PandoraPartyProject

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どうか何度でも、その言葉を。

登場人物一覧

火野・彩陽(p3p010663)
晶竜封殺
クウハ(p3p010695)
あいいろのおもい



 月の美しい夜だった。
 暗闇に浮かぶ大きな満月は我が物顔で空を眩く照らしており、火野・彩陽はそれをぼんやりと『心ここに在らず』といった調子で眺めている。

「……あそこに、居るんやなぁ」

 あそこには自分達の敵吸血鬼達がいる。間も無く決戦と言える様な大きな戦いが待っていて、自分もそこで弓を取ることになるのだろう。しかしながら、彩陽はそのことに対してさほど感慨も湧かずにいた。敵に抱く様な怒りや憎しみも、戦いに対する恐怖や昂揚も無く、ただ静かにその時が来るのを待っている。

 そも、混沌に来てから表面上はへらへらと取り繕っていても内面は常にこの様な有様だった。どことなく現実感に欠けて、ふわりふわりと足元が覚束無くて、子供の手から離れてしまった風船の様で──、

 否。

 『混沌に来てから』ではない。元の世界でもあの日から……そう、自身が養父母の本当の子供ではないと知ってしまったあの日から。彩陽の中では何かがひび割れてしまって、そこから大事なものがみんな流れていってしまう様な。そんな心地をずっと、ずっと抱えて生きていたのだ。

「……疲れたなま、ぼちぼちやってきましょ

 心の端に泡沫の如く浮かぶ気持ちとは裏腹に、口から零れ落ちるのはいつもの様な軽口。いつもより誤魔化すのが下手な気がするのは、きっと月がこんなに大きいから。あの時の月も、こんな風に大きかった。あの時? あの時ってどんな時だった? 大きな月、それを見上げる小さな自分、誰かの声──

 ──■■■■■■■■!■■■■■■■■■■■■!



 月のクソッタレな夜だった。
 暗闇に浮かぶ大きな満月は我が物顔で空を眩く照らしており、『女王』への熱を燻らせる。クウハはそれを抱え憎々しげに天を睨みつけていた。

 五月蝿え、黙れ。俺がこうべを垂れるのはテメェじゃねえ。

 この身に烙印呪いが刻まれた経緯こそ誇らしいが、湧き上がる衝動は不愉快極まりない。ただでさえ善人の魂を喰いたくて腹が減っているというのに、このうえ血を啜りたくなるのだから溜まったものではないとクウハは苛立たしげに洋館の壁を殴りつけた。

「クソがっ……!」

 この衝動のせいで、碌に住民の様子も気に掛けられやしない。そろそろまた主人に"血"を貰わなくては、と外に出たクウハの目に止まったのは、ぼんやりと天を仰ぐ男の姿──彩陽だった。月見を楽しんでいるという風でもなく、生きることに疲れてしまっている様な迷子の表情。それを目撃したクウハは自身の身を焦がし続ける衝動を何とか抑えつけ、ゆっくりと彼に近づいた。

「──よォ彩陽。お月見とは洒落てんな」

 びくりと彩陽の肩が震えてクウハに視線を向ける。怯える様なその動きにクウハは苦笑し、ゆっくりとした動作で彩陽へ近寄ると背を撫でてやった。

「どうした、悪夢でも見て眠れなくなったか? 大丈夫、ちゃんとオマエさんはここにいるからな」
「……はは。そんな心配せんでええって。なんとなく夜更かしして月見てただけやさかい」
「それならいいんだけどよ」

 明らかな笑顔と誤魔化す所作。しかし、クウハはその所作を見抜きながらも怒ることなく彩陽の隣へ座って、一緒になって月を見上げた。隣で彩陽がなんだか落ち着かない様子でもぞもぞしている気配を感じてクウハは苦笑する。クウハの烙印のことは彩陽も知っているだろうが、彼はそれで『自分が襲われるのかもしれない』と考える様な人間ではない。(最も、)単純に、気まずいのだろうということがクウハにはわかった。

「ローレットの特異運命座標イレギュラーズも忙しない雰囲気になってきたしな。吸血鬼どもとの決戦が控えてるから無理ねえが」
「せやねぇ……クウハは大丈夫?」
「俺を誰だと思ってやがる。これぐらいなんてことねぇさ」

 ああ、俺も大概だよな──と彩陽にバレない様に自身を自嘲しつつクウハは言葉を続ける。

「緊張してねえか?」
「まさか。いつも通り、それなりにやりますよって」
「……そうかい」

 その言葉に嘘は無い。しかしクウハは彩陽の言葉の端々から敏感に虚しさの様な感情を感じ取った。彩陽という男はいつもそうだ。へらへらと笑って『お気楽』を装い、死地でもそのまま笑っている。よく知らないものが見たら怖いもの知らず、命知らずのうつけ者という評価を下すだろうが、クウハはその本質を『迷子』だと捉えていた。居場所を見失い、甘え方も教わらぬまま育ってしまった迷子の子供。だからクウハは、彩陽の目を逃さない様にしっかりと見つめながら口を開く。

「彩陽」
「……んー?」
「生きて帰ってこいよ」
「……え、」
「ちゃんとこの洋館に、生きて帰ってこい」

 彩陽はへらへらと浮かべていた笑みを引っ込めて、困った様にクウハを見た。やり過ごしたい、逃げ出したい強烈な衝動に駆られるが、夜の帷が落ち始めた頃の夕闇を閉じ込めた様なクウハの赤の瞳から目を逸らせない。この世界の誰よりも真剣に、誰よりも真面目に彩陽を見つめていることに気がついてしまったからだ。

