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カフェオレはまだ冷めない
登場人物一覧
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幻想の街の外れにある小さな喫茶店。
久しぶりに『お手伝い』することがないチック・シュテル(p3p000932)は、羽を伸ばそうとそこを訪れた。
――カラン、コロン。
扉を開ければ、澄んだ鐘の音が空気を揺らし、その清らかさにチックは目を細めた。
いらっしゃいませ、と告げるウエイトレスに一人だと伝えると、お好きな席へどうぞと返事が返ってきた。
あまり広い席は、複数人で訪れる客の邪魔になるだろうと、端にある一人がけの席へチックは向かおうとした。しかし、視界の端に映る綺麗な翅に見覚えを感じ、彼は足を止めた。
もし、人違いだったら申し訳ないな。と思いつつも声を掛けてみる。
「……あ。えと、もしかして……アルチェロ?」
「あら?」
声を掛けられ、アルチェロ=ナタリー=バレーヌ (p3p001584)は振り返り、声の主を見上げた。
「久々ね、チックの坊や」
「あ……おれのこと、覚えてくれてた……の?」
「勿論。この間一緒に『お手伝い』したわね」
お掛けなさいな、とアルチェロが手で自身の前の椅子を指した。チックは二、三度アルチェロの顔と椅子を見比べた後「お邪魔……します」と小さく呟いて腰かけた。
「まさか……覚えて、くれて、いるなんて……思わなかった」
「ふふ、自分の
「……? 孫……?」
「ええ」
アルチェロが一旦コーヒーカップに口を付けた。ブラックコーヒーが静かに揺れる。
そのタイミングで、ウエイトレスが水の入ったグラスを持ってくる。
「ご注文は、お決まりですか?」
そっとアルチェロがチックにメニューを差し出し、見せてやった。
ありがとうと、伝えた後にチックはメニューの文字をゆっくりとなぞる。
「あ、えっと……カフェオレ、と……苺の、ショートケーキ、を」
「カフェオレはホットになさいますか? アイスになさいますか?」
「あ、ホット……おねがい」
「かしこまりました」
注文を取り終えたウエイトレスが厨房に向かうのを見送ってから、チックとアルチェロは互いに向き直った。
「……改めて、アルチェロよ。おばあちゃんと呼んでくれたら嬉しいわ」
「おばあ、ちゃん?」
さっきの『孫』という発言と言い、おばあちゃんと呼んでくれと言ったり。
チックは彼女の『おばあちゃんらしく振舞おうとしている姿に』首を傾げた。
この混沌には長命種と呼ばれる種族はいる。故に十五、六にの少女にしか見えない彼女が自分よりも年上だ、と言われても納得はできる。
(でも……女の人を、おばあちゃん、って呼ぶのは……どう、なんだろう?)
チックはぼんやりこそしているが礼節をわきまえた青年だ。しかし、アルチェロがそう呼んでくれと言うなら、そう呼ぶのが相応しいのだろう。
「ん、と。それじゃ…………おばあ、ちゃん?
……おれ、言う、してみて。変じゃ、ない?」
「変ではないわ。私はおばあちゃんなのだから、アナタは正しく呼んでいるもの。
現に、今私はとても胸が暖かいわ……恐らくだけれど、嬉しい。という感情かしら」
胸に手をあてながら、アルチェロは言った。彼女の翅の周りを舞う蝶も、こころなしか喜んでいるように見える。
チックがほっと胸を撫でおろしたと同時に、ウエイトレスが苺のショートケーキを持ってきた。チックが軽く頭を下げて、礼を伝えると彼女は軽くお辞儀をして去っていった。
白い皿の上にはレースペーパーが敷かれており、その上にまた真っ白なクリームのショートケーキが乗せられている。黄色のスポンジはみるからにふわふわで、ルビーの様に真っ赤な苺が艶々とした煌きを放っている。
「お、美味しそう……! いただき、ます」
キラキラと目を輝かせ、チックはそっとフォークをケーキへと突き刺した。
さくりと刺した後、それを口に運ぶと甘いスポンジに、仄かな苺の酸味が絡みついて口の中一杯に弾けた。
ふわりと花が咲いたようにチックの顔に笑顔が浮かぶ。
ひとくち、ふたくちと口に運ぶたびにその笑顔は鮮やかに、大きくなっていく。
「チックの坊や。美味しい?」
「うん……! とっても、美味しい……!」
「そう、それが『美味しい』なのね」
「おばあちゃん、も……食べる?」
「うふふ、ありがとう。でも、おばあちゃんは大丈夫。遠慮せず食べなさいな」
わかったとチックは頷き、再度ショートケーキを食べ始める。
段々小さくなっていくショートケーキを見ながら、アルチェロはふむ、と顎に手をあてる。
「まだ足りないのではなくて?」
「え?」
アルチェロはウエイトレスを呼び、一旦締まってもらったメニューを再度出してもらった。デザートの欄を再度開いて、チックにずいと差し出す。
「ほら、遠慮せずにもっとお食べなさい。レモンパイ、チョコレートのパフェ。マスカットのゼリーに……林檎のタルトなんてものもあるわ」
「ま、待って。アルチェロ……そん、なに。食べきれ、ないよ……」
「あら、心配はいらないわ。さっきのお嬢さんに聞いたら、持ち帰ってもいいと言っていたもの」
「お、お財布に……お金! あんまり、入って、ない……!」
「ああ、お金の心配をしていたのね。大丈夫よ、私が出すから」
おばあちゃんって、そういうものよ。
そう言うと早速ウエイトレスを呼ぼうとするアルチェロを、チックは慌てて引き留めた。
気持ちはありがたいが、喫茶店で偶々出逢っただけのアルチェロに飲食代を出させるわけにはいかない。尤も、どれだけ親しい間柄だったとしても、チックの性格的に断っただろうが。
チックがあんまりにも止めるので、アルチェロは挙げかけていた手をゆっくりと下ろした。
おばあちゃんは嫌がる孫に無理強いしたりしないのだ。
相変わらず無表情のままで、首を傾げアルチェロはチックに問うた。
「ごめんなさいね、これは『よくない』ことだったかしら」
アルチェロは、感情の起伏に乏しい。
永い、永い時を生きてきた彼女は『おばあちゃん』という、
彼女は書物などから得たおばあちゃんらしい行為をなぞり、それを己に落とし込んで、ヒトを学び始めたのだ。ヒトで在り、ヒトと共に歩む為に。
今回も、
少し胸のあたりに冷たさを感じつつも、アルチェロはチックに謝罪した。
それに対しチックは頭と手を振って、即座に否定の意を示した。
「えっと……! 嫌、だった、わけ、じゃない……!
