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孤独な蛮族。或いは、青き鋼の夜奏曲…。
登場人物一覧
- イズマ・トーティスの関係者
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●コンサートの後
盛大な拍手と共に、コンサートは幕を降ろした。
グラオ・クローネの時期ともなれば、彼女……ヴァインカル・シフォ―の所属するシラホシ・フィルハーモニー管弦楽団は、海洋国家の各地でコンサートを開催するのが毎年の恒例であった。
なにしろ、グラオ・クローネだ。
甘い菓子や恋人同士の楽しい時間を、より鮮やかに彩るためには“素晴らしい音楽”が欠かせない。その点、ヴァインカルの所属するシラホシ・フィルハーモニー管弦楽団はまさにうってつけであろう。
ピアニストであるヴァインカルをはじめ、トランペットにヴァイオリン、ギターやドラム、オーボエにチェロ、果ては指揮者に至るまでが“音楽を心から愛し”、毎日欠かさず技術と知識の研鑽を怠らぬ“壇上の戦士”たちなのだから。
「あっ、ヴァインカルさん。お疲れ様です!」
楽屋に戻ったヴァインカルの元に、小柄な女性が駆け寄って来る。シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団のマネージャーだ。
彼女は楽器を握らない。
彼女は歌を歌わない。
彼女は舞台の上に立たない。
だが、彼女の助力なくしてはシラホシ・フィルハーモニー管弦楽団は最高のパフォーマンスを発揮することは出来ないと、今のヴァインカルは知っている。
「えぇ、ありがとう。貴女もお疲れさま」
マネージャーから、水とタオルを受け取りながらヴァインカルは笑う。
と、言っても引き攣ったような歪な笑みだ。
無表情がデフォルトのヴァインカルは、笑うことに慣れていない。
マネージャーは、苦笑いを浮かべてから幾つもの封筒を取り出した。
「そうだ! パーティーの招待状がこんなに沢山届いていますよ! それに、お花やプレゼントも! ご覧になりますか?」
「…………」
パーティーの招待状や、楽屋に届いた沢山の花束とプレゼント。
いつものことだ。
パーティーには、きっと高価で美味しい食事や酒が用意されているだろう。
だが、ヴァインカルはそれに興味を抱けない。
気が向けば……時間に余裕があるのなら、招待に応じることもあるけれど、それだってあくまで社交辞令の一環である。
良い香りのする花束も、高価なアクセサリーや衣服も、ヴァインカルの心を動かすには至らない。
二十数年の人生において、たったの1度だって、値段や見た目の美しさがヴァインカルの琴線に触れた試しは無かった。
ヴァインカルの琴線を震わせるのは、“魂を削り、生命を燃やして作られた楽曲”以外に存在しない。
ゆえに、彼女は“孤独な蛮族”。
ピアノという武器を手に、すべての音や、観客や、或いは連綿と受け継がれた音楽の歴史に真正面から立ち向かう、ピアニストという名の蛮族である。
「そのうち、時間が出来たらね。悪いけれど、今夜は少し用事があるの」
招待状の束を押し返しながら、ヴァインカルは更衣室へと歩いて行った。
その手には、たった1通だけ……蒼い封筒が握られている。
●マリンノーツの夜
海洋、マリンノーツからほど近い場所にある孤島。
空が赤く染まる頃、港に着いた船が1隻。大きな帆と、船体に見える無数の窓から判断するに、どうやら旅客船のようだ。
降りて来る乗客の列に混じって、イズマ・トーティス(p3p009471)の姿があった。イズマは少し焦ったような顔をして、赤く染まる空を見上げる。
「参ったな。嵐に逢うなんて……おかげで、到着が遅れてしまった」
鋼の義肢で前髪を掻き上げ、イズマは重たい溜め息を零した。
