PandoraPartyProject

SS詳細

優しい夢

登場人物一覧

燈堂 廻(p3n000160)
掃除屋
燈堂 暁月(p3n000175)
祓い屋
深道 明煌(p3n000277)
煌浄殿の主

 さらさらと雨が降り注いでいる。
 暗闇の川に掛かる橋には、誰も歩いてはいなかった。
 雨で増水した川は普段より濁っている。
 ばしゃりと少年が橋の上で蹲った。傘も差さず苦しげに悶えている。
「だれか……」
 助けてという声が雨音に掻き消された。

 高校二年の春休み。神路結弦は京都へと一人旅に出ていた。
 電車を乗り継いで辿り着いた京都は美しく、色々な景色を見て回った。
 けれど、夕方になる頃には雨が降り始め、いつしか人の気配が消えたのだ。
 自分の身体が思う様に動かず、引き摺るように橋の上までやってくる。
 息苦しく、身体の中が燃える様に熱かった。
 結弦は橋の欄干に手をかけ損ね、その場に倒れ込む。

「こんな所で何をしてるんだい?」
 聞こえてきた声に顔を上げれば、赤い瞳の男が二人。
 二人とも長身で瓜二つな顔をしていた。
「くるし……たすけ、て……」
 息も絶え絶えに結弦は男たちに手を伸ばす。誰でもいいからこの苦しみから助けて欲しかった。
「ふむ。何かに憑かれてるのか。明煌さん念のため縛って」
 こともなげに言ってのけた男の隣。明煌と呼ばれた男の袖から赤い縄が這い出す。
「……?」
 それは蛇のようにゆっくりと動いて結弦の身体に巻き付いた。
 手品にしては出来すぎていると働かない頭で結弦は思考する。
 赤い縄は結弦の腕を後ろ手で縛り上げ、両脚を動かないように固定した。
「な、に……うぐっ!」
 口を赤い縄が覆い、完全に身動きが取れなくなってしまう。暴れようにも苦しさと拘束で指先を動かすのがやっとだった。
「大人しくね。悪いようにはしないから」
 羽織を掛けられ、甘い匂いにくらりと意識が遠のく。
 普通なら逃げるために暴れる所であるが、不思議とこの二人には安心感があった。
 ゆっくりと目を閉じた結弦は抱え上げられる感覚に身を委ねた。

 ――――
 ――

 ぐらぐらと身体が揺れて結弦は目を覚ます。
 朦朧とした意識の中、目を開ければ見知らぬ天井が見えた。
 和室だろうか。随分と広い室内のようだ。
 起き上がろうとして身動きが取れない事に気付く。
 赤い縄が腕をまとめ上げ、足首は動かせないように固定されていた。
 雨に濡れたからなのか白い着物も着せられている。
 それよりも、身体の中で何かが這いずり回っているような気持ち悪さに怖気が走った。
 その得たいの知れないものが動く度に苦しさがこみ上げる。