それ、に、よくない、こと、なんか、じゃない。だい、じょうぶ」
言葉にするのが難しいけれど、と前置きしてチックはゆっくりと語りだす。
「えと、あくめで、おれ、は……お金を、自分で……払い、たかった……?
ううん……むず、かしい」
チックは首を傾げつつ「でも」と続きの言葉を紡いだ。
「おばあちゃん、気持ち……嬉しい。だから、いいこと……!」
「……ありがとうね、チックの坊や」
チックの言葉に再度暖かなものがアルチェロの胸の中に灯った。
きっと、自分は今『嬉しい』に近い感情なのだろうとアルチェロは思う。
同時にコツコツと足音が近づいてきて、そちらを見れば先ほどのウエイトレスが食後のドリンクを持ってきたところであった。
「お待たせしました、ホットのカフェオレです」
「あ、ありがと……」
テーブルに置かれた白いカップをチックは手に取った。暖かな湯気が昇るカフェオレに数回息を吹きかけ、こくん、こくんと小さく飲む。優しい甘さが、身体の中を温めチックはほう、と息を着いた。
「チックの坊や。美味しい?」
全く同じ言葉で、もう一度、アルチェロはチックに問うた。
「うん、とって、も」
花が咲いたように笑みを浮かべて答えたチックの様子に、アルチェロは満足げに頷いた。
そしてウエイトレスを呼んだ。
「お嬢さん、私にもホットのカフェオレを一つくださいな」
注文を取り、会釈し去っていくウエイトレスを見ながらチックは首を傾げた。
「ん……。ブラック、コーヒー、じゃ、ないけど……いいの?」
「ええ、チックの坊やが、あんまりにも美味しそうに飲んでいたから」
「お、おれ……そんな、に。顔、出てた?」
「ええ、とっても……ああ、もう出来たのね。ありがとう」
再度運ばれてきた白いカップを、アルチェロは受け取った。
チックと同じように数回息を吹きかけて、少し冷ましてからゆっくりと飲む。
「……なるほど、これが『美味しい』なのね」
さっきのブラックコーヒーよりもずっと美味しく感じるのは、チックと一緒のものを飲んでいるからなのか。それともチックと一緒に飲んでいるからだろうか。
その区別は、アルチェロにはまだ付かなかったが近いうちにわかるようになるのだろう。
ほう、と息を吐いてからアルチェロは静かにカップを置いた。
それを見てからチックが口を開く。
「ね、おばあちゃん」
「なあに? チックの坊や」
「よかったら、もっと、お話。聞かせて?」
「私の?」
「うん。おれ、ね。おばあちゃん、いなかった、から……もっと、おばあちゃんの、こと、知りたい……ダメ……?」
ほんのり、眉を寄せた困り顔。無表情な自分とは対照的に、くるくると変わる表情は実に興味深い。もう一度だけカフェオレを口にして、アルチェロは頷く。
「ええ、ええ。孫とお話しするのは。屹度、とても楽しくて、おばあちゃんらしいことね」
「ああ、そうだ。お土産のクッキーは買わせてね。可愛い孫への贈り物をしてみたかったの」
「うん、わか、った。おばあ、ちゃん」
「ありがとう。それじゃ、なにからお話しましょうか」
カフェオレが冷めるまでは、まだ時間がある。
窓から差し込む日差しは穏やかで、優しくて暖かい。
こんなにも良い日なのだから、ゆっくりとお話ししよう。
おまけSS『おばあちゃんという存在』
気づけばもう日は傾いて、窓から差し込む日差しは夕暮れの橙へ色を変えていた。
「もう、こんな時間になってしまったわね」
「ふふ……おばあちゃん、お話、たくさん、聞けて、嬉しかった」
「私もよ。チックの坊やの事を沢山知れて嬉しかったわ」
会計を済ませるべく、席を立ちレジへと向かう。
レジの隣には可愛らしくラッピングされたクッキーが籠一杯に並べられていた。
「お嬢さん、此方のクッキーをくださいな。この子へのお土産なの」
「ありがとう……おばあちゃん。大事、食べる、ね」
「……あら、ラズベリーのジャムの味もあるのね。そちらもくださいな」
「おばあ、ちゃん?」
「檸檬のお味も美味しいのかしら、ならそれも……いけないわ、チョコレートを忘れていたわ。そちらも包んでくださる?」
「お、おばあちゃん……!」
おばあちゃん、というのは。
可愛い孫の為にはいろいろ買ってしまいたくなる存在なのである。多分。