PandoraPartyProject

SS詳細

移動砦ティラミス。或いは、目的ある冒険と闘争の日々…。

登場人物一覧

オリーブ・ローレル(p3p004352)
鋼鉄の冒険者

●泥塗れの手紙
 雪深き雪原を抜けた先。
 吹雪の中に、赤い炎が揺らいで見えた。
 ごう、と音を立てて吹き荒れる雪と暴風。とてもじゃないが、生物が活動できる限界を超えた過酷な光景がそこにある。
 そんな過酷な雪景色の中、では何故どうして炎の明かりが見えるのか。
 簡単な話だ。
 生物が暮らしていけぬ過酷な土地に、暮らす生物がいるのである。
「ふむ……この手紙が落ちていた、と」
 立派な天幕の前に立ち、泥に塗れた手紙を受け取る背の高い女の姿がった。白と黒の2色が混ざる長い髪を吹雪に激しく躍らせながら、女は手紙の封を切る。
 しばらくの間、女が片手で眼鏡を押さえて手紙の文面に素早く目を走らせていた。
 やがて、彼女は……セクレタリは安堵混じりの吐息を零す。
「移動砦“ティラミス”ですか……彼女たちは、どうやら楽しく暮らしているようですね」
 なんて、言って。
 セクレタリは笑うのだった。

●移動砦“ティラミス”
 カカ、と地面を叩く音が響いた。
 軽く小気味の良い音が、夕焼けに赤く染まる荒野に鳴り響く度に、地面が“ぱっ”と爆ぜたみたいに砂煙を巻き上げる。
 赤い空を背に、荒野を駆ける細い影。
 露出の多い薄い衣服を身に纏った2人の女だ。だが、奇妙なことに彼女たちの足は膝から下がまるで猛禽のように細くなっている。
 靴を履かないその足には、鋼鉄さえもバターのように引き裂けそうな鋭い爪が生えていた。その爪で地面を蹴って、彼女たちは矢よりも速く走っているのだ。
「エミュー。まだ見えないか?」
「まだ見えない。クアッサリーはもう疲れたか?」
「まさか。だが、暗くなる前に戻って来いとオリーブはそう言っていた」
 赤い髪をした女の名はクアッサリー。
 青い髪をした女の名はエミューと言った。
 彼女たちの身分は新米の冒険者。
 歴戦の“冒険者”オリーブ・ローレルとパーティを組む、辺境生まれの姉妹である。
「暗くなる前に帰還しろ、か」
 そう言ってクアッサリーは、ちらと西の空に沈む太陽を見た。
「じゃあ、暗くなる前に目当ての砦を見つけなければ」
 クアッサリーの視線を追って西の空へ目を向けながら、エミューはくっくと肩を揺らした。
 かくして2人がオリーブの元に帰還したのは、深夜も深夜……空がすっかり暗くなり、日付も変わる頃のこととなるのであった。