「うう……」
「苦しいだろう? いま助けてあげるからね」
 覗き込んだのは先程の男だ。優しく撫でられ少しだけ安心する。
 その向こうには明煌と呼ばれていた男も居た。
 彼らは助けてくれようとしているのだ。
「君の中には妖魔が入っていてね、今からそれを祓うんだ」
『ようま』とは何だろうかと疑問に思う間もなく、身体中が軋みを上げる。
「……っ」
 身体の中で何かが暴れ回っている。これが妖魔の仕業であるのは結弦にも分かった。
 悶え苦しむ結弦の頭を撫でて男は眉を下げる。
「苦しいね。ごめんね。……私は深道暁月だ。君の名前は?」
「神路結弦、です」
「結弦……良い名前だ」
 優しい手が離れて行ったと同時に身体の内側が弾けたように熱くなる。
 腹を割るように這い出てきた『バケモノ』に結弦は目を見開く。
 実際に内蔵を突き破って出て来ている訳では無いが、不気味な気持ち悪さがあった。
「な、に……これ……」
「これは妖魔。君達の世界の裏側にはこんなバケモノが徘徊している。それを祓うのが私達祓い屋の役目なんだよ」
 祓い屋という響きがやけに耳に残る。
 されどそれを掻き消すように身体の中が裂かれる痛みに絶叫した。
「あああああぁぁぁぁぁ――ッ!」
 両手足の動きを封じられている状態で出来るのは身を捩ることだけ。
 息が乱れ上手く呼吸が出来ない。自分の口から漏れる叫び声が反響して耳朶を打つ。
「う、ぐ……ぁ」
 苦痛に身悶えれば口の端から唾液が伝い、涙が目尻に浮かんだ。
 妖魔が半分ほど結弦の身体の上に浮かび上がる。ケラケラと人を嘲うような笑い声が響いた。
 それを睨み付ける暁月は腰に下げていた刀を抜く。
「おいおい、俺を攻撃すれば、コイツがどうなるか分かってんだろ? 俺がちょっと中を弄くるだけで、コイツは廃人になっちまうんだぜ?」
 妖魔が腕を伸ばし結弦の頭を掴む。瞬間、とてつもなく不快な感覚が身体中を駆け巡った。
「ひぎぁァ!?」
 恐怖にガクガクと身体が震える。妖魔の言うとおりこんな体験した事も無い、人間では到底与えることの出来ない不快な『汚染』をされ続ければ、簡単に壊れてしまうだろう。
「やめ、て……やぁ……」
 苦痛に涙がぼろぼろと零れ落ちた。
 自我というものが破壊されるような感覚に結弦は身悶える。
「たす、け……たす、てくださ」
 薄れ往く意識の中で、結弦は暁月の「大丈夫だ」という言葉を聞いた。
 最後に見たのは暁月が銀色の刀を振りかざす所だった。

 ――――
 ――

 視界が明るくぼんやりとしている。
 目を開けているはずなのに、網膜が像を結ばない。
 けれど、全身を支配していた苦痛は消えていた。
 ちゃぷんと水音が聞こえる。どうやら湯船の中にいるようだった。
「ぅ……」
 身体を動かそうとして全く力が入らない事に結弦は気付く。
「痛むか?」
 耳の後ろで聞こえたのは明煌の声だ。同時に視界がゆっくりと鮮明になってきた。
 明煌に支えられ結弦は広い湯船の中に浸かっていた。
「大丈夫です。妖魔はどうなりましたか?」
「ああ、祓った。もう大丈夫だ」
 ほっと溜息を吐く。妖魔との戦いがどうなったのか結弦には全くが記憶がなかった。
 温泉みたいな広い浴室から見える窓を見遣れば、陽光が差し込んでいる。
 既に昼近くになっているのだろう。十五時間以上も記憶が飛んでいた。
「僕覚えて無くて……」
「無理に思い出さなくていい。辛いだけだから」
 言葉は少ないけれど明煌は心根は優しいのだろう。
 現に結弦が溺れないようしっかりと支えてくれている。
 全身から力が抜けてしまっているのも、妖魔を祓った影響だと明煌は告げた。
「ありがとうございます、明煌さん」
「うん、死ななくてよかった」
 愛おしそうに明煌は結弦を抱きしめる。こんなにも優しい人だったなんて思いもよらなかった。
 もしかしたら、相当に危ない感じだったのかもしれないと結弦は思い出せない記憶にぷるぷると震える。

