PandoraPartyProject

SS詳細

強き脚の戦士たち。或いは、時間は流れる、世界は回る…。

登場人物一覧

オリーブ・ローレル(p3p004352)
鋼鉄の冒険者

●遭いに行こう
 吹雪の朝だ。
 真白に染まる視界の中に、険しい山岳のシルエット。
 生きとし生ける全てを拒む過酷な自然がそこにある。
 だが、そんな過酷な自然の中にも生まれ育ち、そして暮らしている生命が存在していることを『鋼鉄の冒険者』オリーブ・ローレル(p3p004352)は知っていた。
「さて、行きますか」
 オリーブはこれから、吹雪の山へと登るのだ。
 愛用のスノーモービル“ヴァイスヴォルフ”に手を触れて、額に着けたゴーグルを目元の位置まで引き下げた。
 見に纏うは分厚い防寒着。
 耳を覆うイヤーマフ。
 口から首はマフラーでしっかりと包み込み、寒さへの対策は完璧だった。
 完璧に対策してなお、十全とは言えないのが鉄帝の山脈である。年間の遭難者や、不慮の事故で亡くなる者の数を数え上げればキリが無いだろう。
 それでも、オリーブは行かなければいけない。
 懐かしき顔ぶれが、今をどう過ごしているのか。
 それを知るために。

 話は数日ほど前へと遡る。
 ある寒い日のことだ。
 鉄帝のとある街で、オリーブは1つの噂を聞いた。
「知ってるか? あそこに高い山があるだろ? 何でも暫く前から、あそこに住み着いた連中がいるらしい」
 雑踏の中から漏れ聞こえた噂話。
 取るに足りない、見知らぬ誰かの雑談がやけにオリーブの気を引いた。
「そう言えば、あの山でしたか」
 噂話の出どころに、オリーブは心当たりがあった。
 暫く前に依頼で知り合い、その後も時々、顔を合わせていた翼種たち。住処を失った彼女たちが、新天地と定めたのがちょうど“あの山”では無かったか。
 彼女たちは強い。
 過酷な雪山であれ、その強靭な脚と野性的な生活の中で鍛え抜いたフィジカルがあれば、きっと無事に暮らしているはずだ。
 そう思いたいが、確証はなかった。
 鉄帝の雪深い山脈は、それほどまでに過酷で危険な土地だからだ。
 で、あれば。
 それゆえに、オリーブは気になった。
 彼女たちが、果たして今頃、どんな風に暮らしているのかを。
 だから、彼はその日のうちに“険しい雪山”へと登ることを決めたのだ。
 古い友達に逢いに行こう。
 逢って、それから話をしよう。
 もしも、万が一のことがあれば……考えたくはないけれど、悲しいことがあったのなら、その時はせめて“彼女たちが生きた証”を自分だけでも覚えておこう。
 懐かしさと不安の入り混じった、不思議な心境だった。
 そうしてオリーブは、旅立ちの準備を開始した。

「あんた山に登るのかい!? 今!? この時期に? この吹雪の多い季節に!?」
 登山道具を売ってください。
 そんなオリーブの言葉を聞いて、店員の女は目を剥いた。
 信じられない。
 店員の目は、口ほどにものを言っている。
 或いは、冬の寒さでよく回らない舌よりも、その目の方がよほどに雄弁であるかのようにさえ思えた。
「吹雪に雪崩のリスクもある! そうでなくとも、この寒さだ。一瞬の油断が命取りになるし、油断していなかったとしても不慮の事故なんてざらに起きるんだよ!? あぁ、お客さん、あんたこの国の……」
「いえ。これでも生まれはゼシュテル鉄帝国の北東部です。何も心配は……あぁ、いや。確かに、貴女の言う通りですね」
 冬の雪山は危険と隣合わせの場所だ。
 そのことをオリーブは良く知っているし、何度も体験して来たではないか。
「それでも、どうしても行かなくてはいけないんですよ」
 この国に限った話ではないが。
 世界には、不幸が満ちている。
 昨日まで一緒に酒を飲んでいた友人が、翌日には帰らぬ人となっているなんてこともあり得る。
 いつまで生きているかなんて分からないから。
 生きているうちに逢えるのなら、逢っていた方がいいと思うから。
 そうしなくては、きっと後悔することになる。
 気づけば、自然と拳を握っていた。
 ここ数年で、何人もの仲間を見送った。
 依頼の中で、何人もの死者を見た。
 時には、オリーブ自身が殺める側に回ったこともある。
 そんな“大勢の誰か”たちには、もう2度と逢うことは出来ない。
 逢いたいと、どれだけ願っても。
 その声を聞きたいと思っても。
「~~~っ! 詳しくは聞かないけど、そもそもこっちはただの店員だ。お客さんの意思をどうこうする権利なんて無い! 待ってな。少々、値は張るが一等いい装備を見繕って来てやる!」
 だから、生きて帰って来なよ。
 そんな店員の言葉を聞いて、オリーブは小さな笑みを零すのだった。

