PandoraPartyProject

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セクレタリの鉄帝視察。或いは、デートは波乱の始まりゆえに…。

登場人物一覧

オリーブ・ローレル(p3p004352)
鋼鉄の冒険者

●視察開始
 吹雪の中を、2人の翼種が駆けていた。
 腰の辺りで身体を折って、極端なまでに上体を倒した前傾姿勢。特に背中から首はまっすぐと突き出すように伸ばされており、その姿を横から見れば“飛べない鳥”の走る様子に酷似していることに気が付くだろう。
 空気抵抗を極限まで減らすための体勢だ。
 強靭であることが明らかな太い鳥脚を回転させて、鋭い爪を備えた足で積った雪を蹴散らしながら2人は駆ける。
 或いは“翔ける”と言った方が正しいだろうか。
 彼女たちの名は、クアッサリーとエミューという。鉄帝の辺境、雪深き平原に住まう“強き脚の戦士たち”である。
「……エミュー。気付いているか?」
「気付いている。クアッサリーこそ気付いていたか」
 吹雪の奏でる轟音の中、声を潜めて2人は言葉を交わしている。
 真っすぐに前を見据えながらも、器用に視線を左右へと走らせながら、2人は少し困ったような顔をしていた。
「セクレタリは何をしている?」
「分からない。分からないが、ここ最近はずっとあんな調子だ」
 2人が視線を向けた先には、粗末な造りの天幕があった。
 天幕の前には、白と黒の混じり合った長い髪を風に靡かせる細面の女性が1人。眼鏡をそっと手で押さえながら、女性は走るクアッサリーとエミューを見ている。
 その女性、名をセクレタリ。クアッサリーやエミューとは、同じ集落に暮らす同族である。と、言っても“狩りや戦闘”を主な仕事とするクアッサリーやエミューとは違い、セクレタリの仕事は“集落の指導者”である。
 1日の大半を野外で過ごす2人と違い、セクレタリはほとんどの時間を天幕の中や、その周辺で過ごしていた。2人にはさっぱりだが、何やら帳簿や日記のようなものを書いているらしい。
 あまり頭の出来が良くないクアッサリーやエミューとは違って、セクレタリは頭が良かった。そのため、彼女は集落で発生するあらゆる頭脳労働に日夜、忙殺されていたはずだ。
 そんな彼女だが、ここ暫くの間は少し様子がおかしい。
「私たちを見ているな。監視されているのか?」
「というよりも、観察されている感じだ。いつからだ?」
「……アレだ。オリーブのところから帰って来てから、あんな感じだ」
「ということは、オリーブに何か言われたか? 何を言われた?」
 雪原を駆け回りながら、2人は遠くに視線を向けた。
 吹雪の中、小さな影が僅かに動いた。2人の優れた視力は、その“小さな影”が野兎の者であることを見抜く。
「兎だ。狩るか」
「あぁ、考えるのは後にしよう」
「どうせ考えたところで答えなんて出ないしな」
「違いない。私たちは考えるのに向いていない」
 呵々と笑って2人は走る速度を上げた。
 加速して、3歩も走ったころにはすっかり“セクレタリに観察されている”ことなんて、2人の頭から消えていた。

「……鳥頭」
 2人の様子を観察していたセクレタリが、そう呟いて溜め息を零した。
 クアッサリーとエミューを冒険者にスカウトしたい。
 集落の恩人にして、友人でもある鉄帝の冒険者オリーブ・ローレル (p3p004352)はそんなことを言っていた。冗談やお世辞ではなく、本心からの提案であることは、その口ぶりや声に滲む雰囲気からも理解できる。
 オリーブは本心から、クアッサリーとエミューは冒険者に向いていると思ってくれているのだろう。
 実際、オリーブの評価は間違っていない。
 先の鉄帝旅行の折に、セクレタリは“冒険者”という職業……というより、それはもはや“生き方”に近いが……について、彼女なりに調べてみたのだ。
 結果、冒険者には“強大な敵に打ち勝つだけの戦闘力”と“過酷な環境でも生存できる生命力”や“アウトドアのスキル”が必要とされることは理解した。
 その点で言えば、なるほどオリーブの言う通り、クアッサリーとエミューは冒険者に向いている。彼女たちは集落の中でも指折りの“強き脚の戦士”であり、その役割から野外での活動や過酷な環境下での生存能力に長けている。
「とはいえ、しかし……うぅん」
 フィジカルという点だけで判断するなら、2人は確かに冒険者に向いている。
 だが、メンタル……もっと言えば“頭脳”の方がどうにも不向きに思えてならない。
 思慮の足りないクアッサリーとエミューが、冒険者として都市で暮らしていくことは、果たして可能なのだろうか。
 もうずっと、数週間も考えていて……けれど未だに答えは出ないままだった。

