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ヴァークライトの聖兆
登場人物一覧
スティア・エイル・ヴァークライト。天義貴族ヴァークライト家の娘にして次期当主となりうる存在だ。
過去の『因縁』をさておいて、当主代行を務めるエミリア・ヴァークライトに家を任せっぱなしにしているというのも父や母の事を考えれば、スティアにとってもあまりよい状況ではないことは確かだ。何より、叔母は「私はあくまで当主代行だ」と言い続けている以上、当主の席が空席状態である事をスティアが理解していないわけではない。
叔母は様々な負い目より、スティアがヴァークライトを継ぐ継がないの選択肢を与える気で居た事、そして――『いざとなれば当代で終わらせる』決意までしてきたのだろう。彼女が、幼いスティアが立派なレディとなった際に道を決めれるように。それこそがエミリアがヴァークライト家へと出来る罪滅ぼしであるのかもしれない。
「――で、話というのは?」
エミリアがそう口を開いたのはスティアが大切な話があると告げた午後のティータイムであった。ヴァークライト家のスティアの私室にて紅茶やスコーンを用意したスティアはエミリアのその言葉に視線を揺らがせる。
「え、ええと」
「……このスコーンは、スティアが用意したものですか?」
姪の緊張を悟ってか、緩やかな笑みを浮かべてそう問いかけるエミリアにスティアは「そ、そう。あの、騎士団のイルちゃ……イル・フロッタさんがお勧めしてくれたから」とテーブルの上に並べたスコーンを一つ一つ開設した。野菜を練り込んでいるというスコーンは若い女性にも大人気の逸品であるという。スティアを見かけるたびににこやかに走り寄ってくるイルは「これがおいしい」「あのお店が良かった」と見回りついでに市中の『お出かけスポット』を教えてくれるのだ。
スコーンの話につい唇が流暢な言葉を並べたが、それが本題ではないのだとスティアは頭を振った。
「あの、叔母様。前に――お母様とお父様の弔いに、と言った時に話したでしょう?
跡取りは私だって。……それについて、ずっと考えていたの。私は、スティア・エイル・ヴァークライトは『アシュレイとエイルの娘』であるだけで、特別な事なんてないんだって」
「スティア……」
それは違う、と口を開きかけたエミリアにスティアは首を振る。彼女は立派な騎士であり、天義貴族の中には国家を支える様々な職務を遂行するものが多い。無論、国家感より聖職者や聖女と言った存在を擁立する貴族もいるが、騎士として身を立てているものが多い事もスティアは『イレギュラーズ』として仕事をする上で実感してきたものだ。
親友、サクラ――ロウライト家とて騎士である者が多く、国家が為に粉骨砕身仕える者も多いのだ。それを見ていた時に記憶を失っていたとはいえ、自分がどうにも伽藍洞に思えてならなかった。貴族の家に生まれた淑女、跡取り娘に期待されるのは聖職者や騎士を婿に貰う事という者もいるが、それでは両親に誇れる当主になどなれず、寧ろ、婿に家を渡すと同義ではないか。だから、決めていた。それは、天義でローレットとして仕事をしての決意だったのかもしれない。
「だから、私、聖職者になりたいって思う。神に仕える……なんていうと、おかしいかもしれないけれど。
けれど、国の為、人の為、誰かの為に――祈って、支えて、それから、助けられる人になりたいの」
スティアが決意し、そして告げた言葉にエミリアは小さく笑った。
嗚呼、やはり。『あの人』の娘なのだ。
――ねえ、エミリア。私は誰かの為に、それから、アシュレイの為に、支えて、助けていきたいわ。
貴女には神に仕えるなんて無理ですよ、なんて冗談めかして笑った事を覚えている。エイルは『お転婆』であるから、聖職者の試練に挑めば、『破壊神』になって帰ってきてもおかしくないとアシュレイが止めに入った事もエミリアはよく覚えている。