 登山の準備を整えるのに、結局2日もかかってしまった。
 “ヴァイスヴォルフ”の荷台に積んだ背嚢は、買い込んだ荷物でぱんぱんに膨れ上がっている。
 旅や野宿の基本装備に加えて、肉や魚、果実や菓子、酒類といった消耗品。
 オリーブが旅の途中で食べる分もあるが、そのほとんどはこれから逢いに行く翼種たちへの手土産だ。
 何しろ、彼女たちと来たら文明から離れて雪深き山の奥にひっそりと暮らしているのだから。当然、連絡を取り合う手段などあろうはずがない。
 今度、遊びに行きますと、手紙の1つでも送れるのならいいのだが、それも出来ない。そのため自然と“突然の訪問”を敢行するしか逢う方法が無くなるわけで……さて、事前の連絡も寄越さずに突然やって来る者を歓迎しないのは、どこの国でも一緒だろう。
 不躾を詫びるには、言葉よりも“現物”が一番確実で、手早い。
 つまり、そのための土産である。
「そういえば、彼女たちは酒を飲める年齢でしょうか」
 初めて逢ったのは、今から3年以上も前のことである。
 外見から判断するに、20代前後から前半ほどのように見えたが。
 買ったばかりの少し高い酒瓶を、そっと手に取りオリーブは思案した。
 それから、ボトルが割れないよう慎重にそれを背嚢へと戻る。
「もしも、歳を取れないような状況になっていたのなら……あぁ、考えたくはありませんね」
 そうなったら、いよいよ“花束”の出番だろうか。
 今朝がた、森の中で摘んで来たばかりの白い花。冬の寒さにも負けない花を集めて作った小さな花束だ。これを墓前に飾るようなことにならなければいいと、そう思わずにはいられない。
 少しだけ考えてから、オリーブは花束を荷台の隅の目立たぬ場所へと積み込んだ。
 願わくば、花束のことなどすっかり忘れてしまえるような楽しい旅を。
 雪を蹴散らしながら駆け抜ける彼女たちの姿を想起する。
 以前のように、嬉々として獲物を蹴り飛ばし、吹雪にも負けずに邁進する姿を見て「あぁ、変わらないな」と笑いたいのだ。
 そうだ。
 彼女たちは強い。
 強靭な脚の戦士たちは、雪の山になど負けないのだ。
 不安な気持ちは、搔き集めた楽観で塗り潰す。
 最悪の事態など考えたところで、何の花実になると言うのか。

●吹雪の雪原
 鉄帝の辺境。
 雪深き山脈を超えた先にある雪原にある小集落が、オリーブの目的地である。
 地図には載っていない、人口だって20か30程度に満たない小さな集落だ。暮らしているのは、空を飛ばない翼種たち。
 彼女たちは空を飛ばない。
 代わりに、空を飛ぶより速く、強靭な脚で地を駆ける。
 乾いた砂漠も、荒れた大地も、雪の深い雪原も、彼女たちはものともしない。自身らを“強靭な脚の戦士”と名乗る、遥か昔の生活様式を今なお続ける者たちである。

 強い風が吹いていた。
「こうも雪が積っていては、地図なんて役に立たないですね」
 雪の混じった暴風雨が、オリーブの身体を叩いている。
 姿勢を低くしていないのと、スノーモービルごと横に倒れてしまいそうだ。
 小さな溜め息を零すと、オリーブは地図をポケットに仕舞う。
 積雪と吹雪のせいで道や目印が見えない以上、地図なんて何の役にも立たない。そもそも、風が強すぎて満足に地図を開くことさえ出来ないのだ。
 さて、と少し考えてオリーブは周囲に視線を巡らす。
 雪山で遭難しないための鉄則として“不用意に動き回らない”というものがある。
 1度でも道と現在位置を見失ってしまえば、2度と自分が何処にいるのか分からなくなってしまうからだ。
 オリーブは、口を噤んで吹雪を耐える。
 やがて、不意に風が止んだ。
 視界を埋め尽くす白色が途切れ、遥か遠くの暗い空に背の高い丘のシルエットが浮かぶ。その光景には覚えがあった。
 随分と前にも見た光景だ。
 彼女たちの集落に招かれた際に、道中で同じ影を見た。
 集落は、あの丘を越えた先にある。
「と、言っても……この吹雪ではまだ数日ほど時間がかかりそうですが」
 旧知の友に逢いに行くというオリーブの旅は、まだまだ始まったばかりであった。
 出立してから数時間でこれである。

