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それはただ、希っただけの
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「ショウ、ちょっと聞いてほしい話があるから時間ある時に僕の家に来て欲しいにゃ。おいしいお酒用意しとくにゃ」
ローレットに報告書の提出に訪れたちぐさはショウを見かけてからはっきりとそう言った。
普段ならば「今日は暇かにゃ?」だとか「ショウと美味しい物を食べたいにゃ!」と明るく誘いを掛けるちぐさは真剣な表情でショウを見上げていた。
報告書を受け取っていたユリーカがぱちくりと瞬いてしまうような、どこか真剣な空気にショウも普段の雑多な反応ではなく「了解したよ」と返した。
まるで仕事を受け渡しているかのような、そんな空気感は張り詰めた糸のように繊細だった。話を聞いて欲しいと切り出すちぐさを蔑ろにすることはない――けれど、ショウは何処か一抹の寂しさを感じていた。
そうやって口を開いたちぐさが、どこか大人びて見えたからだ。
(幼い子供だと思っていたけれど)
随分と大人びたのだとショウは「後で」と去って行ったちぐさの背中を眺めて息を吐いた。
「どうしたのです?」
「いや、子供の親離れってこう言うのを言うのかな。まあ、ユリーカは……」
「ボクはレオン離れしてますし、お父さんお母さんとも早く別れがありましたよ」
「まあ、そうしておこうか」
不安そうな顔をして居たユリーカの頭をぽんぽんと叩いてからショウは何かを考え込むように肩を竦めた。
本当に、子供というのは直ぐに大きくなってしまう。いや、ちぐさは子供ではない。子供の姿をしているだけだ。変化したのは自身の心の方だろうか。
可愛らしく、小さな幼い子供。父親になって欲しいと願い出るような、甘えん坊な少年を受け入れてから、ずっとそうだろうと考えて居た。
漠然とそう思っていたところに冷や水を浴びせられた気になったのか、それとも虚を突かれただけだったのかは分からない。何方にしたって、成長しようと進むちぐさのこれからが何方を向いているのかだけが気になっていた。
バグ・ホールが各地に発生し、レオン・ドナーツ・バルトロメイが失踪した。ローレットはユリーカが実質的にギルドオーナー業務を熟しておりショウやプルーを始めとした情報屋達も忙しなく走り回っている。
そんな中でちぐさも様々な仕事を手伝った。そうして様々なことを経験し、見聞きした。ちぐさにとってもそれは良き機会でもあっただろう。
ちぐさなりに無理なく成長したいという願望が芽生えたのだ。そうして、暫くの時が過ぎ去ったからこそショウに伝えたいと考えた。
無理なく、というのはある意味でショウとの約束のようなものである。無意識下であったとしても、二人の間にある絆は死に別れてはならないという約束のもとにある。
共にあるならば、死に別れるなど以ての外だ。だからこそ、ちぐさは『無理はなく』を念頭に置いていた。
こうして落ち着いて考えて見れば物事を広く捉える事が出来るようになった。自分のこともそうだが、様々な事を客観視できるのは大きな成長で変化だと思っている。
ショウにそれを告げれば思い切り褒めてくれるだろう。それはそれで『幸せ』だけれども、それだけを求めているわけでは亡いのだ。
いきなり背伸びをしてしまわないように。その自覚こそが一番の成長ではないだろうか。
ショウの為だと走り出してしまいそうだった己を律してあるべき段階で佇んでいられるというのがちぐさなりの『今の在り方』なのだ。
(……でも、これでいいのかにゃ。歪んだり偏ったりしてないかにゃ。無理をしているようにも見えないかにゃ?)
