SS詳細
世界から不幸を取り除くための、簡単で品のないひとつの方法
登場人物一覧
●出立
殉教者の森、あるいはベーアハルデ・フォレストの開拓村をタイラントベアが襲ったとの通報がもたらされたのは、事件初日から数日が経った頃のことだった。
炎を吐き、針葉樹を片手で薙ぎ倒す巨獣。一個小隊を以ってしても仕留められるかどうか判らぬこの局所災害に対して、天義・鉄帝両国政府は「今から討伐隊など送っても手遅れだ」と消極的な姿勢を見せていた。そんなのは軍の保身だと憤るフラーゴラを落ち着かせるために、シスター・テレジアが「魔種という共通の敵が失われた今、魔獣討伐とはいえ国境付近に軍を展開することは両国の緊張を高めかねない慎重さを要する行為ですわ」と説く必要があったほどに。
でもきっと、テレジアさんも納得はできていないんだ――事情通シスターのその時の諦めにも似た表情を、フラーゴラはそう解釈して尋ねた。
「でも……
そして期待通りの回答を得た……
「そういうことになりますわね。あの辺りの奥地は誰かが勝手に酒造していても国から何も言われないくらいの場所ですし、私人が勝手に活動する分には自由ですわ」
「今、地酒が飲めると言いましてテレジア!? いけませんわフラーゴラ、自らお酒を作って嗜むくらいしか娯楽のない辺境の地で日々労働に勤しむような真面目な人々が苦しむ姿なんて見過ごせませんわ! さあ早く行きましょう!」
……うえにヴァレーリヤさんまで横から話題に割り込んでくるほど気にしてくれていた……!?
かくして二人の聖職者も被災者救援に意欲的だと信じたフラーゴラの働きかけの結果、彼女と繋がりの深い慈善団体『オリーブのしずく』が支援に向かうことになったのだった。
●被害状況
獣道同然の街道を越えた先の光景は、目を覆いたくなるほど惨いものだった。
壁を屋根ごと剥ぎ取られた家屋、いまだ血の匂いの拭い得ぬ厩舎。畑は畝ごと作物が毟られており、タイラントベアが来た道と去った道では木々が根元から折れている。
夜には冷え込みも厳しくなった鉄帝の秋を過ごすため、生き残った人々が新しい小屋を建ててそこに集まっていた。事件初日から数えて、ここに辿り着くまでで一週間弱。オリーブのしずくの聞き取り調査に対し、最初に被害の遭った家の主婦はこう証言してみせる:
夜中に馬がいなないたので、旦那が様子を窺ったんです。けれども……その時にはもう厩舎は酷い有様だったようです。
旦那はすぐに戻ってくると、脇目も振らず逃げるよう私たちに命じました。もちろん、逃げれば助かるなんて保証はありません。けれども家に隠れていても、タイラントベアが相手では家ごと貪り食われてしまうでしょう……夫が家々を回って避難を呼びかけていなければ、きっと犠牲者が出ていたに違いありません……!
「被害は家と馬、それと畑だけで済んだのですわね? きっと皆が主の御心に適う慎ましい生活をしていたお蔭ですわ……」
自然と祈りの形に組まれたヴァレーリヤの手。女司祭の言う通り、実際の被害が予想された被害に対して少なく済んでいるさまは、まるで神の思し召しでもあったかのような奇跡だと言えた。加えて言えば、この開拓村と獣道じみた細い街道のみで繋がれた周囲の開拓村もまた、証言者の夫と共に呼び掛けに回った有志たちの尽力により、人命を失いはせずに済んだのだ。
そればかりか――この結末は真っ先に最初の村から最寄りの都市まで駆け抜けた通報者も村に戻ってから知ったことではあったのだが――、
「各村の中の有志が討伐隊を組んで……最終的には自分たちだけでタイラントベアを討伐した、ってこと……?」
フラーゴラが尋ねれば、討伐隊の一員だったという毛むくじゃらのマタギは重々しく頷いてみせた。もっともその代償は決して軽くあるまい。男の左腕は血の滲む三角巾で吊られ、自らも熊のようなその巨体を縮こめて悔しそうに語るのだ。
「俺を含めて幾人かが、この通り、反撃を受けて無念にも重傷を負ってしまった……!」
「死ななかっただけ良かったと思うよ鉄帝の人……!」
このように悲壮(?)な者もいはしたものの、多くの人々の顔色は晴れやかだった。誰一人として犠牲にならずに済んだ安心。そして仲間たちが事件の元凶を討ち滅ぼした誇り。確かに負傷した討伐隊員こそ気を落としてはいたが、それもオリーブのしずくの医療部隊に献身的に手当てされ、彼らに感謝の言葉を掛けながら瓦礫排除や新家屋建設に陽気に精を出す人々の姿を眺めていれば、彼らの表情も次第に綻んでゆくばかりだった。
では……オリーブのしずくの派遣ははたして余計なお世話だったのだろうか?
