だった。多脚をタイプライターよろしくバチバチと砂に叩きつけ、その姿を露わにする。
「事前に聞いてたより大きいな」
眼鏡についた砂粒を軽く拭き取り、史之は眼鏡をかけ直した。事前に衛兵から聞いた目撃証言は、身の丈3メートルほどだった筈だ。
彼の隣で凛とした空気をまとう女性が、静かに刃を抜く。ーー夏宮・千尋だ。
「何であれ、人助けの為にやるべき事はひとつだろう」
無辜なる混沌は選ばれし者達の奇跡によって、ついに滅びを退けた。さりとて全ての悪が退く訳ではない。この魔物の出現も、海洋にとっては毎年の風物詩だ。ただ一点、国の衛兵数名の対応では足りないほどの大物であった事を除いて。
「ちひろの言うとおり。なんとかしないと漁師さんが困ったままだよ」
なんとかしてあげたい、と前に踏み出す華奢な影。冬宮・寒櫻院・睦月の想いを受けて、春宮・日向が一度、片手で制す。
「あーしに任せて! まずはアイツの動きを止めればいいんでしょ?」
秘策あり、と日向はすかさず魔物の正面に位置取り、元気な笑顔で
「蟹って事は、横歩きしか出来ないって事じゃん! 真正面から引きつければ真っ直ぐ向かって来れないって、いやー今冬のあーしってば冴えてーー」
ドドドドドド!!
「どえぇええぇぇ?!」
見事な
「しまった、『ショウメンアルケルガニ』が!」
「しのにぃ! そういう大事な情報は先に出しといてぇぇ!」
史之が砂を蹴って駆け寄り、巨大な蟹へ挑発をかける。隙を作ったその瞬間ーー史之と阿吽の呼吸で狙いを定めたのは睦月だ。
指先に集中する神力。冬の潮風を巻き込んで放たれる
足の動きを封じられた蟹は即座に移動を諦めたが、巨大なハサミを睦月に向かって振り上げた!
大岩めいたゴツゴツした甲殻の塊が間近に迫る中、睦月は目を閉じた。更なる加護を仲間に降らせようと術に集中するその姿は、傍から見れば命知らずな判断をした様に見えるだろう。
『カンちゃん、前に出すぎだよ!』
『だって僕もしーちゃんを守りたい!』
無辜なる混沌へ飛ばされた直後は
本当の気持ちを口に出して貰うまで、どんなに近くに居続けても、心の距離は手が届かないほど遠くにあって――
けれども今は、ゼロ距離で抱きしめられるぐらい夫さんを間近に感じる。
「悪いね。俺の妻さんは
寒櫻院夫妻が戦う戦場において、史之が睦月に怪我をさせる事など万に一つもあり得ない!
稲妻の様な速さでハサミの前に滑り込んだ史之は、愛刀『
「しーちゃん、そのまま抑え込めそう?」
「カンちゃんと一緒なら!!」
ふいに、太陽が陰りを見せた。冬の空高くに輝く光を遮る程に高く、跳躍する美女。千尋の要塞スカートは今日も絶好調だ。黒ニーハイとスカートの絶対領域に目を奪われたが最期、妖刀不知火の餌食となるのだから。
「どれだけ装甲に優れていようが、それを上回ればいいだけだ」
「追っかけ回されたお礼に一発、お返しじゃん!」
千尋が鯉口を切ると同時に横合いから蟹へ殴りかかろうと拳を振り上げる日向。睦月と史之の成長を間近で見守り続けて来た二人もまた、夫妻が敵を抑えきると踏んで大技の準備を怠らなかった。放たれた
優雅に砂浜へ着地した千尋が得物を納刀すると同時、ズズン……!! と音を立てて蟹がひっくり返る様な体制で倒れ込んだ。
討伐されブクブクと泡を吐くその姿を見る事もなく勝負はついたと確信し、千尋は袴についた砂をはらう。
……が。ふいに肩を抱き寄せられて微かに目を見開いた。
「ちっひー、もっとくっついて! しのにいも、恥ずかしがらないでカメラ目線!」
「ひなたのそのピースを逆向きにしたポーズ、何?」
「あーしのコレはギャルピースって言って、練達のトレンド! 本家様も一緒にやろうよ♪」