視線を西の方へと移せば、赤く染まる空に浮かび上がる“尖塔”のシルエットが見える。
海に浮かぶように建てられた背の高い尖塔。
この島の観光名所であり、シンボルでもあるその塔の名は“カッサンドラ音楽塔”。
イズマの今日の目的地であり、そしてシラホシ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート会場である。
港から“カッサンドラ音楽塔”までは、海の上に敷かれた長い橋を渡って行く必要があった。
まっすぐに海の上を走る橋の両端には、ずらりと無数の墓石が立ち並んでいる。
墓石の1つひとつに目を向け、祈りを捧げる時間は生憎と今のイズマには無いが、彼はその墓石が“偉大なる先達たち”のものであることを知っていた。
音楽家たちの終焉の地。
それが“カッサンドラ音楽塔”だ。
「彼らに子孫はいるのだろうか……いや、例えそうでなくとも」
橋の真ん中で足を止め、イズマは思わずそう呟いた。
彼らの奏でた音楽は、今もこの混沌世界に鳴り響いている。その事実が、イズマの胸を震わせる。
10や20ではない。
100を遥かに超えて……或いは、1000にも迫るかもしれない数の膨大な量の墓標。その数と同じか、それ以上に、この世界には音楽がある。
世界は音で満ちている。
生命が産声をあげるよりも遥か昔から、この世界には音があった。
やがて音は音楽となり、人々の口で、手で、足で、身体で、楽器で時に悲しく、時に楽しく奏でられてきた。伝えられてきた。
“転がる石”に例えられるジャンルが存在しているが、まさしくそれこそが“音楽”の本質だろう。
世界が始まった瞬間から、世界が終わるその日まで、音楽が鳴り止むことは無い。
少なくとも、イズマや、この地に眠る“偉大なる先達たち”は、その言葉を信奉しているはずである。
「随分と待たせるわ」
音楽塔の裏口に、白い女が立っている。
夜の闇の中、その周辺だけが白く淡く光り輝くようにも見えた。彼女の髪や肌の白さが、そのような錯覚を演出するのか。それとも、イズマ本人の気持ちの有り様によるものか……考えても答えは出ない。
「こういう時は、男性の方が先に来て待っているものではないの?」
ヴァインカルは、肩を竦めてそう言った。
台詞とは裏腹に、その表情には“仕方がないな”という親しい友に向けた感情が滲んでいる。
「あぁ、すまない。昼には着く予定だったんだが、船が嵐に逢ってしまって」
ついでに言うと、嵐の中で巨大なクラゲに襲われて一戦交えて来たわけだが……まぁ、その辺りのことはヴァインカルに言う必要は無いだろう。
「そう」
「あぁ」
参ったな、と。
イズマは内心で頭を掻いた。
思うように言葉が出て来ないのだ。ヴァインカルに逢ったら、言いたいことは沢山あった。話したいこともあったはずだ。
だが、想いは口を突いて出ない。
感情と、思考と、身体の機能が上手くかみ合っていないような感覚があった。ちぐはぐ、と言えばいいのか。指揮者の手の動きと、ドラムのリズムと、自身の演奏とがほんの僅かだけ“ズレている”時のような気持ち悪さだ。
「……音楽が鳴っているわね」
沈黙に耐えかねたのか。
視線を空の方へ向けて、ヴァインカルはそう呟いた。
午後から始まったシラホシ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートは終わった。だが、音楽に終わりは無い。
今日という日を祝うためか、“カッサンドラ音楽塔”の周りでは数多の音楽家たちが、思い思いに楽器を弾いて、歌っているのだ。
「ちょっと、聴きに行こうか」
ヴァインカルからの返答はない。
必要ないのだ。
イズマも、ヴァインカルも、2人とも一端の音楽家であるからだ。音楽家同士、言葉を介さず意思の疎通が叶うというのはよくあることだ。
そうでなくては、ステージの上で演奏など出来ない。
