PandoraPartyProject

SS詳細

どうか生きていてと

登場人物一覧

クロエ・ブランシェット(p3p008486)
願いの翼
アレン・ローゼンバーグ(p3p010096)
茨の棘

「わんわん、今日はちょっと涼しいですね。お散歩行けて嬉しいんですね。良かったですね」

 目線を下げるクロエの膝にトイプードルが手を乗せ、撫でて撫でてと言わんばかりに尻尾を振っている。飼い主はすみません、と言いながらも、クロエが自分の犬を可愛がっている様子が嬉しそうで、トイプードルを撫でさせてくれた。ふわふわの身体を堪能させてもらい、トイプードルと飼い主に別れを告げる。それから、待ち合わせの時間が近づいていたことを思い出して、慌てて立ち上がると、すぐ後ろから、涼やかな声がした。

「あわ、アレンさん、こんにちは」
「ん。こんにちは、クロエ。ごめんね、お待たせ」
「いえいえ、そんなことは」

 首を横に振るクロエに、アレンは「なんだか、平和になったなって、やっと、ちょっと思えて」と目を細めて笑う。短い髪が海風に揺られて、ほんの少し、なびく。
 混沌に訪れた危機は去った。これからは、平和で、平穏で、賑やかな日々が訪れる。そんな実感は、犬と遊んだり、こうして、友人と会ったりすることで得られるのかもしれなかった。クロエには、まだ少し遠いところにいるように思えるけれど。

「そうですね、平和、ですね」
「うん。犬は良い」

 アレンは風に揺られた髪が気になったのか、少し前まで結んだ長い髪があったところに触れて、そこに何もないと気が付いたらしい。ほんの少し、寂しいような切ないような表情が浮かんで、すぐに笑顔に隠れる。
 彼とは最後の決戦の時も、共に戦ったけれど、その時にはすでに髪が短くて、雰囲気が少し、変わっていた。でも今は、そんな変わった雰囲気の中に、何か清々しいものがあるように思えて、少しだけ、安心する。決戦を乗り越えたことで、アレンはまた、変化を迎えたのかもしれなかった。

「それじゃあ、行こうか」

 二人そろって、少しずつ温かくなりはじめ、日差しの強くなり始めた空の下を歩く。海洋の風はやはり気持ちが良いと、クロエは大きく息を吸った。
 一緒に海洋で買い物をしませんか。そう誘ったのは、クロエだった。話したいこと、というか、聞いてほしいことがあるんです。そう伝えると、アレンはおしゃれな便箋ですぐに返事をしてくれた。良いよ、行こう。ちょうど海洋で、シーグラス見たかったんだ。そう彼が言ってくれたから、とんとん拍子に日程が決まって、こうして今日、海洋の街を歩いている。

「シーグラスで、どんなものが欲しいんですか?」
「んー、アクセサリーも良いのだけれど。ランプシェードなんかも良いよねぇ。いろいろ見て、まずはどんなものが置いてあるか知りたいかも」
「それなら確か、あっちの方に、お店が集まっていたような気がします」

 アレンに聞いて欲しい話のことが、頭を巡ってしまうけれど。今はアレンに、純粋に買い物を楽しんでほしい。海洋は地元だから、多少お店の場所や内容に明るいとはいえ、ドジを発揮して、道を間違えてしまったら大変だ。アレンと他愛のない話をしながらも、道をよく見ながら歩いていく。やがてたどり着いたのは、ほんのり暗い店内に淡い照明をつけ、魔女の営むお店のような雰囲気を出している、硝子製品の店だった。

「わあ、綺麗」
「クロエもシーグラス好き?」
「うん。とても素敵ですから」

 ヴェネチアングラス、江戸切子。旅人たちが持ち込んだのかもしれないガラス製品が奥に置かれていて、入り口付近には、シーグラスを袋に複数詰めただけのものから、アクセサリーに加工したもの、貝殻と一緒にレジンに封入したものまで、様々なものが置いてある。クロエがシーグラスと花を共にレジンに入れたオブジェをそっと持ち上げ、しげしげと眺めていると、アレンはちょうどそのレジンの花の向こうで、赤色のシーグラスを持ち上げていた。そのシーグラスには金で薔薇の模様が上から描かれていて、赤薔薇をそこに浮かび上がらせている。
 あ、アレンさん、ちょっと泣きそう。そう思った時には、彼はそのシーグラスをそっと手のひらに包み、店主の女性に「これください」と言っているところだった。

