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可愛いは武器になる
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『可愛い』は私には似合わないの。
自分でも解っているわ。だって、だってそれは『妹』にだけ向けられる言葉だったから。
可愛いなんて、私が貰うような言葉じゃない。
『可愛い』は素敵なことだ、と僕は思う。
愛らしいものを見て心が動かされるなんて、魔法のようだと思うから。
どんな人にも等しくある可愛いは、きっとどんな人のしるべにもなるはずだ。
だから、可愛いは────、
●
ラサを拠点とするErstineは、人通りの少ない所に店を構えるアクセサリーショップに出向いていた。何かアクセサリーを購入したいというシンプルな目的のためだったが、乙女心をたっぷり擽るアクセサリー達はErstineに時間と人が背後に立つ気配を忘れさせた。
Erstineの心を奪ったのは青い宝石が月の形を模した白銀に包まれたチャーム。それはそのまま首元を照らすネックレスになるようだ。
あぁ、これはいいかもしれない。なんてErstineが考えていたその時──、
「……Erstine?」
「ひゃう!?」
手に握っていたネックレスを思わず落としそうになって、慌てて握りなおし小柄な背の後ろへ。購入するつもりではあったのだが壊してしまってはいけない。それに、買うところを彼──イーハトーヴに見られるのは些か恥ずかしいものがあったからだ。
「わ!? ご、ごめん。驚かせちゃった、かな……?」
イーハトーヴも瞬き一つ。驚いた顔をしてから、その温和な顔立ちは眉根を歪ませ困ったような表情を。心優しい彼の事だから、とかぶりを振った。
「ぁ、ご、ごめんなさい、驚いて……大丈夫よ。
こんにちは、イーハトーヴさん。あなたがここに居るのは……お買い物かしら?」
「うん、そうなんだ。俺の事よりも……Erstine。それ、かわいいね。そういうの、好きなの?」
頬を綻ばせ指さしたのはErstine、の後ろにあるネックレス。可愛いもの好きであるイーハトーヴが見逃すはずがないのが、今回ばかりは少々憎いところである。
「え、ぁ、そ、そうね! ゆ、友人の手土産にどうかと思ったの……!」
「へぇ、そうなんだ。────うん、いいんじゃないかな?
Erstineが選んだんだもの。きっとその友達も喜んでくれると思うよ」
体格差もあり、そのまま正面からネックレスを覗きこんだイーハトーヴ。その感想にErstineはほっと胸を撫で下ろす。まさか自分用だなんて口が裂けても言えない、と思いながら。
「そうだ、この後も時間があるなら一緒にこのお店を見てみない?
一人で行くよりも二人で行った方が楽しいかなって思ったんだけど……どうだろう?」
「ええ、勿論よ。イーハトーヴさんとお買い物なんてはじめてだしね」
「ふふ、よかった。それじゃあ行ってみようか」
イーハトーヴが扉を開くとチリンチリン、とドアベルが心地よい音を鳴らして二人を出迎えた。
人通りの少ないところにあるだけあって、内装は拘りがぎゅぎゅっと詰め込まれていた。喩えるなら宝石箱、とでもいうべきだろうか。どうにも形容しがたいほど美しいものを見た時の興奮を思い起こさせるようなその店は沢山のアクセサリーを取り揃えており、二人の心を虜にした。
イーハトーヴはふと視界の端にErstineに似合いそうなアクセサリーを見つける。紫紺に染められた布を花形に切ったものの上に黒真珠が三つ淡く煌めいて。
「Erstine、こういうのはどうかな」
にっこりと笑みを浮かべたイーハトーヴは、Erstineの髪に髪飾りを翳した。みるみる頬を赤く染めるErstineは、上擦った声を絞りだした。
「そ、そうかしら……こんな可愛らしいもの……」
でも、と脳裏によぎったのは恋情を抱く赤髪のおとこの姿。ああ、いいんじゃないか──なんて、そのバリトンで聞くことができたなら、嗚呼。
「君の綺麗な黒髪に、絶対よく映えるよ!
……それに。君が今思い浮かべてる人も、可愛いって思ってくれると思うな?」
「えっ、ぁ、な、なんで……っ!」
バレていないとでも思っているのだろうか、Erstineの口から飛び出したのはそんな慌てた言葉。思わずイーハトーヴも首を傾ける。
「あれ? 俺、てっきり……あ、いや、ごめん。何でもないよ、うん」
「そ、そう……」
その場をうまく取り繕ったイーハトーヴは、納得した様子で笑みを浮かべた。Erstineはますます首を傾げるだけだったのだが。
しかしながらErstineも頭が悪いわけではない。寧ろいい方だといえるだろう。イーハトーヴがその恋情を察していることにはまったく気が付いていなかったが、Erstineはイーハトーヴに少しばかり嘘をついて相談をすることにした。
勿論、その嘘が成り立っていないことにも気が付いていないのだが。
恐らく異性だから。あの方と同じおとこだから、おとこなら似たように思うのではないだろうか、という藁にもすがるような思いから、イーハトーヴに頼るErstineだった。
「ああ……でも、そうだわ。イーハトーヴさん、少し相談に乗ってくださらない?
