PandoraPartyProject

SS詳細

緩やかな歩みに

登場人物一覧

澄原 晴陽(p3n000216)
國定 天川(p3p010201)
決意の復讐者

 ――改めて、澄原となって頂きたいのです。

 食事を終えてから、晴陽はそう言った。天川からすればそれは当たり前の様に存在する事実であり、二人の交際の前提条件でもある。
 澄原家の次代を担う晴陽にとって、本来の跡継ぎである龍成に重荷を背負わせたくはないという晴陽の意見は天川にも覚えがあった。
 天川の亡き妻である晶も立場としては晴陽と同じであった。しかし、彼女の場合は後を継いだのは実弟であった。晴陽と晶では最終的な着地点は違ったが、彼の事も天川は良く気に掛けていた。天川から見て、晴陽は晶の実弟にも良く似ていたのだ。その性格も、その在り方も。故に、気になった――それがはじまりだったのだから天川も晴陽の最終的結論が『澄原を継ぐ』であったのは良く分かる。
 とはいえ、今までは姉弟仲が良好とは言えなかった二人だ。跡継ぎ問題以外にも多くの問題点を抱えていたのだが、その辺りは解決したとも言えよう。
 晴陽と龍成の仲は現在においては良好と言えるであろう。それまでは色々と噛み合わないところもあっただろうが、今は良い形で落ち着いている。
 彼女達の間に大きな問題は無く、シッカリと話し合えば姉である晴陽が嫁ぎ先を決定し、今後の跡継ぎという問題もそれ程に気に掛けなくても良い事であるかも知れないが――
 晴陽は後継者となるべく幼少期から教育を受けて来た立場だ。そして、龍成はその姉との才能の差に苦悩してきた過去がある。
 実際、今後についての話し合いを改める必要は無いだろう。最早跡継ぎは決まっているとも言えよう。
 晴陽は若くして、世襲ではあるが病院の院長の座にも落ち着いている。理事長として位置する父親からも基本的な経営は晴陽にと位置付けられていた。
 故に、晴陽が婚姻関係を結ぶのであれば跡継ぎを選ぶ事となるのだ。それは翌々理解している。そう、理解しているからこそ、天川は、晴陽に「両親への紹介も」とそそくさと全ての手順を終えるようにと勧められて大人としてイベントを幾つか熟してきた後だ。
 簡単な自己紹介と、交際に至った経緯を丸めて説明すれば何処に出しても恥ずかしくない娘だと自負していた父は晴陽を頼むと穏やかな声音で告げたのだ。
 それは婚姻が決定した、つまりは天川の婿入りが確定したことを表わしていた筈だ。

「……ん?」
 そして、今に至る。全ての挨拶を終えて晴陽の自宅マンションで食事をしていた。
 食材を買ってきて晴陽が手料理を作ると張り切っている様子を温かに見守っていた天川は唐突に晴陽にその様な言葉を浴びせられたのだ。
「勿論、そのつもりだが……」
「はい。そのつもりで交際していますし、澄原 天川になって頂くつもりではあります」
「だろう? 晴陽は澄原を離れるつもりもないし、俺もそれで良いと思っている。晴陽の傍で働くべく勉強もしてきている。
 ……もしも確認のつもりなら安心してくれ。俺は晴陽にとって害になる事はしないさ」
 穏やかに微笑んだ天川を見てから妙な顔をした晴陽はじいとその顔を眺めて居た。
 相変わらず、感情を出すことがいまいち得意ではないらしい。何かを考え込んでいる顔だが、一見すれば睨み付けているようにも思える。
 慣れてしまった天川は一先ずは晴陽が考え込んでいる様子を眺めて居た。彼女にとって良い結論が出るまで茶でも飲んで過ごしているべきだろう。
 食べ終わった皿を流し台へと持って行ってから皿洗いをする。何かを考え込んでいる晴陽は目を閉じて顔の前で組んだ手に額を乗せていた。
 片付けを終えてからデザートを用意し、晴陽の前へと運んでから「考えついたか?」と天川は声を掛けた。
「はい。いえ、その」
「ゆっくりで良い」
