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ヴァークライトの悲劇

登場人物一覧

スティア・エイル・ヴァークライト(p3p001034)
天義の聖女
スティア・エイル・ヴァークライトの関係者
→ イラスト

 アシュレイ・ヴァークライトの『不正義』が起こったという話を聞いたときにエミリアは頭が真っ白になった。
 信頼と、そして、尊敬の対象であった兄が処刑対象に情けをかけ、神の意志に背いたと聞いたときには耳を疑ったものだ。屋敷では母を亡くし、父の帰りを待つ彼の一人娘スティアが「お父様が帰ってこない」と執事やメイドに泣きついているこの状況下で、彼女にどう説明したものか。そして――不正義たる謀反者を家中より出したのだ。それがどれ程の大罪であるかをエミリアが知らぬわけはない。エミリアは兄が神の意志に背いたことを知りながら、幼い子供にまで嫌疑をかけ剣を振り下ろす事が出来る者の方が少ないのではないかと父に乞うた。父は――スティアの祖父であり、アシュレイが幼い一人娘の面影を感じた事に気づかぬふりをしている彼は――首を振っただけだ。
「神が御意思に従いなさい」
 エミリアは目の前が真っ暗になる感覚がした。騎士として剣を持つ傍ら、ヴァークライト家の一員として社交界に出る彼女のドレスが砂に絡み汚れる。「お嬢様」と幼いころから彼女を見ていた執事はそっとその背を撫でる。
「大丈夫、大丈夫ですから……」
「何が、大丈夫だというのですか。このままでは我が家は――」
「ええ、ですから、それは大丈夫です……お館様もしっかりと考えて下さっておりますから……」
 背を撫でるその感覚にエミリアは息を飲む。考えている、とは何をだろうか。その答えが出ぬ儘にエミリアは書斎へと引きこもった父の背を眺めていた。

 ――時を同じくして、天義中枢にて、枢機卿アストリアの近衛兵は「猊下、こちら『書簡』にございます」とそっと差し出した。
 宛名のないそれを慣れた手つきで開いてから、ぺろ、と舌を見せたアストリアは「下がれ」とだけ返す。
 最近の彼女は退屈していた。強欲な女は変化のない日常と在り来たりな日々に詰まらなさを感じずにはいられなかったのだ。だからこそ暇つぶしを考えていた、が、どうやら考える事も必要はなかったようだ。
「ふむ」と彼女が呟いたのは書簡にしたためられていた内容が愉快であったからに他ならない。幻想王国の様に貴族が強いわけでなければ、海洋王国の様にしっかりとした制度が存在しているわけではない神を第一にしたこの国ではままある事ではあるが、『それが頻発する』のも珍しいではないか。
「至急、返事を。愉快愉快」
 その美貌にはあまりに似合わぬ笑みを浮かべた枢機卿に近衛兵ははあと小さく返した。
 書簡にしたためたのはかの名門貴族、アシュレイ・ヴァークライトの不正義に関することであった。曰く、情状酌量の余地があるのではないかと言う風にヴァークライト現当主が嘆願書を提出して来たらしい。その中にはコンフィズリーの名もあったが故にアストリアは『愉快』でしかなかった。
「ミディアは?」
「きっと、猊下ならばお呼びくださると思っていましたわ。私、またとない機会だと思ってましたもの」
 アストリアの呼びかけに応じたのは美しい金の髪を揺らした女であった。その熟れた美貌を包み込んだカソックは何処か違和さえも感じさせる。ルージュの塗られた唇を釣り上げて、ミディアはくすりと笑う。
「聞きましたわ。アシュレイの話――それは、とても……ええ、悲しいと思いますの」
「虚飾は罪じゃ。
 嘯く暇があるなら本音を言う方が建設的じゃろ」
 アストリアの『軽口』にミディアは「良い様ァ!」と叫んだ。今まで被っていた大人しい聖職者のガワがずる剥けて女はけらけらと笑い続ける。
「だって、だぁって! 冒険者となんて結婚するのがどうかしてると思いますわ!
 ああ、けど、勝手に没落への『栄光の花道』を通ってくれるんですもの、ああ、おかしい!」
 笑い続けるミディアにアストリアはだからこいつは傍に置いていて面白いのだと見ていたが飽きが来たのか欠伸を一つ。
「好きにするが良い」
「あら、よろしいの? 猊下だって『暇つぶし』が必要でしょう?」
 アストリアは詰らなさそうに私怨がある者が決めた処遇の方が面白いではないかと呟いた。

