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きみとぼく、あたしとあんた
登場人物一覧
どれだけ手を伸ばしたら、この手が届くだろうか。
どれだけ強くつかんだら、この手を離さずにいられるのだろうか。
どれだけ傍に行けば、きみの傍に在れるのだろうか。
どれだけ強く抱きしめれば、きみは消えてしまわないのだろうか。
「何ぼんやりしてんのよ」
そうリアに言われて、焔は「ほえ」と声を上げた。
練達のカフェである。二月から三月、冬から春先に変わる間の時期は、セフィロトでもあれこれと『気温』を上下させている。なんでも最近はキャンペーンで、地球世界の『令和』あたりの気温を試験的に再現しているらしく、寒かったり扱ったりと目まぐるしい。
「ううん、ごめん。
なんか、今日はあったかくてさ。
春眠暁を覚えずってやつかも」
「まぁ、確かに。ずいぶんとあったかいわよね、今日は」
と、リアは笑った。幻想国のあたりは、未だ肌寒いのかもしれない。いつもの修道服でもなく、幻想の貴族令嬢のようなドレスでもなく。再現性東京風のかなりラフな格好のリアは、試しにジャケットを脱いで見せた。袖から覗く腕には、わずかにケガの後のようなものが見える。
(ついでに、ちょっとたくましくなったような気がする)
焔はそう思いつつも、そうとは口に出さなかった。怒られるだろうし――リアだって、女の子だ。たくましくなった、はないだろう。焔だったら……ちょっとうれしいような。複雑なような。なんとも言えない気持ちは、焔もまた女の子であることの証左なのだろう。
「大変みたいだね、修行」
焔がそう言いながら、アップルジュースを口に含んだ。ふわりとした甘い香りが、リアが今日、焔を呼びつけた理由を思い出させてくれる。
次代の玲瓏公として、その責務を負うことを決めたリア。だが今のままではその立場たりえないと、玲瓏郷を守護していた2竜からの厳しい修行を受けることとなったわけだが――。
「加減ってもの知らないわよ、さすが竜」
あはは、と笑いながら、少し砂糖を多めに入れたハーブティをリアが口に含む。体が甘いものを欲しているのは、心身ともに疲れている証左だろう。好い香りのするハーブは、リラックス効果が望める。焔が、一生懸命に情報誌なんかとにらめっこをして、ようやく見つけたとっておきのカフェのハーブティーだった。
誘いをしたのはリアからだったが、エスコートは焔の仕事だった。というのも、焔もやっぱり、リアが大変なことを知っていたから、何とか、労ってあげたいとは思っていたのだ。ならばそれは今この時だと、焔も一生懸命にあれこれと考えて、今日のプランを練ってきたわけである。
「疲れてるんでしょ?
……こういうとなんだけど、しっかり休んでてもよかったんだよ?」
「部屋で寝てても、体はともかく心が休まらないわよ。
頭の中から修業が抜けない」
つまるところ、限界をきたして逃げてきた――わけであるが。とはいえ、ほんとにリアが逃げるつもりなどないことは、もう誰の目にも昭なところだ。あのリアが、弱音を吐いて逃げるわけがあるまい。だから、今日のリアの『逃走』は、誰からも『見逃されていた』。公認公然の貴重な休日である、というわけだ。
「大変だよねぇ。修行。
ボクも一応、元の世界で巫女の……修行っていうか。勉強みたいなことはしてたけど」
「ああ、あんたも似たようなもんか」
少しだけリアが、微笑んだ。何か、繋がりといおうか、『同じところ』を感じ取れたのは、とてもうれしく、くすぐったいものだ。
「やっぱりあれ? 精神修業が~みたいなのやったの?」
「やったよ~~! 座禅っていうんだけどさ、ボク、ああいうのムズムズしちゃってダメなんだよね!」
「あはは、あんたはそうよね。
……ま、あたしもあんまり得意じゃないんだけど。
何かしらね。礼拝とかで、祈りをささげるのとはなんか違うのよね」
「そうだよ! なんていうかな……頭を空っぽにするの。
で、こう……自分の中に空間を作って、そこに入るっていうか……」
「あー、なんか似たようなこと言われた。
まず空っぽにすんのよね、頭の中を……。
無理だっての! 考えることなんて山ほどある! ガブリエル様のことも、ドーレのことも、あんたのことも……」
指折りに数えてみれば、いくつもの顔が浮かんでは消えていく。リアの歩んできた道で、いくつも顔を合わせていった、縁深い人々。そういった人たちのことは、いつも頭の片隅に浮かんで消えることはない。
「祈りの時はさ。想えばよかったの。その時間の間に、誰かの幸せを。簡単に時間は過ぎ去っていった。
でもね~~!