「言いたかったのは簡単なことだったのですが、伝えるのが難しくて。
 その、天川さんが澄原へと婿入りすることを拒絶するとは思っておりません。私も天川さんのことを良く分かったになっています」
「つもりか?」
「分かった、何て言うと傲慢でしょう。ですから、つもりです。分かったつもりなのですけれど」
「ああ、分かったつもりで?」
「そうなって見れば、随分と私に合わせてくださっているのではないかと思ってしまったのです。
 もしも私が澄原から逃げ出したいと言えば、あなたは直ぐに苗字をプレゼントしてくださるでしょう。そのまま遠くまで私を連れ去る」
「その通りだろうな」
「ですが、私はそうしない。この家を護る事が第一であり、弟の幸せと平穏を祈っています。だから、貴方は澄原へと婿入りをなさるだろうとも。
 ……これが私にとっての我儘でしょうと問うても、天川さんは、そうではないと仰るでしょう?」
「まあ……そこは、否定は出来ない」
 天川は肩を竦めた。晴陽が望むならばそうするというのが天川の決定だ。それは、人間関係的に疎く、自身の事を歯車のように位置付けて尽力してきた彼女に幸せを得手欲しいと願ったということもある。
 しかし、晴陽からすれば天川の献身は亡き妻や子に出来なかった事を改めてやり直しているように感じられてならないのだ。勿論、天川から向けられる愛情を否定しているわけではない。彼は自身を好ましく思ってくれている事はよくよく理解している。理解した上で――
「ですが、私はそれでは……少し、困ってしまうのです」
「晴陽?」
「天川さんは、私に我儘を言うようにと仰って居ましたね。私も同じ事を思うのですが……それは、いけないことでしょうか」
「いや、そうではないんだが……俺も別に望んでいる事が多いわけでもない。
 出来るだけ、晴陽には幸せになってほしいと考えて居るのが先ず、俺の我儘だ。
 それはよく理解して貰っていると思う。晴陽が気儘に過ごしてくれれば――いや、それこそ、仕事もしがらみも何もなく自由に過ごしてくれればと思っているのだが」
「はい。そのお気持ちは有り難いです。ですが、それって、天川さんも出来る事でしょう。
 仕事も、なんのしがらみもなく自由に過ごす事は天川さんだって出来るし、貴方だって幸せになって欲しかったのです。
 ……ですから、それを汲んだ上で改めて、貴方に問いたかったのです。貴方も選ぶ事が出来ますもの。『澄原に、なっていただきたい』と」
 辿々しく、確かめるように彼女はそう言った。天川はまじまじと彼女を見詰める。真っ直ぐに見据えれば、どこかぎこちなさそうに俯く彼女に天川は「そうか」と呟いてから笑みを噛み砕いた。
 笑うなと言われたって無理がある。なんたって、これまで他人に興味がないと言った素振りをしていた女性なのだ。そんな彼女が、此方の希望を問うてきている。
 それは大きな変化では無かろうか。それを喜ぶなと言われても無理がある。天川が晴陽の希望を教えて欲しいと言えばそれだけで一週間は悩み抜いた末に分かりませんと答えてきた女性が、天川の希望を教えて欲しいと言い出す。しかもそれが晴陽の希望を押し通す上でしっかりと考て問うた結果だと言えば、実に人間らしくなったと言わざるを得ない。
「……仕事人間だった晴陽が希望を口にするとなると驚いてしまう。
 しかし、大丈夫だ、俺は澄原になることをしっかりと希望しているよ。俺自身の希望だ」
「有り難うございます」
「そうじゃなきゃ、この年になって新しい分野の勉強なんてしない。そうだろ?」
「ええと……そう、でしょうか」
「いや、晴陽は勉強をしていきそうだな」
 興味があればなんだって手を伸ばす。彼女は飽くなき知識欲は持っているのだろう。猫が慣れてきた様子で近寄ってくるようにそろそろと晴陽は天川の傍らにやってきた。
