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とはいえ

登場人物一覧

澄原 水夜子(p3n000214)
恋屍・愛無(p3p007296)
愛を知らぬ者

 澄原 水夜子について知っていることを考えよう。
 愛無は整然と並んだ罫線の上に『水夜子』と名前を書いてみた。この名は澄原という苗字によく合わさっている名前なのだろう。
 澄と言う字は『さんずい』が印象的だ。登という字は持ち上げるという意味合いが込められているのだろう。それ故に、『水をもちあげる』ことは土や砂を含まず澄んだ色彩という意味合いとなるのだ。その苗字に合わさるのは『みやこ』という古風な名前だ。彼女らしい、実に身によく合った名前である。
 しかし、その名前には夜を孕む。此れは実に恣意的な名前だと愛無は独り言ちた。例えば、水夜子にとって仕事のパートナーにも位置する音呂木神社の巫女の名前を例にとってみようか。
 彼女の名前はひよのである。『非夜乃』と漢字では記すそうだ。夜に、非ず。つまりは彼女は『夜妖(怪異)』などではないという意味合いを名に込めたのだ。
 彼女の名付けの際に『あさひ』と付けるべきだと紛糾したエピソードがあるらしい。その理由を後々水夜子は「怪異とは夜に潜む者だと一説にありますでしょう、ですから、夜を遠ざけたかったのでは?」とそう告げた。成程、そういう事もある筈だ。実に分かり易い説明だと愛無は頷いた。
 なばら、水夜子はどうか。彼女は死に寄り添いすぎる性質がある。みゃーこと呼んでくれと軽やかに笑うが、その名前を漢字で書けばその在り方が良く分かるのだ。
 名の中央に夜を位置させることはその存在の固定であろうか。水とは霊的な意味合いを持つ事が多い。清めの意味を持った水、そして、死を映す鏡の役割の水、はたまた――
(何にせよ、彼女は怪異の専門医師となる『澄原 晴陽』という存在の助手になるべきだったのだろう。
 晴陽という名前も分かりやすく陽を孕んでいる。それに帯するように水夜子とは実に意味合いが込められた名前ではないか)
 だからこそ、彼女は夜妖に好かれ、夜妖の傍らに居るのだろう。それこそ、人間を愛することもなく、怪異に寄り添うように過ごしているかとでも言う様に。
 澄原 水夜子について知っていることを考えよう。
 そうやって文字列に水夜子と書いて深く考えていた頃だ。天上から注ぐのは聞き覚えのある彼女の声と、暗い影だった。
「どうかなさいましたか」
「丁度、君のことを考えて居ただけだ。水夜子君」
「口説き文句がお上手です」
 ぱちぱちと乾いた手を叩き合わせてから彼女は笑った。長く伸ばされた髪は銀にも灰にも見える。どちらかと言えば、柔らかな色彩は澄原の家族の中でも彼女が一番に灰に近いだろうか。
 いや、艶やかな髪はたなびく雲のような色彩もあるか。それが、降り注ぐ。空が落ちてきたようだと愛無は顔を上げた。
「いいや、本当に水夜子君の琴を考えて居た。じょーくではなくて。ただ、それが口説き文句になるというなら、君からの返事を貰いたいけれど」
「どうでしょう。愛無さんはきっと、生存に執着して、恋に生きる私のことは特に好ましく何て思わないでしょう。
 一等美しいのは生きる事にも執着せずに、自分なんて蔑ろにして他人なんてどうでもいいもののために手を伸ばせる女なのではないですか?
