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絵にかいたような
登場人物一覧
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どぷん。
耳に響いた音。いや、響いたなんてものではない。直接的に感じたソレは。
(冷たっ!?? 水!? 息が、苦し……っ!!)
ただ分かるのは、おそらく自分の顔は今何か液体に浸かっており、息ができないという事実。目覚めた瞬間の出来事に、頭はまったく働かないが、それでも、なんとかしてこの苦しみから逃れなければ……! 息を、空気を吸わなければ!! そう思い、必死に頭を上げようとするも、何かに押さえつけられているのか、まったく動かない。手で振り払おうにも、手は後ろに回され、何かで固められている。訳が分からない。苦しい。このままでは。
(し、死んでしまう……!!)
今まで感じたことのない『死』がよぎった、その時。頭を押さえていたものが無くなる感覚を感じた。それが何だったかはわからないが、そんなことよりも今は、息をしなければ……!
「ぶはっ! かはっ、げほっ……はぁ、はぁ……」
空気だ。息ができる。形も味もないが、今だけは、これまで食べたどの晩餐よりも美味いと感じる。
1度。2度。
大げさなほどに大きく息を吸い込めば、徐々に呼吸が落ち着いてくる。呼吸ができたなら、自然、思考は生存からその次へと向く。そうして周囲へと視線を向けようとしたとたん。
「んがっ!?」
唐突に、”それ”が頭の上に振り下ろされた。ばしゃりと顎が水に浸るもなんとかこらえながら目だけで仰ぎ見れば。
”それ”は、目の前の豪奢な。自分のお気に入りの椅子に座る男から伸びるものだった。
「ヨゥ。目覚めはどうダ?」
貴き青き血の自分が、あろうことか、見知らぬ若造に、足蹴にされていた。
●
田舎領地というと侮る者は多い。中央の政治的争いから離れ、細々と下民のように過ごすエセ貴族と。けれどその実、中央の手が及ばぬ中で国政に疎くなることなくしかと統治するための目と耳を持ち、外敵という国にとっての脅威を阻むための力を持つ。中央で血と名だけで選ばれた凡百の者どもよりもよほど優れた者。それが、国より地方を任された、地方貴族の誉れ。
―――それが、真っ当な貴族であったならば、であるが。
絵にかいたような話だ。
一地方領地の話など、えてして中央にまで届かない。
そして、民草に外の世界のことなどわからない。
そこにきて、昨今の幻想王家、三大貴族の失態ともいうべき地盤の揺るぎ。
そうなればどうなる。
そんなこと、分かり切っている。
重い税を課し。
気まぐれに命を奪い。
いたずらに尊厳を持て遊ぶ。
元々そうだったのか。政情がそれを生んだのか。そんなことはどうでもいい。
今この時、この地にあるのは、物語のような悪徳地方貴族のできあがりだ。
この地において、彼らが頂点であり。
彼らを害する者などあらず。
そんなものがいれば、虫けらの様に踏みつぶすだけ。
―――そのはずだったのに。
「恵まれた生まれで、死なんて縁遠い人間が感じる初めての死の恐怖、ですか。前菜としてはまぁ……でも、もうクウハさんへの怒りに塗り替わってますね。傲慢な人間は強いなぁ。」
あちらからは一面ガラス張り、こちらからだけがあちらを見通せる、そんな特殊加工された壁の向こう。見るからに下賤で粗野なパーカー姿の男が、貴族である夫を足蹴にする光景。それを自身の横で眺めている、物腰の柔らかそうな男。一見、とても向こうの男のような凶行に至るようには見えない若い男。正直、可愛い顔は好みでもある。けれど。
「ちょっと! 私を誰だと思ってるの!!? さっさとこれを解きなさい! 縛り首にしてやるわよ!!」
そうはしたなく叫ぶ隣の娘へと、慌ててきつく言いつける。
「やめなさい! ど、どうかお許しを……娘はあまり屋敷からも出ず、世間を知らないものですから……」
下々の人間へと、許しを請う。そんな屈辱的なこと、耐えられるものではない。けれど、長年の経験から、夫人は察していた。目の前の男は、ガラスの向こうの男と同種の臭いがすると。