●フラーゴラの悩み
「すみません! 用意した食料を試算したのですが、おそらくこの量では冬を越すのは厳しいかと……」
すっかり良くなった山男が喜び勇んで左腕を振り回し感謝していても、物資管理担当者の報告を聞いたフラーゴラの表情は険しさを帯びていた。
確かに犠牲者はなかったし、討伐隊の重傷者も治療した。畑から根こそぎ奪われた作物は二度と戻らない。長い、長い鉄帝の冬。それを越えるための準備ははたして、オリーブのしずくが用意した食料だけで足りるのだろうか?
(魔種がいなくなったって、国同士の間には今も確執がある……そればかりか悲劇だってなくなってはくれない……)
思索の海へと深く沈んでも、解決の糸口は掴めずにいた。本当に自分には何もできることはないのか――繰り返してきた冒険に一つずつ思いを馳せる。あの時は、どんなトラブルに見舞われたんだっけ。そしてどうやって解決したのだったっけ。
(ダメだ……結構アトさん頼りになってたことが多い気がする……! いや……待って、もしかしたらそれがヒントかもしれない……! そうだよ……これまでみたいにどんどんいろんな人に頼って、みんなで解決すれば……!)
世界の全ての問題は解決できないかもしれないが、それで物資の問題くらいなら解決できる気がした。
「ねえ、ヴァレーリヤさん……!」
やっぱり、こういうのは現地に詳しい人に聞くのが一番……!
でも、ヴァレーリヤさんは一体どこに? さっきまで支援物資を配給する係としてみんなに食料を配ってたはずなのに……!
崩れかけた家々の間をうろうろしていれば、壁向こうの聞き慣れた陽気な声に気づくのは時間の問題だった。
「……なんてことがありましたわー!」
「ございましたわねヴァレーリヤ様……! わたくしこの方のそういうところ、好きでございましてよ?」
ワハハと何人もの男女が笑い合っている。ヴァレーリヤと……テレジアもいるらしい。
(他の人は……村の人たち……?)
何かの武勇伝でも語り合っていたところだろうか。時には男の卑猥な言葉さえ聞こえてはくるが、ヴァレーリヤは殊勝な祈りで返す――主よ、天の王よ。この炎をもて彼らの罪を許し、その魂に安息を。どうか我らを憐れみ給え!
●呑兵衛の言い訳
「ヴァレーリヤさ――うわあああ!?」
「どうしましてフラーゴラ、前髪が少々燃えてましてよ?」
危うく
「まぁ、素敵な呑みっぷりですわヴァレーリヤ様!」
「いいぞ司祭様! これで割れちまったこいつらの兄弟も浮かばれるだろうさ!」
小屋の中に漂う香りは多少のフルーティーさこそ混じるがアルコール臭く、これらの村で作られるという
明らかに酒盛りの真っ最中だった。
自分はこんなに頭を悩ませてるのに……そんな言葉が口から零れそうになり、慌ててそれでは感謝の押し付けだと首を振る。
でも……どうしてヴァレーリヤさんとテレジアさんまで……? こんなにクラースナヤ・ズヴェズダーの皆に慕われてる人とすっごく綺麗にお祈りしてる人が、泥酔って醜態を晒してるだなんて……!
