SS詳細
ハックルベリーの地下遊宴
登場人物一覧
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紙吹雪が舞っている。
闘技場は割れんばかりの歓声に包まれ、ただ一人、舞台に立つ勝者を称えていた。
魔術師にとってこの国の在り方は酷く奇妙だ。
力が全て。単純な理屈だが、単純さを貫き通す民たちの固い信念ときたらまるで鉄のよう。紙のように薄っぺらい自分とはまったく違う在り方は興味深い。だから、そんな人々の様々な感情が興味深かった。
「おとうさん」
満面の笑みを浮かべた幼子が手を振っている。その視線の先には豪快に破顔する闘士。
壊したい、と思った。
そして、あの二人の様々な表情を見てみたい。覚えていたい。
魔術師がそう思った瞬間、何の前触れもなく子供が動いた。
感情を削ぎ落し、魔術師を仰ぎ見る姿はまるで機械人形だ。見開かれた双眸には獰猛な金色が炯々と光っている。
それは子供を守るように傍らに立つ鴉翼の青年も同じだった。刺繍が施されたレースリボンが四肢に絡みつく感触で魔術師は己の魔術が侵食されていることに漸く気がつく。
「そんなに、ボクのことが気になりますか?」
背後から声をかけられ魔術師は振り向きながら頷いた。
いつの間にか青年へと成長した子供が立っている。人好きのする笑顔に困ったような色が滲んでいた。
偽物の世界にヒビが入っていく。
夢騒がしの魔術が破られようとしていた。
魔術師は目を開く。
緩慢な動作で隠れ家である遺跡の室内を見渡せば、部屋の隅に設置した転移の陣が招かれざる客の来訪を告げていた。あの鉄帝の青年が来る。今しがたの夢は魔術を逆流し、居場所を探知するための物だ。
「――やあ、ストーク」
「やあ、リュカシス。まさかこんなに早く見つかるとはね」
黒い軍帽からのぞく柔らかな白銅の髪。片側の頭蓋から螺鈿の如く伸びるは歯車の合鉄角。
光の粒子と共に現れたリュカシス・ドーグドーグ・サリーシュガーは、ストークを見て、まるで級友のように微笑んだ。
「そう?」
「そうだよ。君は魔術に疎いと思ってたんだけど私を騙してたの」
「騙してないよ。君ともう一度会って話をしたいと相談したら色んな人が協力してくれただけ」
特に魔術対策は凄いでしょ、と自慢するようにリュカシスは両腕を広げた瞬間、闘いは始まった。
無軌道な魔術の白雷がリュカシスを襲う。焦げ付いた床が衝撃で震え、帯電した空気が音を立てて肌をざわめかせる。死角より這い寄る水刃をリュカシスの両腕を覆うぬばたまの手甲が受け止めた。十字に払えば合成獣の表皮を切り裂く水圧が水飛沫と化す。
「属性攻撃の無効化?」
光一筋も通さぬ黒鉄の手甲に施された加護。服装、武具だけではない。飾緒や軍帽、軍靴、ピアスに歯車といった装飾品にまで様々な効能が付与されている。魔術師対策だとしても些か過剰。神にでも挑む心算か。
初めてストークの顔に困惑の色が浮かぶ。
「しかも複数だって。本物なら伝説級の装備じゃないか」
「貸してくれたり、自分で探したり、色々とね。キミ、ボクの家族や友達に何度も嫌がらせをしたでしょう? あの人たちが黙って泣き寝入りするタイプじゃないのは、ちょっかいかけていたのなら分かったと思うんだけど」
リュカシスの交友関係を甘く見ていたようだとストークは彼らへの認識を改める。
そもそも自分は命と精神をかなり本気で狙ったはずなのだが、彼らにとっては嫌がらせ程度の認識であったというのも釈然としない。
不良風の学生におっとりした技師。乙女を体現したような少女に、得体の知れない忍びの黒鴉。ローレット所属の冒険者たち。そういえば彼、あるいは彼女達は悲しむでもなく烈火のごとく怒りストークに反撃をしてきたのであった。
