PandoraPartyProject

SS詳細

その先

登場人物一覧

建葉・晴明(p3n000180)
中務卿
メイメイ・ルー(p3p004460)
繋いだ意志

 ――戦いが終結した。故郷は雪に閉ざされて、今暫くは帰ることは難しいだろうか。山歩きにも随分と慣れてしまったけれど、歴戦の特異運命座標が遭難とは笑えないジョークそのものだ。冬支度を済ませてくれていた黄泉津瑞神は可愛らしい半纏を手にメイメイの帰還を祝ってくれたのだ。
 よくぞのお帰りですね、と微笑む彼女は波打つ白髪を揺らしながら小さくまろい掌でメイメイの頬を包み込んでくれた。そのぬくもりが豊穣郷の守護者の慈愛である事をメイメイはよく知って居る。
「晴明ならば、あちらに。今日も忙しなくしておりますとも。
 何せ、世界の命運を賭けた戦いが終結したのですもの。賀澄もあれもこれからの和睦に、外交の準備と忙しない時間を送ることでしょう」
 朗らかに微笑む瑞神にメイメイは頷いた。愛しい人、朗らかな笑みをも見せてくれるようにもなった中務卿は本日もまつりごとで駆けずり回っているらしい。
 邪魔だてするのは本心ではなく、今暫くは瑞神がひとの姿を以てして居室として使っている部屋で時間を潰すこととした。ぼんやりとしたままに炬燵へと連れ込まれたメイメイは小さく息を吐き出して。
「疲れたでしょう? 晴明がくるまで眠っても良いのですよ」
「いい、え……。瑞さまも、豊穣郷をお守り下さって、いたのでしょう……?」
 疲れていませんかと問うたメイメイに彼女は薄く笑った。彼女は人間ではない。人の尺度で生きちゃ居ない。大きな戦いが終わった後に、抜け殻のようになって過ごす者が多く居るとも瑞神はよく知って居るのだろう。背を撫でる温もりに、準備をされていた半纏に身を包んでからメイメイは炬燵の中で蕩けるように眠りに落ちていく。
「ああ、そう。その羊の柄の半纏、晴明が用意したのですけれど――」
 そんな情報を眠りに転げ落ちる瞬間に漏らすだなんて、反則だ。

 瞼を押し上げたとき、辺りをようようと照らすのは陽射しではなく室内灯であると気付いた。相も変わらぬ様子で炬燵にちょこりと座って何らかの書物に目を通していた瑞神はメイメイの意識が浮上したことに気付いてから「あら」と呟く。
「晴明、メイメイが起きましたよ。夕餉の準備は?」
「瑞神のものと一緒に手配は……ああ、いや、賀澄殿がご一緒にとの仰せだが」
 背後から聞こえた声にはっと顔を上げたメイメイは「晴さま」とその名を呼んだ。日中には忙しなく走り回り、どうにも顔を合せる機会を設けることの出来なかった恋人は未だに幾つかの巻物を抱えた状態で背後に立っていた。
 はたと顔を上げたメイメイを見遣ってから晴明が「メイメイ、涎の跡が」と小さく笑う。慌てて手の甲で口元を覆ったメイメイはかあと頬に熱が上がったことに気付いた。
「め、めえ……」
「よく眠っておりましたとも。晴明とて、幼少の頃は三言の膝の上で転た寝をしてそれはそれは滝のように涎を垂らしていたでしょう」
「幾つの頃を指しているのだ」
 眉を寄せた晴明に瑞神は「あなたの産まれた頃より存じておりますもの」とうつくしく微笑んだ。この神と呼ばれた存在は豊穣郷に生きとし生けるもの全てを愛しているのだ。
 國産みの母と神話で語られたその人の言葉を晴明はぐうと飲み込んでから一つ咳払いし、夕餉の席に己が迎えぬ事だけをメイメイに告げた。
 ――なんだか、すれ違いばかり。
 そんな事を思ったのは、この時だけではない。豊穣郷に足繁く通って居て良く分かるのだが、誰も彼もが大忙しの渦の中で、穏やかに過ごす時間が無かった。
 特に八扇などはこれから先を見据えての大わらわと言った調子なのだ。いや、それを咎めようとは思わぬのだが。
 少し、寂しい。それだけはどうしたって拭えるものではなかった。やや俯いていたメイメイは手を引いてくれる瑞神と共に霞帝の待つ広間へと向かい食事を取った。相変わらず豪胆なその人は「皆で食えば楽しかろう!」などと笑っている。当然、そうした席のセッティングに奔走したのも顔色がやや悪かったメイメイの恋人なのだけれど。
「メイメイ?」
「いえ……賀澄さま……晴さまは、お食事は……?」
「ああ、あいつは何時ものことだが目先のことにばかり囚われる。食事を用意して持って言って遣ってくれるとうれしいものなのだがな」
 そう笑った彼は厨房は自由に使っても良いと肩を叩いてくれた。メイメイのしたいことを良く分かってくれる人々だ。己の心を見透かすようなその人達にメイメイはやや困り切った顔をしてから小さく頷いた。