そんなフラーゴラの心のざわめきは、きっと顔にまで出ていたに違いなかった。突然姿勢を改めたかと思いきや、ひとつ咳払いしてから説きはじめるヴァレーリヤ。
「どうやら誤解させてしまったみたいですわねフラーゴラ。これは主の御心に沿うために必要なことなのですわ――」
主は人を生まれながらにして平等に作りたり。クラースナヤ・ズヴェスダーの教義はそう語る。王がその特権を翳すのも、農民が税を奪われるのも、全ては主の御心ならず。
では……富める者は与え、貧しき者は授かれば神の御心は為されるのであろうか? 断じて否。そこには恩や貸しという形で立場の格差が生まれるに違いなかった。恩を返さねばならぬという重圧は、きっと時に王権をも超える強制力となるであろう。何故なら、王権を振りかざす圧政に対して起ち上がるための拳は誰しも持てど、恩を振りかざす圧政に対しては、善良な人々ほど恩人に弓引く拳を持てぬものであるからだ。
「恩で人々を支配する圧政者になど、私はなりたくありませんわフラーゴラ」
女司祭の瞳は真剣そのもので息は酒臭く、ゆえにこうして飲み交わすことで立場を同じくする機会を持てることは喜ばしいことなのだと説いた。あまりにも堂々とした祈り。こうまで自信を持って語られてしまえば、人は誰しもよほどの自信がないかぎりは自分こそ間違っていたのではないかと思いはじめるものであろう。
「確かに……ワタシは困ってる人を助けたい一心で、助けられた側がどう感じるかのところを疎かにしてたかもしれない……!」
フラーゴラのその言葉を聞いて、女司祭は良しと頷いた。そして付け加えて曰く。
「でもフラーゴラ……貴女のお蔭で私も、今出会ったばかりの私たちが彼らと真の友になるためには、やはり然るべき儀式にて主の前で誓う必要があると気づかされましたわ。けれども安心なさいフラーゴラ……そんなこともあろうかと、テレジアに言って
「なんだか予定してたよりも箱が多い気がすると思ってたけど……もしかして、それ……!?」
様々な意味で呆然とするフラーゴラの手に、ワイングラスが握らされた。
「さあフラーゴラ様、この度の遠征の立役者であるフラーゴラ様が混ざらねば締まりませんわ。フラーゴラ様のために葡萄ジュースも用意してありますから、さあご一緒に聖句をご唱和くださいまし」
「う、うんテレジアさん……!?」
●友誼の誓い
かくして互いに
オリーブのしずくは今や慈善を施す他者などではなく、隣人の窮地に駆けつけた友である。ゆえに、次や、もしかしたらその次もまたオリーブのしずくが開拓村を助けることになるかもしれないが、その後は逆にオリーブのしずくが助けを求めた時に助けることになるのかもしれない。
「それはきっと、フラーゴラが思い描いていたよりもずっと素晴らしい未来でしょう?」
そんなヴァレーリヤの問いに、フラーゴラはただ頷くことしかできなかった。だって、この方法でどんどんみんなと仲良くなってゆけば、いつかは世界から悲劇をなくせそうな気がするじゃない……それをただ飲み交わすだけで実現してしまうだなんて、やっぱりヴァレーリヤさんは素敵な司祭さんだったんだ……!
するとその“素敵な司祭さん”は次は
「話もまとまったところで、更なる儀式と行きましょう! さっき燻したての
「まあ! それはさぞかし神の御心に叶うに違いありませんわ!」
呑兵衛どもは、もう“遠征の立役者”のことなんて目もくれずに熊ベーコンを取り合っていた。フラーゴラが何かおかしいと確信したのは、その後テレジアの切った高級ワインの領収書がオリーブのしずくに届いた時のことである……。