 時刻は少し遡る。
「ひとつ、訊かせてもらいたい」
 地面に倒れた青年の背に腰かけたまま、オリーブは静かな声でそう問いかけた。
 青年の首には無骨な剣が押し当てられている。少しでもオリーブが力を加えれば、刃は容赦なく青年の頸動脈を傷つけるだろう。
「ふざけるな! 私が誰か理解していて、こんな真似をするんだろうな!?」
 貴族風の衣装を土に汚した青年が、慌てた様子で怒鳴り声を上げる。“風”とは言ったが、その青年の素性はまさしく鉄帝貴族である。
 それを地面に蹴倒して、首に剣を押し付けるなどいかにオリーブが名の知れた冒険者であったとしても、本来であれば到底に許されることでは無かった。
「もちろん知っていますよ。シルヴァ・ブロン卿……貴方の身分も、ついでに言うなら“裏で”行っている非道まで、何もかも」
 ギリ、とオリーブの手に力がこもった。ほんの僅かに剣が傾き、貴族の青年……シルヴァ・ブロンの首の皮を薄く斬り裂く。
 首から流れた赤い血が、地面にポタリと滴り落ちてほんの小さな染みを作った。
「……しょ、証拠はあるのか? 証拠も無しにこんな狼藉……どんな目に遭っても文句は言えんぞ?」
 そう言ってシルヴァ卿は、視線を周囲に巡らせた。
 だが、幾ら彼が視線を巡らせたところで視界に入るのは荒れ果てた荒野と、既に意識を失った“護衛たち”のみ。
 この場において、シルヴァ卿を助けようとする者は1人もいない。
「貴方が無実であったなら、なるほど自分は破滅でしょうね。どんな目に遭っても文句は言えない……その通りです」
「だ、だったら!」
「では、貴方が無実で無かったとしたら……さて“どんな目に遭っても文句は言えない”のは、果たして自分と貴方のどちらでしょう?」
 さぁ、とシルヴァ卿の顔から血の気が引いた。
 誰の助けも期待できない荒野の真ん中。頼りの護衛は既に戦闘不能に陥っており、逃げようにも背中を押さえつけられていては立ち上がることさえままならない。
 加えて、シルヴァ卿は“後ろ暗い目的”のために、信用できる僅かな護衛だけを引き連れ、荒野を移動していたのだ。
 誰も、今日この日にシルヴァ卿が荒野に居ることなど知らない。
 例えば、この場でオリーブがシルヴァ卿の首を刎ねたとしても……ついでに護衛も纏めて始末してしまえば、完全犯罪の成立である。
「は、話せば……」
「話せば分かる。交渉の余地があるはずだ……そんな言葉を聞きたくないので、自分は貴方の首に剣を突き付けているわけです。理解できていないようなので、詳しく説明しますが」
 トン、とシルヴァ卿の前に誰かが立った。
 鋭い爪を生やした猛禽の足。見上げた先には、同じ顔をした背の高い翼種の女性が立っていた。
 つい先ほど、あっという間にシルヴァ卿の護衛たちを“蹴り倒した”女たち。その後はシルヴァ卿の乗って来たオンボロ馬車を検分していたはずだが、どうやらそちらは終わったらしい。
「お、おま……」
 シルヴァ卿は、それ以上の言葉を口に出来なかった。
 自分を見下ろす2人の女性、その瞳があまりにも冷たい怒りに染まっていることに気が付いたからだ。
 もしもオリーブが、2人を制御していなければ……彼女たちは、シルヴァ卿の五体を引き裂き、地面の染みになるまで踏み潰すだろう。シルヴァ卿は、それを正しく理解した。
 暴力と体力が物を言う弱肉強食の世界において、彼はあまりに無力であった。
「質問するのは自分“たち”で、貴方はただ答えるだけです。これが理解できたなら、速やかに質問に答えてくださいね」
 そうすれば、この場で命を奪うような真似はしません。
 そんな言葉を囁かれ、もはやシルヴァ卿の心からは抵抗の意思などすっかり失われてしまう。
 かくしてオリーブたち一行は移動砦ティラミスの現在位置を知ったのだった。

 移動要塞ティラミス。
 “奴隷売買組織の拠点”と名高き、鉄帝の大型建築物である。
 その名の通り、絶えず人目に付かない場所を移動しており、通常は顧客たちにもその現在位置は分からない。
 曰く、数ヵ月から半年に1度の割合で大規模なオークションを開催する時にだけ、顧客たちには一通の黒い手紙が届くらしい。
 その手紙に記された情報はひどく簡素で、日時と場所の2つだけ。
 指定の日時に、指定の場所へと手紙持参で出向くことで顧客たちは“奴隷オークション”に参加できるというわけだ。
「そして、この手紙が入場券代わりになる、と。シルヴァ卿曰く、手紙を持ってさえいれば、身元の確認などは一切されないと言う話でしたが……」
「嘘だろうな」
「出鱈目に決まっている」
「まぁ、ですよね」
 もうあの時点でシルヴァ卿の破滅は確定的であった。そうなれば、素直にすべてを白状するより、多少の嘘を交えた情報を教えることで、オリーブたちを破滅の道連れにしようと考えるのは当然。
 世の中には、自分の身の安全など度外視してでも、他者に損害を与えずにはおれないちょっとアレな輩と言うのが、存外に多くいるものだ。
「ふむ……とはいえ」
 夜の荒野。
 少し小高い丘の上から、遠くに佇む“移動要塞”を眺めつつオリーブたちは言葉を交わす。シルヴァ卿からティラミスへの招待状を奪取した後、クアッサリーとエミューが必死に荒野を駆け回り、やっと居場所を発見したのだ。
「ティラミスは犯罪者たちの巣窟です。防衛機構は当然のように備えているでしょうし……」
「手紙を持参で正面から乗り込む?」
「防衛機構を警戒しながら忍び込む?」
 少しだけ思案した後、双子は呵々と凶暴な笑みを顔に浮かべた。
「「どっちでも同じことだな」」
 真正面から乗り込むにせよ、こそこそと忍び込むにせよ、最終的に至るところは変わらない。もしもティラミスに、誘拐された同胞が捕らわれているのなら。
 怒りに任せて暴れ倒して、同胞を助け出す他に選択肢などないのだから。
 
