PandoraPartyProject

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音楽は鳴りやまない。或いは、真昼に見た夢と夢の続き…。

登場人物一覧

イズマ・トーティス(p3p009471)
青き鋼の音色
イズマ・トーティスの関係者
→ イラスト

●we will
 絢爛な街中に、ポツンと忘れ去られたような薄汚れた建物。時代に取り残されたみたいに前時代的な建築様式のところどころに、真新しい改修の痕跡が残っていた。
 建物の前に置かれた平台に、幾つもの花束とウィスキーのボトルが乗っている。建物を訪れた者たちが、鎮魂の祈りと共に捧げて行ったものだろう。
「スタジオ“エクスペリエンス・ガガ”……かつて伝説とまで謳われたギタリストが、死の直前に建てた収録スタジオだよ」
 そう言ってイズマ・トーティス (p3p009471)は、近くの露店で買ったばかりの花束を献花台へそっと寝かせた。
 目を閉じ、先達の冥福を祈るイズマの隣にそっと並ぶ者がいる。それは白い女であった。ただそこにいるだけで、凛と空気が冷えるような怜悧な美貌に、今はほんの少しだけ憂いが滲む。
「たった10週間……いえ、その後に著名な音楽家たちが多く利用したことを思えば、少しは報われたのかしら」
 今は亡き音楽家の気持ちを想い、彼女……ヴァインカル・シフォ―は首を傾げた。
 死者は言葉を語らない。
 言葉を語る口も、声も持っていない。
 それでも“エクスペリエンス・ガガ”を見上げていると、死者の遺した思いの一端に触れているような錯覚に陥った。献花台に捧げられた花束や酒瓶、足元の地面を通じて響く誰かの演奏……遥か昔から今まで続く“音楽”の歴史が建物という形を成して、2人の眼の前に聳えている。
 と、それはともかく……。
「……さて、ここなら楽器は揃っているだろうけど」
「流石に有名なスタジオね。しばらく先まで予約でいっぱいだわ」
 ここで演奏は出来そうにない。

「ストリートライブを演ってみない?」
 ある夏の日のことだ。
 海洋のとある孤島で行われた音楽祭に遊びに出かけた帰り道、イズマはふと隣を歩くヴァインカルへ、そんな誘いを投げかけた。
 ヴァインカルは「たまにはそういうのも楽しそう」と、存外に前向きな返答。気を良くしたイズマだったが、さて大変なのはここからだ。
 イズマとヴァインカル、共に仕事に忙殺されていつの間にやら二カ月以上の時間が経過していたのである。
 どうにか互いに仕事の都合をつけ、そしてやっと今日に至る。
 奇しくも2人が“ストリートライブ”の会場として選んだ街は、夏の音楽祭の会場であった海洋の孤島“ロック・ストック”。
 多種多様な楽器を操り、多岐にわたるジャンルの音楽に知見を持つイズマはともかく、ピアニストであるヴァインカルにはあまり縁のない島である。 
 何しろ、この“ロック・ストック”という孤島で好まれているのは、所謂“ロックンロール”と呼ばれるジャンルの音楽であるためだ。
「別にロックも嫌いじゃないけれどね」
「ピアノだって使う時には使うだろうしな。その証拠に、街のあちこちにストリートピアノが設置されている」
 ピアノやドラムは、多くの音楽演奏において使用される楽器の代表である。そして、大型で持ち運びに不便な楽器の代表でもあった。
 オーケストラともなれば、チェロだとかコントラバスだとか、持ち運びに多大な労が伴う楽器は他にもあるが……しかし、やはりピアノやドラムほどではない。
 だから、というわけでも無いのだろうが、街の所どころに設置されたピアノの周囲には、既に人だかりが出来ていた。イズマたちのように、ストリートライブを行っている音楽家たちがいるのだろう。
 空いている演奏場所を探して、イズマとヴァインカルは当てもなく街を彷徨い歩く。
「あー……ヴァインカルさんは最近どう? 混沌世界が安泰になって何か変わったか?」
 沈黙に耐えかねて……というわけでも無い。退屈凌ぎのちょっとした雑談だ。
 実際のところ、イズマにせよヴァインカルにせよ、この演奏場所を探して街を散策する時間を“退屈”だとは感じていない。
 街の至るところから、音楽が聴こえているからだ。
 音楽さえそこにあれば、2人はそれで幸せだった。
「何か変わったか、と言われてもね。以前と同じ毎日の繰り返し……かしら。朝起きて、ピアノを弾いて、昼食を食べて、ピアノを弾いて、時々本を読んだりして」
 混沌世界が安寧を取り戻す以前から、ヴァインカルはそんな風に生きていて、そしてきっと彼女はこれから先もずっと“孤独な蛮族”として生きていくのだろう。
 ピアニストとはそう言うものだ。
「そうか。まぁ、大変な目に遭ってはいないようで安心したよ」
 初めてイズマが、ヴァインカルと出逢ったのは“曰く付きの楽曲”に関わる依頼の途中。
 あれはもう、何年ぐらい前だったか。
 つい先日のことのようにも思えるし、ずっと昔の出来事であったような気もする。あれから先も色々な事件があって、多くの困難を乗り越え、幾つもの死線を潜って来たのだ。
 思えば遠くに来たものだ……なんて、昔を懐かしむにはまだ早すぎる気もするが。
「俺は音楽をしながらローレットの依頼も受けてるが、何とも穏やかな世界になったものだ」
 ともあれ、世界は今日も回っている。
 耳に聴こえる音楽こそが、イズマやその仲間たちが守り通したものであると、そんな実感にイズマは鋼の拳を握った。