 私って、結構愛無さんの事を分かっているのですよ。あなたが私を一番に愛してくれるとするならば、きっとそう言うときでは?」
「大丈夫だよ。どんな水夜子君でもすきだよ。らぶあんどぴーす」
「ふふ」
 水夜子がからからと笑う。楽しげに声音が弾んで眼を細めて。そんな表情を眺めて居れば何となくでも愛無は「すきだなあ」なんて思うのだ。
 彼女の言うとおりである。死に近く、前のめり。まるで生に執着する『におい』もさせない彼女の在り方は強く愛無を引き寄せた。
 それこそ、恋に焦がれる乙女の在り方ではなく、死に焦れるように生きている事が強い興味を惹いたのだ。
 ――だから、彼女に何れだけ愛を叫んだって恋人という関係性に辿り着くには遠いのだ。
(よく分かって居るよ、水夜子君は自分になんて興味が無いから、自分を愛する人に対して何も返せやしないとそうした関係を拒むのだろうね。
 その代りに、博愛主義を気取ってみせる。それは実に理解に易い在り方だけれども寂しいよ、なんて『我儘』を言ってみるのもいいのだろうか)
 愛無はじっと水夜子を眺めてから「今日の予定は?」と問うた。
「何も」
「なら、少しだけ話そう。みすてりあすな所も好きだけれど、余りに知らないことと寂しいことだろう?」
「あら、私について知りたいのですか。良いですよ。それでは、珈琲を飲みましょう。今日は私の好みに合わせて頂くので、愛無さんの好みには合わせません」
「構わないよ」
 にいと唇を吊り上げてから水夜子はキッチンに向かった。この澄原の屋敷は元々は晴陽が棲まうために用意されたらしいが、今は水夜子の資料庫の扱いだ。
 だからこそ、勝手知ったる場所なのだろう。キッチンにも彼女の好みの品が並んでいる。だからだろうか、愛無も水夜子の嗜好品の選び方は良く分かった。
 例えば、夜は紅茶を好むことが多い。ミルクティーが好きらしい。夜を更かす時には大抵ミルクティーとお供にサクサクとしたクッキーを選ぶ事が多いらしい。
 しかし、日中はと言えば珈琲を淹れることが最近の趣味だという。豆も好みの品を選んできたらしい。大体は店で粉にして貰ってから持ち帰るようだが、時折豆からきちんと淹れるのだと時間を掛けることがあった。今日はどうやら豆からの日だ。
「水夜子君はこのコーヒーショップが好きだね」
「そうですね、でも私が好きだったのかは定かではありません。最初は姉さんでした。
 思えば、私という人間は薄っぺらく出来て居たのです。例えば、このコーヒーショップを好きだったのは晴陽姉さんだった。
 このお店はサンドイッチが絶品でした。しかも小さなサイズでランチセットにしてくれるのです。姉さんは『ながら』食べをするタイプですから都合が良いのでしょう」
「ああ、仕事の最中にと言うことか」
「はい。ですから、私は姉さんのランチと自分のものを購入してタンブラーに珈琲を淹れて貰うのです。
 それも姉さんの好みのものです。ブラックコーヒーを二つ。私も合わせなくても良いのですけれど、姉さんと同じものを飲んでいるのが良かったのでしょうね」
 ごりごりと音を立てて砕かれる豆の音を聞いていた。愛無は「合わせた理由に見当が付いたと言ったら?」と提案するように声を掛けた。
「どうぞ」
「澄原晴陽という人間に好ましく思われる為には嗜好品を合わせた方が良かったというのが簡単な理由だろう。
 それだけでは、ちと薄い。例えば、澄原晴陽と言う人間に憧憬を覚えるならば、それに合わせるならば如何するべきかを思考する。
 彼女の好みの品を全て揃えてみれば分かり易いな。そうした品を並べて見れば良い。それを選び抜きながら彼女という人物像を構築して、水夜子君はそれを真似てみる」
「嫌になるくらい正解ですね。例えば、姉さんは穏やかに敬語で語らうでしょう。しかも感情表現が下手くそだ。
 澄原晴陽という人間を真似てみるのは私がそうあるべきだったからです。ですが、感情表現の部分だけは余計なリスクを孕みますね。私という人間を他者に売り込み憎くなる。
 ですから、丁度良い塩梅で、私は作り上げてみたのですよね、晴陽姉さんの傍が良く似合う水夜子という娘を」
「良く分かるよ」
 愛無は頷いた。そもそも、水夜子と言う人間は『深み』がないのだ。非常に薄っぺらく人格をなぞっているように思える。
 それもそのはずなのだろう。彼女という人間は自分の中に踏込まれることを拒んで、誰かに好かれる自分を敢て演じていた。
