PandoraPartyProject

SS詳細

菫の花は影に咲く

登場人物一覧

ヴァイオレット・ホロウウォーカー(p3p007470)
咲き誇る菫、友に抱かれ
ヴァイオレット・ホロウウォーカーの関係者
→ イラスト

 月影 蓬莱という女が居た。
 占い師めいた姿のその女は、もともと『善』たる存在であった。
 いたって普通の家庭に生まれ落ち、両親に愛され、友に愛された女であった。
 恋に恋する、何処にでもいる普通の女であった。

 何時からだろうか。女が『普通ではなくなった』のは。はっきりとは覚えていない。
 ある日突然、彼女にとって他人の苦しみが極上の酒となった。
 絶望、憎悪、嫌悪、嫉妬。
 あらゆる『悪』が彼女にとっては最高のご馳走になったのだ。
 少女が哭けば、喉が潤い、渇きを癒した。
 青年が啼けば、幸が巡り、心を満たした。
『ああ、嫌! どうして、どうして!!』
 そんな己を受け入れることなどできず、蓬莱は苦しみ続けた。
 きっといつか元に戻れる。今の間だけ、今の間だけ頑張って耐えればいい。
 親友の涙に喉を鳴らしながら、蓬莱は理性で耐えていた。
 月に向かって吠え、肉を貪り食う獣などになりたくなかったからだ。
 理性で耐える彼女は、まさしく『人』であった。

 しかし、人の醜さを愚かさを思い知る度に彼女は己の我慢は無駄な事であると諦めた。
 その代わりに、己に巣食う影に身を委ねることにしたのだ。

「――蓬莱さん?」
 幼い声に蓬莱は、はっと現実に引き戻された。
 目の前には褐色の肌に白銀の髪。真っ赤な目のが、心配そうに此方を見上げていた。
「美味しくなかったですか?」
 量が減っていないスープを見て、同類が、詩織が言った。

 蓬莱と同じく、その身に『悪』を植え付けられた哀れな子ども。
 数か月前、蓬莱は詩織と出会った。
 縋りつくような目で、この小さな同類は震える声で言ったのだ。

『……私を殺してください』

 他の誰かを殺すくらいなら、そんな悪い子になるくらいなら、これ以上悪い子になってしまうなら。
 全く持って善性の塊のような子であった。
「……哀れな」
 だから、さっさと諦めさせてやろうと思ったのだ。そうしたほうがずっと楽だから。
 世の名には死んだ方が人の為になる人間も存在する。悪魔などよりも残酷な人間が。
 それを見せてやろうと、蓬莱は戸惑う詩織を街へ連れ出した。
 あれはこういう人間だ。あっちはこんな屑だ。
 その人間の悪行を事細かに説明してやると、愛情と優しさに囲まれて育った詩織には、ショックが大きいようであった。なぜこんな人間がいるのか理解できない、という顔であった。これで、詩織もわかった筈だ。
 意地悪そうに目を三日月の形に歪ませて、蓬莱は詩織に問うた。
「ひっひっひ……あなたの飢えを満たすには丁度良い相手だったでしょう?」
 少女は、氷水を浴びせられたように身体をこわばらせ、目を見開いた。
 だが、唇を固く結んで少女は首を横に振った。
「私にはできない。悪い子にはなりたくない」
 力いっぱい握りしめている拳をみて、蓬莱は溜息を吐いた。
 まさかこんなに強情な娘だったとは。眉間の辺りを暫く揉んでいた蓬莱は、次が最後だと一枚のメモを渡した。
「この家を夜に訪ねてみてください」
 もし、それでも詩織が変わらぬのならば。何も為さないのであれば。
 その時は望み通り殺してやろうと思ったのだ。
 それは蓬莱が詩織にかけてやれる情けでもあった。

 結果、詩織は『人を殺した』
 子に虐待を繰り返していた父親を、物言わぬ肉塊へと変えたのだ。大人が子に暴力を働くという絵は『あの日』を思い出させるのに十分だった。
 気が付けば真っ赤に染まった服をまとって、物陰に隠れてじっと座っていた。
 ぽつ、ぽつと降り始めた雨はやがて勢いを増し、詩織を激しく打ち付けた。
 痛いくらいの水の勢いも、今の詩織にとっては何も感じなかった。
 無線で話す声が近くでして、詩織は『無意識』に路地裏の方へ向かった。
 詩織は選択を間違えた。
 本当に『悪い子にならない』様にするならば無線の方に向かうべきだったのだ。
 しかし、年端もいかぬ少女にそんなことわかる筈も無い。