 結局、数時間ほど歩き回ってストリートライブに良さそうな場所は見つからなかった。
「君のことを、無口で剣呑でとっつきづらいと楽団の人は言ってたが」
 演奏場所が見つからないのでは仕方がない。ちょうど昼食の時間に差し掛かったこともあり、2人は街の外れにあった小さな喫茶店で少し長めの休憩を取ることにしていた。
 パスタとサラダの簡単な食事を終えた後、2人で静かに食後の珈琲を楽しんでいる。その中でふと、イズマは自身の想いを舌へと乗せた。
「裏表も余分な飾り気も無く向けてくれる鋭さはむしろ心地良い」
 ヴァインカルは黙したまま、イズマの話に耳を傾けている。
「俺という音楽家の本性は頑固で我儘な生き物だと気付いて……だからこそ、それを意に介さない孤高な同類に惹かれたのだろう」
 淡々と言葉を紡ぐイズマの様子に、ヴァインカルはほんの僅かだけ口元を緩めた。
 イズマという男が、次に何を口にするのか。
 それを楽しみにしているような様子であった。
「一つ心配があるとすれば、俺が近付いたことで“孤独な蛮族”が弱くならないかということ。……愚問か?」
 空のカップをテーブルに置いて、ヴァインカルは肩を竦めた。
 そして、彼女はいかにも野蛮な戦士の笑みで言葉を返す。
「ピアニストよ? いつだって、いつまでだって、ステージの上では孤独に決まっているじゃない」
 
 冷たい風に吹かれながら、2人は海辺を歩いていた。
 目的地は無い。
 強いて言うなら“演奏するのにちょうどいい場所”が2人の目指すとことだろうか。
「俺は見ての通り鉄騎種だが、ヴァインカルさんは何の種族なんだ?」
「人間種よ。ごく当たり前の両親から生まれた、ごく当たり前の人間種」
 なぜそんな質問を?
 視線でそう問うヴァインカルに、イズマは少しだけ困ったような顔をした。
「いや、本題は別で……えぇと、その……誕生日を知りたくて。大層な話じゃない。”おめでとう”の一言くらいは言いたいってだけだ」
 ふむ、と少しだけヴァインカルは思案する。
「8月15日。でも、私の本当の誕生日は数年後……私が5つの時の、8月16日だと思う」
「? それはなぜ?」
 意味の分からない回答にイズマは「おや?」と首を傾げた。
 ヴァインカルは足を止め、視線を海の方へと向ける。
「夏の暑い日の夜に、音楽が私のところにやって来たのよ。眠れない夜に、誰かが弾いていたピアノの旋律が聴こえて来たの。もう、なんの曲を演っていたかも覚えていないけれどね」
 孤独な夜の静寂に響くピアノの音色は、まるで慟哭のようにも聴こえたし、或いは、孤独な戦士の咆哮のようにも聴こえた。
 ともあれ、あの日にヴァインカルは“孤独な蛮族”の道を歩き始めたのだろう。
「…………」
 イズマは思わず口を噤んだ。
 イズマが次の言葉を探している間に、2人の背後から拍手の音が聞こえた。振り返った2人の前には、背の低い老人が立っていた。