 明煌に抱きかかえられ脱衣所へと戻ってきた結弦を迎えたのは暁月だ。
「おはよう結弦。立てるかい?」
 脇を抱えられ猫のように足先を床に着ける結弦。自重を少しずつ乗せて立てるか試してみる。
 されど、結弦の足は体重を支えられずふにゃりと脱力した。
「は、わ……えっと無理みたいです」
 倒れる前に明煌の赤い縄が伸びて結弦を脱衣所の床に座らせる。
「あー、まだ立てないかぁ……仕方ないね。妖魔が強い術を使ったんだ。今日はゆっくりしようか」
「強い術……もう苦しくないですか?」
 あの脳内を弄られるような感覚、身体中を苛む苦痛は思い出すだけで身の毛がよだつ。
「思い出さなくていい」
 震えていた結弦に明煌がバスタオルを被せてくれる。
「そうだよ、もう大丈夫。君は若いからすぐ元気になるさ」
 明煌と暁月に言われると何故か安心できる。
 記憶が無くとも、きっと二人の事を信頼しているのだと実感した。
 暁月にわさわさと髪を拭かれ、浴衣を着せられる。

「お腹空いてる? 朝ご飯があるよ」
「はい、お腹空いちゃいました」
 元気でよろしいと言う暁月に抱えられ和リビングへとやってくる結弦。
 食卓には既に美味しそうな小皿が並んでいた。
「美味しそうです! 暁月さんが作ったんですか?」
「いや、白銀だね。彼は妖魔なんだけれど、私達の家族なんだ……この家には沢山の妖魔が住んでる」
「えっ!?」
 結弦は驚いて暁月の羽織をぎゅっと握り込む。
 身に刻まれた恐怖は簡単に拭えるものではないのだろう。
「大丈夫だよ。白銀達は良い妖魔だ。例えば昔話で助けてくれる動物たちや妖怪が居るだろう?
 ああいうのが温厚な妖魔たち。けれど中には悪い妖魔も居る。まあ、人もそうだよね。悪い人も居れば良い人もいる。私達はそんな悪い妖魔たちから人々を護る仕事をしてるんだ」
 結弦を隣の座布団へ座らせた暁月は優しい笑みを浮かべる。
「座れる? まだぐらぐらしてるな……」
 明煌は結弦の隣へとやってきて赤い縄でその背を支えた。
「ちょっと柔らかく作って貰ったからね、食べられると思うよ。ほら、あーん」
 器を抱え、暁月が結弦の口元へご飯を運ぶ。
「ん、おいしいです!」
 温かいご飯を飲み込むたび、力が戻ってきた。指先が動くようになり腕も上がるようになった。
 翌朝にはすっかり元通りに動かせるようになった姿を見て明煌と暁月は笑みを浮かべる。

「京都を見て回ろうか。結弦と一緒に行きたい場所がいっぱいあるんだ」
「わあ! いいんですか?」
 行きつけの店、景色の良い場所。時間を惜しむように三人は色々な場所へ赴いた。
 一瞬で過ぎ去った高校二年の春休み。
 結弦にとって決して忘れることが出来ない思い出であり、誰にも語る事が出来ない記憶だった。

 それから結弦は長い休みの度に暁月達の元へ通った。
 二人に会う事が楽しくて胸が高鳴った。
 会えない時間は寂しくて、二人に追いつくために必死に勉強をした。
 役に立てるか分からないけれどいつか二人に並び立ちたい。
 自分が思ってる気持ちと同じぐらい二人が好いてくれたなら。