 曲がった先では蓬莱が立っていた。くすくすと皮肉るような笑みを浮かべて、蓬莱は言った。
「だから言ったでしょう? 人間なんて碌なものじゃありませんって」
 カツカツとヒールを鳴らし、詩織の耳元でうんと甘く囁いてやった。
 認めてしまえ、受け入れてしまえ。お前は『悪』だ。
 我らは"後ろめたさのない殺人”に生かされているのだと。

 しかし詩織は笑わなかった。

「どうして殺してしまったの。どうして心地良さなんて感じるの」
 否定が出来ない。間違いなくあの父親は酷い人だった。悪い人だった。
 けれど、どうしたって詩織は罪悪感を消すことは出来なかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい。悪い子で、ごめんなさい」
 自分のしたことを受け入れることも出来ず、わんわんと泣いている少女に今度は蓬莱が固まる番だった。この子は、自分が最後まで持ち切れなかった感情を持っている。
 強固な理性の鎖で己を律し、罰していた。
 零れ落ちる涙を拭ってやりながら、蓬莱は静かに笑った。
「……あなたみたいな娘は初めてですよ」
 それが二人の奇妙な、歪んだ出会いで。
 暖かな日々の始まりだった。

 もう家に帰ることができない彼女を蓬莱は迎え入れた。
 初めて会えた同類だったからだと蓬莱は言うが、詩織を放っておくことが出来なかったという方が正しいだろう。
 そして、詩織はせめてものお礼にと蓬莱の家で家事を手伝うようになったのだ。
 わたくしにそのような事しなくていいと何度も言ったのだが、詩織は首を傾げるばかりであった。
 出会った時のことを思い出し、蓬莱はふっと微笑んだ。
「いいえ、とても美味しいですよ」
「よかった」
 そういってふにゃりと笑う詩織は、本当に善良な少女だった。
 だからこそ、詩織は己の中の影に常に怯え、抗っていた。
『悪い子になりたくない』
 子供特有の純真さで、戦い続ける詩織が蓬莱には眩しくて仕方なかった。

 
「蓬莱さん! これはなんですか?」
「おや、あなた占いに興味があるんです?」
 机の上のタロットカードに詩織は興味を示した。
 カードを手に取って絵柄とその意味を教えてやれば、少し待っててと言い、可愛らしいうさぎのキャラクターがプリントされたノートを持ってきた。
 子供らしい丸っこい字で懸命に教えた意味をノートに書き留めている様だった。
 しかしひらがなだらけのノートは後から見返すと読みづらくて仕方ない。
 蓬莱は思わず苦笑いを浮かべた。
「……今度、漢字の勉強をしましょうかね」
「! 私、自分の名前を漢字で書いてみたいです!」
「言っておきますけど、あなたの字は結構難しいですよ?」
「頑張ります! あっ、こっちはどんな意味なんですか?」
「ちょっと待ちなさい、あなた、まさかタロットカードの意味、全部書く気ですか!?」

 二人で日々を過ごすうち、詩織は本来の明るさを取り戻しはじめ、蓬莱はの離れた妹の様に詩織を大切に思うようになっていた。


 そんなある日の事だった。蓬莱は『悪人狩り』に向かうべく、身支度を整え玄関の扉を開けた。足を踏み出す前に見送りに来た詩織に振り返った。
「では、行ってきます」
「はーい! いってらっしゃい、蓬莱さん!」
 すっかり当たり前になったやり取りに口元が緩む。
 同時に今から己がする行いは、こんな普通の幸せとはかけ離れているのだと蓬莱は目を伏せた。

 今回の標的は蓬莱や詩織と同じく『ハーフ』であった。
 ここ最近人を襲っては金品を奪っているのだ。
 悪行の限りを尽くす蓬莱にとって都合のころしてもいい男であった。

 そして標的は存外早く見つかった。
 路地裏で斃れた男の傍で、財布を漁っている。十中八九、ハーフの男が殺したのだろう。
 こちらに気づく気配もない。実力差は明らかだ。
「随分と楽しそうですねぇ?」
「あん?」
 振り返った男の血に飢えた赤い眼。詩織の赤とは似ても似つかぬ淀んだ色に、嘲笑う様に蓬莱は喉の奥で笑った。
「あなたみたいな悪党嫌いじゃありませんよ」
 ひゅっと投げ放たれたタロットカードが男の頬を引き裂き、壁へと突き刺さった。
「心痛まずことができますから」
 状況を悟った男は蒼褪め、その場から逃亡を図る。しかし、蓬莱はそれも計算の内だと男をどんどん追い詰めた。逃げ場を失った男はその場にへたり込み、命乞いを始めた。

