SS詳細
祝福
登場人物一覧
- ジョシュア・セス・セルウィンの関係者
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春の森は、暖かな香りがする。鼻に届くそれをめいっぱい吸い込んで、ジョシュアは鮮やかな緑の中を早足に進んでいた。
クラルテはもう咲いている頃だろうか。咲いているのなら、もう一度リコリスと見に行きたい。そんな想いが湧き上がって、気が付く。もう混沌世界は救われたのだ。これからは、リコリスと一緒にいられる時間が増える。そう思ったらふわりふわり、心が温かくなって、弾んでいくようだった。
道の途中でカネルが迎えにきてくれて、抱え上げる。生き物の温かさが胸に染みるようで、リコリスに会いたいという気持ちが強くなって、つい、走り出していた。
「ジョシュ君」
リコリスの家が見えると、ちょうど彼女が家に鍵をかけているところだった。目が合うと、彼女もまたこちらに急いでこちらに向かってくれて、その表情にじわりと涙が滲む。
「おかえりなさい。無事に帰ってきてくれて、良かった」
「ただいま戻りました」
心配かけてごめんなさい、と言おうとして、「無事を祈ってくれて、ありがとうございます」と言い直す。鞄からハンカチを取り出して、彼女に差し出すと、なんだかジョシュアも泣きたくなってしまって、それに気が付いたリコリスが自分のハンカチを取り出す。お互いがお互いのために自分のハンカチを用意していることが嬉しくて、おかしくて、そのまま笑い合った。やっとここに帰ってこられたのだと、安心した。
「行きましょうか。桜を見に」
「はい」
魔法の馬車が現れて、リコリスに招かれるように手を差し出される。少し緊張しながら、その手を掴めば、柔らかく握られた。ジョシュアを軽く引き上げる時に、髪に結ばれた桜色のリボンが揺れていて、首元にはシャイネンナハトの時に贈ったネックレスが輝いていることに気が付いて、なんだか胸が温かいような、締め付けられるような思いがした。なおさら、今日が良い思い出になるようにしてあげたいと思った。
魔法の馬車は空を飛ぶもので、どうやらリコリスと交流のある魔女が、昼の明るい時でも人の目に映らないように改良してくれたものらしい。二人と一匹を乗せた馬車はぐんぐん高く昇っていき、わあと声が零れる。
「着くまでしばらくかかるみたいだから、それまでお菓子を食べながら話しましょうか」
リコリスが鞄から取り出したのはクッキーだった。桜の花びらを思わせる形のそれはほんのりピンクに色づいていて、春の様子を切り取ったようだ。一つを口に入れると、しっとりとした食感と柔らかな甘さが広がって、それから紅茶の香りが残る。
「美味しい。なんだか、春の味がします」
「良かった。桜の紅茶を見つけたから、混ぜ込んでみたの」
カネルに猫用のお魚クッキーをあげると、嬉しそうに尻尾が揺れた。その様子を見て、ジョシュアとリコリスの頬が緩む。二人で目があって、ふふと笑って、自然と話が弾んだ。
カネルのためのおもちゃがまた増えたこと、街で売っていた苺のジャムが美味しかったこと。リコリスのする何気ない話の心地よさに、ずっと耳を傾けていたいと思う。もし混沌での闘いの話になれば、あの時はリコリスがいたから力を振るえたのだと言おうか、とも思ったけれど、なんだか告白のようだと思って、闘いの話にならないように、ジョシュアからも他愛のない話をした。友達とのやりとりをかいつまんで話せば、彼女はジョシュアが友人に恵まれたことを、自分のことのように喜んで聞いてくれる。それが嬉しくて、胸にほうと灯りがともる。
やがて魔法の馬車が地上に近づいて、木々に囲まれた場所の中にふわりと停まった。カネルに猫用の鞄の中に入ってもらい、玩具を入れる。そして二人と一匹で、知らぬ土地に降り立つ。辺りを見回すと、少し離れたところに淡いピンク色に染められた木が、川に沿って咲いているのが見えた。
「わ、リコリス様、向こうに」
「まあ、桜だわ」
写真よりずっと綺麗だわ。リコリスはそう言って、どこか愛おしそうに目を細める。その様子にジョシュアの心臓が音をたてて、リコリスに気が付かれないように胸を抑えた。
「もっと近いところに、行きましょうか」
フードを被りながら言うと、リコリスは頷いてくれた。自然と取りあった手は温かくて、知らない場所にいる不安が軽くなる。リコリスもそうであれば良いと思って見上げれば、彼女もまた、どこかほっとしたように笑っていた。