●セクレタリの鉄帝視察
「セクレタリは頭がいい」
「あぁ、頭がいいな。あんなに色々と考えて、疲れないのか心配になる」
「それから、私たちほどではないが彼女もかなりの実力者だ」
「あぁ見えて割と蹴り方は雑だ。当たるを幸いに滅茶苦茶に蹴りまくるんだ」
 雪の上に座り込んだまま、クアッサリーとエミューはそんなことを言う。
 身体が冷えてしまわないのかと心配になるが、そう言えばこの2人が体調を崩しているところなど見たことが無いな、とオリーブはふと思い至った。
 “馬鹿は風邪をひかない”。
 脳裏に浮かんだその言葉を、オリーブは頭を振って追い払う。
「それで、なんでセクレタリのことを?」
「どんな女性か、なんて訊かれてもな」
「セクレタリはセクレタリだ、としか答えようがない」
「強くて賢い以外に彼女を表現する言葉は無い」
 不思議そうな2人の視線を真正面から受け止めて、オリーブは小さな溜め息を零した。
 セクレタリと2人で鉄帝を観光するにあたって、少しでも彼女の好む場所を案内したいと思ったがゆえの質問だったが……まったくもって参考にならなかったからだ。

 さて、そんなこんなで数日後。
 オリーブは、愛車『グラードⅣ』を走らせて、鉄帝都市部へと帰還していた。
 正確には、到着まであと十数分ほど。
 その辺りになると、荒れ果てていた街路もすっかり奇麗に整地されていて、グラードⅣが揺れることも少なくなった。
 オリーブの駆るグラードⅣは、悪路でも難なく走破できる程度には優秀な車両性能を有しているのだが、やはり荒地と街路では後者の方が運転しやすい。
「まぁ、鉄帝市民の中には“悪路を走らせるほうが楽しい”と言う者たちもいるのですが……後々のメンテナンスの手間を考えると、街路の方が走らせやすいですね」
「……そうですか」
 助手席のセクレタリは、少し浮かない顔をして窓の外へ目を向けている。
「……セクレタリさんはグラードⅣが苦手ですか?」
「いえ。そう言うわけではないのですが……なぜ?」
 不思議そうにセクレタリは首を傾げた。
 “おや?”と、オリーブも内心で首を傾げる。
「スチールグラードを“少々狭い”と言っていましたし、窮屈なのは苦手かと思いまして」
 以前の鉄帝旅行の際に聞いた言葉だ。
「あぁ……なるほど。それはまぁ、狭いですね。辺境生まれですから、屋根や壁の無い場所で過ごす時間も多かったので」
 要するに“狭い場所”が苦手なわけではなく、不慣れなだけなのだろう。
 言われてみれば、クアッサリーやエミューはそれが顕著であった。グラードⅣの屋根の上に乗っていたり、並走したりと、長時間車内にいることは無かった。
「……ふむ」
 都市内を移動する際は、屋根なしの荷馬車などを使う方がいいかもしれない。頭の片隅で、そんな予定を組み立てながらオリーブは軽くブレーキを踏んだ。
 鉄帝の都市はすぐそこだ。
 到着したら、まずは何処から周ろうか。
「何やら楽しそうですね」
「あれ? そうですか?」
 思考が表情に滲んでいたらしい。
 セクレタリに指摘されたオリーブは、自分の口元に手を触れた。