頭空っぽにして、己と対話して……みたいなやつ! ほんと苦手!」
年頃の少女のように、リアの表情がころころと変わる。ああ、なんだかうれしいな、と焔は思った。
「そうだよねぇ。いきなり頭空っぽて言われてもさぁ」
焔がからからと笑う。
「あんたどうしてたのよ、そういう時」
「頑張ったよ! 一応ね!」
「そんなこと言って、ばれないように寝てたんじゃないの?」
「……企業秘密!」
焔が視線を逸らすので、リアがテーブルに身を乗り出して、
「うりうり、白状しなさいな~!」
と焔の頬を触って自分に向けさせようとした。焔はわざとらしく、「わ~!」なんて言いながら、優しくそれに抵抗して見せる。
「……でもさ、リアちゃん、元気そうでよかったよ」
ふと、焔がほほ笑む。
「辛いとかさ、嫌だとかさ。そんな風に思ってたら、どうしようかなって思ってた」
「そりゃ……辛いってのは事実よ。嫌だ、って思うときもあるわ」
当然みたいに、リアは言った。
「そこは、あたしだって人間だもの。しんどいって思っちゃうときはある。
でもね、やめることは選ばないの。
だって、自分で選んだ道だもの。
でもね。自分で選んだ道だからって、辛いとか、嫌だとか、時にやめたくなるような気持を、絶対に抱かないなんて言えないわ。
あたしね、完璧じゃない。
物語のヒーローみたいに、自分一人で何でもできるような女じゃないの。
前の……黄金劇場の時だって。あたし一人じゃ、どうにもできなかった」
思い出す。あの、哀しくも激しかった、父との邂逅を。
苦笑するリアは、しかしそれを恥じてはいなかった。自分の弱さを、リアは知っている。同時に、自分の強さも、リアは知っている。
人はシンプルではない。複雑で、時に相反する思いを抱くこともある。心が弱れば、体が弱れば、思いもしない弱音を吐くことだってある。
それでも――。
たぶん。それをひっくるめて、リアという人間なのだと。
リアは、それを、ちゃんとわかっている。
「リアちゃん」
それが、たまらなくうれしくて、焔は微笑んだ。
「たくましくなったね」
「喧嘩売ってんのか?」
リアの目が細くなるのへ、焔はブルンブルンとかぶりを振った。
「違うよリアちゃん! 二の腕が引き締まって、だいぶ筋肉質になったねとかそういうことは思ってないよほんとだよ!?」
「よし分かった、ちょっとそこに正座しなさい」
ぎゃあ、と立ち上がった瞬間、焔が頭を抱えて机に突っ伏す。
「いや、ほんと! 言い間違えっていうか!
……なんていうか、大人になったよね、リアちゃん」
突っ伏しながらも、焔は、ぷく、とほほを膨らませた。
「そうしたらさ、リアちゃんって、どんどん先に進んで、どんどん大人になるような気がして。
ボクなんかと遊んでくれなくなるんじゃないかな、とか、ちょっと思っちゃったの。
ボクが子供っぽいのなんて、ボク自身もわかってるんだよ。
……今日さ、ボクの事、呼んでくれて、すごく嬉しかったんだ。
リアちゃんが、ボクを頼ってくれたことも。まだ、ボクと遊んでくれてることも。
だからさ、こう見えても、結構はしゃいでるんだよね」
「こう見えてっつーか、どう見てもかなりはしゃいでるじゃない」
リアが嘆息しつつ、椅子に腰かける。
「あんたね。あたしがそんな薄情な人間に見える?」
「全然見えない。想ってもいない。
『だから』、ちょっと自分が嫌になっちゃったっていうか。
なんかリアちゃんの事、信じ切れてないのかも、って」
「そりゃね」
リアが、ふむ、とうなる。
「さっきも言ったけど、あたしもあんたも完璧じゃないわよ。だから、時に変なことも考えちゃうわけ。
あたしだってね、修行だのなんだのしてる間、あんたが付き合い悪くなっちゃったらどうしようとか、そんな詰まんないことも考えたわよ」
その言葉に、焔が目を丸くした。
「そうなの?」
「そうよ」
「それは絶対ないよ! ボクがリアちゃんと疎遠になったりなんて!」
「分かってる! でも、弱ってくるとそうなっちゃう、ってさっき言ったでしょ。
あんたもそう。ほら、ここ最近……騒がしくて大変じゃない。だから、当然よ」
それにね、と、リアはハーブティーに口をつけてから、続ける。
「あんたがどういう気持ちで、この店と、このお茶を勧めてくれたのかなんて、解ってるわよ。
……あたしね、あんたに甘えてると思うわ。
真っ先に逃げ場として頭に浮かんだの、あんただったもの」
「リアちゃん……!」