「あんたこれピアスだけど。イヤリングに変えてあげようか」
「あ、じゃあ、お願い」
「あいよ」

 金具を変え終わり、支払いが済むと、アレンはそれを左耳につけた。どう、似合う? そう彼が小さく微笑むから、クロエは大きく頷いていた。

「とってもお似合いですよ」
「ありがと」

 それなら良かった、と頷く彼と共に店を出て、他にもシーグラスを扱う店を巡りながら、クロエおすすめのジェラート屋さんで、ジェラートを買った。ジェラートとアイスクリームどっちが良い、なんて言っている間もまた、楽しかった。

「そう、動物のお医者さんになるための勉強、ずっと頑張ってるんだね」
「はい。やっぱり動物さんを癒すことが出来たら、きっと素敵なことですから」
「僕もそう思う。応援しているよ」
「ありがとうございます」

 ジェラートを食べて、他愛のない話を続けているのに、足は自然と海辺に向かっていく。強くなる潮の香りと、ぱちぱちと弾ける波の音が近づいて、気持ちが揺らぐ。やがて浜昼顔が花を咲かせる海岸にたどり着いた時に、小さく息を吐きだしていた。

「海」
「そう、海です。浜昼顔の、季節に」

 世界は平和になっても、自分の心が、平和というものをすんなりと受け入れられていないような気がしていた。それはきっと、この海がいつまでも存在するから。アレンもまた、クロエとは違う理由で、平和というものを享受しきれていないように見えるから、そう思うと、話しやすかった。何よりアレンは、他人の秘密や過去を話して歩くような人ではないと知っているから、安心できる。

「聞いてほしい話、なのですが」
「うん」
「幼馴染が、飲み込まれたんです。小さい頃に、この海に、攫われました」

 アシュリー、という幼馴染がいた、らしい。らしい、と言うのは、彼に関する記憶をすっかり失っているからだ。

「ルリビタキの綺麗な翼をもつ子でした。幼い頃の写真の姿のまま、彼は私の中で成長しません。二つ下の男の子で、それだけしか離れていなかったのに、今では私がずっと、お姉さんです」

 クロエとアシュリーの家族でクルーズ旅行に行った時、大亀の魔物が現れて、クロエとアシュリーが海に飲み込まれたのだ。アシュリーの父親が、二人を助けようとして海に飛び込み、そして亡くなってしまった。

「私だけ、助かりました。数日高熱で寝込んで、やっと目が覚めて。私がなかなか、アシュリーくんとアシュリーくんのお父さんのことを聞き出さないから、どうしたんだろうって皆が心配して。でも私、聞かれて、こう言ったんです。アシュリーくんって、誰、って」

 私ってなんて酷いんだろうって思いました。半ば自虐のように微笑んでみせるも、アレンはただ、クロエの悲しみや苦しみを否定しないために、小さく頷いただけだった。慰めの言葉を探して、かけてこようとしないところが、話しやすいと思う。

「その後、幼馴染だったんだよって、一緒に遊んでたんだよって言われて、一生懸命思い出そうとしたのですが、思い出せなくて。父が心理カウンセラーだったので、いろいろな方法を試してもらったのですが、まだ、何も」

 アシュリーは行方不明ではあるが、あまりにも生き残っている見込みがないために、死亡したとして扱われることになった。家族を二人同時に亡くしたアシュリーの母親は心を病み、身体を壊し、療養所で暮らすことになった。クロエの両親が彼女を支援しているけれど、彼女の話を聞くたびに、アシュリーのことが話題に出るたびに、何も覚えていないことが、罪であるように思えた。どうして思い出せないのだろう。仲が良かったって皆言うのに、何も覚えていないなんて、彼が報われないではないか。これが罪なら、罰は一体何なのだろう。

「父と母にも、だんだん、言えなくなってきました。私がそれを悪いことだと思っているのが伝わったら、悲しむから」

 罰は、生涯、この苦しみを抱えて生きることだろうか。そう思ったら、なおさら早く思い出さないといけない気がして、毎年浜昼顔の咲くこの場所で、波の音を聞いている。ここは、自分とアシュリーが気に入って遊んでいたところらしいし、波の音に記憶をくすぐられるような気がするのだ。きっと自分は、あの花緑青色の髪の彼を慈しんでいただろうから、早く思い出して、自分の記憶に棲む彼を、生き返らせてあげたかった。