 指の皮が厚くなった演奏家の手で、老人は2人に……否、ヴァインカルへと拍手を送っていた。全ての指に、大粒の宝石が飾られた指輪をはめているのが特徴的だった。
「貴方は?」
 訝し気な顔をしてイズマは問うた。
「音楽家なんだろう? 屋上に行ったことはあるか?」
 老人は、イズマの問いに答えずに自身の背後の古い建物を指し示す。
 一見するとホテルのような建物だ。
 林檎のように真っ赤に塗られた煉瓦の壁に、緑の蔦が這っている。蔦を辿って見上げた先に、老人の言う“屋上”があった。
「演ってみないか? 南西に伸びる街の景色を眺めながら、ちょっとしたコンサートを。この“ロック・ストック”全域に向けて、君たちの演奏を響かせてみないか?」

●Rock You
 怪しい老人の導きで、2人は建物の屋上に昇った。
 屋上に設置された1台の古いピアノ。ヴァインカルが、白と黒の鍵盤に、そっと指を触れる。ポォン、とノイズ混じりの音が響いた。
 1つ、2つ……ヴァインカルがピアノの音を響かせる。
 音と音の間に、イズマはそっとドラムを重ねる。
 イズマのドレイク“チャド”が運んで来たドラムセット。シンバル、ハイハット、スネア……少し湿った潮風がピアノとドラム、2つの音を“ウッド・ストック”の街へと運ぶ。
 題目は無い。
 2人の奏でる音楽は、この世のどこにも存在しない曲名の無い“音の濁流”。
 ただ、音を重ねただけのジャムセッション。
 セットリストなんて存在しない。
 鳴らしたい音を鳴らして、重ねたい音を重ねて、音と音を響かせて……音を楽しむだけの時間が流れ過ぎていく。
 まるで濁流のように。
 或いは、坂道を転がり落ちる岩のように。
 あっという間に、時間は過ぎ去っていくのだ。
 そうして、どれだけの時間が過ぎただろうか。
 数分だったかもしれないし、数十分は演奏を続けたかもしれない。
 いつの間にか、老人の姿は何処にも無かった。
 まるで白昼夢のように、最初からそんな者なんてどこにもいなかったかのように、すっかり姿を消していた。
「なんだったんだ?」
 老人の姿が消えていることに気付いて、イズマは不思議そうに首を傾げた。
「さぁ? でも、どうだっていいわ」
 音楽を続けていれば、不思議なことの1つや2つはあるものだ。
 例えば、このホテルにしたってそうである。
 屋上の床はひび割れて、窓ガラスは割れていて、建物の壁は蔦だらけ。宿泊客は愚か、従業員の姿さえ、思えば1人も見ていない。
 ヴァインカルが弾いていたピアノだって、とてもじゃないが音の出るような状態じゃなかった。弦は錆び付き、鍵盤は腐りきっている。
「慣れたつもりでいたが……不思議なことも、あるものだな」
 そう言って首を傾げるイズマを見ながら、ヴァインカルはくすりと笑った。

 青空の下のコンサートは終わった。
「少し、いいだろうか」
 西の空が、夕陽に赤く染まる頃、イズマは意を決したようにヴァインカルへと言葉をかけた。
 壊れたピアノの鍵盤に手を触れたまま、ヴァインカルはイズマの方へと顔を向ける。
 イズマは少しだけ言葉を選ぶような素振りを見せた後、こんな言葉を口にした。
「君の気持ちを察して、良いタイミングで指輪でも出すのが筋なんだろうが……難しいな。俺から急かすのは無粋だし」
 それは、イズマなりのプロポーズであっただろうか。 
 或いは、契約を結ぶための言葉であろうか。
「良い時になったら教えてくれると嬉しいよ」
 きっと、ヴァインカル以外の誰が聞いても、イズマの言葉の意味するところは……その本心は、伝わらなかっただろう。
 けれど、一人だけ。
 ヴァインカルにだけは、イズマの想いは伝わった。
「そうね。その時はまた、どこかで演奏でもしましょう」
 なんて、言って。
 ヴァインカルは鍵盤から指を離した。
「イズマ君、どうぞそれまでよろしくね」
 ハンマーが弦を叩く弾んだ音が、風に吹かれて運ばれて行く。




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