その……今思い浮かべた方について、なのだけれど」
「うん? 俺でいいなら、相談にのるよ」
「ありがとう。……その、もうすぐ、その方の誕生日……なのだけれど……
でもその日は満月だから…会いに行けないの……」
満月。
それはErstineを赤く赤く染める魔性の月。狼男が満月の夜に狼に変わるように、吸血鬼であるErstineは青いその刃を赤く染める。それこそ、ヒトの躰を駆けまわる血のような『あか』に。
新月はもちろんのことだが、Erstineは満月を特に嫌っていた。満月の日は外を出歩くことはしないし、人と会うことなんて更にしなかった。単にその姿が嫌いなだけでなく、相手を怖がらせてしまうから、という配慮もあった。攻撃の手段すら変わってしまう満月はErstineの力の本性を晒しださせるように爛々と煌めくのだ。そして何よりも、ただの血を求める獣へと成り下がってしまうことが、ああ、憎い!
青い瞳が銀へと変わる、ああ、まだ瞳だけで済む新月とは違う。その黒髪を赤く燃やし、その碧眼を金に煌めかせる満月はErstineにとっては忌むべきモノであり、年に十二回訪れるその満月と『おとこ』の誕生日が重なってしまったのは、不運、或いは天に見放されたとでも云うべきか。
兎も角、満月ともなればErstineは会いに行くことが出来ない。それは日程的なものであり、運命的な理由であり、本質的な問題が故に、手段として『出来ない』のだった。
そんなことを誰にも告げていないErstineは、イーハトーヴに詳しい理由が説明できないのを少しばかり歯がゆく思た。勿論、そんなことで軽蔑するような友人でないことは重々承知しているけれど。
「満月の夜に何があるのかはわからないけど……」
嗚呼、そうだ。何があるかはわからないのだ。
イーハトーヴは『知らない』。その事実がどれだけErstineを安堵させただろう。もしもそうだよね、なんて言われていたら顔をその瞳のように真っ青にしていたかもしれない。
イーハトーヴは唯、優しく笑った。
「けど。君がそれだけ想ってる人だもの。きっと、大丈夫だよ」
「想っ? えっ……イーハトーヴさん?」
手にした髪飾りをぎゅっと、しかし壊れない程度に握りしめたイーハトーヴは、その髪飾りを購入するとErstineの小さな掌に紙袋ごとそっとのせて、握らせた。
「……上手くいくように、これは、お守り」
紫紺の花をその手に握らされたErstineは、受け取れないわと首を横に振った。奢らせてしまった申し訳なさがErstineの心を締め付ける。しかし、そんなこと気にしていない、とでもいうようにイーハトーヴもまた首を横に振った。暫く押し問答が繰り広げられたのだが、先に折れたのはErstine
「……その。ありがとう、イーハトーヴさん……」
「ふふ、どういたしまして」
それからね、と。イーハトーヴは付け足すように微笑んだ。Erstineの尖った耳に己の口を寄せながら、悪戯っ子のようにわくわくした様子で。
「これは、君におまじない。『可愛い』は誰にだって味方をしてくれるし、それに、何より。
『可愛い』は武器になるんだ。自分の気持ちを高めてくれるし、相手の気持ちも、ね」
イーハトーヴは、可愛いを武器にすることを忌避している。それは彼の元の世界の事情が故なのだが、それはまた別の機会に。
イーハトーヴが可愛いを武器と云う、ということ。恐らくその武器が指すのは魅力、という意味だろう。しかし、イーハトーヴ自身がその言葉を口にしたということにこそ大きな意味があるのだ。彼にとってその言葉は、相手への精一杯の応援だった。
直接云うことはなかったけれど、がんばってね、と。
Erstineは数回瞬きをしたあと、ゆっくりと頷いた。その言葉を反芻するように俯いた。
可愛いは、武器になる。
ああ、その言葉がどれだけErstineの心を励ましたことか。
手に握った髪飾りは最早、Erstine最大の『武器』なのである。友が応援してくれたのだ、嗚呼、それならば満月すらも克服してしまえそうな気がした。
「────ありがとう、イーハトーヴさん」
噛みしめるように笑みを浮かべたErstine。イーハトーヴも釣られて頬を綻ばせる。
そして、幾度目かの満月が訪れようとしていた────。