 かくして3人は、夜明けと同時にティラミスへと向かうことにした。
 なお、先だって捕縛したシルヴァ卿は同行していた鉄帝の冒険者……曰く、オリーブの同輩たち……にその身柄を預けている。素行の悪い冒険者たちに囲まれて、きっと今頃は居心地の悪い思いをしているに違いないが、そんなシルヴァ卿の心境にまで思いやりを向けるほど、オリーブや双子たちは心優しい性質ではない。
 ティラミスの入り口……正確には、巨大なタイヤを連結させた駆動部の後方ハッチには、ローブを纏った怪しい男たちがいた。
 ティラミスの警備を担当する人身売買組織の組員たちだろう。
 警戒した様子で、男の1人がオリーブたちに近づいて来る。
「招待状は?」
 ぼそり、と囁くような問いかけ。
 数メートルも離れているのに、その声ははっきりとオリーブの耳に届いた。きっと、声を遠くに届けるような技能を有しているのだろう。
 オリーブは、そんな技能を有する輩に少しだけ心当たりがあった。
 暗殺や諜報を主任務とする者たちが、似たような技能を有しているのを見たことがある。警戒を少し強めながら、オリーブは背後に並ぶ双子に向かって腰の後ろでハンドサインを送った。
 警戒、および制止の合図だ。
 クアッサリーとエミュー……“強き脚の戦士”を名乗るこの双子、どうにも素行と思慮に難があることを、オリーブはよく知っている。
 実力は高く、野性的な勘にも優れる。だが、代わりと言ってはアレであるが、些か思考が短絡的に過ぎるのだ。まず暴れてから考えよう、気に入らないから蹴り飛ばそう、叩き潰せば万事上手くいくだろう……そんな策とも呼べぬ策をもって“上等”と判断するところが彼女たちにはあった。
 今だって、あらかじめオリーブが制止の指示を出していなければ、すぐにでも飛び出して護衛たちと戦闘を開始していたはずだ。
「あぁ、手紙なら此処に。この2人は自分の護衛です。確認を」
 そう言ってオリーブは、シルヴァ卿から“強引に”預かっていた黒い封筒を差し出した。
 警備の男は、無言で手紙に目を通す。
 オリーブたちには見つけられなかったけれど、きっと手紙の何処かにはそれが本物か偽物かを判別するための仕掛けが施されているのだろう。
 長い時間をかけて手紙のチェックを終えた警備の男は、無言で扉の脇へと退く。通れ、ということなのだろう。
 一瞬だけ視線を交わして、オリーブと双子たちはティラミスへの入場を果たした。

 ティラミスで行われている商いは、大きく以下の2つに分類される。
 1つは、奴隷の売却。
 何処かで捕まえてきたり、他の顧客から売られたりして獲得した奴隷を、オークションの形式で売るというものだ。
 そしてもう1つは、奴隷の買い取りである。
 これは、顧客から“もう要らなくなった”奴隷を買い取り、別の顧客へと売り払うというものだ。
 とはいっても、ほとんどの場合、上記2つの商いは同じ時、同じ場所で行われることが多い。
 さて、暗い通りを進んだ先にはティラミスの大部分を占めるオークション会場がある。会場の奥、一等暗い場所を選んで席に就いたオリーブたちは、オークションの開始を待っていた。
 既に会場には、10名ほどの顧客とその護衛達が集まっている。
 会場の広さに比べると、顧客の数は非常に少ない。と言うよりも、そもそもティラミスの“顧客リスト”に乗っている者があまり多くはいないのだ。
 顧客が少なければ、ティラミスの存在が表に知られるリスクも減る。
 集まっている顧客たちは、きっと全員がとんでもない資産家や権力者たちなのだろう。
「客が少ないが……売れなかった奴隷はどうなる?」
「処分されるか? それとも、別のルートで安く売りさばかれるか?」
 こそこそと声を潜めて双子は問うた。
「両方、ですかね。でも、たぶん“売れ残る”ことは滅多にないですよ。そもそもこの場で売れないような奴隷なら、オークションには出しませんから」
 なんて、あまりにもあまりな“現実”についてを話している間に、オークションの開催時刻が近づいた。
 スポットライトを浴びながら、壇上に歩み出る1人の男。
 仮面を被った痩身の男だが、その足運びや立ち姿から“かなりの実力者”であることが窺えた。
「ようこそ」
 低い……けれど、よく通る声で男は告げる。
「早速、本日の商品をご紹介しましょう」
 無駄な会話を挟むようなこともなく。
 至って静かに、そしてひっそりと奴隷売買オークションは始まった。