 セクレタリと一緒に鉄帝の都市部を巡るのは、今回で2度目になる。
 前回は、クアッサリーやエミューを連れて4人で。
 今回は、セクレタリとオリーブの2人だけ。
「……こうも違うのか」
 大通りを歩きながら、オリーブは思わずそんな言葉を呟いた。
 隣を歩くセクレタリが、とても静かだったから。
 往来の人混みに圧倒されているという風ではない。慣れない土地だということもあってか、幾らか警戒心を抱いている様子ではあるが、怯えていると言うことは無い。
 冷静に、街並みや人の表情などを観察しているのであろう。
 これがクアッサリーやエミューの場合は、滅多矢鱈に歓声をあげたり、露店の料理に惹かれて勝手に歩き回ったりと忙しない。
「………」
 アレは何だ、これは何だ、と矢継ぎ早に質問を繰り出すクアッサリーやエミューと違って、セクレタリは言葉少なであった。興味が無いわけではなく、自分の目で見て判断し、自分の頭で“アレは何か”や“何のための施設や道具か”を考えているのだろう。
(聞いてくれれば、答えるんですけれどね)
 集落で、最も賢く、知識が豊富なのがセクレタリだから。
 だからきっと、彼女は誰かに質問するということに、まったくもって慣れていないのであろう。

 テーブルの上に広げられた地図を見下ろし、セクレタリは眉間に皺を寄せている。
 その手にずっと持たれたままのグラスには、ホットワインが注がれているはずだが、とっくに昔に冷めてしまっていた。つまり、それぐらい長い時間、彼女は地図を眺めているということだ。
「……そう難しく考えなくても、気になった場所を教えていただければご案内しますよ」
「しかし、こうも多いと悩んでしまいますね。これほどの規模の都市ですから、似たような施設も多いのでしょう。しかし、個人の行動範囲など知れたもの。きっと、大半の施設には足を運ぶ機会など滅多にないはずです」
「それは、まぁ」
 地図を眺めただけで、そこまで理解できるのだから大したものだ。
 実際、鉄帝を長く拠点にしているオリーブにも“足を運んだことのない施設”は存在する。というよりも、ほとんどの施設や場所はそうである。
 仕事柄、街の地図は頭の中に入っているが、あくまで“知っている”というだけのこと。
 “知っている”が“通ったことは無い”道だって、幾らでもあった。
「ですが、クアッサリーとエミューは違います。あの2人は足が速く、行動範囲も異常に広いですからね。そして何より頭が悪い……事が戦いとなれば話は別ですが、平時においてあの2人は“考える”ということをしません」
 気になったら見に行くし、面白そうなら首を突っ込む。
 大半の危機を実力で突破できるからこその警戒心の薄さ。それをセクレタリは危惧しているのだ。
(これは、リラックスして過ごしてもらうのは難しいかもしれません)
 セクレタリが地図を眺める時間はしばらく続くだろう。
 悩む彼女の邪魔にならないように、オリーブはそっと通りの奥へ視線を逸らした。
(……まぁ、穏やかな時間に違いはありませんし。邪魔をしないでくださいよ)

「どうしてこうなったんでしょう」
 ずらりと並んだ厳つい顔の獣種たちを眺めながら、オリーブは頭を悩ませる。
 時刻は夜。
 夕食のために立ち寄った冒険者向けの食堂に、大勢の“荒くれ者”が詰めかけていた。身に纏った傷だらけの装備や、背中に担いだ背嚢を見るに、おそらく旅の傭兵団か何かだろう。もしかすると、傭兵なんだか盗賊なんだか分からないような存在かもしれないが。
 狼や豹、兎の獣種で構成された集団だ。
 装備の質は今一だが、身体付きは屈強そのもの。個々の実力には、まだ伸びしろがありそうだが、集団で群がる傭兵戦法を基本とするなら十分に“実戦的”と呼べる戦闘集団であろう。
 どいつもこいつも、血の気が多く、喧嘩ッ早そうな顔をしている。
 鉄帝国では珍しくないが、さて……セクレタリに悪い印象を与えて居なければいいが。そんなことを考えながら、オリーブは正面の席でビーフストロガノフを食べるセクレタリの方へと視線を向ける。
「……?」
 急に集まって来た荒くれ者の集団を見て、セクレタリは不思議そうな顔をしていた。
「えーと」
 知り合いですか?
 セクレタリの目が、口ほどにものを言っていた。
 傭兵や冒険者、荒くれ者の類に知り合いは多いけれど、この獣種たちはそうじゃない。オリーブは無言で首を横に振る。
 そもそもの話、獣種たちの視線と意識はオリーブの方を向いていない。
 彼らが見ているのは、セクレタリだ。
「お前たち、いったい何の……」