その確認をしたかった。少しずつでも大人になって行く自分が、その成果を彼に確認して欲しかったのだ。
ちぐさも一気に大人になったわけではない。少しは落ち着いたと言っても甘えん坊である事には変わりは無いのだ。だからこそ、甘えたくもあった。
二人きりで話して、それから、褒めて欲しかった。それだけは、何時も変わらず抱いていたのだから。
ショウは約束の時間にやってきた。何時もならば買い物袋には軽い軽食の材料があるが、それもない。きちんと話を聞いてくれるつもりなのだろう。酒の用意も無さそうだ。
「来てくれて有り難うにゃ」
「いいや、折り入っての話だと聞いてからね。ちぐさからどうした話だろうと考えて、少し緊張しているよ」
「……そんなに、深い話じゃないかもしれないけど……」
「いいや、ちぐさにとって大事なんだろう?」
ちぐさはこくりと頷いた。室内にやってきたショウはコートを脱ぎ、慣れた様子でハンガーにかけている。その背中をソファーに座って眺めながらちぐさは息を吐いた。
彼が近付いて来て、何時ものように隣に座る。そうしてから「どうした?」と問うてくれるのだ。いつものこと、いつものこと、だけれど。
「あのね、僕も沢山の事があったから、色々と考えるようになったのにゃ」
「ああ、そうだね。レオンのこともある。世界のこともそうだ。大きな事は山になっているから、沢山の経験は負担になっただろうね」
ショウの顔を見てからちぐさは「うん」と呟いた。ショウの目許には暗い影がある。余り眠れていないのだろうか。それだけでも心配だ。
忙しない日々を送っているのは確かだから、どうせなら一緒に眠ってくれれば良いのに――そんなことを言おう者なら寝かしつけられてしまうのだろうか。
「疲れたんじゃなくって……その、此れまでの事を考えて、僕も僕なりに色々と出来れば良いなあって思ったのにゃ。
僕に足りないものをちゃんと見極めて、僕にとって一番の成長が何かを考えていきたい。それで、ショウにアドバイスを貰いたくって……」
「ちぐさは、そんなことを考えて居たのかい?」
「う、うん。少し勇み足だったら叱った欲しいにゃ。僕も、あんまり無理をしてしまわないようにって注意をしているけれど」
おろおろとするちぐさにショウは小さく笑ってから「ちぐさ」と呼んだ。
そっと頬に触れてくれる骨張った指先にちぐさは擦り寄った。この掌が好きだ。優しくって、それから、心地良くって。
触れて貰えるだけで幸せになる。つい、甘えたくなってしまうけれど、今はまだ違う。
「冷静に、慎重に、経験則は確かに役立つけど、僕にはそれ程の『経験』があるかというと無いにゃ。
卑下というより、情報には命がかかる可能性があるって責任……って感じかにゃ」
「うん。そうだね。ちぐさはまだ見習いだ。情報屋の情報は、欠けたピースがあるだけで依頼を遂行する冒険者の命を左右する。
オレ達が仲間を殺してしまう可能性はある。ちぐさもそれは理解しているんだね?」
「うん。僕はショウから学んだ事を生かしてきているつもりにゃ。それでも、この情報にはショウ達『先輩』の力添えがある。
僕は一人ではそうやった情報を取り扱えていないと思っているにゃ。だから……だから、僕はもっと成長しなくちゃならない」
「うん」
「あ、今のところ無理して背伸びしてるつもりはないにゃ。でもそれも僕の驕りの可能性もあるのにゃ。
……ショウから見てどう思う? 率直な意見を聞きたいにゃ」
ショウはじいとちぐさを見詰めた。確かに、彼は未だ情報屋としては見習いだ。成せることもそれ程多くは無いだろう。
だが、イレギュラーズと言う身分が一番大事なのだ。イレギュラーズであれば、この世界の危機に向かい合うことが出来る。
世界が瀕死状態だと言えば
「ちぐさはよく頑張っている。けれど、キミはイレギュラーズだ」
「うん」
「イレギュラーズである以上、情報屋としての成長よりも、ちぐさはちぐさの出来る事が多くなってしまう。だからこそ、オレは今じゃないと想うよ」
「今じゃ、ない……?」
「ああ、だって、ちぐさはずっとこの世界でオレと情報屋をやっていくんだろう?」
ショウの言葉にちぐさはぱちぱちと大きな眸を瞬かせてから頷いた。ああ、そうなのだ。彼と一緒に居たい。それだけは決まっている。
冒険者と呼ばれるギルドの依頼を遂行するだけの存在ではショウの負担を減らすことは出来ない。だからといって、ショウに迷惑を掛けるような仕事をしたくはない。
ちぐさは「僕は、勇み足かにゃ」と問うた。
「いいや、立派な心がけだ。世界が滅びに面していなかったらオレは屹度ちぐさに色々な技術を教え込んだだろうね。
それこそ、危険地帯で仲間の命を左右するような情報の奪取を求めるだとか。けれど、今はその技術を磨く暇も無いのが現状だ」
「……うん。レオンさんも居なくなっちゃったし、バグホールとか、それからBad End 8のワームホールが各国に存在して居て危険だし……」
「そうだね。今は世界は滅びに面している。とても危険だ」
小さく頷くショウにちぐさは「うう」と唸ってから頭をぐりぐりと擦り寄せた。その胸元に転がり込めば、ショウは背を撫でてくれる。
何時も優しい手つきにほっと胸が落ち着くのだ。「僕は、また焦ったかにゃあ」と。
「いいや、オレがきっと臆病なんだよ。ごめんね、ちぐさ」
「ショウが?」
「ああ。情報屋として、先に潜入をすることになればもっと危険だ。それこそ、命の危機に一番最初に接するのは情報屋だろう。
何も情報が無く、どう動くかさえも自身のセンスに掛かってくる。命を落とす情報屋だって数多い。