 屈強な男性に、見目麗しい美男美女。
 オークションに“出品”されている奴隷たちは、意外なことに“ちゃんとした”衣服を身に纏い、健康状態も良さそうに見える。
「奴隷と言えば、もっと酷い扱いを受けていると思ったが」
「見目はいいな。まぁ……表情はもう、この世の終わりのようではあるが」
 “出品”されている奴隷たちを見ながら、クアッサリーとエミューはそんな感想を零した。存外に冷静そうだ……そう思って、2人の方へ視線をやったオリーブは、次の瞬間に“ぎょっ”と目を見開くことになる。
 クアッサリーとエミューの足元……石造りの床に罅が入っているのに気付いたからだ。
 どうやら“合図があるまで飛び出すな”というオリーブとの約束を守った結果、そんなことになってしまっているらしい。
 きっと、本音では今すぐにでも飛び出して、オークションを滅茶苦茶にしてやりたいのだろう。2人と共に冒険者として過ごす毎日の中で、オリーブは双子の性格や信念のようなものを理解し始めている。
 彼女たちのような純粋な者たちが心穏やかに過ごすには、混沌世界はどうにも火種が多すぎるのだ。
 と、それはともかく……。

「さぁ、お次の商品です。こちら、つい先日に捕らえたばかりの翼種……それも、ただの翼種ではありません。見目は良く、頭も悪くない。そして何より驚嘆すべきは、その脚力! なんと、捕獲の際にはティラミスの手練れが4人も病院送りにされてしまったとか!」

 オークションの開始から1時間ほどが経過した頃。
 やっと、オリーブたちの目当てがステージ上へとあげられた。
 スポットライトの中に佇む小柄な2人の女性たち。
 スポットライトの光に全身を照らされながら、会場に居並ぶすべての“客”を睨み殺さんばかりの鋭い眼差しをした女たちである。
 その姿を目にした瞬間、クアッサリーとエミューの纏う“空気”が変わった。
「っ……クー、ミュー」
 慌てて2人を制止しながら、オリーブは声を低くする。
「彼女たちですか?」
「あぁ……カカッポとドゥードゥー、妹分だ」
「生きていたのは喜ばしいが……随分な目に遭ったらしい」
 硬く握った2人の拳が、ギリ、と軋んだ音をたてた。
 ステージにいる2人の女性……カカッポとドゥードゥーは傷だらけだった。その全身には、まだ血の滲む包帯がぐるぐるに巻きつけられている。
 きっと、激しい戦いの末に捕獲されてしまったのだろう。
 あの傷は、彼女たちが必死に生きようと足掻いた証に他ならない。
「……であれば、決まりですね」
 そう呟いて、オリーブは席を立ちあがる。
 オリーブに続いて、クアッサリーとエミューも立ち上がった。立ち上がると同時に、2人は座席の背もたれに足をかける。よほどに“そうしたかった”のだろう。あまりにも迅速かつ迷いのない動作に、指示を出したはずのオリーブが一瞬、2人の位置を見失うほどであった。
「……作戦開始です。暴れましょう」
 オリーブが、その言葉を言い終えるよりも一寸早く。
 だん、と椅子を蹴り砕き、2人の猛禽が飛び出した。
 “強き脚の戦士”。
 クアッサリーとエミューの故郷では、彼女たちのような戦士職を指してそのように呼称する。由来はもちろん、その強靭無比なる鳥脚と、鳥脚から繰り出される蹴りによるものだ。
 疾走のついでとばかりに、2人は客席とステージの間に居た“顧客”を踏みつけにした。ただ、その頭や肩を足場にしたというだけの話だが、鋭い爪を備えた彼女たちにかかれば、それだけで大怪我を負う者もいる。
 ほとんどの観客は、オークション会場に吹き荒れた“風”が双子によるものだとは理解出来なかっただろう。だが、彼女たちの疾走に迅速に対応した者たちがいるのも事実。
「……っ!? なんだ貴様ら!?」
「わっ……どこから出て来た!」
 双子がステージに辿り着く寸前、彼女たちの進路を数人の男女が封鎖する。身体に張り付くような黒い衣服に、シンプルな白い仮面を被った集団だ。商品や顧客を傷つけないようにという配慮か、全員が短剣と鎖を携えているのが特徴的だ。
 姿を隠し、気配を消して、ずっと会場の各所に潜んでいたのだろう。
 つまり……。
「襲撃者を討つと同時に、退路を塞ぐ……用意周到なことですね」
 咄嗟に床へ身を投げながら、オリーブは小さな舌打ちを零した。刹那、つい数瞬前までオリーブの首があった場所を、黒く塗られた短剣が通り過ぎていく。
 双子の同行者であるオリーブを……つまり“奴隷誘拐”の下手人たちを討ちとるべく、オリーブの元にも数人の警備隊が迫っていたのだ。
 加えて、1つしかない会場の出入り口には10人ほどの黒服の姿。オリーブや双子を、会場から外に逃がさないためのバリケード。
「救出は彼女たちに任せる他にないですね」
 素早く状況を理解したオリーブは、自身の役目を“退路の確保”に定めるのだった。