「思い出した。皆、君の名前を出して怒ってたよ。大切に思われているんだね。私としては、君や彼らには悲しんだり苦しんで欲しかったんだけど期待外れだったよ」
リュカシスは肩をすくめた。
「それが、キミだもんね」
ストークは表情を変えずに首を傾げた。リュカシスの正拳は避けたが、通り過ぎた風圧が顔の皮膚を大きく切り裂く。
「私のことを理解したかのような口ぶりだね」
「ある程度はね」
静かにリュカシスは告げた。
床を踏むリュカシスの軍靴の音は時を刻む秒針の如く、規則正しく魔術師に喰らいついて離さない。
「キミに興味を持ってもらえただなんて嬉しいな。じゃあ教えて。私は一体何者なのか」
初めてストークの言葉にすがりつくような真剣さが宿る。
「者じゃなくて『物』なんだ」
壊れつつある人形の抜け殻。そのなかに潜む硬質的な何かが音を立てる。
リュカシスは息を吸った。介錯の刀に似た、鋭い呼吸だった。
「ボクの父は鉄帝の闘技場で戦う闘士でね。よく色んなお土産を持ち帰ってきたよ。綺麗なモノに不思議なモノ。何に使うのかよく分からないもの」
四方から毒の刃が降り注ぐ。弾かれる度に金属音と火花が舞った。
想い出や記憶はリュカシスという存在を作る大切な歯車だ。時には外れたり、ひょんなところから出てくることもある。けれども意外な部品が噛み合ったり、連結したり。そうやってリュカシスは大きくなった。
「ある日、父は小さな黒い水晶玉をくれた。お日様にかざすと小さなバネや部品が沢山見えて、ボクはそれをずっとポケットの中に入れて持ち歩いていたんだ。ある日、闘技場で無くすまではずっと」
どんな宝物にも負けなかった。複雑で細かい部品の配置を、今でもリュカシスは思い出せる。
ストークの左目は、あの日失くした水晶そのもの。
「本来、キミは楽しい思い出をたくさん留めるための記録媒体だったんだ。だけど何らかのきっかけで楽しい
ストークはもう、軽口をはさまなかった。リュカシスの直撃の拳を浴びた両脚は崩壊し、骨の代わりに細い金属が剥き出しになっている。
「
『参ったな。人間のふりをしすぎて、自分でも忘れてた』
記録媒体は人間の楽しい記憶ではなく過去の傷を求め始めた。何故かはよく分からない。魅了された、としか言いようがない。本来それは楽しさに向けられる指向性のはずだ。収集の効率化を求めて魔術師の記憶と人間に似た外装を求めた。遺物としての記憶は不要な存在として圧縮した。そのはずだったのにリュカシスが見つけてしまった。
思い出したことで遺物としての本能が作り上げた人格の意思を上回る。所有者にエラーは不要だ。
『私を破壊しなよ』
ストークは淡々と告げた。
「え、どうして?」
そしてリュカシスから返された答えに言葉を失った。
『どうしてって……私、壊れてるんだよ?』
「そうだね? だけどそれがどうして壊れることと繋がるの?」
リュカシスの嘘のない否定と肯定が、ストークの混乱を加速させる。
「ボクはキミを壊したくない。さっきまでキミのことをぶん殴って勝ちたかったのも本当。あと友達になりたいのも本当」
『トモダチ……』
真っすぐな視線に嘘はない。だからこそストークは理解できない。
理解できないものや自分を害する存在は排除すべきではないのだろうか。
『命を狙ったり、四肢を破壊する友達?』
ストークは損傷具合を分析する。此処まで破壊され尽くしたなら人間の形を取るのは難しそうだ。本体だけで動くべきだろうか。
「少なくとも、ボクの友達なら普通のこと」
『普通、かぁ』
「ということで改めて。ボクたち、友達になれるかな?」
自分を毀した其の手で、友達になりたいと手を差し伸べる。
それはあまりに無邪気で残酷な提案だ。
――満面の笑みを浮かべた幼子が手を振っている。その視線の先には豪快に破顔する闘士。