……そんな場面にちぐさを向かわせたくないと思ってしまったんだ。
だから、ちぐさが大人になる前にオレに時間をくれないか。オレだって、ちぐさが危険地帯に向かうと言うことに対して向き合わなくちゃならないんだ」
「え、ええっと……」
ちぐさはどこか不思議そうな顔をしてショウを見上げた。彼は困ったような、それでいてどこか可笑しそうに笑ってみせる。
「オレがちぐさを大事にして居るって事だよ。ちぐさを小さな子供だと思っていたオレが悪いんだ」
そっと抱き上げられてからその膝の上に向かい合うように座った。ちぐさはショウをじいと見詰めたままぱちくりと瞬く。
「ショウは悪くないにゃ。僕は子供で……ほら、僕はとっても甘えん坊だから、大人になんてなれていないし……」
「そうだね、ちぐさはとっても甘えん坊だよ。今だって、思い切り褒めて欲しそうな顔をして居た」
「……甘えん坊はたぶんずっとにゃ。ショウがダメって言ったら考えるけど……大人になった方が良いなら……」
おずおずとショウの懐に潜り込んでからちぐさは息を吐いた。「いいなら、これでいい?」とどこか胡乱な問いかけをしてみせる。
そんなちぐさにショウは「勿論だよ」と穏やかに笑うのだ。甘えていても許されるけれど、きっと、甘えん坊である内は彼だって危険地帯へと送り出すことを拒むのだろう。
それが良く分かる。ショウはきっと、甘えてくるちぐさのことを小さな子供のように接しているのだろう。
穏やかに、そして、和やかに。幼子をあやすような手つきで接してくれるのだ。ショウにそうやって接して貰えることはちぐさにとっても喜ばしい事だけれど――
(もしも、僕が立派な情報屋になって、ショウと一緒に歩いて行こうと思うなら、これじゃ、ダメなのかもしれない。
もしも、今のままじゃダメだったら、甘えん坊も卒業しなくちゃならないのにゃ。でも、それってとっても寂しいのにゃ……)
大人になるのはとっても難しい。困った顔をしてからそっとその胸から顔を上げた。
「あのね、それでも、僕はひとつだけ思う事があるんだ」
ちぐさは小さく息を吐いた。我儘を言っているわけじゃない。子供だからじっとしていてと言われたって、そうはできまい。
これは自分自身の抱負のようなものだから伝えたかった。
「……ショウが好きな世界、僕だってしっかり守りたいにゃ」
ピアスは、体に刻み込んだ約束だった。イヤリングは、揺らぐ、思いのようにちぐさの掌に感触を伝えてくれる。
「……ただ、そうなるとたまに無茶しなきゃいけないかもにゃ。僕は戦うのは好きじゃないけど、でも、なんていうかままならないのにゃ」
「そうだね。こんな世界だと危険に向き合わなくっちゃならない。ちぐさもそうだろうけれど、オレもそうだよ。どうしたって危険はずっと付き纏うからね」
困った様子で笑ったショウにちぐさは「僕達って、どうしようもなくて、ままならないままにゃ」と笑った。
ままならないからこそ、向き合わねばならない。戦いを続けていかねばならないのだ。それはきっと、悍ましい世界の終わりに対抗する手段なのだから。
「バグホールが消え去って、滅びの預言だって何処かに行って、平和になったらいいって思うにゃ」
「そうだね。それが一番だよ」
「ね」
ちぐさはその胸の中で蹲ることはなく明るい笑みをぱあと浮かべて見せた。
「あ! ショウは平和になったらどうするにゃ? もしもでいいにゃ。もしも、平和になったら?」
「もしも、か。そうだね、余り面白みは亡いかも知れないかな。
……オレは変わらないと思うよ。きっと世界が平和になったってローレットは存在して居るし、世界はいつもの通りで大忙しだよ。
滅びの預言がなくなったとしても、この世界ではまだ誰かが冒険をしたり依頼をくれるだろうからね。オレもその仕事に向き合うだけだよ。ちぐさは?」
ちぐさは「うーん」と小さく悩んで見せた。ローレットがあるならば情報屋を続けていきたい。もしもなければ新聞記者だろうか。
それでも、一番は。
「ショウの傍に居たいにゃ」
「それは嬉しい事だね」
ショウが優しく撫でてくれる指先に甘えるようにちぐさの尾が揺れた。
世界は大きく変化していく。今穏やかだって、明日からは大忙しになるだろう。それでも、ショウの傍に居られることが幸せなのだ
世界が平和になったならばショウに情報屋としてのテクニックを学ぼう。ショウについて回ればきっと一人前にだってなれるはずだ。
それだけではない。ショウは色々なことを教えてくれるだろうから、その中で新しい世界を見付けたって構わない。
情報屋じゃなくてもショウの傍に居られるのならば何処かの小さな家で二人で楽しく暮らして行くのだって楽しいだろう。
そんなことばかりを夢に見る。ちぐさが語らう未来にショウは耳を傾けていたが、次第にちぐさの声音は弱々しくなっていった。
眠たげな声を聞きながら「ちぐさ、疲れたなら眠って構わないよ」とショウは笑う。優しいその掌に促される内に徐々に夢の世界へと落ちていく。
明日はどうなるだろう。
――きっと平和な毎日は、まだまだ遠く、どこにあるかは分からないけれど。
平和になった
「平和になったから、何をしたい?」と。その時、この人が答える未来に、ただ自分が居ることだけを願って。
今は微睡みの中へと意識を落としていった。
- それはただ、希っただけの完了
- GM名夏あかね
- 種別SS
- 納品日2024年03月14日
- テーマ『それは愛しく、あたたかな』
・ショウ(p3n000005)
・杜里 ちぐさ(p3p010035)