魔法の馬車は小さく収納されて、リコリスの鞄の中へ。桜並木に近づくと、はらりはらりと風に流される花弁が二人の肩に降り、手のひらに落ちる。太い幹から細い枝へ、精一杯に咲き誇る命は淡い色を灯し、瞬きの間に散っていく。綺麗ね、綺麗ですね。二人でその光景に見惚れて、どこか夢心地のまま、人の少ないところを見つけてレジャーシートを敷いた。
そろそろお昼時になるからと、ジョシュアは鞄からサンドイッチを取り出し、リコリスは魔法瓶に入れられた紅茶とスープ、それからほんのり桜色の色づいたマドレーヌとマカロンを取り出した。カネルにもおやつをあげて、お花見の始まりだ。
玉子やハム、レタスを挟んできたサンドイッチをリコリスは嬉しそうに食べてくれた。リコリスが作ってくれた野菜と肉団子のスープも心温まる味がして、ほっとする。紅茶を飲もうとすれば、花びらが一枚、コップの中に舞い降りてきて、目を合わせて微笑む。
「なんだか、ジョシュ君が無事帰ってきたんだって、実感できたわ」
「僕もです。なんだか今、すごくほっとしていて」
リコリス様の元に帰って来られて良かったです。そうぽつりと呟けば、彼女は頷いて、もう一度「おかえりなさい」と微笑む。ただいま、今までよりも確かな声で言えた気がする。
混沌世界が滅んだら、彼女の住む世界にまで危機が迫る。だから何としてでも、守りたかったのだ。無茶はしたけれど、幸せは、ここにある。
「僕、やりたいことがあって」
リコリスの作ったマドレーヌをかじると、ほのかな甘みとバターの香りが口の中に広がった。美味しくて、優しくて、それが勇気をくれる。
「この世界の人間と魔女が、傷つけ合わなくて済むようにしたいのです」
振り絞った勇気は、普段よりも声を大きくさせた。自分の声の大きさに驚いて、しぼみそうになる気持ちを奮い立たせて、最後まで言葉を紡ぐ。
「まずは、両方の世界で協力してくれる人を見つけようと思っていて。友達にも声をかけてみようと、思って、います」
ずっと、この世界で、人と魔女を繋ぐ架け橋になりたいと思っていた。リコリスを傷つけるものから、守ってあげたいと思っていた。人間にたくさん酷いことをされてきても、優しさを大切に抱えてきた彼女はきっと、人と魔女の関係が良くなるほうが、心穏やかに生きていけるのだと思う。もう、混沌は平和になったのだから、この世界にこれまでよりも来ることができる。それなら、リコリスとこの世界のために、出来ることをしたい。
「どうかこの世界に優しさを。そう願っていてくれたものね、ジョシュ君」
「ええ。難しいことは、分かっています。長い時間がかかることも。でも、混沌で、僕を受け入れてくれた人がいたのです。だから、この世界も、きっと」
言い終わると、リコリスが穏やかに微笑んで、ジョシュアの頬に手を伸ばす。優しいのね、ありがとう。そう言う声の穏やかさは、心の底から喜んでくれているような響きがあって、泣きたくなった。
「私も、そうなるように願っているわ。ジョシュ君がそのために頑張ってくれるのなら、私も」
誓い合うように、互いの手を握り合う。すると今まで心の内側に押し込めていた想いが喉元までせりあがってきて、「あともう一つ、言いたいことが」と言葉が零れた。
「もう一つ?」
「あ、えっと」
勢いで言ってしまったが、リコリスが柔らかく首を傾げたのを見て、自分の心の中で忙しなく言葉が巡っていく。もう、態度でばれているかもしれない。子どものように思われているかもしれない。勇気が萎れそうになるけれど、今を逃したら、もっと勇気がなくなって言えなくなるような気がする。それに以前、友達に、ずっと共にいたいという決意が固まったら、気持ちを伝えると良いとアドバイスを受けていたのだ。友人の明るい笑顔を思い出すと勇気が湧いて、震える声の中に、ひとさじの願いが差し込まれる。人々に傷つけられてきた彼女に、気持ちが届くように。
「えっと。混沌世界での闘いを乗り越えられたのは、リコリス様のおかげなのです。それだけではなくて、毒の僕を受け入れてくれて、たくさんの優しさをくれたこと。本当に、ありがとうございます」