 簡単な夜食としておにぎりを二つ、小さな小鉢には夕餉の残りを拝借し、味噌汁と共に持って行くことにした。中務卿として彼が使う執務室は未だ薄明かりに包まれていて。
「晴さま」と呼び掛ければ襖が開かれて中からやや疲れた顔をした晴明が顔を出した。
「メイメイ? この夜更けに――」
「お昼寝、しました……から! それで、これをお持ちしたくて」
 語尾が上がったのはそれでも眠りなさいと子供扱いでもするように彼が促そうとしたからだ。ずい、と夜食を差し出せば彼はまん丸の瞳をしてから「休憩にしよう、有り難う」とそう言って室内へと招き入れてくれた。
 部屋の端に置かれていた座椅子を引き摺るように運んできてからちょこりと座る。これもメイメイが足繁く訪れるようになってから晴明が置いてくれるようになったものだ。曰く、のんびりと出来る設備がこの部屋にはなかったからだという。
「すまない。折角豊穣郷へと訪れているというのに、貴女に何も声を掛ける事が出来ていなかった」
「いえ……お忙しいのは、よく……。ですが、お食事、はきちんと、です」
 少しばかり眉を下げたメイメイに晴明は小さく頷いた。確かに、おのれの事が良く疎かになるとは叱られる事が多い。晴明自身おのれの寝食を差し置いても主君の為にと先回りしての仕事を行なって起きたかったのだけれど――メイメイに叱られてしまえば些か弱い。ふ、と笑みを浮かべてから「心配を掛けたようですまない」とそう言った。
「晴さま、は、真面目です、から」
「……いや、おのれに対しては不真面目だと思い知らされる。前のめりになりすぎてはならないと分かって居た癖に」
 肩を竦めた晴明は冷めない内に頂こうとそう言ってからメイメイの夜食に手を伸ばした。座椅子に座って、彼が食事をする様子をじいとメイメイは見詰めている。
 年月が流れ、傍にこうして居る事が当り前にはなった頃合いだ。横顔だって見飽きる程に眺めてしまって――それでも、飽きないのはそれが日常になったから。
「ん?」
「ふふ、晴さまは、お味噌汁がお好きです、ね」
 見ているから気付くことがある。漬物なども美味しそうに食べるのだ。この人は表情が余り変わらないように見えて、その眸が雄弁なのだ。
 凜と背筋を伸ばし堂々と振舞っているかと思いきや少年のように脆さや弱さを感じさせる。メイメイが小さく笑えば「よく見て居る、と感心する」と彼はそう言うのだ。
「俺も、貴女をよく見て居た心算だが……きっと、貴女には負けてしまうな」
「それ、は?」
「貴女はよく気がつく女性だ。恥ずかしながら、俺は、貴女が幼い少女であると思っていた。
 いや、これは……きっと言い訳だな。貴女から目を背けてしまっていたと思う。おのれは、獄人で誰ぞを好むような性質にあってはならないと。
 ――故に、貴女の心に応えることにも惑うような……優柔不断な男が出来上がったのだが」
 困った顔をした彼にメイメイは「でも、今は」と首を振った。
「……貴女はまだ、19だ」
「いいえ、晴さま。です」
「ああ、そうだった。そうだ。もうすぐ二十歳になるのか」
 そう微笑ましげに目を細めた彼にメイメイは少しばかりむくれてしまった。カムイグラには干支と呼ばれる周期がある。それは希望ヶ浜の者達とも文化的には相違ないものであり、十二の獣の序列によって巡る刻を表しているらしい。丁度きっかり、その程度。メイメイと晴明の間にある距離だ。
「いつまでも、追いつけません、ね」
「年齢ばかりは縮まらない。だからこそ、俺は――俺は臆病になるのだ」
 食事を終えた晴明はそう言った。座卓に肘を突くようにやや姿勢を崩していた晴明がじいとメイメイを見た。その眸が雄弁で、メイメイは小さく笑ってから手を伸ばす。
 前髪を掻き分けるように額へと触れれば晴明が擽ったそうに目を細めた。触れる事も、許してくれる。あたなう事が無いと翌々知って居るからだろう。無防備な態度をとったこの人の、そうした姿が自身との関係性に於ける特別だとよく知って居る。
「臆病、ですか?」
「ああ。臆病者だ、本当に」
 いつかの日にだって、そう思った。とってもいくじなしで、なさけなくて、それでいて、幼い子供の様に目を逸らすその人。
 ――まだ19才。
 幼い子供の様には、扱わないでと願ったメイメイへ彼は未だに臆病になるのだ。大人になればその差だってきっと気にならなくなるのだろうけれど。
 少女から、大人になろうとするメイメイの一時の気まぐれと彼は未だに考えるのか。それは、どうしたって不服で。