 ◆

 ヴァークライト家の書斎にて、エミリアは父をまじまじと見て乾いた声を漏らした。
「――今、なんと?」
 悍ましい父の『考え』を聞いて、エミリアが最初に感じたのは「どうして」という疑問であった。
 彼が何らかの考えのもとで動いているのは知っていた。わざわざレオパルやフェネスト六世にも謁見したと聞いたときから嫌な予感はしていたのかもしれない。
「だから、エミリア。我がヴァークライト家の没落を防ぐにはこれしかないのだ。
 分かるだろう? ……お前には苦労を掛け、その手を血に染めさせることは申し訳ないと思っている。だが、」
 書斎にはわざわざ絵師を招いて家族揃った姿を描いてもらったものが飾られている。微笑むエイルの腹にはスティアがおり、生まれたらまた描いてもらおうとエイルと父が約束していたものだ。初孫であるスティアの事を大層楽しみにしていた父は「エイルならば立派な子を産んでくれるだろう」とアシュレイよりも誇らしげであった事をエミリアは憶えて居た。
 その絵を、眺めてから父は言うのだ。

 殺せ、と。

 彼から見れば自身はまだまだ幼い子供だ。愛おしいエミリアと呼んで抱きしめてくれた父。
 彼がその手で抱くことを楽しみにしていた初孫。愛おしいスティア。
 そのどちらをも守る為に彼は選んだのだ。ヴァークライトと言う家が残れば――不正義と罵られようとも得た財産と『帰る家』さえあればスティアだって自身だって、守られる。父はそう願ったのだろう。
「この『負債』は我らが引き受けよう。お前の手で、一族を処分するのだ。
 分かるだろう。……エミリア、お前と――それから、まだ幼いスティアがヴァークライトを再建すればいい」
「そんな、……そんな、選択肢、必要ないでしょう?
 お父様と私が居ればスティアを守っていけます。母が亡く、父迄もが行方知らずになったあの子に祖父までもを奪えと神は言うのですか」
 エミリアの悲痛な声音に父は――ただ、笑った。
 アシュレイもエミリアも頑固で、どこまでも真っ直ぐだ。だからこそ彼は幼い少女に剣を振るうことを拒んだのであろうし、エミリアだって『一族皆殺し』を命じた所でそれを拒絶するような反応を見せたのだ。
「神の御心に反した我等がこれ以上の裏切りをせぬという事を示さねばならぬのだ。
 エミリア、分かるだろう……? お前とスティアの未来(さき)は長い。我等がその未来を曇らせたくはないのだ」
「ッ……しかし……」
「エミリア、ヴァークライトの分家にも若い者は居るだろう? 彼らは従者とし『解雇』なさい」
 父のその言葉にエミリアははっとした。運命を共にすると懇願する従者たちもきっといるだろう。父はその従者たちと共にその命を落とす一方で、『従者』に紛れるように年若い者を逃がせと言っているのだ。信心深き天義ならば神の愛を受ける人々を『慈善事業』として孤児や使用人の雇用を行うことは何ら可笑しなことではない。
(分家の者も、年若い使用人も……逃がして再雇用でもいい、しっかりと我が家の存在だと宣言し、共に在る事を考えればいい。そのためにお父様や爺やを殺して――)
 冴えたやり方であるとはエミリアは思っていた。それと同時に、それを担えるほどに自分は強くないとも思えた。
 唇を震わせ、父を見るエミリアは背に何か気配を感じる。誰かが廊下を歩いている音だ。それもたどたどしく、どこか迷いを感じる歩調だ。小さな歩幅でやってきたのだろう、『へたくそ』なノックが響きそっと扉が開く。
「おじいちゃま? おばさま……?」
 顔をそっと覗かせたのは幼いスティアであった。その顔を見た時、父が見せた愛おし気な表情にエミリアは唇を噛み締める。父は――彼女を、愛おしい孫娘を守ろうとしている。罪のない、未来のある彼女を。
「ああ、スティア。叔母様とね、お話ししていたんだ。スティアに新しい絵本を買おうかと思ってね。
 おじいちゃまはもうすぐすると遠くに行かなくてはならなくてね、スティアが寂しくないように……」
「おじいちゃま、どこかにいってしまうの……?」
「そう。すごく遠くだよ。けれどね、お父様を探しに行ってくるから大丈夫さ」
 父の優しい声音を聞きながら、エミリアは唇を噛み締める。嗚呼――こんなにも優しい父が選んだ未来を否定する必要があるのだろうか。
 にんまりと微笑んで父に擦り寄る姪の未来を消してしまう選択肢など必要なのだろうか。エミリアは顔を伏せ、「おじいちゃまは遠くに行ってしまうけれど、おばちゃまはずっとスティアといますからね」とその銀の髪を撫でた。
 その声が、震えていたことは――隠せないだろうか。