「聖職者になるのは決して易い道ではありませんよ。神が為に御身を捧げる――それは、時にして貴女にとっての信じる道と違える可能性だってある。
寛容と、そして、勇気をもってスティアの中での信仰を確かなものにしなくてはなりません。決意は……あるのでしょうね」
「勿論。私だって、ぼーっとローレットで過ごしてきた訳じゃないんだよ。
そりゃ、ちょっとサメだったり孤児院だったり、色々あったけど……それだって私を作る要素なんだもの」
そうして仲間たちとふざけ合う日々が楽しい事も分かっている。ローレットの冒険者であるだけならば、それでもい。しかし、自分自身は『天義の貴族』なのだ。
翌日、聖職者見習いとなるべくエミリアを伴いスティアは大聖堂へと向かっていた。清廉なる白を身に纏い、普段の華麗なる令嬢姿ではない――『聖職者見習い』として神の容を背負うその白は自然とスティアの背を伸ばさせる。
「あれ? ローレットのレディが聖職者みたいな恰好をして――」
「聖職者『みたい』じゃなくて、聖職者になるんです」
大聖堂前で『打ち合わせ』をしていたであろう探偵サントノーレはスティアの言葉に目を丸くした。彼女がヴァークライト家の跡取り娘である事は勿論調査済みだが、聖職者であったことは知らなかったと彼は目を丸くする。
「おかしいな、ヴァークライト家は騎士を輩出している家系だった気もするが」
「私に騎士って出来るかな?」
「……まあ、スティア嬢なら聖職者でも騎士でもなんでも、イテッ」
ばしり、とサントノーレを小突いたのはその隣より顔を出したイルであった。「スティア、聖職者になるのか?」と不思議そうに目を丸くした彼女はサントノーレの云う所の『騎士』であり、国に仕えている存在でもある。
「うん。修練生として聖職者の試練を受けようと思って――……見習いっていう所ならイルちゃんが先輩だね?」
その言葉にぱあ、と笑みを浮かべたイルは「うんうん」と大きく頷いた。
「スティアならきっと良き聖職者になるよ。うん、応援する!」
「ふふ、有難う。頑張るから応援しててね?」
柔らかに微笑んだスティアにイルは頷いてひらひらと手を振った。エミリアは「良き友人を持ちましたね」と柔らかに笑みを浮かべ、スティアの肩をそっと叩いた。
スティア修練生の評判は上々であった。見習いと言えどローレットでの経験を活かした彼女は修めるべき課程を通常よりも早くクリアしていた。ヴァークライト家の跡継ぎ娘という評判もあり、エミリアは「スティアが優秀で私も誇らしい」と屋敷でよく口にするものだった。
しかし、だからと言って余裕を振る巻いている暇はない。自室の机に向かい、聖職者となるべく勉学に励む。覚えるべきことは無数にあり、神の意志に従うこの国民性のおかげですんなりと理解は出来たが、それを実践に移すことが如何に難しいかをスティアは知っている。
(神の御意志を遂行する騎士と、神の御意志を伝え尊び守る聖職者。
どちらだって勇気も、寛容が必要なんだ。私も……頑張らなくっちゃ)
机の上にそっと置かれたエイルの手記は励みになればとエミリアがスティアに差し出したものであった。夫を支えるためにと聖職者の過程を学び――聖職者にはならなかったらしいが冒険者としてのある程度の知識で得ていたようだ――そして、家庭を守るエイルの手記の中には突拍子もない冒険譚も綴られてはいたが母が自分と同じように学んでいた記録というのは励みになるというものだ。
――すべてを覚えるなんて無理とアシュレイとエミリアに告げた時、彼らは不思議そうな顔をした。
ええ、ええ、そうでしょうとも。神と共にあった貴方達と違って私は冒険者としてあらゆる所に行ったから。