「いつだって、晴さまに、お任せするのは、心苦しいと思い、ながらも……。瑞さまの御言葉をお借りして、いいですか?」
「瑞神の?」
「はい――『よろしいですね。女子おなごとは忍耐の生き物なのですよ』と。そう、仰られておりました」
 晴明は額を座卓へとぶつけるようにやや丸まった。長身の男がそのような仕草をするのだ。妙に可笑しくなってからメイメイは手を伸ばす。
 頭頂部をつんと突いた指先を晴明が捉えてからゆるやかに顔を上げた。じっと、迷い子のような眸が見詰めてくる。
「……貴女の誕生日は、水無月の――雨の、綺麗な季節であったろう」
 メイメイは小さく頷いた。6月6日。数字を並べればなんと綺麗なものだろう。その日に、二十歳という節目を迎えることとなる。
 おのれも、大人なのだとはおいそれとは口にしなかった。きっと、メイメイがそう言えば彼は「そうだろうとも」だなんて、曖昧に頷こうとするのだ。
 そっと指先が頬を撫でる。それから、困ったような顔をして笑う彼を眺めてからメイメイは唇を噤んだ儘で、暫し待った。
「俺の家族と呼ぶのは案外厄介で、世話焼きの神霊だとか、戯け揶揄う事を好む神霊だとか、それに何よりも……暴れん坊な父擬きがいる」
「父、擬きだなんて」
「……そう軽口を叩かせてさえくれるあの方は紛れもなく俺にとっての主君で有り、この命を擲っても構わぬと――そう、思って居るのだ」
 メイメイはこくりと頷いた。この人は忠義の人で、もしもおのれが「行って」と許してさえしまえば、簡単にあの人のために命を擲って仕舞う。
 ――けれど、きっと、賀澄と名乗ったあの人はその事を好ましくはないと首を振ってしまうのだ。
 彼は晴明に幸せになって欲しいという。それをメイメイもよくよく理解している。だから、おのれの恋路を応援し、彼は快く迎え入れてくれたのだとも分かって居る。
 もしも、晴明が中務卿という身分を辞してメイメイの故郷に向いたいと口にしたら? きっと、賀澄は微笑んで送り出してくれる。そんな人だから。
(きっと、離れがたい人、なのでしょう)
 大切な父代わり、大切な主で有り、唯一無二と彼が口に出来てしまう相手。そんな人だからこそ、晴明は離れがたい。そんなこと、知って居るのに。
「は、い」
 少しだけ声が震えた。彼の真意が見えなくて、漠然とした不安が首を擡げるようで。
「貴女に、そんな顔をさせたい訳ではないのだ。俺が、どうにも、言葉が下手で」
「はい」
「肯定して呉れるな」
「いいえ、晴さま、は、本当に不器用で……少し、不安に」
「ああ。それで、貴女に一つだけ強いることになる、かもしれないと俺は――迷っていたのだ。良い、だろうか。
 一蹴してくれても構わない。貴女の意思自体を捻じ曲げてしまうかもしれないと思って居る。まだ、悩んで貰う時間はたっぷりと」
「晴さま」
 この人はどうして、こんなにも回りくどくて、目を背けるようなことばかりを言うのだろう。メイメイはじっくりと彼を見た。困ったような顔をした晴明は「そうだな」と呟いた。
「雨月の頃、貴女が二十歳の節目を迎えたその頃に、居を此方に移してはくれないだろうか。
 特異運命座標としての使命を終え、俺も中務卿として此方での政には力を入れる。賀澄殿はこれより各国との連携をも更に強化し、國を開き文明を受入れんとも考えて居るそうだ。
 すると、俺は忙しない日々で貴女を待たせてしまうかも知れない。……貴女の故郷と海隔て、遠離ることともなろう。それで――」
「それ、で」
 彼はこの期に及んで回りくどい。メイメイの視線を受け止めてから晴明はどうにも、言葉に詰った。
 その言葉を話すまで、随分と悩んだことだろう。それから、今この期に及んでも躊躇っている。この人は本当に、いくじがなくって――それから、同時に、自身が捨てられないものをよく分かって居る。
 おのれと生きるならば故郷を捨てて欲しい。その言葉を口にするのは誰だって途惑うだろう。漸く故郷へと帰り着くことの出来た19の少女に。
「……もしも、貴女が、俺と生きてくれるというならば」
「それ、は……お引っ越し……だけの話です、か?」
 するりとその言葉が出た。やや痺れを切らしたように聞こえただろうか。決してそのつもりではないのだけれど。どうしたって、彼の真意を探しておきたくて。
 霞帝から離れがたいのも、彼のために忠誠を尽くしたいのも、分かる。それから、メイメイが豊穣に居を移すというのは共に在る時間を思っての事だろうけれど。