 前途多難にもほどがある。
 旅に出てから丸2日が経過した。
 スノーモービルを走らせながら、オリーブは内心で悪態を吐いた。
「ちっ……まだ追って来るか」
 積った雪を巻き上げながら、スノーモービルの速度を上げる。
 その瞬間だ。
 オリーブの眼前に、“氷の壁”が現れたのは。

 身の丈3メートルを超える巨躯の獣だ。
 頭部から、空に向かって伸びる巨大な角までを含めれば全高は5メートルに近いだろうか。
 太い脚で雪の大地を踏み締めて、怒り狂ったように荒い鼻息を零す。
 ヘラジカと呼ばれる獣がいる。
 外見はそれに酷似しているが、“普通の野生動物”らしからぬ威圧感を感じられた。
 この山の固有種か。
 或いは、ヘラジカに似た“別の何か”か。
「まぁ、何だって構いませんね」
 スノーモービルを横滑りさせることで、オリーブは氷の壁を回避する。あのままモービルを走らせていたら、氷の壁に正面から衝突していたことだろう。
 スノーモービルを滑らせながら、オリーブは腰に提げていた剣を抜いた。
 刀身は長く、そして厚い。
 頑丈さを突き詰めたような無骨な剣だ。
 よくよく見れば、刀身から柄まで細かな傷が無数にあった。オリーブの戦いを、ずっと傍で支え続けたロングソードだ。
 スノーモービルを反転させる。
 十数メートルほど先で、積った雪が弾けて散った。
 大地を蹴って、ヘラジカが空へ跳んだのだ。
 一瞬の間に十数メートルの距離を0にしたヘラジカが、オリーブ目掛けて降って来る。
 その巨大な角をオリーブに向けたままの姿勢で。
 跳躍の勢いと体重に任せ、オリーブを圧し潰すつもりなのだろう。
「……っ!」
 回避は出来ない。
 仮に回避できたとしても、衝撃までは殺せない。
 思考に咲いた時間は一瞬。
 オリーブは、スノーモービルのエンジンを全開にした。
 積った雪を巻き上げながらの猛加速。
 ともすれば制御を失いそうになるモービルを左手だけで制御しながら、オリーブは右手に握った剣を大上段へと振り上げる。
「ヌゥ……!」
 スノーモービルがトップスピードに乗ったところで、オリーブは地面を蹴り飛ばした。モービルの前部が跳ねあがり、軌道を前から斜め上方へと変化させる。
 ごう、と風が渦巻いた。
 オリーブの操るスノーモービルが、空へと飛び上がったのだ。
 ヘラジカが目を見開いた。
 ほんの僅かな動揺が、ヘラジカの攻撃から“テンポ”を乱す。
 虚を突かれたのだ。
 戦闘において、一瞬の“虚”が命取りになることもある。
 それをオリーブは知っていた。
 タイミングが崩れてしまえば、どれほどの威力の攻撃であっても十全には機能しない。ヘラジカとオリーブの勝敗を分けたのは、積み重ねた実戦経験の差であった。
 きっと、このヘラジカは強かったのだ。
 圧倒的な強さでもって、外敵の悉くを容易に討ち倒して来たのだろう。
 対して、オリーブは何度も何度も敗北を重ねた。
 命の危機に陥った経験だって、1度や2度ではない。
 自分の命を掛け金にして積み重ねた実戦経験と、窮地において発揮される“紙一重”を見極める眼こそが、オリーブにあって、ヘラジカには存在しないものであった。
 空を舞うスノーモービルに乗ったまま、オリーブは剣を振り抜いた。