「!? なっ、なん……」
「
パシャ☆
もりもりにラインストーンでデコられたピンクの
(嗚呼、もう終わってしまったのか)
遠くに響くさざ波が、数日前のやり取りの記憶を呼び戻す――
⚫︎
無辜なる混沌から滅びが過ぎ去った後、ほどなくして混沌最高の天才ことシュペル・M・ウィリー(p3n000158)からもたらされたのは
史之、睦月、日向、千尋。四人は秋之宮の館で思い思いに今までの事を振り返る。
無辜なる混沌へ召喚されてからここ数年、世を滅びから救うためにと四人は最前線で戦い続けて来た。
右も左も分からない環境への順応を求められ、立ちはだかる試練の数々。振り返るほどに苦難だらけの日々だったが、その中で得た経験は宝石の様に輝く尊いものだった。
この絆と経験さえあれば、睦月は
睦月を守り抜いて帰還する史之達は、その功績を認められ、前より睦月に近いポストで、彼女の力になれるかもしれない。
そんな未来を描ける状態で
少し緊張した面持ちで、されど未来に期待をする様な澄んだ眼差しで睦月が問う。
「しーちゃんは、どうしたい?」
己の姿を映す赤い双眸。この澄んだ赤い瞳だけは、この先二度と曇らせない。いや、曇らせてなるものか。
史之は静かに目を閉じる。この選択はきっと二人だけでなく、日向や千尋の未来を大きく変える事になるだろう。
無辜なる混沌に飛ばされた直後、史之はこの世界に馴染みながらも、元の世界での睦月の立場を案じていた。
ーーカンちゃんが好きだ。幼い頃からずっとずっと……。だからこそ俺は身を引かないと。身分違いの恋は、きっとカンちゃんを苦しめる事になるから。
「年上が好み」なんて言って自分の心すら誤魔化して。それが正しいと自分に言い聞かせていたけれど、カンちゃんは真っすぐ俺だけを見て、一途に想いをぶつけ続けてくれた。
氷の奥に頑なに仕舞い込んだ俺の気持ちを優しく溶かして、一緒に居ようと抱きしめてくれた。
こんなにも一途な彼女に俺が返せるものは、剣でありつづける事。そして、最愛の
目を開ける頃にはもう、返すべき言葉は定まっていた。史之はゆっくり唇を開く。
「カンちゃん」
「うん」
「俺はこれからも、カンちゃんの幸せを一番近いところで守り続けていきたい」
「うん」
「その為に、俺とこの世界に残ってくれる?」
刹那、柔らかい感触が唇に触れる。考え抜いた決断を祝福するキスをして、睦月は雪原に芽吹いた花の様にあたたかい微笑みを浮かべた。
「約束、ちゃんと守ってね」
――あのねしーちゃん。約束して。一日でもいいから、僕より長生きして。
結婚の儀、祝詞に絡めて誓ってもらった約束を実現するために。振り返ってみれば、お互い口には出さずとも、この地で生きる準備を進めていた気がする。
おかげで史之は海洋では名を知らぬ者はいない程の優秀な戦士として名を馳せ、桜狐神社の人々は睦月を祭具ではなく心優しい女神様として大切にしてくれている。彼ら彼女らを見置いて去るという選択肢は、あり得ないに等しい。
「ならば二人の安否は、私の方から本家冬宮に報告するとしよう」
「! ちひろは元の世界に帰るの?」
「嗚呼。寂しい思いをさせてしまってすまない」
すいと丁寧な動作で睦月達へ千尋は頭を下げ、「だが」と言葉を続ける。
「望まぬ形で家に縛られているから帰る訳ではない。私が故郷に戻るのは、私の夢を果たす為。
これは無辜なる混沌へ降り立つ前から、固く誓っていた事だ」
いつか認めて貰いたいと願い続けた人がいる。
現・夏宮当主である己の母と戦い、武を認められ――そうする事でようやく、誇り高き夏宮の姓を名乗る事ができる。
徹頭徹尾、目標に向かって真っすぐな想いを貫く。異世界に飛ばされようが、それから何年経とうが、彼女の意思はいつだって研ぎ澄まされていた。