 ――きっとそれは恋であった。

おまけSS『廻る願い』

 神路結弦が亡くなったのは彼が二十歳になった年だった。

 さらさらと雨が降っている。人の気配は感じられない。
 川に掛かる橋の上で結弦は佇んでいた。
「こんな所で何をしてるんだい?」
 初めて声を掛けてくれたときも同じ言葉だった。
 悲しみと苦しみ、こんな惨めな自分では暁月たちに相応しくない。
 切ない表情で明煌と暁月を見つめる結弦。
「ごめんなさい……」
「謝ることはないよ。君は悪くない。けれど、ここに縛り付けられているままじゃ可哀想だ」
 結弦の足下は透き通っている。もう人では無いものになってしまった。
「事件のことを聞いたよ。辛かったね……傍に居たら助けられたのに」
 結弦はある事件に巻き込まれた。アパートの一室で発見された時は、生きていたことが奇跡なほどの大怪我を負っていたのだ。大好きだった部活も出来なくなり、後遺症で生活すらままならなくなった。
 大学はそのまま中退ということになり、先行きの見えない不安に絶望し、この橋から身を投げた。
「暁月さんのせいじゃないです。でも、来てくれて嬉しかった。僕が未練があるとすれば暁月さん達に会えなくなることだったから」
 眉を下げて笑おうとする結弦を暁月は抱きしめる。
「結弦……!」
 暁月の瞳には涙が浮かんでいた。結弦と暁月の頭を明煌が撫でる。
「ごめんね、結弦。
 君ともっと話しがしたかった。
 無邪気に笑う君を傍で見て居たかった。
 君の成長を感じて、沢山の場所に連れていって。
 美味しいものを食べさせてあげたかった!」
 それは暁月の切なる願いだったのだろう。離れていても結弦のことを想っていた。

「よかった……もう忘れられてるかと思ってた。そんな風に思ってくれてたんですね」
「忘れるとか、ありえへんやろ……俺らがどんなけ心配したか」
 口数の多くない明煌が眉を寄せて、苦しげに結弦の手を掴む。
 結弦が事件に巻き込まれ亡くなったと知らされたのは数日前のことだ。
 この数日間、寝る間も惜しんで彼の魂が迷っていないかと探していた。
 事件のアパートや大学、住んでいた家……自分達の元へ来てくれたなら。
「でも、ここに居てくれてよかった」
「会いにいけたらよかったんですけど、僕にはその勇気が無かった。僕の身体はボロボロで余計心配させちゃうから……でも、やっぱり心残りだったんですね。迷惑かけてごめんなさい」
 最期に会いたかった、その思いがここの結弦を縛ってしまった。
 けれど、もうその心残りも二人が着てくれたことで解消された。
「大丈夫だよ。私達も君に会えてよかった……愛してるよ結弦」
 暁月は結弦を強く抱きしめる。明煌は語らないけれどその愛情は指先から伝わってきた。
「ありがとうございます。嬉しいです! へへ……僕、幸せです。
 もし、生まれ変わったらまた二人に会いたいなって思います」
「うん、いつでもおいで。君を待ってるよ」
 結弦の指先が解けていく。儚く美しい光が結弦を覆った。
「じゃあ、二人ともお元気で……明煌さん暁月さん、大好きです!」
 腕の中で光になって消えていく結弦を暁月は抱きしめ続けた。

 ――どうか、どうか。
   君の来世が幸せで満ちていますように。

 ――――
 ――

 見慣れた天井に『燈堂廻』は目を覚ました。
 寝ぼけ眼でゆっくりと起き上がり部屋の中を見渡す。
 障子がそっと開かれ『燈堂暁月』と『深道明煌』が入って来た。
「今日は随分とお寝坊さんだね? おや、泣いているのかい廻」
「夢見悪かった?」
 覗き込んだ明煌に廻はゆるく首を振る。
「……いえ、良かったです。すごく大切な思い出でした」
「そうか、まだ記憶の整理をしてるんだろうね。ゆっくりで構わない。時間はいっぱいあるんだ」
 涙をハンカチで拭き取ってくれた暁月に廻は笑顔を向けた。
「はい……」

 ――暁月さん、明煌さん。ありがとうございます。
 貴方達が愛してくれた『結弦』では無くなってしまったけれど、僕はきちんと幸せになりましたよ。
 本当に幸せで、涙が零れてしまうぐらいなんです。
 だから、心配しないでくださいね。
 僕はこの世界で皆に支えられて精一杯生きてます!

 それは元の世界の大切な人に送る言葉。
 決して届きはしないけれど、思いはきっと伝わっていると確信できるものだ。
 廻は元気よく立ち上がり、障子の向こうの光の中へ飛び出していった。


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