「聞いて欲しい話があるんだ」
音楽に耳を傾けながら、夜の音楽塔を歩く。
イズマから手渡された紙袋の中身は、宝石箱に似た小箱とマドレーヌ。甘い香りがヴァインカルの鼻腔を擽る。
「ルビーチョコレートとマドレーヌだ。まぁ、ちょっとした贈り物なんで……食べながらでもいいから、少し話を聞いて欲しい」
「どうしたの? 改まって?」
細い指先でマドレーヌを掴みあげ、ヴァインカルは首を傾げた。
イズマの顔が、いつになく真剣なように見えたから。
まるで、一世一代のステージに挑む“音楽家”のように。
イズマは、静かに語り始める。
●音楽は鳴りやまない
「才能が枯渇し苦悩する作曲家がいたんだ」
ぽつり、とイズマが言葉を零す。
「作曲家は死のうとしていた。でも、ある日に彼は、病に侵され余命幾ばくも無い少女に出逢った」
ヴァインカルは、無言のままにイズマの話を聞いている。
「少女は音楽家になりたかった。でも、病のせいでその夢は叶わない」
それは“カッサンドラ音楽塔”にまつわる古い物語だ。
「作曲家は、少女のために曲を書いた。枯れた才能も、苦悩も関係なかった。ただ純粋に、死を目前にした少女のために、自分が何を出来るかを考えた」
作曲家に出来ることなんて、曲を作る以外にない。
だから、彼は曲を作った。
寝る間も惜しんで、必死に、それこそ命を燃やすようにして。
「そうして1つの“名前の無い曲”を完成させた。少女が永遠の眠りにつく、ほんの数日前のことだ」
完成した曲を聴いて、いつか自分が演奏するんだと嬉しそうに微笑んで……そして、少女は死んでしまった。
少女の死後、その曲に付けられた名が“カッサンドラ”。
今もなお“カッサンドラ音楽塔”に保管されている楽譜こそが、それである。
「誰もが彼女を忘れないよう、老いた作曲家は自身の命が尽きる日までこの場所で曲を奏で続けた。今はもう、彼の名を誰も覚えていない。他ならぬ彼が、それを望まなかったから」
作曲家の死後も、彼の想いとカッサンドラという少女のことを永久に記憶していられるよう建てられたのが“カッサンドラ音楽塔”だ。
その想いに感化された多くの音楽家たちが、生涯最後の演奏の場に“カッサンドラ音楽塔”を選んだ。
橋の左右に並んでいた無数の墓標は、この地で“終焉”を迎えた音楽家たちの墓である。
「世界が終わってしまう瞬間まで、きっと彼らの遺した曲や、繋いでいった音楽はなり続けるのでしょうね」
淡々とした口調で、ヴァインカルはそう言った。
その瞳は、ここではないどこか遠くを見ているようだ。
「そうだ。そして、本当にそうなる可能性はあった」
この世界は終わりかけた。
だが、終わらなかった。
他ならぬイズマや、彼の仲間たち……そして、ヴァインカルや、この世界に生きるすべての者たちが“終わり”を望まなかったから。
次に繋いでいきたいと、誰もがそう願ったから。
「今の自分が在るのは先祖が次世代に継いできたからだ」
橋の手前で、イズマが立ち止まる。
ヴァインカルは、無言のままイズマの言葉を待っている。
沈黙の帳が落ちた。
誰かが奏でる音楽と、寄せては返す並みの音だけが聞こえていた。
イズマが、浅く息を吸う音。
そして、意を決したかのように言葉を紡いだ。
「俺は、トーティスを次世代に継ぎたい」
祖先が……ベルリオがそうしたように。
音楽が、そうであるように。
「つまり?」
ヴァインカルが首を傾げる。
「そのためには……そう、俺1人では無理なんだ」
「まぁ、そうでしょうね」
音楽と違い、名を遺すには“番”が必要なのである。
ヴァインカルとて、察しの悪い方ではない。ここまで聞けば、イズマが何を言いたいかは理解できる。
理解できるが、やはり言葉は必要なのだ。
イズマもそれは分かっている。
「つまり、添い遂げる人を誰か選ぶならヴァインカルさんが良い」