壊れた自分が起動してしまうほど見たかった、光景。
『せいぜい頑張って苦しんでね、リュカシス』
「約束はできないよ、ストーク」
ストークは差し出された手を握った。
ああ、自分が記録するに値する表情をやっと見つけた気がする。
『リュカシス。これは単純な疑問なんだけど、自分は強いから死なないとでも思う? 全てをまとめて守れるほど強い存在だって思っている?』
「そんなことは考えて無いよ。いつかは、そうなればいいけどね。全てを守れるほど、まだ今のボクは強くない。だから鍛えるし、困ったら皆に言うんだ。『助けて』ってね」
『そっか』
壊れた遺物は、泣き虫の子供が居なくなってしまった事を理解した。
いま自分の手を握るのは、揺らぐことの無い信念と、鋼鉄の精神を持つ青年だ。
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「おかしいなぁ。この辺りに隠し部屋があると思ったんだけど」
白銅の髪を掻きながら、浅黒い鉄肌の青年が地図を手に立ち止まる。
軍服に包まれたすらりと長い手足、爽やかな声と整った容貌。切れ長の鋭い黄金の瞳。180にも届こうとする身長は一見すると威圧感を与えるが、その薄い唇から紡がれるのは春風のように柔らかな言葉ばかりだ。
「リュカシス、じゃねえ。隊長。もうコイツ直すの諦めようぜ」
『そうだよ。無駄な努力だよ』
「あんだよちっとは直そうとする努力見せろやコラ」
「二人とも落ち着いて。新兵たちが怖がってるでしょ」
揃いの制服を着た一団が怯えた眼で一斉に頷いた。
「皆、実践に出るのは今日が初めてだっけ」
壁を触るリュカシスの後ろで新兵たちは先輩兵を囲み座っっている。
「はい」
「ところでリュカシス隊長。あの伝説は本当ですか」
「数々の遺跡を踏破し破壊したとか」
「実はA級闘士だとか」
「『不毀の軍勢』と戦ったとか」
まだ少年と呼べる歳の兵たちは疲れを見せ乍らも揃って目を輝かせている。
「どうだったかなぁ」
副隊長と呼ばれる男が珍しく冷や汗を流している。
真実は噂よりもう少し
「あ」
嬉し気な声と共に石壁が開いていく。石壁の後ろに佇んでいたのは赤く目を光らせる機械兵の軍団。
「それじゃあ、行こうっ」
おまけSS『ガラクタハグルマの旅立ち』
海風が涼しい。
陽射しが眩しい。
青々とした空の色は鉄帝とはまるで違う。
なだらかな丘をリュカシスは下る。背後には白亜の建物。心穏やかに診療所を訪問できるようになったのは、一体いつか。
両親と和解した、と言えるには未だ未だ遠い。
互いに折衷案のなかで縁を交差させているだけ。それでも細々と、途切れずに続いている。
『前よりも明るくなってたね』
小さく呟かれた声。
「そう見える?」
『少なくとも、私にはそう見える』
「そうかあ」
男は笑った。子供のような無邪気さをはらんだ声で、タンポポのように青空を仰ぐ。
「此処に来るのも前より難しくなってしまったからね。旅路の間に心の準備ができているのかも」
『何せ将軍様だもんね。時間がないのは仕方ないんじゃない?』
子供の自分。弱い自分。この丘にある思い出といえば憂鬱さと痛みだけだった。
穏やかな風も、美しい景色も、拒絶して。気づけば十年経っていた。
二十年、時間が経てば他の思い出も増えていく。
三十年、世界の美しさに気づいていく。
例えば今日の海に煌めく波の光だとか。
例えば空を舞うカモメのなかに、黒い鴉が一羽混じっていることだとか。
幸せというものは、案外まわりに潜んでいる。
『それより、そろそろ出発の時間だよ』
「そうだね。次の遺跡に向かうとしようか」
唇が弧を描く。
一歩一歩、進んでいく。変化を受け入れるため、未来へ向かって男は歩く。
だけど時々はこうやって、後ろを振り返り告げるのだ。
いってきます