 手招けばソファーまでついてくる。所在なさげな様子ではあるが、そんな彼女の事も愛らしいと天川は感じていた。
「だから、安心してくれればいい。次の議題はなんだ? 心配そうにしているのは……挙式か」
「……そうですね。挙式は行なわねばなりませんし、挙式の日程も組まねばなりません。
 まあ、私に配偶者が存在すればそれなりに肩の荷が下りる人間もおりますから、仕方が無いとも言うのですけれども」
 天川は晴陽の父親の事を思いだした。彼は澄原の跡取り娘となる晴陽に婚約者を一応宛がっていた。婚約者であった草薙 夜善は晴陽の事を好んでいたのだろうが、晴陽に好まれていないことはよく理解した利口な青年だった。
 彼とは後に話してみたが「そもそも、はるちゃんって配偶者を選ぶことはどうでも良かったんだよね」と困ったように言っていた。
 恋愛感情という機微を理解する必要性もないと言った様子の彼女は家が選んだならばそれで、と夜善を婚約者として据えていたのだろう。
 天川は夜善の呆れた様子を思い出す。彼はどちらかと言えば恋愛結婚を経ていきたい方だ。現状については「婚約者だったのはある意味はるちゃんにとって利用できる駒だろうね」と言った。相手が定まれば問題は無いがそうでないならば虫除けにもなる。夜善は晴陽に十分に利用されながらその関係性を利用していたのだ。
(しかし――『はるちゃんが婚約者として宛がってくれているウチにさっさと昇進して良い立場になっておく』とは中々あれもやり手だな。
 若くして佐伯製作所で良いポストを得てさえ居れば婚約破棄に至ったとしても傷は付かない。なんなら、晴陽側が理由だったならば彼はある意味自由だ。
 ああ見えて、あの青年も抜け目なかったのだろう。ある意味、だからこそ晴陽の婚約者だったとも言えるが)
 天川を連れて遣ってきた晴陽に彼女の父親は「やっとか」と言った。そしてその場で夜善を呼び出したのだ。呼び出された夜善と天川は顔見知りだ。彼も「やっとか」と肩を竦めたのである。
 曰く「漸くお役御免ってこと?」だ。正式に婚約を破棄し、改めて婚約を結び直した晴陽と天川に対して「早く籍を入れなよ」と夜善が進言したのは意外なことであったか。
 だが、その意図も良く分かる。婚約を一度破棄し、特異運命座標と婚約したと晴陽はある意味で『婚約破棄をして転げ落ちてきてくれるかも知れない存在』と認識されかねない。
 晴陽を守る為ならばそうしろという事なのだろう。勿論、そのつもりだった。そのつもりだからこそ晴陽も問うたのだろう。
 澄原になってくれるか、と。婚姻の意思確認だ。
「籍だけ先でも構わんが」
「どうしましょうね。分かりません。私自身、余りそうした事が得意ではありませんし」
「みゃーこなんか得意そうだな。いや、得手不得手というよりもパーティーが好きとかそっちの部類だが」
「……ええ、あの子は上手くやりますよ。なんだって」
 晴陽は従妹を思い出してから小さく笑った。そうやって笑ってくれることも、隣に腰掛けてくれることも随分と変わった。
 天川はちらりと晴陽の横顔を見た。楽しそうに笑う彼女は出会った頃には見ることの出来なかった微笑みを薄く浮かべて天川を見ている。
「私は苦手なので、天川さんに相談することにしました」
「おいおい、俺が得意そうに見えるって?」
「いいえ。ですが、私よりは……」
「……晴陽は苦手が多いだろうからな。晴陽と比べれば得意事も多いだろうが――」
 こういうのは女性の夢ではないかと天川は問うた。着用したいドレスはあるだろうか、それとも。
 ブライダルフォトを撮るように雑誌でウェディングドレス風の水着を着用した経験を思い出す。あの時の彼女も非常に戸惑っていたか。
 あの時に着用した水着と比べれば露出は少なく自由度もある。晴陽が白無垢を着たがるのか、それともドレスを着たがるのかは天川にとっては興味深かった。