「お、お前の言う通り俺は『ハーフ』だ……! 頼む、み、見逃してくれ!」
「でしょうね。それで? 何故わたくしがあならを見逃さないといけないんです」
 ――こんなに見事なご馳走が目の前にあるというのに。
 ニィと笑えば、男の顔が青ざめ、ガタガタと震えだした。
「ああ、素晴らしい! その顔、とても素晴らしいですよ!」
 愛用の短剣を取り出す。いつも持ち歩いているのは儀式用の殺傷能力のない物だが、今回はそれに見せかけた真剣である。その切れ味は言うまでもない。
 後はいつも通り、命乞いをする男の頸動脈を引き裂いて、噎せ返るような血の匂いに陶酔して、腹を満たして帰るだけ――だった。 
「む、娘がいるんだ!! 腹を空かして家で待ってる!!
 た、頼む見逃してくれ!!」
 もはや祈りに近い、悲痛な叫びだった。
 でまかせかもしれない、でも、もし本当だったら……?
「この男にしたことは悪いとは思う!! でも、俺達は、こうしなきゃ生きられない……!
!」
 このまま右手を振り下ろせば、男は絶命するだろう。
 この男の言う娘が本当にいたとして自分には関係ない筈だ。関係ない筈なのに。
 脳裏に過る詩織の笑顔。その笑顔と優しさは、間違いなくかつて蓬莱が持っていた善性を呼び起こした。
 蓬莱はナイフをしまい男に背を向けた。
「――次はありませんよ。さっさと立ち去りなさいな」
 それは蓬莱が男に掛けた情け、そして致命的な失敗であった。
 
 ざくり、と柘榴によく似た赤が蓬莱の躰から噴き出した。
 ごぷ、と口の端から伝い落ちた赤は彼女の服を汚し、地面へと滴り落ちた。
「お、お前が悪いんだ……! お前が!! 俺『達』を殺そうとするから!!」
 捨て台詞を吐いて逃走する男を、蓬莱は見送ることしかできなかった。
(ふふ……私も、随分弱くなりましたね……)
 蓬莱は己を嘲笑った。
 以前の彼女ならば、命乞いすら聞き届けなかったというのに。
 刃が曇ることなど無かったというのに。
 その結果がこれだ。壁に手を伝いながら、気力を振り絞り我が家の扉までたどり着いた。ほとんど力の入らない震えた手で鍵を取り出し、なんとか扉を開けた。

「あ、蓬莱さん! おかえりな、さ」
 蓬莱へ駆け寄ってきた詩織の顔がみるみる内に青白くなった。
「……詩織。た、だいま、……」
 どさり、と、蓬莱が倒れ込んだ。
「きゅ、救急車……!」
 慌てて電話を探し、ダイヤルパッドを押す詩織の小さな手を、蓬莱は包み込んで止めさせた。
「……やめて、おきなさい。わたくし、には。もう、必要、ありません」
「でも! このままじゃ、蓬莱さん死んじゃう……!」
 透明な雫が詩織の両目から溢れて零れ落ちていく。
 あの路地裏で見た時と同じく、なんて綺麗で穢れの無い雫なのかと蓬莱は微笑んだ。
「いいですか、詩織。このざまを、よく、覚えておきなさい」
 詩織のまろい頬に蓬莱は手を這わせた。赤が、彼女の褐色の肌に映えて美しいなどと不謹慎なことを思った。
「”因果応報”。誰かを不幸にした者には、必ず不幸が舞い戻る」
 脳裏に過る、詩織との日々。
 暖かく、優しかった日々は少なからずとも堕ち切った蓬莱を人へと戻してくれた。
「悪いことをしたのなら、いずれ必ず、その報いを受ける……」
 だが、もう遅すぎた。その優しさを享受する資格は疾うに失われていたのだ。
 解っていた。解っていた筈だった。
「先に地獄で、待っていますから」

 だから、だからどうか。
 ――あなたはわたくしのことなど忘れて、ゆっくりと来なさいな。

 詩織を想う言葉は、泡となって消えてしまった。
 それこそが『蓬莱のしてきたことに対する最大の報い』なのかもしれなかった。

「……蓬莱さん?」
 脱力した腕が、詩織の頬を滑り落ちた。
「ああ、嫌。いや、いやああああああ!!」
 起きて、起きてと少女は願うも奇跡は起こらず。蓬莱の瞼は固く閉ざされ二度と開くことは無かった。
 泣きわめいても、抱きしめてくれる大人はもういない。
 判ってはいたが、詩織には泣いて、哭くことしかこの悲しさをやり過ごす術は無かったのだ。涙が枯れて、泣きつかれて眠ってしまうまで詩織は、ただ、泣いた。