「死んでしまった、と考えるのが、普通ですよね」
「そうかな」
「アレンさんなら、そう言うと思いました」
「だって僕の両親は旅人だもの。異世界からやってくる人がいるんだ、異世界に行く人がいたって、おかしくない」

 クロエは頷いた。

「そう。だから私、アシュリーくんが生きているんじゃないかって、そんな希望が、捨てられないのです」

 アレンの言う通り、どこか別の世界に言っているかもしれないし、もしかしたら、海の底に楽園があるかもしれないし、そこでアシュリーはその楽園の人々に助けられているかもしれないし。自力で泳いで、どこかで迷子になっているのかも、しれないし。夢のような話かもしれないけれど、生きていてほしいと願う気持ちを、ずっと抱えている。

「希望って生きるためにあるんだよ。クロエが願っている限り、アシュリーは死なないんじゃないかな」

 そうかもしれません。クロエは淡く微笑んだ。
 今年も何も、思い出せなかったけれど。でも、きっと、アシュリーが見つかった時に、良い友達になってくれそうな人に、彼のことを話せたことは、良かったと思う。

「私、来年もここに来ると思います。アレンさんもまた、一緒に来てくれますか?」

 もちろん、とアレンは笑みを浮かべる。

 ねえ、アシュリーくん。きっと今はもう、私の背を越しているんでしょうね。呟いた声に、返す言葉があればいいと、願った。

おまけSS『赤薔薇の』

 リリアを喪っても、世界は回る。夜は来るし、朝も来る。擦り切れていく日々の中、リリアがいたという事実すら失うのが嫌で、混沌を守るために戦った。そうして、すべてが終わった後、晴れ上がった空に咲いた一輪の赤薔薇に、まだ恋をしていると、思った。

 油断をすれば泣き出しそうになる日々だけれど、リリアがアレンの背を押してくれていると思うから、自分ひとりで作る食事を美味しいと思うし、自分ひとりで淹れるお茶を、美味しいと思う。日々を晴れやかに感じる日もあるけれど、彩度が落ちてしまったかのように、色が分からなくなる時も何度かあって、でも、そんな時でも、友達からの誘いは嬉しかった。クロエをはじめとする友達が、アレンを世界に繋いでくれたから。

「ジェラートも良いし、アイスクリームも捨てがたいよねぇ」
「ここのお店は何でも美味しいって有名なところなんです。アイスクリームは濃厚だし、ジェラートは後味が良くて、爽やかで」
「ジェラートだと、エディブルフラワー入ってるのがあるのが、またおしゃれだよね」
「そうそう。若い女性を中心に、見た目もおしゃれだって人気なんだよ」

 幸い、暑くなり始めたためにジェラートの店は並んでいる客が何人かいて、悩む時間はある。ケースの中のジェラートやアイスがやっと近くで見られるようになった時、思わず、あ、と呟いていた。クランベリーを中心に作られたジェラートには、食用の薔薇を添えてくれるらしい。それも、赤薔薇を。
 さっきも赤薔薇のイヤリングを買ったな、と思いはしたけれど、アレンのギフトは赤と青の薔薇を生み出すものだ。それに特別な意味を籠めていることなんて、誰の目にも明らかだ。今更ためらうのも、おかしいような気がした。

「あ、ジェラートだと味は二種類選べますよ」
「じゃあ、クランベリーと、そうだなぁ、ラムネにしようかな」
「夏っぽいですね。うーん、チョコアイスも良いなぁ。うーん、私はアイスにして、チョコと抹茶にしようかな」
「良いね、ダブルアイス」

 決めたちょうどその時に、自分たちの番になり、それぞれの注文を言っていく。先にクロエの頼んだアイスクリームが渡されて、そのすぐ後に、アレンの頼んだジェラートが渡される。氷菓に練り込まれた花弁と、最後に添えられた花弁から、ふわりと、薔薇の香りがした。リリアの匂いに、似ていた。

「どうしました?」
「ううん、なんでもない。でも、そうだなぁ」

 大好きな香りがしたんだ。そう呟くと、ほんとうにリリアが近くにいるような気がして、心の中に彼女が棲んでいる限り、生き続けているのだと、そう思った。

「素敵な香りですね」
「うん。僕のいちばん大切な花」

 微笑むクロエににこりと笑みを返して、ジェラートを口に運ぶ。
 世界は何度だって鮮やかになるんだね、姉さん。そう口の中で、呟いた。


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