頭の中を、様々な思い出が巡る。最初に会った日。ジョシュアが毒の精霊であることを受け入れてくれた日。薬の作り方を教えてくれたこと。互いの誕生日を祝い合ったこと。シャイネンナハトやバレンタインを共に過ごしたこと。手紙のやりとりをしたこと。そんな時間と思い出があるから、今のジョシュアがいる。
「僕はこの世界のひとではありません。志す道も、楽ではないでしょう」
それでもずっと、リコリス様の側で、共に生きていきたいのです。
「好きです、リコリス様」
告げると、顔が熱くなって、胸が苦しくて、リコリスの顔を見られなくなる。聞いてもらえるだけで良いと思って伝えた言葉なのに、返事がこわい。目を逸らしそうになった時、ジョシュアの手を柔らかく包む手のひらがあった。
「私も好き。ジョシュ君が好き」
私もジョシュ君と生きていきたいの。リコリスの涙ぐんだような声に、はっとして目を合わせれば、彼女はこれまでに見たことのないほど穏やかな表情で笑っていた。
どちらからともなく抱きしめ合って、その温もりを伝える。幸せだ。もっと幸せにしてあげたい。そんな気持ちが湧き上がって、心が溶ける。降り注ぐ花びらは祝福のようで、ずっとこのまま、こうしていたいと思った。

- 祝福完了
- NM名花籠しずく
- 種別SS
- 納品日2025年04月20日
- テーマ『これからの話をしよう』
・ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)
・ジョシュア・セス・セルウィンの関係者
※ おまけSS『恋と愛』付き
おまけSS『恋と愛』
あの子のこと好きなんでしょう。そう言ったのは、カトレアだった。
「マカロン、すごく美味しいです」
「良かった」
顔を綻ばせてマカロンを食べる彼の顔を見ていると、心の奥底で温かいものが揺れる。髪の上に降った桜の花びらをとってあげると、彼はほんの少し顔を赤らめて、わずかに口をすぼめた。
リコリスの寂しい心に、そっと降ってきたのが、ジョシュアだった。共に過ごしているうちに、彼のことを友人として愛おしく思うようになった。彼に好意を向けられているのではないか、と思うようになってから、彼と過ごすこれからに、夢を見た。それは花のつぼみが少しずつ開いていくような柔らかさと愛おしさをもって、リコリスの胸に降り積もる。
毒薬に名前をつけてくれた。優しい日々を与えてくれた。光と救いになってくれた。大切な友達。それだけだと形容の出来ない情があることに気が付いた時、カトレアは訪れた。
『リコリス、それは恋よ恋』
『恋?』
『恋ははじめてではないのでしょう? もう、リコリスってば』
紅茶を飲みながらきゃらきゃらと笑う少女に、恋や愛のなんたるかを語られて、この愛おしさも、どこか切ない気持ちも、幸せを願う気持ちも、恋にひとしいものだと、気が付いてしまった。そうしたら、なんだか急に、時折触れる手や指の柔らかさや温かさをより一層感じるようになって、そのもどかしさを知った。
『でもリコリスのそれは恋を通り越して愛ね。そうよ、愛よ』
相手のためを想うのが愛。カトレアの言葉を思い出す。それなら、ジョシュアに出会った頃からずっと、友情が恋になることも、愛になることも、運命のようなもので決まっていたのかもしれない。
「カネルも桜、楽しんでいますか?」
にゃあと鳴くカネルは、ジョシュアに「楽しい」と語り掛け、それからリコリスに向かって「おめでとう」と言う。ありがとう、と返せば、カネルは自分の上に降った桜の花びらをつついて遊び始めた。その様子に、二人で顔を見合わせて微笑みあう。
これから、リコリス様じゃなくて、呼び捨てやあだ名で呼んでくれる時が来るのだろうか。これまでも手探りでゆっくり深めてきた仲だから、きっとこれからもそうなるのだろうけれど、もしそんな時が来たら嬉しい。
この世界のすべてが、ジョシュアに優しいとは言えない。魔女の仲間たちは彼を受け入れてくれるだろうけれど、人間が人間以外の者に優しいとは限らないのだ。それでも、彼はこの世界で、リコリスと共に生きることを選んでくれた。そんな彼のために、精一杯の喜びと幸せを分けてあげたい。この先何があっても、二人と一匹で乗り越えていけるような、そんな気がする。
「好きよ、ジョシュ君」
頬にそっと唇を落とせば、彼の顔がみるみる赤く染まって、髪色が変わっていく。その様子の可愛らしさに微笑めば、慌てるジョシュアの声にならない声が聞こえた。
ああ、なんて幸せなのだろう。そう思った。