「なにを言っているのお母様!? どうして私たちがこんな目に合わなければいけないの! あなた! 私を縛って……痕でも残ったら、承知しないわよ!!」
しかし、愚かな娘には”それ”をかぎ分けるだけの経験がない。目の前の男をただただ侮蔑し、自身の優位性と安全を疑わない。
「んー。そうですねぇ。ご令嬢の教育にはもう少し気を配った方がいいのではないでしょうか? 夫人。」
特に気分を害した様子もなく、男は手を後ろ手に組んだまま、こちらを見やる。
「え、えぇ、言葉もありません、わ。」
相手の機嫌を損ねないよう、言葉を選びながら、その目を伺い見れば……笑っていなかった。口元は、穏やかに弧を描いているというのに。
―――この男は危険だ。
背中に冷たいものを感じるが、それを表に出さぬよう、笑顔を取り繕う。本心を隠しての交渉など、貴族夫人にとっては日常だ。ましてや。
「暗愚なご主人をお持ちですと、世渡りが上手になられるんでしょうね。僕みたいな者にまで礼儀を尽くして。」
笑顔のまま。男は的確に夫人を射抜く。
「プライドはございませんか?」
けれど、いけない。ここで感情を表に出しては。
「貴女がもう少しご主人の手綱をしっかりと握って善政を敷いていれば、今回、僕たちに依頼なんて来なかったんですが。『あなたたちを殺してほしい』『これ以上ない程の恐怖と絶望を味合わせ、残酷に』、なんて依頼。」
「どこのどいつよ! そんな依頼を出した連中は! 全員皆殺しにしてやる! あなたも! お母様になんて口をきいているの!! 家族共々……」
「やめなさいと言っているでしょうこのバカ娘!!!」
「……お、お母さ、ま?」
声を荒げてははしたないなどと言っている場合ではなかった。だって、自分の命がかかっているのだから。甘やかされた娘は、自分を否定されたことなどなかったから。ましてや、母親である私に罵倒されたことなど。だから娘は、自分が何を言われたのか一瞬理解できない様子だった。けれど、それでもいい。今は口をつぐみ、この男の気分を害さないことが最優先だから。時間を稼げばいい。そうすれば、いずれ……
「あぁ、息子さんならいらっしゃいませんよ。」
「……え?」
ハッっと顔を向ければ、男は笑顔で、ちょいちょいと、鏡の向こうを指さして見せた。
●
「貴様! 私を誰だと思っている!! 今すぐこの縄を解け! 殺してやる!!」
なぜ今自分が縛られているのか。どうしてこの見るからに下賤な男がこの秘密の部屋にいるのか。そんなことよりも。この地で私に逆らう者などいない。いてはならない。だから命令する。当然のことだ。それなのに、目の前の男ときたら。
「ぎゃーぎゃーうるセェなぁ……さっき死にかけたっつーのに、頭空っぽカ?」
無礼にも私のお気に入りの革張り椅子に座り、足を組みかえながら頬杖をついているではないか。
「そうだ! 貴様、さっきはこの私になんて無礼を……!! えぇい、はやく解かんか!! でないと、息子が貴様の首など一太刀にしてくれるぞ!! 私の息子はな、あの筋肉しかない馬鹿な鉄帝の、ラドバウとかいう下賤な奴らの代表を血祭にあげることもできる腕利きなんだぞ! 貴様のような貧相な男など……」
「あ゛ー……? こいつ、そんな強かったカ? 俺だっテあそこのA級連中なんざ好きで相手したくネェが……」
「……こい、つ?」
男が後ろ手からなにやら汚い袋を横へと投げ捨てる。それに向かい、ちょいちょいと指を動かせば。袋の中の、大きめのボール大の何かがゆっくりと浮かび上がり。袋の口がゆるゆると緩み……
「……ひっ?! マ、マキアス……!?」
息子の頭が、そこにあった。色のない目で。見る影もない表情で。
「う、うぐぇぇぇ……!」
「オイオイ、愛息子見て吐くとか、薄情な父親だな、オイ?」
ありえない。ありえない。ありえない。
息子は、息子は族など返り討ちにでき、留学で渡らせた鉄帝では、かの国の力だけの脳なし共を返り討ちにしたと、そう言っていたではないか。
「たしかにガタイはよかったがヨ。いいもん食ってるってだけダロ。どんだけ時間やっても俺を1回も殺せねぇとカ。大ホラ吹きかペテン師か? 親を騙すなんざ、そっちの才能はあったんじゃネェか? つっても、この親じゃナ。」