「此方の世界に飛ばされる前は、遠き明日だと思っていた。だが……数多の実戦経験を積み、ようやく希望が見えて来たんだ」
「あーね。ちっひーは相変わらず真っ直ぐ熱血してんねぇ」
「春宮! 私は――」
軽い調子の声に思わず言葉を返そうとする千尋だったが、日向と眼が合った瞬間、口をつぐんだ。
「あーしも一緒に帰るよ。元の世界に」
どんなに明るい風に言ってみせても、幼馴染だからこそ分かる。日向の決意は
「意外だな。日向はこっちでの生活に馴染んでたように見えたから」
「あっは! しのにぃにもそう見えた? いや実際、今でも『無辜なる混沌』って超イケてると思ってるよん」
練達にギャル友がいっぱい出来たし、可愛いネイルもいっぱいある。魔種はその勢いを潜めたものの、闘技場まで出向きさえすれば、
日向と対等に殴り合える強い男はわんさか居る。いま置かれている環境は、天才肌の日向には最高の環境のはずだ。
「欲しいもの、楽しいものがいーっぱい、あふれてる。けどさ……あーしが一番大切にしてる幼馴染は、世界にたった三人しか居ないっしょ」
いつだって四人で過ごしていた。その生きる道が別れた時、誰かが独りぼっちになるのはきっと寂しい事だから。
「あーしは、見届けたいんだー。ちっひーの夢が叶うとこ!」
「本当にいいのか? 今までみたいに修行について来るのとは違うんだぞ。もう皆に会えなくなるかもしれないのに」
「わはは。眉間に皺寄ってちゃ美人さんが台無しだぞ」
ぐりぐりと眉間の間を人差し指で押さえられ、皺を伸ばされた千尋は、困ったような嬉しいような複雑そうな顔で日向を見つめた。
「どーせシュペルっちなら、元の世界に戻った後に、無辜なる混沌へ好きな時に戻って来れるようにしてくれるって!」
「それはそうかもしれないが……」
「ちっひーは、あーしと一緒じゃ嫌?」
「まさか」
一緒に居続けられる事が、嫌だなんてあり得ない。そこでようやく千尋は、口元を緩めてみせた。
「感謝する。春宮の期待に応えられるよう、必ずやこの手で悲願を果たそう」
「ちっひーなら出来る出来る! あーしが保障するしー」
日向と千尋、睦月と史之。いっぱい悩んで、言葉を交わして、四人はそれぞれの未来の為に決断した。
選びぬいた選択肢を後悔しない。共に生きる相棒にも悲しい思いをさせたくない。
あの時、交わした指切りは、ずっとずっと忘れない。
⚫︎
「乾杯ーー!」
グラスのぶつかる軽快な音が幾重にも重なる。去年のうちに日向と千尋が二十歳を迎え、四人はようやく皆でお酒が飲めるようになった。
皆で囲むテーブルの上には、ぐつぐつと煮えたぎる具だくさんの鍋。中から本日の主役こと真っ赤な茹で蟹の甲殻の色がのぞく。
「何でだろ。こうやって四人で蟹鍋をつつくと、不思議と今が年末みたいに思えてくるよね」
「それは史之のどあほうが、シャイネンナハトに蟹を食いたいと言ったせいだろう」
「あー、そんな年もあったね。あれはまだ、しーちゃんが僕を名前呼びするのも照れてた時期だから、確か……」
「4年くらい前っしょ。疑惑のマダンゴ食べて、ちっひーあの時だいぶパニクってたよねー懐かし」
「よね……!? 春宮の数え間違いではないか? そんなに時が経っている筈が……どう思う史之」
つみれを口にくわえて首を傾げた睦月と日向に、千尋が驚き交じりの声で問う。矢を向けられた史之はというと、真剣に蟹の脚から身を掘り出している最中だった。
魔物クラスの巨大蟹となると、足先だけでも身がぎっしり。カレースプーンで何度かごっそりすくって鍋に放り込んでも肉が取り切れないほどだ。