『お久しぶりです、頭!』

 オリーブの言葉を遮って、男たちが一斉に頭を下げた。
 膝に両手を突き、腰を九十度も曲げるような傭兵なりの最敬礼姿勢だ。
 敬意もそうだが、なんぼなんでも様子がおかしい。呆気に取られたような顔をするセクレタリを見て、涙ぐんでいる者もいるのはどうしたことか。
「頭? セクレタリさんが?」
「頭? 私がですか?」
 オリーブとセクレタリは、2人揃って首をひねった。傭兵たちが何を言っているのか、理解出来なかったからだ。
「……あ!」
 だが、セクレタリはそこで何かを思い出したようだった。
「あぁ! あぁ! 貴方たち! もしかして……!」
「思い出していただけやしたか、頭! そうでさぁ! 以前、頭の手足として働かせていただいたもんでさぁ」
 感極まった様子で目元を拭う獣種の男たちを見て、セクレタリは嬉しそうな顔をした。
 何が何だか理解できないオリーブは、もう完全に置いて行かれたままだった。

 それは、今から数年も昔の話。
 セクレタリには、鉄帝のとある川の真ん中に木造の砦を造って拠点としていた時期がある。それは、かつて暮らしていた集落を追われたことによる、生きていくための緊急措置のようなものだ。
 その頃、彼女が率いていたのが“行き場のない獣種を搔き集めたならず者”たち。
 盗賊なんだか傭兵なんだかよく分からない、烏合の衆の指揮官が何を隠そう、当時のセクレタリであった。
「……つまり、彼らは当時の部下と」
「そう言うことになりますね。あの頃は怪我で視力が弱かったので、彼らの顔もよく見えていなかったんですよ」
 依頼を受けたイレギュラーズの活躍により、セクレタリの拠点は崩壊。彼女が率いていた、ならず者部隊も半ば強制的に解散の運びとなったわけなのだが……。
 どうやら彼らは、セクレタリという指揮官を失った後も、健気に傭兵を続けていたらしい。或いはそれが、彼らなりの“日常”であったと言うことか。
「そうですか。元気にしていましたか」
「えぇ、今日はたまたま仕事でこっちに来てましてね」
 傭兵部隊の頭目らしい獣種の男が、声を潜めてそう言った。
 周囲の様子に気を配りながら、彼は“仕事”の内容についてを語って聞かせる。
「最近、この辺りで“獣種や翼種の誘拐事件”が多発しているそうでしてね。俺らぁ、依頼を受けて犯人を追っているところなんですわ」
 誘拐。
 その言葉を聞いて、セクレタリの眉間に皺が寄る。
「……詳しく聞かせていただけます?」
 
●鉄帝誘拐事件
 翌日、早朝。
 人の行き来も少ない時間、セクレタリは“1人で”市場を訪れていた。
 それも、都市の外側にあるような、こう言ってはなんだが“寂れた市場”だ。事前にオリーブから訊いた話では、この辺りにある市場の中でも一等、治安が悪いらしい。
 要するに、貧民向けの市場なのだろう。
 ともすると、出店許可さえ取って無さそうな怪しい店もちらほらとあった。冒険者用の外套で顔を隠したセクレタリは、通行人に紛れて市場の品物を視察する。
 売られているのは食料品や、鉄くずばかり。
 干し肉はまだ状態のいい方で、生肉などは色が悪く、野菜は痩せて萎びたものばかり。鉄くずなど、そこらの荒野で冒険者の遺体から剥いできたのかと思うような、錆と傷に塗れたものばかりが売られている有様。
「彼の言っていた市場とは、随分と赴きが異なるようですね」
 昨日、オリーブから聞いた“市場”の話と、眼前に広がる光景には、大幅な乖離があるようだった。確かオリーブは「市場には美味しい食べ物が沢山あって、様々な分野の書物が売られている」のだと言っていた。
 本当は、オリーブと一緒にそう言う市場を巡る予定だったのだが……。
「翼種の誘拐事件と訊いては、見過ごせませんからね」
 かつての集落を追われた折、そこで暮らしていた翼種たちはバラバラになって鉄帝各地へ逃げ延びた。ある程度の生き残りとはコンタクトが取れて、今の新しい集落に呼び寄せることに成功したが、悲しいかな未だに行方が知れない仲間も大勢いるのだ。
「もしもの場合を考えると……じっとしてはいられませんね」
 適当な店の前にしゃがんで、セクレタリは言葉を零した。