 ティラミス警備隊の男……とくに最初にオリーブへと斬りかかって来た男はかなりの実力者であった。幾度もの視線を乗り越えて来たオリーブをして“強敵”だと感じさせるほどの身のこなしに、好機と見れば一気呵成に責め立てて来る判断力は、1人の冒険者……つまりは戦いの場に身を置く者として、見習うべき点が多いと思ってしまうほどである。
「とくに視線の誘導が上手い……やり辛い相手です」
 男が振り回す鎖を剣の腹で受け流しながら、オリーブは冷や汗を流す。迂闊に剣で受け止めてしまえば、きっと一瞬の間に鎖に絡めとられてしまうと思ったのだ。
 もし、この男と相対したのがオリーブではなくセクレタリやエミューだったら。
そう思うと、背筋が粟立つ。
 セクレタリやエミューは実力者だ。毎日のように顔を合わせ、冒険の日々を送る中で、オリーブは彼女たちの実力を高く評価するに至った。
 それでもなお、彼女たち2人がかりでも目の前の男には勝てないだろう。
 体力や体格では、クアッサリーやエミューが勝る。
 だが、勝敗は何もフィジカルだけで決まるものではない。双子と男では、単純に踏み越えて来た場数が違いすぎるのだ。
 双子のような素直な相手など、きっと目の前の男にとっては絶好の鴨に過ぎないだろう。オリーブとて、斬り合いの中で何度もかつて共に混沌世界を旅した仲間たちがいてくれればと、そんなことを考えたほどだ。
「ですが……負ける道理はありません」
 肩を、脇を、背中を裂かれて血を流す。
 血を流しながら、オリーブは自身の思考が徐々に冷えていくのを感じた。
 だが、決して心の熱が冷めたわけではない。
 むしろ、どうすれば眼前の男に勝利できるか……オリーブの頭の中は、そのことで一杯だった。
 そして、思考に思考を重ねた末、オリーブの辿り着いた答えは……。
「貰った」
 好機に悦するわけでも無く、勝利を誇るわけでも無く、ただ淡々と男は自分の“仕事”をこなす。
 オリーブが剣を落とした瞬間を見計らい、一瞬の間に男はオリーブの懐へと潜り込んだ。視界の隅で、黒く塗られた短剣が振るわれる様をオリーブは黙って見つめていた。
 黒い短剣が、オリーブの腹部を貫いた。
 肋骨の間から差し込まれた短剣は、まっすぐにオリーブの心臓を抉る。
 否、抉ったはずだった。
 けれど、しかし……。
「なに!?」
「目がいいようなので。きっと、そう言う風に動くものと思っていました」
 男の剣は確かにオリーブの腹部へ突き刺さっている。
 だが、その刃は半ばほどで停止していた。鋭く研がれた切先は、オリーブの心臓にまで届いてはいないのだ。
 オリーブの剣が……正確には剣の鍔が、短剣の刃を食い止めていたのだから。
「こう見えて、自分もそれなりに“歴戦”なもので」
 落としたはずの剣が、どうしてオリーブの手の内にあるのか。
 簡単な話だ。取り落とした剣を、オリーブは爪先で蹴り上げたのである。
 後は、さっきまでとは逆の手で蹴り上げられた剣の柄を掴むだけ。オリーブの心臓に意識を向けていた男は、剣を落とし、蹴り上げ、掴み取るという一連の動きを視認出来ていなかったのだ。
 一閃。
 オリーブが剣を振り抜いた。
 黒い短剣が砕け散り、男の肩から腹にかけてが深く斬り裂かれる。
 飛び散った血飛沫が、オリーブの顔を朱色に濡らした。
 ゆっくりと男は床へと倒れ……。
 その頃には既に、残りの警備隊たちはクアッサリーとエミューによって壊滅させられていた。