「まずは晴陽の好みからだろう。式の形式だって色々だ」
「……天川さんはドレスを着用して欲しいと、思って居ませんか?」
「どうして」
「なんとなくですが」
 天川は「そうだな」と呟いてから晴陽を見た。和装の彼女も良く似合うだろうが、確かにその髪色や眸の色を見ればドレスの方が似合うだろうか。
 厳かな神前式も良いが、折角ならば皆を呼んでのパーティーである方が好ましい。天川は「確かにドレスだが、写真を撮る上では白無垢も捨てがたいだろう?」と問うてみた。
「……私は、あまり慣れないのですが、パーティーを行なうべきでしょう。
 水夜子も、龍成も、龍成の恋人(だと思って居る)雛菊さんも呼んで……」
 雛菊さんと呼ばれるイレギュラーズを龍成の恋人として認識している晴陽が、現状の二人の関係性を耳に為たらどの様な顔をするだろうか。
 どちらかと言えば弟よりも先に姉の方がその関係性の変化を目にしているのだから、愉快なものである。晴陽は「あの」と呟いた。
「雛菊さんにドレスを着て欲しいですね」
「晴陽の式だろう」
「私はそっちのけで構いません。龍成への贈り物です。義妹を可愛く着飾らせれば、弟は喜んでくれるのではないでしょうか」
「……晴陽」
「はい」
「龍成のために義妹にドレスを着せて、ウェディングフォトを撮る現場にいたいのか? それは弟の喜ぶ顔が見たくて?」
 いけませんか、と言いたげな顔をした晴陽に天川は「いいや」と首を振った。実に彼女らしい理由だ。
 ひとつ、ひとつ、重ねるように問うていく彼女はやや脱線することがある。それも振り切った脱線をするときは大概が弟を理由にしているのだ。
 澄原になってくれませんか、は婚姻の確認である。言い辛そうに「希望を教えてください」と言ったのはこの話の全般に掛かっているのだろう。
 次に、婚姻の日取りや段取りについてを確認したがった。それは、先行きの目処を立てたかったとも考えられる。
 そして結婚式の段取りだ。彼女はドレスが良いか白無垢が良いか、これはきっと晴陽にこだわりが無かったのだろう。そして――『パーティーをするべきだろうか』という確認をしたかったとも思える。
(此れまで出会った奴らを呼んで何かしたいんだろうな、それを言葉にし辛いから俺の希望も確認しながら段取りを組んでる。晴陽らしい)
 天川はそこまでは彼女らしい問いかけと言葉の数々だと認識したが、流石に義妹にドレスを着せるのは弟が大好きすぎるブラコンのきらいがある。
「……そこは二人に聞いてみれば良いだろう?」
「はい。オーケーでしたら、着飾りましょう。龍成にドッキリを仕掛けるように」
「……念のため聞いておくが、その案はみゃーこか」
「……」
 どうして、と思わず喘ぐように言った晴陽に天川は首をふるふると振った。実に水夜子が考えそうな内容ではないか。
 晴陽は先んじで水夜子に問うたのか。あの少女は晴陽の助手を兼ねている。何か考えてからイタズラを思いついたと言えば実に『らしい』のだ。
 困ったような顔をした晴陽に「構わない」と前置きしてから「次の話をしようか」と天川は晴陽を促した。
 相変わらず言葉に詰り、悩ましげに「それが、その」や「ええと」と挟み込むように言う晴陽は何を考えれば良いのかが分かって居ないかのようだった。
「以前、言ったと思うのですが」
「……ああ、口付けだったか」
 晴陽は息を呑んで目を背けた。挙式で誓いのキスを、というのはよくある話だ。それも晴陽が嫌であれば省けば構わないと天川は考えて居た。
 だが、晴陽はどうにも「そうしたことを挙式で行なってなければ、端から見れば仮面夫婦染みていませんか」とぼそぼそと呟くのだ。困った長子の晴陽に天川は「構わないと思うんだが」とおとがいを撫でる。
「晴陽からすれば、それは仮面夫婦のようで、あまり夫婦らしくないから行なうべきだという認識か?