 セクレタリから、距離にしておよそ40メートルほど離れた位置。
 建物の影に身を隠したオリーブは、疲れたように肩を落として掠れた吐息を零していた。
「……やはり、こうなりましたか」
 トラブルが舞い込む可能性というのも、少しは視野に入れていたのだ。
 何しろ、クアッサリーとエミューを連れての鉄帝旅行がそうだったから。あの2人は、生来の短慮と好奇心により、進んでトラブルを呼び込んでくる傾向にあった。
 その点、セクレタリの場合は少し事情が異なるわけだが……まぁ、とはいえ結果は同じこと。観光旅行の予定を少しだけ変えて、トラブルの解決に奔走することに思う点が無いでもないが、この程度の“予定外”などオリーブにとっては日常茶飯事とも言える。
 冒険者という職業は、冒険してこそ意味がある。
 そして、冒険には予定外が付き物なのだ。この混沌とした世界において、“誘拐事件”のようなちょっとしたトラブルの種は、“蒔いて”捨てるほどにある。
「セクレタリさんと話でもしながら、本を探そうと思っていましたが……いえ、まだ“今日”は始まったばかり。早々に片を付けて、ちゃんとした市場巡りに切り替えればいいだけです」
 自分を鼓舞するようにブツブツと独り言を繰り返し、オリーブは腰から提げた剣の柄に手を添えた。
 カチャリ、と金属の擦れる音がする。
 その音を合図に、暗がりの中で幾つかの影が身じろぎした。
その影の正体は、昨夜に食堂であった“傭兵部隊”の隊員たちだ。
「……さぁ、動きましたよ。俺たちも動くことにしましょう」
 オリーブが見つめる先では、セクレタリが移動を開始していた。

「お嬢ちゃん、大人しくしとけば怪我はさせねぇよ」
 市場を出てから数分後。
 セクレタリの前後を挟むように、数人の男たちが現れた。一般市民のような地味な服装をしているが、その腐った性根までは衣服ごときでは隠せない。
 誘拐犯のお出ましだ。
 本能的に、それを理解したセクレタリは無意識のうちに足裏で地面を強く踏み締めた。
 しかし、地面を蹴って駆け出すようなことはしない。危うく飛び出しかけたけれど、ギリギリのところで踏みとどまった。
 相手の数は4~5人。
 セクレタリ1人での制圧も可能な人数だし、数十メートルほど後ろにはオリーブや傭兵部隊の仲間たちも付いてきている。万が一にも負ける心配や取り逃がす心配はないだろう。
 だが、それではダメなのだ。
「……噂の誘拐犯、で間違いありませんね?」
 セクレタリの静かな問いを“怯えている”と勘違いしたのか、男たちはケラケラと下卑た笑いを零した。
「おぉ、そうさ。あんたぁ、俺らに売られるのさ」
 観察力の足りない者ほど早く死ぬ。
 誘拐犯の男たちが、それを知るのはこれから小一時間ほど後のことであった。

 時間にして、ほんの10数分。
 オリーブと傭兵部隊の隊員たちが、誘拐犯のアジトに飛び込んだ時には既に“話し合い”は終わっていた。
 なお、この場合の“話し合い”とは鉄帝流のものを指す。
 つまりは暴力と暴力の応酬による、“勝者だけが発言権を得る”類の話し合いである。
 セクレタリのことを“警戒心の薄い翼種”と判断したのが、彼らの運の尽きだったのだ。セクレタリがじっと黙していたのは、アジトに連れて来られるまで。その後は、言葉巧みに誘拐犯たちの素性や、これまで攫った者たちの売り先を聞き出して……ついでに顧客リストの在処を確認すれば、後はもう実行犯に用事など無かった。
 怒りに任せて、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って。
 蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴って、蹴りまくって。
 アジトの一室を血の海にかえた辺りで、オリーブたちが突入して来たという塩梅である。
 なお、血河こそ作ったが、屍山の方は築いていない。
 しばらくは満足に動けないだろうが、誘拐犯たちは生きていた。
「……セクレタリさんはすごいですね」
 血だまりを避けながら、オリーブが部屋の中へと足を踏み入れる。
 セクレタリは頬に着いた返り血を拭って、少し照れたように笑った。
「このぐらいは日常茶飯事ですよ。今でこそ落ち着きましたが、昔のクアッサリーとエミューは、この方たちより何倍か暴れん坊でしたから」
「今は“落ち着いた”……? あ、いや、えぇ……あの集落をまとめるのは苦労が多いでしょう。それをまとめあげ、導く。貴女だから出来ていることです」
 知識と戦闘力。
 その両方が無ければ“強き脚の戦士”たちは制御できない。
 クアッサリーとエミューのことを良く知るオリーブは、本心からセクレタリの偉業に憧憬と感心の念を抱かずにはいられなかった。