 加速の乗った渾身の斬撃が、ヘラジカの角を直撃する。
 瞬間、鋼の砕けるような音が鳴り響いた。
 空中で姿勢を崩したヘラジカが、頭から地面に落ちて行く。
 その後を追うようにして、オリーブを乗せたスノーモービルも着地。衝撃を殺しきれず、オリーブの身体がモービルから雪の大地へと投げ出された。
 オリーブの身体が、何度も何度も地面を跳ねた。
 数十メートルほど先に進んだところで、操縦者を失ったスノーモービルが停止する。遠目にモービルが破損していないことを確認したオリーブは、安堵の溜め息を零した。
 流石は鉄帝の軍用機。
 あれほどに荒く扱っても壊れない辺り、頑丈さは天下一品である。
「さて。それでは、こちらもそろそろ終わらせましょうか」
 地面に投げ出されても、オリーブは剣を手放さなかった。
 来る日も来る日も、剣を振り続けて来たのだ。
 オリーブにとって、剣はもう身体の一部のようなものだった。
 落下の衝撃で身体が痛い。
 額から流れた血が、オリーブの片目を潰す。
「問題はありません」
 身体が痛いのも、片目が見えないのも、慣れたものだ。
 それほどの戦いを、オリーブは何度も潜り抜けて来た。
 それに、丁度いいではないか。
「これでイーブンでしょう」
 対するヘラジカは、片方の角を失っていた。
 片方の角を失ってなお、ヘラジカは闘志を失っていない。
 否、その瞳には先ほどまで以上に激しい怒りの炎が見て取れる。
 角を折られたことで本気になったか。
 蹄で地面を搔きながら、ヘラジカは荒い鼻息を噴いた。
 両手で剣を握り締めたオリーブは、じりじりと前へ進んでいく。
 ヘラジカもまた、ゆっくりと歩を進めた。
 冷たい風が吹いている。
 緊張感が、オリーブの意識から“世界”の音を掻き消した。
 その身体が、まるで1本の剣と化したかのような感覚。
 音だけじゃない。
 痛みも、寒さも、何もかもが希薄になっていく。音が消えて、痛みが消えて、寒さを感じなくなって……狭くなった視界に映るのは、ただ1匹の強敵だけ。
 そして、1人と1匹の距離が0になった。
 正眼に構えた剣をオリーブは振り上げた。
 ヘラジカは、首を掲げて角を高くへ。
 ぶぉん、と風が吹き荒れた。
 オリーブの剣か、ヘラジカの角か、或いは、その両方か。
 剣と角とが衝突する。
 衝撃で、積った雪が吹き飛んだ。
 1度目の衝突は、痛み分けに終わる。
 オリーブの剣と、ヘラジカの角のどちらもが、後方へ弾かれた。
 だが、オリーブも、ヘラジカも、動きを止めない。
 2度、3度、4度……剣と角がぶつかり合った。
 互いに1歩も後ろに退かない。
 先に退いた方が敗北すると。
 敗北すれば命を失うのだと。
 オリーブも、ヘラジカも、知っていたからだ。
 
 剣と角との応酬は、既に10分近くも続いている。
 オリーブの全身は血塗れだった。
 ヘラジカの顔には、無数の裂傷が刻まれていた。
「うぉぉ……!!」
 気勢を発したオリーブが、1歩、前へと踏み込んだ。
 横薙ぎの斬撃が、ヘラジカの眉間を深く斬り裂く。
 直後、オリーブの視界が揺れた。
 ヘラジカの角が、オリーブの額を殴打したのだ。
「ぐ」
 歯を食いしばる。
 ギリ、と奥歯が軋む音がした。
 途切れそうになる意識を気合で繋ぐ。
 そして、一閃。
 オリーブの放った斬撃が、ヘラジカの額を叩き割る。

 ヘラジカが雪の中に倒れた。
 その衝撃で、地面が揺れた。
 顔面から首までを血に濡らし、白目を剥いた巨大なヘラジカ。もう2度と動くことは無い。
 雪山の激闘を制したのはオリーブだった。
 だが、勝利のために支払った代償は大きい。
「……お、っと」
 よろり、と。
 オリーブの身体が揺れた。
 冷たい雪の上に、オリーブは膝を突いた。
 倒れそうになる身体を、地面に突き刺した剣で支える。零れた血が、白い雪を朱色に濡らす。
 全力と言うのは長く続かない。
 短距離走のスピードで、長い距離は走れない。
 それと同じだ。
 限界を超えて全力全開を行使し続けたオリーブの身体が、強制的な休養を要求しているのだ。
 だが、今は駄目だ。
 吹雪の中で休むことは出来ない。
 せめて、スノーモービルの元にまで辿り着く必要がある。用意していた野宿用の簡易テントを展開し、寒さを凌ぐ準備をしてからでなければ休むに休めない。
 それが出来ないから、困っているわけだが。
「……参りましたね。戦いには勝ちましたが、このままでは」
 吹雪が、急速にオリーブの体力を奪っていく。
 このままでは、そう遠くないうちに意識が途切れる。
 あぁ、これだから鉄帝の雪山は危険なのだ。
 そして、困難というのは畳み掛けるように襲い掛かって来るものだ。