そこに、恋愛感情があるのかは分からない。
だが、次世代へと未来を繋ぐことは、イズマ1人では不可能なのだ。
その事実に思い至った瞬間に、イズマの脳裏に浮かんだのがヴァインカル・シフォ―という名の“精神的蛮族”の顔であった。
「……ふむ」
ヴァインカルは、顎に手を触れ考える。
「それは、告白ととってもいいのかしら?」
淡々と。
いつもの調子で、ヴァインカルはそう問うた。
念のため、確認しておこう。
そんな思惑が透けて見える問いだった。
「あぁ、そう取ってくれて構わない。少々、不純な動機というのも理解している」
だから、最悪の場合、断られても仕方がないと納得している。
「そう」
ヴァインカルは思案した。
多くを語らず、顎に手を触れ何事かを考えている。
自身の感情を整理している……と言うよりは、イズマという人物とその後の日々について思案を巡らせている様子であった。
「ピアノを置く部屋が必要よ」
「あぁ、それは問題ない。楽器は俺も弾くからな、防音設備は充実している」
「じゃあ、問題ないわね。真夜中だからという理由で演奏を止められるのは好きじゃないの」
ピアニストという名の蛮族とはそういうものだ。
「作曲や練習で、数日ほど部屋に引き籠ることもあるわ」
「まぁ、そういうものだろう」
それが何か?
ヴァインカルが“何故、そんなことを問うのか”がイズマには分からない。
ヴァインカルがそうであるように、イズマという青年もまた1人の音楽家なのである。
それも、音楽家の家計に生まれた“純粋培養”の音楽家だ。
毎日のように、誰かが演奏をしているなんて当たり前。
音楽に没頭するあまり、寝食を忘れることも日常茶飯事。
世間では“そうじゃない”ことを、イズマは真に理解できていなかった。
まぁ、相手がヴァインカルであるのならば、それで何の問題も無いのだが。
「そして、私は生涯、ピアノを止めるつもりはない」
「そうだろうな。ヴァインカルさんはそういう人で、音楽家とはそういう生き物だ」
コンサートのために、長く家を空けることもあるだろう。
数ヵ月もの間、世界中を飛び回ることもあるだろう。
「そうね。私たちはそういう“生き物”だわ。だとすると……ふむ」
顎に手を触れ、ヴァインカルは思案する。
「悪くはない……好物件とも言えるわ」
イズマと婚姻関係を結んだとして、今の生活が大きく変わることは無い。
ヴァインカルは、そう確信した。
ピアノの演奏を止める必要は無く、シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団を退団する必要も無い。
ピアノは演奏し放題だし、トーティス家が保管しているであろう楽譜も読み放題である。
子供が出来たら……まぁ、数年は幾らかの不自由もあるだろうが、大きな問題ではない。自分とイズマの子供であるなら、きっと音楽を好きになってくれるだろう。
そう思えば、イズマ・トーティスという男性はなかなかの好物件であるように思えた。
「強いて言うなら、生涯を通して、今後数十年を通して、本当にやっていけるのか……というところね」
「それは……えぇと」
「仮契約、ということでどうかしら?」
つまり“まずはお付き合いから始めましょう”ということだ。
差し出された手と言葉から、イズマは正しくヴァインカルの意思を理解した。
「本契約と相成ったら、その時は……いいえ、私たちが死ぬときには、ここで最後の演奏をしましょう」
「あぁ、その時が来たら」
ヴァインカルの手を取り、イズマは笑う。
2人の門出を祝うように、どこか遠くで鐘の音色が鳴っていた。

- 孤独な蛮族。或いは、青き鋼の夜奏曲…。完了
- GM名病み月
- 種別SS
- 納品日2025年04月06日
- テーマ『これからの話をしよう』
・イズマ・トーティス(p3p009471)
・イズマ・トーティスの関係者