「蓬莱さん、お墓を作ってあげられなくてごめんなさい」
 暫くして、少し落ち着きを取り戻した詩織は蓬莱の墓を作ってやろうとした。
 しかし、子ども一人の力では埋めてやるどころか、大人一人運ぶことさえできなかった。
 代わりに、少しでもと、彼女の服についた汚れをできる限り綺麗にしてあげた。
 両手を合わせ、彼女の冥福を祈る。かつて蓬莱は、ハーフわれわれには無意味ですよ。と笑っていたが詩織にとっては無意味ではなかった。

「……私も、蓬莱さんみたいになれば。あんなふうにのかな」
 悪い子になりたくないと生きてきた。頑張ってきたつもりだった。
 でも、もう疲れてしまった。悪い子になれば、蓬莱さんのように不幸が舞い戻って。
「私を、殺してくれるのかな」
 詩織はもう一度蓬莱の顔を見た。どこか安らかな、安堵したような顔だった。
「……いいなぁ」
 それは、紛れもない羨望だった。
 彼女の生きざまをなぞれば自分も『悪い子になれる』
「名は、その人をその人たらしめる楔……」
 蓬莱が言っていた言葉を思い出す。
 であれば『詩織』という、愛された名前は相応しくない。
 両親がつけてくれた大切な名前を捨てる、とても勇気がいることだった。
 ぐっと涙をこらえた。
 自分はこれから影の中を歩む。だから、苗字はホロウウォーカー。
 名前は、あの子が大好きだった『菫』の花の名前を貰おう。
 
 この日、一人の少女しおりが過去に取り残され。
 この日、一人の少女ヴァイオレットが産声を上げた。


 すっかり悪人を屠ることにも慣れた頃。眩暈がする位の違和感の底で『彼女』は目覚めた。見慣れない神殿で、自分の居た日本とは凡そかけ離れている世界だった。ああ、否。有名なRPGゲームでは空に浮く島々というのはよく見かけるが、まさかそこに自分が居るとは。
 目の前のシスターらしき少女があれやこれやと聞いてくるのを、丁寧に『彼女』は答えていった。
「まだ、あなたのお名前を聞いていなかったです」
 そういわれ、そういえばまだ名乗っていなかったと『彼女』は口を開き一瞬閉じた。
 数秒、考え込んだ後「ひひ」と『彼女』は笑った。

「ワタクシの名前はヴァイオレット・ホロウウォーカー……しがない占い師でございます」

 彼女の名はヴァイオレット・ホロウウォーカー。
 善と悪の狭間で揺れる、一輪の華である。

おまけSS『菫色の過去ははるか遠く』

 ねぇ! あなたのお名前の『う゛ぁいおれっと』って『菫』という意味なのですね!
 とっても素敵ですね! わたしの名前も――と言うんです!
 これって、すごい運命だと思いませんか!?

 もし、もしあなたさえよければお友達になっていただけませんか?
 わたし、同じくらいの年のお友達が居なくて……。
 ……変わっている? えへへ、そうですかね!
 でも、あなたとお友達になりたいと思ったのは本当なんですよ?
 あ~~、でもでも、無理にとはもちろん言いませんよ!?

 ……本当? 本当にお友達になってくださるのですか!?
 やったーー! すっごく、すっごく嬉しいです!!
 
 え? そういえばなぜ白無垢を着ているのか、ですか……。
 うっ、うっ。之には海よりも深く……山よりも深い訳があるのです……!
 とまあ、話せば長くなるのでそれは今度お話しします!
 そうですね、結論から言えば『花嫁に憧れているから』……でしょうか?
 昔ね、私に生きる希望を与えてくれた女性ひとがとっても綺麗な花嫁さんだったんです!

 だから、その人に負けないくらい幸せな花嫁になって見せます。

 私をうんと愛してくれて、うんと愛されてくれてる人を見つけて。
 目が潰れちゃいそうな程に耀かしい光の中で、プロポーズされて。
 式場は……噂で聞いた……英国? 風もいいですが……うーん、やはり白無垢を着ている身と致しましては神様が司ってる神域で挙げたいなぁとも思ったり……!

 その時は、是非お祝に来てくださいね!


 ――朦朧とする意識の中、夢を見た。
 それが実在した事なのか、はたまた都合のいい幻想か。
 ヴァイオレットにはわからなかった。
 唯一つ、ことだけは判っていた。
 だって目の前の白無垢の女はもう、お嫁あの世に逝ってしまったのだから。

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