●また逢いましょう
 それから数日。
 セクレタリの鉄帝視察は、とくに大きなトラブルもなく終わりを迎えた。
 朝食を済ませたら、いよいよ帰郷の時である。
「それは、買った本ですか?」
 食後の紅茶を楽しみながら、セクレタリはオリーブの手元を覗き込む。
 赤い表紙の分厚い本だ。先日、市場で購入したもので、タイトルは『初級冒険者”向けガイドブック』という。
 冒険者としての活動期間もそれなりに長いオリーブが、今さら読むには些か簡単すぎる本のようにも思う。だが、オリーブは存外に真剣な目をして、記載された情報を読み込んでいた。
「随分と真剣に読みますね」
「ええ、少しだけ、生き方を変えてみようかと思っていまして」
 本を閉じたオリーブは、紅茶の残りを一息に全部飲み干した。
「盾はギルドマスターに習うとして、冒険や戦術については書物と師事の両面で学ぼうかと」
 セクレタリと過ごす時間も、残りわずかだ。
 ここから先は、再び数日にわたる長い度の日々が始まる。
 過酷な鉄帝の雪山を行くのは、いかにグラードⅣであっても容易ではない。車体は揺れるし、うっかり集中力を切らせば大きな事故も起こしかねない。
 だから、セクレタリとゆっくり会話できるのは、今のうちが最後だろう。
「あの2人を冒険者に誘ったことについて、セクレタリさんはどう思っていますか?」
 冒険者は、決して安全な仕事ではない。
 大きな怪我を負うこともあるし、危険な土地に足を踏み入れることもある。数日から数週間も野営が続くなど当然で、時には未知の病気や毒に苦しむようなこともある。
 そんな危険を伴う冒険者という生き方に、2人を勧誘したことについて、セクレタリはどう思っているのか。
 その辺りを、1度、聞いておきたかったのだ。
「そうですね」
 顎に人差指を当て、セクレタリは思案する。
 だが、思案の時間はさほど長くは続かなかった。
「別にどうも。クアッサリーとエミューも、もう子供では無いですからね。あの2人が“冒険者をやりたい”と言うのなら、私はとくに止めませんし、心配もしないと思います」
 ですが、と。
 そこで1度、言葉を区切ってセクレタリはにこりと笑った。
「それはそれとして、大事な家族のような娘たちですから。彼女たちが困ったら、よければ助けてあげてください」
 なんて、言って。
 セクレタリは、微笑んだ。

 それから、数日後のことだ。
「セクレタリさん、本当に楽しい時間を過ごせました。ありがとうございます」
 オリーブとセクレタリは、雪深い辺境の集落へと辿り着いていた。
「良ければまた、お誘いしても良いですか?」
 グラードⅣから降りるセクレタリに手を貸しながら、オリーブはそう言葉をかける。
 セクレタリが、返答を口にしようとした。
「あ、それと! 手を借りたい時は遠慮なく知らせて下さい。すぐに駆け付けますよ。自分も困った時はそうしますから、それでおあいこです」
 だが、その唇が音を発するより先に、畳み掛けるようにオリーブはさらに言葉を重ねる。
 セクレタリの返答を聞くのが、どうにも怖かったのか。
 或いは、別の理由によるものか。
 少しだけ気まずそうに視線を伏せたオリーブの方を見て、セクレタリは肩を竦めて笑うのだった。


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