討伐後、近隣の海洋住民や境界図書館、桜狐神社に、ローレットへ依頼書を覗きに来ていた顔馴染み――と色々な人におすそ分けして物量を減らしたものの、お返しにもらった神社のお餅や、常山名物のゲーミングカジキマグロなど、四人の全力カニパ&送迎パーティーには十分すぎる量の大収穫。調達難度なNormalでも、腐らせずに食べきるとなると完食難易度Very Hardに跳ね上がる。
(これから数日、蟹フルコースで飽きずにどう過ごそうか……とりあえず残りは冷凍庫に押し込んで…)
「しのにぃ、すっかり献立組み立てモードに入っちゃってるじゃん?」
「夫さーん、献立なら後で僕も一緒に考えるから戻ってきてよー」
「おい、今ちょっと鍋の中がカラフルに光らなかったか?!」
「ちひろは初めてだっけ? 常山のカジキマグロ。あれ時々光るんだよ」
「わはは。本当にカラフルじゃん! SNS映えしそー」
「見た目はチカチカするけど、味はちゃんと美味しいから。はいしーちゃん、あーん」
ほぐしたカジキマグロの白身をふーふーと軽く冷ましてやってから、睦月は史之の口元へそれを差し出した。ぱくりと口にした史之の頬がほの赤く染まったのは、鍋の具が熱かったからというだけでもなく。ひゅーひゅーと冗談っぽく茶化す日向と、二人の仲睦まじい姿を微かに口角を上げて見守る千尋と。
ずっと今まで一緒だった、四人一緒の幸せな日常。いつかこの瞬間に戻りたくなる日が来るかもしれない。
ただ、思い出せば気づける筈だ。自分は絶対に独りじゃない。ふとした瞬間にの思い出し、相手の事を想い合う限り――
過ごす場所は違っても、心はきっと、繋がっている。
やがて旅立ちの朝は来る。荷造りを終えて秋之宮を離れる日向と千尋を見送る睦月と史之。
いつかの再会を夢見た四人は、約束の小指をつき合わせて笑う。
「んじゃ、行ってくるよん。お土産話、楽しみにしといてー」
「本家も史之も、身体には気を付けろ。……行って来る」
「行ってらっしゃい! ひなたもちひろも無茶しすぎないようにね!」
「嗚呼、気を付けて。二人の帰る場所も睦月も、俺がちゃんと守るから」
行ってきます、行ってらっしゃい。また会う日まで――
おまけSS『幸せを運んで』
⚫︎桜狐神社にて
「ほーーん。新年早々、この
「相変わらずよく喋る毛玉だな」
「誰が毛玉だ、誰がっ! 俺は白狐の土地神様だっつーの!!」
千尋がつけた仇名を聞いて、小さな前足で境内の石畳をたしたしと叩いていた御饌津神――通称ミケは、
ビニール袋が開けられる音にピーンと耳を立てて動きを止めた。目の前にぷらんとぶら下げられた金色の四角いブツに、キラキラと瞳が輝く。
「ほれ。今日はちゃんと持ってきてやったぞ」
「油揚げーーー!!♡」
「あのーミケ様。もう少し土地神らしく威厳をもって行動していただけると……」
ダメかぁって顔で額を押さえる神主の馬吊。その肩をぽんと労いを込めて睦月が叩く。
「はは……。ミケさんは相変わらず元気でいいですね。馬吊さんは最近、いかがですか?」
「私は見ての通りピンピンしています。皆様のご尽力で桜狐神社はすっかり『縁結びスポット』として人気が出まして、ミケ様の霊力もあの通りです」
と馬吊が示す先では、千尋に頭を撫でたくられて六尾の尻尾を揺らすミケの姿があった。狐の霊にとって、尾の数は霊力に直結する。
あと一尾増えればミケはもうひと周り大人の狐の姿を取れるようになり、この土地の為に出来る事も増えるのだという。
「日向様と千尋様もこの神社に馴染んだ所で、お別れとは寂しゅうございますが、この馬吊、お二方の帰る場所れる場所がひとつでも多くある様に努めてまいります」
「お頼み申す、馬吊殿。……そういえば春宮は何処に?」
じゃらじゃらじゃら、ガランガランガラン!!