 地面が揺れた。
 否、ずっと前から揺れていたのだ。
 オリーブとヘラジカの激闘。
 その余波が、衝撃が、厚く積った雪を刺激した。
 地面の揺れが大きくなる。
 それと同時に、オリーブの視界に濛々とした真白が立ち込める。
 雪崩である。
 山の遥か高い場所から、オリーブの居る場所へ目掛けて雪の津波が襲い来る。
 あぁ、アレに飲まれては駄目だ。
 死んでしまうに決まっている。
 諦めるつもりはないが、身体がもう満足に動かない。
 もう、何秒もしないうちにオリーブは雪崩に飲まれるだろう。
 雪崩に飲まれ、死んでしまう。
 雪の下に埋もれた身体は、誰に発見されることも無い。
 そんな未来を予想した。
 けれど、しかし……。
「なんだ? 見知った顔だ」
「見知った顔が、今にも死にそうになっている」
「ヘラジカと戦ったのか? 勇敢な男だ」
「勇敢な男を死なせるのは駄目だ」
 血を流し過ぎたせいか。
 ぼやけた視界に、誰かの影。
 そして、耳に届く“何処かで聞いたことのある声”。
「助けよう。勇敢な戦士」
「怪我をしているのか? 私たちの集落で治療しよう」
 オリーブの身体が、誰かに抱え上げられる。
 そして、次の瞬間だ。
 視界に映る雪景色が、ものすごい速さで流れて行った。

●戦士たちの再開
 遡ること数時間前。
「貴女たち、本当にこの吹雪の中、狩りに出かけるつもりですか?」
 そう言ったのは怜悧な目をした、背の高い女性であった。
 眼鏡を指で押し上げながら、彼女は困惑したように視線を彷徨わせている。
 数メートル先も見えないほどの猛吹雪。
 どこまでが道で、どこからが道では無いのかさえも判別が出来ない真白の世界。
 だと言うのに、吹雪をものともせずに出かけて行く2人……赤い髪と、青い髪をした2人の女性。クアッサリーとエミューである。
「狩りに行くわけじゃない」
「あぁ、狩りに行くわけじゃないんだ」
「でも、出かけないと駄目なんだ」
「なぜか、そうしないと駄目な気がするんだ」
 彼女たちの吐いた言葉の意味が分からず、眼鏡の女性……セクレタリは、眉間に深い皺を寄せた。
 クアッサリーとエミューが出かけて行くのは、“直感”を信じたからなのか。或いは“蟲の報せ”と呼ばれる類のものかもしれない。
 どちらにせよ、セクレタリには理解出来ない感覚だ。
 そして、2人を制止することも出来ないだろうことは本能で理解出来た。
 だから、セクレタリはこれ見よがしに溜め息を零す。
「だったらせめて、もう少し厚着をしてください。それから、念のため食糧や水も持って行った方がいいですよ」
 吹雪の山では、何が起きるか分からないから。
 あらかじめ用意していた背嚢2つを、クアッサリーとエミューに手渡し、セクレタリは肩を落とした。

 赤い短髪、長身の翼種。彼女の名はクアッサリー。
 長く青い髪を1本に括った長身の翼種。名をエミューという。
 2人とも厚手のコートにショートパンツといった服装で、その背中には大きな背嚢を背負っていた。
 どうやら2人は、狩りの最中にオリーブを見つけて駆けつけてくれたらしい。
「なんだこれは? すのーもーびる? と言うのか?」
「速いな。私たちが走るよりも速い」
「断崖絶壁を駆けあがるのなら、負けないけどな」
「でも雪原じゃ、すのーもーびるの方が速いな」
 2人の案内で、オリーブは雪山を駆けている。
 おかげで、目的の集落まであと数十分ほどで着きそうだった。
「2人は、地図も無しに集落に帰還できるんですね」
 そう問うたオリーブを不思議そうな顔で見つめて、2人は一瞬、視界を交わした。
「地図なんていらないよな」
「集落の場所など本能で分かるからな」
 帰巣本能というやつだろうか。
 だが、おかげで助かったのは事実である。
 応急処置こそ施したものの、オリーブの負った傷は深い。本格的な治療と休養が出来なければ、患部の壊死や凍傷のリスクもあったのだ。
「それにしても、あのヘラジカを討ち倒したのか」
「やるじゃないか。オリーブ・ローレル。あれは、私たちも狙っていたんだ」
「いつか仕留めてやるつもりだったが、先を越されたな」
「今日か明日は、獲ったヘラジカを喰おう」
 おそらく初めて乗るのだろう、スノーモービルの速度を楽しむ2人は酷く上機嫌であった。
 ともすると、上機嫌の理由はオリーブという勇敢にして強靭な戦士の激闘を聞いたからだろうか。
 幼い子供が、寝物語で聞かされる英雄譚に一喜一憂するのと同じ感覚なのだろう。
 戦いたがりのエミューとクアッサリーにとって、強き戦士の武勇伝とは何にも勝る娯楽であるらしい。
「まぁ、とにかく……相変わらずのようで安心しました」
 なんて。
 そんなことを呟いて、オリーブは右の腕を押さえる。
 かつて、エミューに蹴られた辺りが僅かに痛んだ気がしたのである。