 ◆

 アストリア猊下の下についていたミディアという聖騎士がヴァークライトの『処刑』に携わると聞いたときに、私怨も甚だしいとエミリアは頭を振った。フェネスト六世やレオパルが居てもアストリアの名代たるミディアの発言力が大きい事も予測される。
「わたくしは貴族としてのうのうと『不正義』が居座る方が害であると考えますわ。
 ええ、勿論……老いた元当主しか残らぬ家ですもの。『時間の問題』であるかもしれないですけれど」
 くすくすと笑ったミディアにエミリアは唇を噛み締める。彼女はいわゆる、アシュレイに横恋慕していた女であった。エイルという良き縁に恵まれた時にミディアは「どこぞの冒険者風情を」と声高に言った事は記憶にも残っている。彼女は自身の面が潰れたとでも考えているのだろうか。これを機に『不幸』をプレゼントしてくるというならば神の徒ではなく悪魔的ではないか。
「お言葉ですが、わたくし共は神に対してこの忠誠を誓うがために……わたくしの手で断罪の刃を振り下ろしたく考えているのです」
「それは?」
「そして、わたくしはもう一人の助命を神へと求めます。手前勝手であると罵られるかもしれない――しかし、年若き彼女にまで信仰の枷を背負わせたくはないのです。物心がついた後、彼女が不正義であるならば私と、彼女の命を以て我が家は取り潰しとなっても構いません」
 凛としたその声音は、覚悟をしていたとでもいうかのようだった。エミリアのその言葉に「そんなの、都合がよすぎますわぁ!」とミディアは怒鳴るが、フェネストは「聖騎士エミリアとして、その正義の刃を振るうか」と静かに問いかける。
「はい。スティア――我が幼い姪とわたくしの二人のみをヴァークライトに残し……使用人は解雇いたしました。
 質素な暮らしをすることになるでしょうが、それでも構いません。数名の使用人は父と共にその命を絶つと決めたそうです。我が正義の刃を以て、断罪して見せましょう」
 断罪と言う名の処刑はミディアやシェアキムの前で行うと言ったエミリアにミディアはこてりと首を傾げて『意地悪く』笑う。
「ああ、ならば、処刑の様子を見てもらうべきではなくって?」
「誰に……?」
「スティア――敬虔なる信仰の徒となるならば必要でしょう?」
 くすりと微笑んだミディアにエミリアは唇を噛んだ。「そんな必要は」と叫びかけたその言葉を飲み込んだ。
 彼女の隣で跪いて居た父は「神がそれを望むならば」と静かに返す。
『そんなもの』を見せれるわけがないとエミリアは唇を震わせる。スティアの追うことになる心的外傷がどれほどなものになるかなど、分かり切っているではないか。しかし、神がそれを望むというならば、そうする他にないのだ。
「……分かりました」
 分かって堪るものか、とそう出かけた言葉を飲んだ。私怨ばかりで神だ正義だと口にしてはいるが『そんな気持ち』は一縷もないくせに、と謗りかけた言葉は無視をした。エミリアは笑みを崩さぬ儘「御意」とだけ返し、そして然るべき日と場所を待った。



 その日はやってきた。フェネスト六世はスティアを自身の隣に座らせた。彼から見てもミディアは目に余ったのあろう。
 ゆっくりと刃を振り下ろし、命を奪う。エミリアが見下ろしたその先には彼女が幼いころから傍に居た爺やが座っている。
「お嬢様、如何かお元気で」
 掌に汗が滲んだ。穏やかな笑みは覚悟は完了しているようで。スティアとエミリアがこれから先、幸せなのであればと彼の笑みは告げているかのようだった。
「どうして――」
 唇を震わせる。これから先もずっと一緒に居て、彼が先に逝くならば盛大に送り出してやりたかった。彼が幼い日にくれた赤いアネモネ。自身の事を実の娘の様に愛してくれていたその老体は縄をかけられ、抱きしめてやることさえできない。
「爺や」
「お嬢様には笑顔が似合いますから……」
 剣を振るう手が震えている。泣き叫ぶスティアはレオパルが退席させた。その様子を見つめていたフェネストは痛ましいと目を伏せ、ミディアは「早くなさい」と叫び続ける。
「正義を示すのではないのですか! エミリア・ヴァークライト!」
「ッ――……さようなら」
 赤い血が、エミリアへと返ってくる。肉を断つ感覚が掌に伝わってくる。刃を引き抜いて、エミリアは唇を噛んだ。
 次へ、次へと刃を振るう。料理人の男は「お嬢様なら嬉しいさ」と小さく笑う。乳母は「幸せになってね」と微笑んでいる。
「――――!」
 スティアの鳴き声が耳を劈いた。それ以上は、もう、何もなかった。
 赤い血の海の中、泣き叫んだスティアを抱きしめて、エミリアは「償いました」と震える声で小さく返した。
 そうして、エミリア・ヴァークライトの『一族殺し』は歴史の中に記載された。
 その後、ヴァークライト家は『孤児』や『使用人の雇用』を慈善事業として行ったとだけ記載が追加されている。
 アシュレイ・ヴァークライトの不正義を償う為に行われた一族の悲劇はただの歴史の一篇となり、その際に、陣頭指揮をとって居た聖騎士ミディアは行方知れずなのだという。

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