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あなたの世界

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澄原 水夜子(p3n000214)

 手紙なんぞ、遺すこともなかった。
 この世界は元より命なんざ磨り潰す場所であっただろう。
 、それが日常であったのだ。
 何も残さなかったことに対して責めるという立場でもない。元より、自身等の間には情はあっただろうが死が二人を別つまでと言った程度であっただけだ。
 ――やけにスッキリとした考えを持っているのだと、人に言われたことがあった。
 馬鹿げた話ではあるのだろうが、いつかはそうなると思って居たのだ。
 自分自身は然程傷付いて等居なかった。初めてその訃報を耳に為たときに「ああ、やっぱり」などと思った事を知られれば何と云われるだろうか?

「ああ、やっぱり水夜子君のそういう所が好きだよ」

 その程度の言葉が返されるのだ。さて、死人には口なし。本当にのかは分からない。
 水夜子という人間は死後の世界は有り得ると考えて居るが、あの人はどうだっただろうか。
 死後の世界に対して、水夜子がロマンチストな考えを有しているわけではない。そもそも、魂という存在も些か懐疑的ではあるのだが怪異なりなんなりと呼び掛ける存在を許容していて死後の世界などがないと考えるのは自己の思考の否定に過ぎない。
 しかしながら、死後の世界がどの様なところであるかなどは水夜子は残念ながら説明は出来なかった。
 極楽浄土などとは思わなければ地獄相応の何らかが存在しているとも思わない。ただ、ただ、死者は未練という煮凝りがあれば現世に留まり、何もかもがなければ消え失せるかのように死後、幽世へと移行するのだと認識していた。
 あの人はきっとなんて未練の一つにもしないだろう。
 だから、私も未練になどしてやれない。
 澄原 水夜子とはそんな女だった。
 何せ。多少の意地悪くらいはしてやっても構わないだろう。

「水夜子」
 従姉の呼び掛けに「ああ、姉さん」とそう笑いかけてから水夜子は立ち上がった。
「忙しいですか?」
「いいえ、大学も春休みですから。暇を持て余していたと言うべきかも知れませんね」
 水夜子の言葉に従姉は妙な顔をした。澄原病院に何時だって遊びにやって来る従妹はもうすぐで大学4年生になるのだ。
 卒業論文などで忙しないと遊びに来なくなった彼女は暇だと言いながら文献の溢れる部屋で1日を過ごしてたからだ。
「卒論は?」
「あー……そうですねえ、まあ、私の場合はフィールドワークの結果を書き示すだけみたいな所があるので問題はありませんよ。
 それに、暇と行ったのは姉さんのお陰でもあります。私、就職活動が必要ないではないですか。
 これから澄原病院に就職して当り前の様に過ごし、夜妖が何らかの事件を起こすならば其方に向かう……実に分かり易いです。
 常識的な範囲で人間として観測されるべき将来のルートが確約されていることは此程に嬉しいことはありませんとも。
 ええ、ですから、暇なのです。端的に言えば、最近は私をんでくれるような事件もないでしょう?」
「落ち着いた方が良くはありませんか?」
「それは姉さんが、です」
 水夜子は目の前の女を見た。憧れていた人だった。そんなことを口に出すことは憚られたが、強く、美しい人だと認識している。
 彼女は跡取り娘となるべく育てられたわけではない。家督は弟に譲ると心に決めていただろう。当然男が継ぐ方が良いとも誰もが考える。
 しかし、彼女は優秀だった。女であることを覗けば、求められる資質の全てを備えていた。
 ――だから、のだとも分かって居る。
 それを理解した上で、この女が当り前の様に澄原を引き継ぐと決めた事も、その伴侶におのれは澄原であることを告げた事も。
(まあ、澄原という家をそのまま乗っ取る位のことはこの人にとっては造作も無いことなのでしょうけれど――)
 なんて、思ってしまうほどに、この人はヒトだった。
 水夜子にとっては少なくとも憧れの的であり、想像した以上に「自分の真似などできない相手」だった。
 利用価値として彼女の傍に居るべきであると急かされようとも、子供っぽい贈り物を未だに大事に持っている自分はいつまでたっても父の傀儡を続けて居たのだけれど。
 不運だったなあ、と水夜子は彼女を見て笑う。
 この人が女で、自分も女だった。
 