けれど、だからと言って知らない儘ではいけないのだ。ヴァークライト家の一員として、私も頑張らなくては――
母のその言葉をなぞるようにスティアは「ヴァークライト家の一員として頑張らなくっちゃ」と呟く。
試験の日は迫ってきており、修練生から聖職者となるべきその日の為に努力は怠らない。メイドがエミリアからの差し入れだと運んできたスコーンと紅茶をつまみながら「よし」とやる気を漲らせた。
――当日、清廉なる白を身に纏いスティアは小さく溜息をつく。ふう、と息を吐き出してからスティアはエミリアの元へと振り返る。
「不安がないって、おかしいかな?」
「いいえ、スティアは努力していましたよ。修練生としてよく励みました」
エミリアの言葉にスティアは頷いてから、行ってきますと不浄なる者が蔓延る洞窟へと踏み入れるその足取りは軽い。
グレイン修練生を護衛したその時の様に、スティアは迷いなく洞窟へと踏み入れた。不浄なるその存在を退け、そして自身の力を使用しての試練はローレットの冒険者として、そして特異運命座標として培ってきた技術を使用すれば難なくこなせるものだった。及第点を叩きだすのは易いが、聖職者となるべくは正しく試練をクリアせねばならない。
チェックポイントを2つクリアしての折り返し地点、スティアは小さく息を吐く。
(なんだか、一人っていうのは……少し寂しいものなんだね)
グレインと共に踏み入れた際は仲間たちや、何より親友も居た。支え癒すことを得意とするスティアにとっては不浄なる者を祓う事には躊躇いは無かったのだが一人きりというのはどうにも孤独が付き纏い不安にさせるものだ。
一歩、一歩と踏み出して、癒しの魔力を振りまきながらスティアはゆっくりと唇に音を乗せた。
「お母様も、冒険しているときは心細かったのかな? ……お母様の事だから、きっと、ワクワクしてたんだよね。
何があるかなって楽しくなって、敵が出てきたってそれに負ける気なんてしなくって、それから、楽しい事ばっかり考えて、お父様の元へ帰るんだ」
その長い髪を揺らして、冒険者として得た報酬を携えて笑みを浮かべているのだ。その様子を『禁忌の日』に見た二人と重ねて考えて、スティアは面白くなって小さく笑う。清廉なるローブを揺らし、歩むスティアは第三のチェックポイントに手を翳してゆっくりと顔を上げた。
この試練が終わったならば、聖職者としてさらに研鑽していくことになるはずだ。国が為、そして、人が為――ヴァークライトの為。
けれど、偶にならスティアとして楽しんだって良い。応援してくれたイルと共に職務に励んだっていいし、サントノーレの『不正』を叱ったりだって出来る。天義の聖職者として、更なる高みを目指すのだ。
祈るように指を組み合わせ、癒しの気配で不浄を祓ってからスティアは迫る第四のチェックポイントに向けて踏み出した。
最後のチェックポイントに辿り着けば、聖なる加護がスティアを包み込む。
(あの時――サクラちゃんたちは何て言ってたんだっけ……?)
神が私達に言葉をお与えになったのは、互いを助ける為だと思います。
何もかもを一人でなそうとはせず、自分の出来る事で人を助け、
時に自分の出来ない事を助けて貰う事は神の御心に沿うものだと確信しています。
(うん、そうだった。そうだね。私達は一人では何もできないから……。
この洞窟の中を歩みながら、改めて思ったよ。主はずっと傍に居て、常に私を支えてくれてるんだ)
スティアは緩く笑みを浮かべてから、洞窟を出た。
鮮やかな光が眩しく、「スティア」と呼ぶエミリアと自身の師事した聖職者が立っていることが分かる。
「修練生、スティア・エイル・ヴァークライト。ただいま戻りました――!」
そうして、彼女の試練は終わった。優秀な成績を残し、エミリアは大層喜んだ。
しかし、それは始まりに過ぎない。天義の聖職者としての新たな一歩を踏み出すのだ。