ハッ、っと息子を……そしてこの私を鼻で笑う男。だが、それどころではない。息子は、この地における武力の象徴。従わない愚かな領民を正す正義。それが敵わないという、目の前の男。
「ば、化け物か、貴様……。」
絞りだしたその声に、男は口角を吊り上げ、楽しそうに笑って見せた。そして、ふわっと。不自然なくらいに楽々と椅子から”浮き”あがり。
「さぁテ。こっからは、家族水入らずでお楽しみといこうゼ?」
コツコツと靴音を響かせながら男は部屋の一角へと近づくと。1枚の鏡をコツコツと叩いて見せた。
そこは向こう側からだけ開けられる、こちらを眺めることのできる隣の部屋との隠し扉で。
男の合図に、ゆっくりと鏡張りの壁が動けば。そこには、青を通り越して顔を白くした妻と、嗚咽を吐きながらしゃがみ込む娘。そして。
「やっとですか、クウハさん。自分ばかり楽しんで、ずるいじゃないですか。」
「アァン? オマエの方こそ、女2人をいい声で哭かせてたんじゃネェのカ?」
楽しそうに声を掛け合う、もう一人の見慣れぬ男。私たちを歯牙にもかけず。紐で縛り、床に転がし。何事もなかったかのように談笑し。
「き、貴様らぁ……! 我がトーグ家に対し、なんたる仕打ち……!」
ふつふつと怒りがこみ上げる。この若造ども、いったいどうしてくれようか。
けれどこやつらは、私の恫喝さえもなかったことにする。
「分かってるでしょう? 直接手を出したら、彼女に怒られるんですよ。」
頬を掻き苦笑する、女の尻に敷かれる軟弱な男。こんな男一人御せないとは、やはり女どもは役に立たん。だが、私なら。私であれば。
「おい、そっちの男……「オイオイ。”手”を出さなきゃいんだろ?」。」
そう言った、憎たらしいパーカー姿の男の言葉に、ピクリと肩を動かした目の前の軟弱な男。振り返ったそいつの顔は……
「足でも出せっていうのか? 煽らないでくれよ。クウハ。」
―――我慢できなくなるだろ。
歪に笑うそいつは、あぁ、なるほど。パーカーの男と変わらない。
「……化け物ども、が。」
私の言葉に、奴らはニマリと笑って見せた。
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「さて。アンタらも喉乾いただロ。水くれぇ飲ませてやるヨ。」
そういって、パーカー姿の男が並べたコップは10こ。なぜ10こも?
だが、最後にことりとおかれた瓶に、妻と娘は顔を青ざめる。もちろん、私もだ。
「旦那と生首息子は処夜権だとか言っテ女を食いもんにして。嫁さんは若さのタメとかいって男ドモ侍らせて。ネーチャンも一緒になって遊んでたよナ? いい趣味してんゼ、アンタら。」
そういいながら、男は瓶を手に取ると、あろうことかその中身を、そのままコップへと……
「ば、馬鹿もの! それは10倍に薄めても強すぎる薬だぞ! 原液でなど飲んだら、廃人になってしまう!!」
口元を抑え顔を白くする妻と、ガチガチと歯を鳴らす娘。あの薬を使った者たちがどうなったか、それは自分たちが散々見てきた。嫌がる者もすぐに従順になり、薬抜きでは生きられなくなる。
「心配すんなヨ。まだ1個にしかいれてねぇカラ。確率1/10だゼ? 優しいナァ俺たちゃ。ナァ?」
そういいながら、男は並べられたコップを自分たちから見えないように隠す。おそらく水を継ぎ足しているだろう、コポコポと水音が部屋に響く。
「え、えぇ、ご温情に、感謝を……」
「貴様! こんな者に媚を売るのか! この売女め!!」
パーカー男に遜る妻が苛立たしい。これだから女は。女など、どう扱ったっていいだろう。どうして私がこんな目に。
だが、目の前を光が走ったかと思うと、首元に冷たいものを感じる。それは、鎌……それが親子3人、横並びの首にまとめてあてられている。
「ヒッ……!?」
「あ゛? 気に入らねぇなら、最初はアンタの娘に直接飲ませてやってもいいんだゼ? よがる娘なんざ、そうそう見れたもんじゃネェだろ?」
冷たくいい放つパーカーの男。
「イ、イヤァ!? 助けてお父様!!」
娘はかつて薬漬けにした下民共を自分に重ねたか。えぇい煩い! だが、そんなことをされては。