 不運だったけれど、それも幸運だったのかも知れない。
「ねえ、水夜子」
「なんですか? 姉さん」
「好きなことを、してみませんか?」
 ――ほら、この人はそうやって家のしがらみも何もかも知らぬ顔をして、道を示そうとするのだ。
 強く、そして誰にも依存しないで生きていくことの出来る影のある人。
「……貴女には沢山の苦労を掛けました。今、世界は大きく動いているでしょう。
 破滅を前にしてこの揺り籠は微睡むばかりでしたが、それも今は止めてしまった。世界は開かれたように、街の人々は現実から目を背けることもなくなったのです。
 ですから……貴女は機構のように動かなくても良いのですよ。
 世界を旅してみたいというならば、言って下さい」
「姉さんは?」
「私だって偶には休暇を戴きます」
「私はクビですか?」
「いいえ、貴女が看護師や医師を志してくれるならば幾らでも席は空けましょう。秘書となっても構いません。
 それは貴女が……水夜子が選択することでしょう。私が口出しすることではありません」
「ふふ、姉さん。姉さんって何時も可笑しな人ですよね」
 水夜子は堪らず可笑しくなって笑った。
「私ができっこないって分かってたくせに!」
 その言葉を吐き出してみればぱちくりと瞬くその人は「今は違うでしょう」とそう言った。
 そう、そうなのだ。そうだからこそ、可笑しな人なのだ。見ていないようで、こんなにも自分を見て居てくれた。
が死にました」
「はい、聞き及んでいますよ」
「私の最後が欲しいだなんて言って居た癖に
「そうですね」
「でも、そういうものなのです。一時に燃え盛った焔というのは燃え尽きるのも早い。
 あの人はそういう人だったのです。燃え盛るように生きて、その姿はかぎろいのように消え失せてしまう。
 盆の日にさえ帰って来ないであろうあの人は、私がバカみたいな盆踊りをして居たって皿の一枚も数えてはくれませんよ」
 水夜子はそう笑ってから「だから、未練など私にもさして残らなかったのでしょうね」と付け加えた。
 従姉は、はたと動きを止めてからその穏やかな瞳でじいと水夜子を見ている。何時だって、何かを見透かそうとするその瞳は疑惑に満ちている。
 嘘なんて吐いていないことが分かったからだろうか、その視線が和らいで困り切った様子で細められた。
「――と、言うと?」
「混沌世界を見て回りたいです。ただ、その為にはきちんと冒険者としての技能を身に付けなくてはなりません。
 それはしっかりと、まあ、暁月さんでも頼りましょう。私の可愛い従兄が世話になっているんですから、私が通いでやってきたって問題などないでしょう?」
「刀は、向きませんよ」
「嫉妬ですか、それもまたいいですね。
 ふふ、そうしたら、ぐるりと世界を見て回るのです。心躍る怪談と出会えると思います」
「それを持ち帰ってくれるのでしょう?」
「はい。私はです」
 水夜子はにんまりと笑った。
 それは自殺行為などではない。自身は立ち向かえるだけの強さがあると確信してからの旅路だ。
 護衛役を雇っても構わない。北へ、南へ、西へ、東へ。居たる場所に向かいそしてそれを手記にでも束ねようか。
 おのれはだ。神社の娘である音呂木には敵わず、眼前の怪異の治療者である澄原にも敵わない。
 祓い屋の技能は無く、寄り添ってくれるような夜妖の一匹もいない。――ああ、あの人のを剥ぎ取っておけば良かったか、なんちゃって。
「私は、私の目で見た世界を全て纏め、作家にでもなろうかと思いましたよ。
 勿論、病院に勤める素敵な看護師さんとして、ですけれど。
 知識は飽くなき欲求です。まるで腹を空かせたけだもののように何だって喰らい尽くしましょう。
 それが私を作り上げる。私をこんな化物にしたのはこの都市であり、特異運命座標と呼ばれていた人々だったのですから。
 多少の責任は他の皆さんに取らせましょう。私の護衛を、たくさん……楽しんで貰うのです」
 にっこりと笑った水夜子に従姉は「強かでよかったです」とだけそう言った。
「では、このままランチは如何でしょうか?」
「ランチタイムですか」
「ええ、ランチです。……お腹が空いたかと思って様子を見に来ただけでしたから。
 それから、をしませんか?」
「ええ、分かりました。用意をしてきますので、エントランスの椅子で待っていて下さいますか?」
 頷いて部屋を辞した従姉を見送ってからクローゼットへと向かう。寝室として使っているその部屋は狭苦しいが水夜子が全てを詰め込んだお気に入りの空間だった。
 もう春めいてきた頃か。春らしいスカートでも出して、それから従姉とデートなのだと言い張ってみたって良い。
 ふと、カレンダーが目に入った。
 ああ、そういうことかと合点がいく。
 のだから何かあると思ったのだけれど――
「愛無さん。私を置いていっただなんて、いけないひと」
 ゆっくりと手を伸ばす。卓上のカレンダーは何もか決まれることがなく真新しいままだった。
「まあ、残念ながら――」
 水夜子はふっと笑みを零してからカレンダーをぱたり、と伏せた。
「当分は私も其方に行ってはやれませんから。精々、
 メッセージ通知で点灯したスマートフォンアプリには3月8日13:00の文字だけが光っていた。

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