「それで、どうして上にあがるんだ?」
「逃げるなら下じゃないのか?」
「そもそも、この砦は動いているが?」
「降りられるのか? そこそこ速いが?」
 ティラミスの上部へと至る階段を、オリーブと双子、そして救出した奴隷たちが駆けあがる。息を切らせる奴隷たちとは違い、クアッサリーとエミューの顔は余裕そのもの。
 体力と、足腰の強靭さが違うのだ。
「他の冒険者仲間にも応援は頼んでいます。放っておけば、そう遠くないうちに砦は陥落するでしょうね」
「……つまり? 砦が陥落するまで安全な場所で待機か?」
「いいのか? 罠が……それこそ、火薬の類が仕掛けられているんじゃないか?」
 首を傾げる双子に、オリーブは苦い笑みを返した。
 ティラミスを運営する奴隷商人はかなりのやり手だ。万全に万全を期したうえで、さらに不測の事態に備えた罠や策を張り巡らせていても全く不思議ではない。
 それこそ、エミューの言うように火器火薬の類程度はきっと仕掛けられている。
 もうティラミスが終わりとなれば、奴隷ごと侵入者を爆殺するために。
「だから、その前に逃げるんですよ」
 そう言ってオリーブは、指を咥えて笛を吹く。
 ぴゅい、と甲高い指笛の音が荒野の空に響き渡った。
 と、次の瞬間だ。
「アリュー!!」
 空に向かってオリーブが手を振った。
 遥か遠く、荒野の果てから飛んで来たのは1匹のワイバーン。オリーブが、空の旅の友とする“アリュー”という名の騎竜であった。 

●事後報告
「と、そうして自分たちは無事にティラミスからの脱出を果たしたと言うわけです」
 移動砦“ティラミス”が爆炎に飲まれてから、数週間後。
 鉄帝辺境、雪深い高原の天幕では2人の男女がテーブルを挟んで静かに食事を摂っていた。
「……無事というには、些かギリギリのタイミングだったようですが?」
「まぁ、冒険とはそのようなものです。アリューでは、1度に多くは運べませんから」
 救出した奴隷たちと、カカッポ、そしてドゥードゥーを退避させている間に危惧していた“ティラミスの自爆”が始まったのだ。
 次々と響く爆発音。
 押し寄せる煙と粉塵、それから爆炎に追われながらオリーブとクアッサリー、エミューの3人は砦中を駆け回ることになったのである。
 もちろん、こうしてセクレタリに報告が出来ている辺り、3人は無事に砦から帰還しているわけだが……。
「とはいえ、実際はそれなりに危ないと思う瞬間もありましたよ」
 例えば、ティラミスという“接触、侵入”が難しい場所のこと。
 クアッサリーとエミューという、自身の本能と感情に素直な“走る爆弾”のような存在のこと。
 そして、ティラミスの警備隊長を勤めていた男のこと。
「あの男……どうやら生きていたようで」
「死体が発見されなかった、でしたか。貴方も認めるほどの実力者というなら、そういうこともあるでしょう」
「買いかぶりな気もしますが……いえ、今はいいでしょう」
 そう言ってオリーブは、空のグラスを持ちあげる。
 セクレタリは、半分ほど減った酒瓶を傾け、オリーブのグラスに酒精を注いだ。
「そうですね。貴方たちは無事に、我が同胞を連れ戻してくれたのですから」
 今はそれを祝いましょう。
 なんて、言って。
 2人は静かに、グラスを打ち合わせるのであった。
 




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