わずかに気恥ずかし気に視線を逸らすリアの姿が、焔にはたまらなく嬉しかった。同じように迷って、同じように悩んで、でもずっと、変わらず、友達でいてくれるのだという、その言葉が嬉しかった。
信じ続ける、と言葉にするのはたやすい。でも、それを続けるのは、きっと難しい。
人は弱い。心は弱い。だからこそ、時に言葉を交わすことは、決して悪いことではない。
「甘えついでに、なんだけどさ……」
ぼそ、と、リアが言う。
「……あんたに、お願いがあるのよ」
「なに?」
焔が訊ねるのへ、リアはもう一度、ハーブティで唇を湿らせた。
「あたしさ……これから何年か、何十年かしてから、だと思うけど。
深緑に行って、玲瓏公としての責務を全うするつもり。
……でもね。言ったでしょ。
あたし、一人で何でもできるヒーローじゃないって。
たぶん……いや、絶対! 一人だとつぶれると思う!」
だから、と、リアは、恥ずかし気にほほを染めながら、でも、まっすぐと、期待と信頼に満ちた瞳を、焔に向けた。
「いつか、あたしと玲瓏郷に来て。あたしを助けて、マジで……」
まっすぐな、瞳。
まっすぐな、言葉。
大切な親友からの言葉。
「リアちゃん。ボクは、神としての責務を果たすために、いつか、元の世界に帰ると思う」
だから、まっすぐに、自分の置かれている状況を、包み隠さずに、伝えるべきだと、焔は思った。
「だから、ボクはいつか、絶対に、この世界からいなくなる。
……でもね。それはいつかであって、今じゃないし、明日でも、何十年か後でもないの。
ボクはね、親友の悩みを置いてどっかにいっちゃうような子じゃないって、知ってるでしょ?」
にこりと。
焔が笑う。
にこりと。
リアも笑った。
「知ってる。だって、焔だもん」
「そ。
だからね、答えなんて決まってる。
リアちゃんの助けになれるならどこへだってついていくよ!」
立ち上がって、焔はテーブル越しに、リアの手を握った。
どれだけ手を伸ばしたら、きみに届くかな?
あたしからも伸ばすから、気にする必要なんてないでしょう?
どれだけ強くつかんだら、この手を離さずにいられるかな?
あたしだって離さないわよ、覚悟しておきなさい。
どれだけ傍に行けば、きみの傍に在れるのかな?
にげたって、こっちから引っ付いてやるわよ。
どれだけ強く抱きしめれば、きみは消えてしまわないのかな?
あたしが簡単に消えるわけないでしょ、そっちこそ逃げないでよね!
じゃあ、何も変わらなかったんだ。
きみと、ぼくは。
あたしと、あんたは。
どこへでも、いつまでも、一緒なんだって信じてる!
リアが、焔の手を取った。その瞬間に、リアの顔が、なんだかとっても、真っ赤になった。
「……なにかしら、なんか、めっちゃ恥ずかしくない……?」
「そう? ボクはすっごく嬉しいけど!」
焔は、その心の高揚を隠さずに、表情にしっかりと浮かべて笑う。
友達という言葉。その意味。その在り方。
今、しっかりと、それが二人の心を満たしていた。
これから何が起こったとしても、きっと、二人の友情は壊れないのだと。
そう、確かに――確かに。
断ち切れぬ絆というものを、この瞬間、二人は実感していたのだった――。
おまけSS『オチ』
さて、そんないい話で終わりそうであった休日であったが、ふと焔が何かを思い出したような顔をしてから、
「あっ! そうそう、今日はリアちゃんが楽しんでくれるかなって思って、面白そうな依頼も見つけておいたんだよ!」
そう言って、焔が満面の笑顔で、依頼書を差し出したのである。リアはそれを、
「え、なによ? まさかまた変なのじゃないでしょうね~」
と、茶化して笑いながら受け取った。そのまま、依頼書に視線を滑らせる。にこにこと笑っていたリアの表情が、だんだんと真顔に変わっていった。
「ねぇ、焔」
「うん!」
「この依頼内容――『アメスク黒ギャルの格好で洗井落雲をよしよししないと出られない部屋』って」
その言葉に、焔は真顔になった。
「……あれ? ノールックで選んできたから、またそういうやつだったかな」
視線を逸らせる焔へ、リアは一瞬。微笑んでから。
「……焔ァ!!!!!」
「ちょっとまって、ち、違うんだよリアちゃん!!」
リアと焔が同時に立ち上がっていつもの光景が繰り広げられる。
未来に向けて、人は変わっていく。
それでも、変わらない大切なものは確かにある。
それは、二人にとってはこんな光景で。
こんな関係だからこそ、愛おしいのかもしれない。