 その化けの皮が剥がれたのがあの異世界でのことだろう。彼女の父親は非常に澄原らしい存在だった。娘が出来うる限りよい立場になるように――それは娘の今後を思ってのことだろう。負け犬の遠吠え的に『全てを押し付けてくれていたら』どれ程に良かったか――彼女に教育を施したのだ。
 父にそのように教育されてきた水夜子は、自らを愛されているわけではないと認識したのだろう。家族の立場でさえも、晴陽の傍に居ることを前提とされているように勘違いをした。それ故に幼少期から彼女は仮面を貼り付けて有能で愛らしい子供として振る舞ってきたのだ。
 子供というのは如何に人懐っこくて利口であるかがポイントだ。水夜子は人懐っこくて微笑んで居る。愛らしい少女らしい少女だ。それでいて弁えている部分もある。利口な娘であるという印象をも受けるだろう。そう、つまりは『澄原水夜子』という存在は誰かのトレース作品のようなものなのだ。
「水夜子君にとって好きではなくて、そうあるべきだと求められたからそうあろうとした」
「そうですねえ」
「それでも、今は好きになったのだろう。君はそのコーヒーショップで販売されるドーナツが好きだろう。
 それに、気に入ったコーヒーは牛乳をどばどばと注がない。ブラックで飲める。が、実はブラックが好きではない」
「あら、お見通しですね。その通り、私はブラックコーヒーは余り好きではありません」
 肩を竦めて困った顔をする。愛無は「ああ、なんだ、案外知っているのだな」と水夜子の事を見てそう思った。
 それでも、知らない、もっと知るべきだ。どうにも全容を掴ませてくれない、自分の物になりやしないと思えるのは彼女が『澄原水夜子』の仮面を被っているからなのだろう。
「では、こちらはブラックで。お茶請けはドーナツを用意していますよ。
 その上で、少しだけ聞いて頂いても良いですか? 私って実は
 そんなことをあっけらかんと言って見せた水夜子に愛無は「怪異の専門家なのに?」と揶揄うような声音を弾ませた。
 怪異を怖がるフリもせず、怪異に対して突貫していくような娘が、怖がりだというのだからこれには愛無も不思議そうに言葉を漏すしか無かっただろう。
「怪異は恐い物ではないでしょう。あれはそういう存在です。そもそも、恐怖劇に仕立て上げたのは私達ですし。
 まあ、どちらかと言えば私が見て居るか良いというのは神と呼ばれる部類が多いですね。それらを怖がる暇もありません。
 都市伝説というのだって、組み立ててみれば実に論理的な存在ですよ。感情的なガワを被って居ますが、それらの噂のルーツとは整然としたものですし。
 だから、私はそれらの在り方に理解を示します。それに理解が出来る時点で恐いものではなくなるのですよ。どうでしょう?」
「確かに。その言い方をされれば理解が出来る時点で恐ろしくはないな。うん、怖がる必要が無いとも言えようか」
 頷く愛無に水夜子はにんまりと微笑んだ。彼女は怖がりだ。それは怪異などと言った漠然とした存在ではないのだろう。
 なによりも、一人になる事が恐ろしかった。だから、そんなことを言って自分のことを分かって居るかを試すのだ。
「水夜子君」
「はい」
「逃げたい?」
「いいえ、あまり」
 この場所から逃げ出したいとさえ行ってくれれば手を握って何処へだって連れ去って独り占めしてしまえるのに。
 彼女は屹度、そうではないのだ。自分で前を向いて勝手に死にに行ってしまう.そういう所が好きなのだけれど。
(丸呑みでもして、全て何もかもを混ぜ込んでしまえれば良いのだろうけれどなあ――)
 じっくりと見詰めれば美しく微笑む彼女と目が合った。くりくりと眸が揺らぐ。
「私を知って下さるのなら、まだ食べないでくださいね。
 世界が終ろうとも、きっと、私のことを知らないまま食べてしまったら愛無さんは後悔するのです。
 何も知る由が無かったなあ、って。そうするとずっと付き纏うのは空腹なのですよ。お腹が空いて堪らない」
 くすくすと笑った彼女から受け取ったマグカップのブラックコーヒーは苦いが飲めないものではなかった。
「私が、私らしく、私を曝け出すのを楽しみにしていてくださいよ、愛無さん」
「いいや、いっそ、他の誰にも見られてしまわないように食べてしまえばいいのかもしれないが、それでは、確かに、知れなかった事への空腹が付き纏う」
 ――、これは恋なのだ。
 論理的にもなれやしない。独占欲が目の前でちらついて笑っている。食べてしまえば、知れる気もしてしまうのだ。
「まだ秘密ですよ」
 そんなの、お預けの延命措置ではないか。

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