 もしも、晴陽が嫌であればそうしたことは省いて仕舞えば良いと考えて居るんだが……俺もその辺りは何方でも構わない」
「そ、そう言われましても。……私はこのような立場ですから、しっかりと配偶者を選んだという事をきちんと示しておきたいのですが」
 しどろもどろになった晴陽に「それは構わないが」と天川は一度、前置きした。
「それで?」
「……練習を」
「練習か」
 天川はさて、どうしたものかと晴陽を見た。まだまだ努力が必要であると認識していた晴陽は頬に口付けをするのが精一杯であっただろう。
 恋愛事がてんで苦手であった彼女は天川の肩に手を掛けてからじっと見た。
「練習をするべきではないでしょうか」
「そんなに力んだ状態で凄むな」
 揶揄うように笑えば晴陽は「ですが」と呟いた。まるで溺れているかのように慌てた様子で言葉を重ねている。
 天川は悩ましげにじいと晴陽を見て「迷うことは多いだろうが、一つ一つ確認していけば構わない」と言った。
「そうした事もそうだろう。練習を必要とする事を晴陽が人前で、厭々やることはない、が――」
「……厭々、ではないのです。厭々では……」
 何処か困った様子でそう言った晴陽に天川は「そうだという事は前も言っていたからな」と小さく笑った。本当に彼女は性格的にも、そして思考回路的にも柔軟性を得たのだ。
 恋愛なんてどうでもいいなんて言いたげな顔をして居た使命ばかり背負った女医が「いやではないのです」とぼそぼそと言う。
 シャイネンナハトに口づけを交わしたように、一つずつを確かめていけばいいのだが。
「やけに性急なのは理由が?」
「……正直なことを申し上げると、私とはそうした事に疎いでしょう」
「確かにそうだな」
「ですから、天川さんがどのように接することが出来れば喜んでくださるのかも分からない儘です。
 ならば挙式を挙げようと思いました。その上で、私から婚姻を誓うことをシッカリと表わすことが出来れば……こう、想いが通じ合っている証左になるのでは、と」
 天川はじいと晴陽を見た。真剣な表情だ。そこは疑う余地もない。彼女は真剣に天川とのこれからについて考えてくれているのだろう。
 それは良く分かる。分かるのだが、何分思考回路が飛躍しすぎなのではないだろうか。天川は小さく息を吐いてから「別に、俺は晴陽からの感情について何も疑っちゃいないぜ」と肩を竦めた。
「で、ですが……」
「まあ、しっかりと考えてくれたことには嬉しく思う。だが、そんなに疑ってると思われるのも心外だ。俺達は俺達らしい歩調で行けば良いだろう?」
「……はい」
 晴陽は蹲るように膝を抱えてから呟いた。最近になって気付いたが、彼女は何かを悩むときは膝を抱える癖があった。それは気を抜いているときだけなのだろう。
 幼い子供の様ではしたないと、その癖は直されていたが最近になってからそれはよく見られるようになった。晴陽は何かを考えるように口を噤んでから「何となく、私に合わせてばかり居るのが、何処か、心地悪い気がしているのです」と呟いた。
「天川さんがなさいたいことがあればそうしていきたいです。それが対等な恋人ではないでしょうか?」
「晴陽を甘やかしたいという俺の我儘は?」
「……それは、それです」
「こんなおっさんが今更多くを望むと思うか?」
「いえ……」
 ふるふると首を振った晴陽は「年齢は関係ないと考えておりますので」と囁いた。天川は此れは困ったなと肩を竦める。今日の彼女は何故か頑なだ。
 つまり、ゆっくりとした足並みは自分に揃えて貰っていると考えたのか。澄原晴陽という女は困った顔をしている。
「ですから、何か我儘をもっと仰って頂きたい、という私の我儘を叶えてください」
「そうだな……なら、チョコレートはどうだろうか」
 当然、晴陽からチョコレートは貰えた。グラオクローネだと心を弾ませて、買い出しに出て食事をして、当たり前の様にチョコレートを貰ったのだ。
 その時、晴陽がぽつりと零した言葉があった。と。
「晴陽が美味しそうだと言っていたあのチョコレートが食べたい。頼めるか?」
「……、はい」
 晴陽大きく頷いた。チベットスナギツネは自分の趣味であろうと言いたげな彼女のその眸に「晴陽がぶさかわが好きだと知ったときに商品を探す様になっただろう? その時から色々な物が気になるようになった。しかもむぎがいる」と告げる。
 呼ばれたかとてこてこと歩いてくるむぎは晴陽からプレゼントされたクッションをふみふみとしながら「ぶひ。ぶひ」と鳴いている。その楽しげな声音に晴陽は「あなたの主人はどうやらむぎが来てから、ぶさかわが好きになったようですよ」と囁いた。