「……ヘラジカ1頭に鉄騎種1人? それが今日の獲物なのですか?」
 冬の寒さよりも、なお冷たい声だった。
 神経質に眼鏡を押さえ、怜悧な瞳を細くするのはセクレタリ。エミューやクアッサリーの同胞であり、その中でも“おそらくは”一番、頭の回る者である。
「この寒い季節に、うちの集落には余所者を歓迎するだけの備蓄はありません。ただでさえ食糧の調達は困難を極める環境だというのに」
 ぐったりとしたオリーブと、停車しているスノーモービル。それから、巨大なヘラジカの遺体を眺めながら、セクレタリはため息を零した。
 オリーブは苦笑いを浮かべながら、視線を集落へと巡らせる。
 以前に来た時は、木材や布、獣の革を使った天幕や小屋が10ばかり並ぶだけの小さな集落であった。
 今は、家屋の数も倍ほどに増えているようだ。
「あぁ、アレから各地に散らばっていた同胞たちと合流できまして。おかげで、少しは集落も発展したんですよ」
 ひょい、と鋭い爪を備えた脚を伸ばしながらセクレタリはそう言った。
 彼女が爪で引っ掻けたのは、オリーブが持参した背嚢だ。
「随分と大荷物ですね。エミューやクアッサリーにはあぁ言いましたが、貴方は我々の恩人でもあります。歓迎します」
 どうぞ、ゆっくりとご滞在ください。
 そう言ってセクレタリは笑う。
 オリーブがそうであるように。
 セクレタリもまた、旧知の友との再会を心から喜んでいるようだった。

 それからオリーブは、3日間ほど集落に滞在することになった。
 渡した土産は喜ばれ、集落ではささやかながらオリーブという“強き戦士”の勝利を祝う宴が開かれていた。
 宴で振る舞われる料理は、先日、オリーブが倒したばかりのヘラジカである。
 そして、3日目の夜のこと。
「そろそろ、帰ろうと思います」
 オリーブは、翌日の朝に旅立つことを決めたのだった。

「そう言えば、何をしに来たんだ?」
「聞いていなかったな。こんな山奥に何の用事だったんだ?」
 オリーブの帰還を聞かされて、クアッサリーとエミューが最初に口にした言葉はそれだった。
「……うぅん、この」
 少し離れた場所では、セクレタリが頭痛を堪えるように額を押さえている。
「私たちと戦いに来たのか?」
「それなら、まだ帰らなくてもいいだろう」
「じゃあ、別の理由か」
「ヘラジカ退治か?」
 あのヘラジカは強かった。
 蹴っても蹴っても、骨は折れないし、内臓は潰れないんだ。
 そんなことを話す2人を一瞥し、オリーブは少し思案する。
「何を、と言われると。ふと、懐かしい顔を見たいと思ったとでもいいますか……あぁ、いや、皆さんの安否が気になった、のかな」
 オリーブの答えは、どうにも要領を得ないものだった。
 それが面白かったのだろう。
 クアッサリーとエミューは「なんだ、それは」と笑っていた。
 だから、つられてオリーブも笑った。
「そうだ、今度はそっちがスチールグラードへ遊びに来てください。この数年で随分と変わりましたから。その時は案内しますよ」
 なんて。
 そんなことを口にして。
 
 その言葉に従って、クアッサリーとエミューが山を下りて来るのはこれからしばらく後のこと。
 その時も、当然のようにひと騒動あったわけだが。
 まぁ、それは、また別の話である。


PAGETOPPAGEBOTTOM