「恋愛成就、恋愛成就、恋愛成就! いつでも殴り合える強いお婿さん見つけて、可愛いお嫁さんになれますようにーーーーっ!」
お賽銭をためらいなく豪快に入れて、懸命に祈っている最中だった。一生懸命祈る日向の隣に千尋も立って、静かに手を合わせる。
「ちっひー?」
「春宮は私の夢の後押しをしてくれたからな。私もその夢、一緒に祈ろう」
二人肩を並べて祈る姿に、睦月も自然と笑みがこぼれた。
「おい、睦月。史之が見当たらねぇがどこいった?」
「しーちゃんはミサキ君とお話してますよ」
「そうかい。じゃあ戻って来るまで構えっ」
「はいはい」
問答無用でじゃれてくるミケを抱え上げながら、睦月が向けた視線の先は――
「皆が元の世界に戻るかもしれないと知って、『家族』がバラバラになるかもしれないと思った時、胸の奥がぎゅっとした」
参道沿いの胸元に手を添え、今でも思い出すだけで息苦しいと言わんばかりに小さな声でぽつりと呟き、俯く『刀神』ミサキ。
拝殿近くにある社務所の縁側で、史之はミサキの声にじっと耳を傾けていた。
「この身を宿した刃の欠片は一遍も曇りがない。戦う為に力を使った訳でもない。なのに目頭が熱くなって」
「ミサキ。それは……『寂しい』と思ったんじゃない?」
「……。そうなのか。これが『寂しい』…か……」
――タクサン ヨコセ、ヒト ノ ココロ ヲ。
「ずっと、俺は知りたかった。ヒトのココロを。けれどこんなに辛くなる事は」
「要らないと思う?」
「……」
「ミサキ。寂しい気持ちは大切だよ。人は寂しいから居場所を求めるし、出会った誰かを大切にする。
大切な人が寂しい思いをしないように、戦う力が湧いてくるんだ」
史之の言葉を嚙み締めるように深く目を閉じたミサキは、やがて何かを決めた様に顔を上げた。
「俺の中の『寂しい』を大事にする。大事にして……千尋と日向にお別れを言おう」
「うん。行ってらっしゃい」
飛んでいくミサキと入れ違いに、睦月は史之の隣へ腰かける。冬の風が頬を撫で、彼女の銀の髪を揺らした。
寒そうに微かに背を丸めると、何を言わずともその肩を抱き寄せるように史之が腕を伸ばす。
「しーちゃん、今のお父さんみたいで恰好よかったよ」
「はいはい。まだお父さんは早いけどね」
「耳、赤くなってる。……これからも、『家族』をたくさん護ってね」
⚫︎境界図書館にて
「ざび゙じぃ゙よ゙お゙ぉ゙ぉ゙~~~~!!!!」
「いきなり抱き着こうとうするな! 鼻水がつくだろう!」
「蒼っち凄い顔になってるよー。はい、ティッシュ」
ちーーーん!