 自身が不細工だと呼ばれたのだろうかと不服そうなブタに天川は「おいおい」となだめるように声をかけた。むぎはクッションを勢い良く踏み抜いて「ぶひぶひ」と非難囂々だ。
 落ち着かせるように声を掛けていた天川は小さく息を吐いてから「晴陽が好きなものを好きになったって事だろう。むぎのことだってそうだ」と片眉を動かした。
「それは、喜んでも良いのでしょうか」
「喜んでくれ。晴陽に合わせた訳じゃない。目で追い始めたら何分、ああいうものを集めるのも何となく好きになってしまった」
 天川はむぎを膝に抱きかかえてからaPhoneに表示されるぶさかわの動物たちを晴陽へと見せた。ぶひ、ぶひ、と脚を動かしているむぎは天川の膝をふみふみと踏み続けている。
 ゆっくりと顔を上げて「ぶふ」と鼻を鳴らすむぎに天川は「おいおい、むぎ、叱らないでくれ」と言った。
「むぎの事だって可愛らしいと思って世話しているんだぜ?」
「ぶひ」
「ええ、むぎは一番可愛いですよ」
 晴陽に抱きかかえられてからむぎは「ぶひ」と鳴いてから満足そうに晴陽が用意したむぎのスペースとかかれたクッションの上に戻っていった。
「しかし、それでいいのですか。水夜子と話したのです。ペアルックをしたとか、そういう。そういうものがいいのではないかと」
「みゃーこの中での俺の我儘は解像度が低いな。晴陽としてはどうなんだ、ペアルックは」
「怯えます」
「……だろうな」
 天川は肩を竦める。ペアルックで歩きたいと天川が意気込んだら晴陽は困った顔をしながらその我儘を叶えるのだろう。
 当然、天川はそうした事を考えてはいない。水夜子のジョークであったのだろうが、晴陽はそれを真に受けて真剣に考えるのだから従妹である彼女最終的な世話までして欲しい。
 鵜呑みにして困った顔をして「天川さんの我儘」と言いながら欲求を引き出そうとする彼女に天川は可笑しくなってから笑った。
「まあ、そうした欲求はない。ぶさかわを探しに行こう。晴陽が好ましく思うものでいい。教えてくれ。
 あとは、そうだな……これから戦いは苛烈になる筈だ。晴陽も仕事があるだろう。重傷者の保護だろうし、他にも色々と、危険に顔を突っ込むことになる可能性はある」
「はい。私も医者として戦うことが必要です。これが正念場だと思っています」
「だろう。その時に、晴陽は死なないようにしてくれ。俺もそうする。結婚の約束をして死んでしまったなんて、物語としてあっけなさ過ぎるだろう」
「……はい」
 困った顔をした晴陽はその光景を想像したのだろう、俯いてから「それを貴方の我儘として受け取っても構いませんか」と囁いた。
「ん?」
「私が、貴方より先に死なないという事を、貴方の我儘として認識しても」
「ああ、構わない」
「そんな当たり前のことしか、我儘だと望んでくれない人だと認識しても良いのですか」
「……それは、どうだろうな」
 困った顔をする天川に「冗談ですよ」と晴陽は首を振った。
 晴陽からすれば澄原の一員になって欲しいと言う事も、婚姻関係の公表の仕方も、それから、今後の未来に関しても自身の意見が多く反映されていると認識しているのだから。
 天川の我儘をもっと反映して欲しいとは、それは中々に難しくもあるか。天川は何かを悩ましく思いながらおとがいに指先を当て悩んでから――「我儘が増えたようでよかった、だろう?」と誤魔化すように笑って見せた。目の前で僅かに不機嫌そうな顔をした晴陽に「そんな顔をするようになったのか」と笑う。
「だって……我儘の度合いが低いようですが」
「……まあ、それも今後話し合っていこうか」
 肩を竦めた天川に晴陽は「はい」と目を伏せてから目尻を赤くした。
「いささか、気恥ずかしいのですが」と囁く晴陽はその眸をあちらこちらにちらつかせてから「私も、我儘になろうと思います」と告げてから天川の肩に頭を預けた。
「晴陽?」
「……精一杯なのです」
 これ以上は、どうにも分からないけれど。目を伏せた晴陽は「チベットスナギツネさんを探しに行きましょう」と囁いた。
「ああ、探しに行こう」
「その間に、我儘も見付けましょう。あのお店で食事をしたい、だとか。そんな小さな我儘を探していくだけでも、きっと構わないでしょう」
「……そうだな。俺も、晴陽も人に甘えるのが苦手だろうからな」
 ゆっくりと、歩めば良い。二人の関係性はゆっくりと変化して行くのだろう。
 ひとつ、ふたつと、約束を重ねながらのんびりと終点を目指して。


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