「オマエに何か信念があって、命を投げ打たなきゃならねえほど頑張らなきゃならねえってならそれはいいんだけどよ。そうでないなら生きて俺ンとこに帰ってこい。オマエは俺の洋館の住人モノなんだぜ」

 彩陽はへらへらと笑って『お気楽』を装い、死地でもそのまま笑っている。まるで怖いものなどない様に。まるで、自分などいつ死んだって構いやしないとでもいう様に。

 クウハにはそれが、あまりにも惜しいと思えた。その感情が彩陽と一緒の時間を過ごすうちに培われた親愛なのか、それとも彩陽へ更なる絶望を与え、飢えを満たしたい悪霊としての悍ましい本性からくるものなのか……正直に言ってしまえばクウハにはこうだと断じることはできなかった。ただ、彩陽を今、こんなところでみすみす死なせるには時期尚早だ。まだ彼は、不器用にも

「……」

 彩陽は暫く黙っていた。どういう言葉を返せばいいのか、どういう行動を起こせばいいのか、決めかねている。そんな表情。クウハはそれを怒ることなく辛抱強く待った。雲のゆっくりとした瞬きだけが、時の流れを教えてくれる。

「……うん」

 結局、彩陽ができたことといえば小さく頷いて視線を軽く地面へと落とすことだった。それで十分だと言わんばかりにクウハは彩陽の頭を撫で回す。

「よしよし、いいコだ。洋館に帰ってきたらちゃんと『ただいま』って言うんだぜ?」
「……『ただいま』、かぁ」
「そうだ、『ただいま』だ。家に帰ってきたら当然だろ?」

 口の中で何度も『ただいま』という言葉を転がす彩陽にクウハは幼子みてえだなと言葉にはせずに笑って、そろそろ寝な。と背を軽く叩いた。月はそろそろ南の空へと差し掛かっており、随分と遅い時刻となってきたことが窺える。

「クウハ」
「ん、どうした?」
「……帰って、くるよ」
「おう、約束だ。オマエの帰る場所は洋館ここだぜ」

 その言葉に彩陽はへらへらと笑みを浮かべる。しかし、どこか全てを諦めてしまったかの様な退廃的な雰囲気は見られず、喜色すら滲ませてクウハへ「おやすみ」と告げて洋館へと戻っていく。

 他に誰もいなくなったその場所でクウハは大きなため息をつくことで緊張を解し、天を見上げた。空には、あの忌々しい月が煌々と輝いている。

「……俺も、気合い入れねえとな」

 死ぬつもりなぞ端から無い。だが、ますます死ぬわけにはいかなくなったのだ。せっかく死地から乗り越えて帰ってきたとしても、帰還を伝えるべき相手が死んでいるのでは笑い話にもならない。

 『ただいま』には、『おかえり』が必要なのだから。



 ──君が生きて帰れと行ったから。
 
 少し生きてみようかな。
 
 少し生きることに、前向きになってみようかな。

 そう、思うんだ。



──────
────
──

 太陽から注がれる温かな日差しを浴びながら、彩陽は大きな紙袋を抱えて洋館を目指す。中身は食品や生活用品の数々……今日は彼が買い出しに行っていた。浮かれるほどご機嫌といったほどではないものの、足取りは軽くその表情は穏やかだ。

 やがて彩陽は洋館に辿り着くとそっと扉を開けエントランスホールへ。そうして、やや大きな声でその言葉を口にする。

「ただいま」

 ほんの少しの間を置いて、キッチンの方から足音。そして住人の子供霊達を引き連れてクウハ洋館の主人が姿を見せた。

 既にクウハの身から烙印は消え去り、軽微な後遺症こそ残ったもののクウハ、そして彩陽にも穏やかな日々が戻りつつあった。世界情勢は目まぐるしく変わってはいるが、この森の洋館では騒がしく、ちょっぴり怖く、そして温かな日常がまた送れる様になったのだ。

「おかえり。メモにあったものは買えたか、彩陽?」
「ちゃんと細かく売り場も書いてたさかい、買えたよー」
「よーしよし、ご苦労。褒美におやつを用意したぜ。オレンジピールとくるみ入り生チョコタルトだ」
「えっ、ほんま? 食べる食べる」
「おう、手ぇ洗ったら食堂まで来い」

 彩陽から貰った紙袋をギフトポルターガイストで浮かべると、クウハは彩陽の頭をわしゃわしゃと撫でた。撫でられた彩陽は「わっ、もー、何なん?」とへらへら笑いながら手を洗いにいく。

「ただいま」
【おかえり】
「ただいまー」
【おかえりー!】

 すれ違う霊達に声をかけ、「ただいま」と「おかえり」が無数に繰り返される。

 それは戻ってきた日常の中にもたらされた小さな変化。彩陽は「ただいま」を、クウハと洋館の住人達は「おかえり」を。たったそれだけだったが、彩陽の顔には穏やかな表情が浮かぶことが多くなった。それは、クウハにとっても非常に喜ばしいことだった。

 それが親愛からくるものなのか、おぞましき本能からくるものなのか──それは今はどうでもいいことだ。こうしてお気に入りが心穏やかに、そして自身もそれに安堵する日々が手に入ったのだから。

「ただいま」
「おかえり」

 クウハは満足そうに彩陽達の声に耳を澄ませながら、彩陽に自分の作ったケーキを食べさせるために一足先にキッチンへと戻っていった。

 ──オマエの帰る場所は、居場所は此処にある。忘れるなよ。


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