「やめろ! そいつにはまだ価値があるんだ! 生娘でなくなっては中央の貴族に売れなくなるではないか!」
「まったく……自分がどれだけクズなこと言ってるカ、分かってんのやら。ま、お貴族様なんざそんなもんカ。まぁ安心しろヨ。ヒントなら出してやっカラ。ナァ? 鏡禍。」
パーカーの男はそういうと、もう一人の男へと声をかける。男は「はいはい。」と肩をすくめると、ゆっくりと自分たちの後ろへと向かう。
「おっと、振り向くなよ。首が飛ぶぜ。」
カチャリとなる刃に、視線が前へと固定される。
「じゃあ、僕が鏡越しに薬入りを指さすからね。」
後ろから響く声。その声を頼りに、鏡へと目を向ければ。
「……ねぇ、嘘でしょ?」
「待って。待って頂戴……」
鏡には、自分たち親子と、パーカーの男と。
いや、どれだけ見返しても、その4人しか映っていなかった。
「だ、騙したな! あの男、ヒントなど出さずにいなくなったではないか!!」
―――ひどいな。自分たちみたいなクズと一緒にしないでくれよ。僕はちゃんとここにいるじゃないか。
「……え?」
声は、する。
けれど、姿は見えない。
そんな存在。人間じゃない。
つまり。比喩ではない。本質から違う存在。
『化け物』
途端、がくがくと膝が震えだす。娘の座る床からは湯気が上がっている。妻は「お、お願いです、どうか、どうか……!」と許しを乞うている。だが。
「オイ。はやくしろヨ。10秒以内に選べ。」
そこに温情の色など一切ない。冷たい言葉と、首筋に当てられた鋭さ。
「10、9、8、7……」
大丈夫だ。確率は1/10。当たるわけがない。
「6、5、4……」
けれど、もし当たってしまったら?
「3、2、1……」
飲みたくない。飲みたくない。けれど飲まなければ。
『死』
…………
選んだものが喉を伝う。全員が飲み干したのを眺めたところで。
「なぁクウハ。ヒントはこれであってたよな?」
そう言いながら自分たちの前に出てきた男の指先は。
「え? え??」
両の手が開かれ、伸びた10本の指が、10個のコップを示していて。
コップと男の手。そしてパーカーの男を何度も見返し。
「アァ、悪ィ。悪ィ。間違えて全部入れちまったワ♪」
その言葉が、聞こえていたかどうか。
心臓が、鳴った。
世界が、赤く染まった。
何かが壊れる音がした。
絶望は、これから。
おまけSS『だからさ。』
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もう何度目かわからない、暖かな温もり。
それを感じた時だけ戻る一瞬の自我。
床を転がり、自身で引きむしり、嚙みちぎった皮膚の痛みも癒される。
6枚羽を広げたパーカーの男からもたらされる陽光が自分たちを人へと戻す。
けれど、薬が抜けたわけではなく。
しばらくすると、胸が鳴り。視界が染まる。
嫌だ。もう壊れたくない。いや、いっそ壊れてしまえば。
そう思うのに。
男はそのたび、自分たちを引きずり戻す。
もう嫌だ。やめてくれ。
「ねぇクウハ。僕思うんだ。」
耳に、もう一人の男の声が聞こえる。どこか遠く。それが言葉だと分かるのに、もはや壊れかけの頭は、それを言葉とは認識しようとはしない。ただの音。
「オーダーは『これ以上ない程の恐怖と絶望を味合わせ、残酷に』だったじゃない?」
自分の下でどこか見知った女が組み敷かれている。髪は引きちぎられ。純潔は散らされ。やったのは、誰だったろうか。
「現実の世界での痛みや恐怖だけじゃ、完璧に依頼をこなしたとは言えないんじゃないかな?」
もう一人の女が声の主の足に絡みつこうとして、蹴り飛ばされている。白いものが何本か飛び、カンカンと床を跳ねる音がする。
「だからさ。」
―――つれてってあげようよ。夢の世界へさ。
夢。そう、これは夢だ。
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とある森の奥。開けた場所に立つ、枯れた古木。
そこにぶらさがる、3つのずた袋。
―――ヒヒヒ。
―――ケタケタケタ。
風もないのに時折揺れるソレから漏れる、不気味な音。
それらに交じって聞こえた音。あれは……馬の嘶き?
―――まったく。あの悪餓鬼共め。我にも選ぶ権利があるというに。