「なんとなーく予想はしてたけど、大丈夫? 蒼矢さん」
「ふえぇ」
「ダメだ、衝撃でちいさくてかわいいオジサンになっている……」
おすそ分けの蟹の保冷バッグをちゃっかり抱きしめたまま、千尋と日向の帰郷を知った神郷 蒼矢は一目もはばからず図書館の広場でわんわん泣いた。
しかし、どんなに泣きわめいても「行くな」と言わないところは、青信号の因子を継ぐ者らしいだろうか。
ようやく号泣の波がひと段落つくと、気持ちを落ち着かせようとソファーに腰掛ける。
「旅立ちの時期だねぇ。黄沙羅も図書館から旅立つっていうし」
「えっ。黄沙羅さんが? それ本当?」
蒼矢が丸めたティッシュを適当に放る前にゴミ箱を運んできていた黄沙羅は、問われるとあっさり肯定するように頷いた。
「どうしてまた急に……」
「そんな顔をするな、睦月。僕は……皆のおかげで『家族』の大切さを知る事が出来たんだ」
自分が『異説』という特異な場所から生まれた限り、『原作』生まれの者達よりも愛されない。軽んじられ、適当に消費され、忘れ去られる。
だから自分は捨てられたのだと、境界図書館に現れた当初の神郷 黄沙羅は
「だからこれからは、僕に似た境遇の物語の住人を助けてまわりたいんだ。物語が滅びて行き場を失った人、異説生まれで立場の弱い人達をね」
「一応言っておくが、俺は止めたからな」
山積みの本を抱えて司書室から顔を出した 神郷 赤斗はやれやれと言った様子で肩をすくめる。
「えー、じゃあ赤っちは、あーしとちっひーの帰郷も止めるつもりぃ?」
「どうせお前さんらは止めても行くだろ。…………俺もまぁ、寂しいっちゃ寂しいけどな」
そっかーとニコニコする日向。赤斗はというと耳を赤くしたまま史之の腕を引っ張って輪の中から離れた。
「つうか、史之よ。そろそろグラオ・クローネの時期だろ。どうすんだよ、去年盛大に歳の数プレゼント贈ったんだろ」
「窮地に陥ったら全然別の話題でなんとか逃げようとするところ、赤斗の悪い癖だよ」
「しーちゃんと赤斗さん、何話してるの? もしかしてまた後ろ暗い仕事の話じゃないよね?」
「そ、そんな事しないよカンちゃん!」
赤斗と史之のひそひそ話に睦月も加わり、いつの間にやらぎゃあぎゃあと騒がしくなっていく。
そんな賑やかなやり取りを、優雅にティーカップで紅茶を飲みつつ優雅に見守る女がいた。ロベリア=カーネイジである。
「――! ロベリア殿、いつの間に!?」
「さっき。それより千尋。日向と元の世界に帰るって本当?」
「嗚呼。戦勝を祈っていて欲しい」
「フフ。そうね、たまには元聖女らしく願掛けしてみましょうか。帰る者、残る者。貴方達の決断はどれも貴方に相応しい」
――だからその決断が、特別なものでないと。
珍しく毒のない笑みを浮かべるロベリアを見て、黄沙羅と蒼矢が「ひっ」て声を出した。
「二人とも、後で覚えていなさい?」
途端に言い訳しだす二人から睦月がさり気なく視線を外すと、日向がきょろきょろと本棚の後ろを確認しているのが目に入る。
「どうしたの、ちひろ」
「やー、まぁこういう輪の中に自分から入ってくる奴じゃないと思ってたけどさー、本家様も気になるっしょ?」
……というのは、グリム=リーパーの事だろう。ウワサをすれば何とやら。はたまた呼ばれた事を察したか、いつの間にやら整列された本棚の暗がりから、スッと鎌を持った長身の男が青白い顔を覗かせる。
「私に用か」
「用っていうか、しばらく会えないかもしれないし、顔ぐらい見せに来てもいいじゃん」
「つくづく変わり者だな、貴様は。折角の門出に死神が現れたら不吉だろう」
「グリムさん、二人に気をつかってくれたんですね」
睦月のポジティブな感想に、グリムは鋭い目をスッと細めた。
「……私は、物語を刈り取る性質を持っていた。悪意なく人の人生を壊す私が、ここに来てマトモな人間の扱いをされているのだ。慎重にもなる」
素直な言葉に日向と睦月が顔を見合わせてみると、グリムは再び闇の中へと紛れるように消えていった。
「せいぜい、生き続けろ。いずれ迎えが必要となった時は、また――」
「おーい、二人とも!」
死神の言葉をかき消す元気な声。蒼矢が笑顔で駆け寄って来る。
「
滅びを退け、幸せを運び続けた四人。そのたどり着く先はきっと、どんな場所でさえ物語の様なしめくくりが待っているだろう。
――そうして皆、幸せに暮らしましたとさ。