 ――雨月の頃、貴女が二十歳の節目。

 その意味を分からぬほどにメイメイだって幼くはないけれど。
(瑞さま、やっぱり、忍耐だけではだめなよう、ですよ)
 ついつい神霊に微笑みかけたくもなって仕舞った。晴明は視線を右往左往としてから「妻になってはくれないか」とそれっきりの言葉を吐いた。
「それは……よろしい、のですか」
 ――自分で、と。その意味を込めれば晴明はさも当然のように首を捻った。
「俺は貴女がよいと、思って居る」
「本当に」
「……幾久しくと、その言葉に惑いはなかった。唯一、俺が貴女に対して不義理だと思うのは主君のためにあらんとするその姿勢だけだ」
「それは、はい、晴さま、ですから」
 知って居ますとははっきりとは言わなかったが彼は困った顔をした。故郷を遠く遠く離れてから側に来てくれ、だが、おのれは主君を捨てられやしない。成程、彼らしい迷い方だった。
「答えはまた、で構わない」
「あ、の、どうして、今」
「何時か言おうと思って居たのだが、ふと、夜食を食べていて思っただけ、というのは」
「――……晴さま、らしいです」
 そうだろうと彼は笑ってからふと顔を上げて、中務省の遣いの者が来たと話はそこで区切りとなった。

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