SS詳細
I'd take you as my queen.
登場人物一覧
皆んな、皆んな、識らないでしょう。
――ボクの持つ
皆んな、皆んな、識らない筈だ。
――僕の此の
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朝の目醒めは一寸した競争である。先に起きた片方は、片方の寝顔をじっくり堪能してからくちづけで目覚めさせる権利を得る事が出来るのだから、早起きは三文の徳とは良く云ったものだ。
今日の天秤はラピスに傾いた様で。勝者である彼はそうっと、アイラを睡りを妨げぬ様に軀を起こすと窓を見遣る。カーテンの隙間から差し込む日差しは眩しくて、天気が快晴である事を物語っていた。緩く胸を上下させて未だ夢の中に或るらしき幸せそうな彼女の柔らかな髪を、白い頬を撫でて、瞼を一回ずつ優しく小鳥が啄む様に喰んだ。其れから、行儀良く重ねられた爪先へ、手の甲へ。唇へのキスはおはようにと、ふたり協定を結んでいるものだから、こうでもしないと多大な違反だと拗ねられてしまう。
「ん、んん……」
「そろそろ眠ってる振りは止めたらどうだい?」
「…………バレてました?」
「途中から、ね」
良い天気だよ、と窓を指差せば、絶好のデート日和ですねと頬を綻ばせた乙女が、ベッドの上で居住まいを正し、ふたり、向き合う様にすると眸を閉じた。
「おはよう、アイラ」
「ええ、ええ。おはようございます、ラピス」
今日の朝のくちづけは、焦らされて居た分のお返しに少し長め、止めた息が保たなくなる位に。自分から脣を離す事はしない癖に、とんとんと小さく胸を叩いて抗議する腕の中の温もりの何と愛おしい事か。漸く酸素に有り付いた彼女が、赤らんだ貌を誤魔化す様にうんと背伸びをして、朝食の支度をしましょうとベッドからするりと抜けて行った。
『僕』『ボク』の一日は、此処から始まる。
こんな素敵な日の朝食は、何時もより贅沢なフレンチトースト。しっとりふわふわ、卵液に甘く滲みたデニッシュパンを、バターで香ばしく、少し焦げ目がつく位に焼き上げたら粉砂糖の雪を振るう。去年森で採れた木苺のジャムにカットオレンジ、メープルシロップと彩りにミントを添えて。其の甘さの分、少し濃い目に出した苦味の強い珈琲がお似合いで、足すとしてもミルクだけで充分だ。
後片付けも程々に終わったら、流石に此の時ばかりは部屋を別れて着替えをする。春めいて来た一日に相応しい装いを、悶々と頭を悩ませ考えに考え抜いた結果、先日買って未だ紙袋に入った儘になっていた服を手に取った。
「先に行ってるよ」
「はい、少し待ってて下さい、ね」
玄関の扉が閉まる音、逸る胸の音。まるで耳元に心臓がついた様な心地で、柄にもなく熱くお店の人と相談し乍ら決めたものに袖を通す。
白地に元気を貰える鮮やかなイエローのミモザが咲く小花柄ワンピース。細かくプリーツになった裾は姿見の前でくるりと回れば、ふんわり円を描く様に広がる膝丈のデザイン。
女の子とは、甘いだけではなく、ピリリと香るスパイスだって重要だ。ブラウンのコルセット風サッシュベルトをウェストにワンポイントできゅっと締めれば少し大人になった気分。控えめにラメの入ったストッキングに、足元もベルトと色合いを合わせたアンクルベルトのついたヒールパンプスを。
白く淡いの蝶々と、青のエキザカムを髪に飾って。普段とは違う選択の其れは、ぷっくり丸くて、まるで積りに積もった気持ちの告白をする乙女の様にいじらしく愛らしい花姿で、花言葉はそう――『あなたを愛します』。
忘れてはいけない右耳のピアス。此の片翼、自分の半身とも云える少年が待っているから、薄紅に色付くリップで唇を潤すと、結ばれた小指の糸を辿る様にして、駆けて行く。
僕達は待ち合わせをする。同じ家に住んでいると云うのに可笑しいと人は云うかも知れないけれど――、糸の先で少年は樹に凭れ空を見ていた。もう直ぐ、慌てた様にして頬を紅潮させて彼女がやって来る。僕は慌てなくても良い、と何時も云っているのに、『お待たせしました』と彼女がはにかむから、其の瞬間がとても愛おしくて仕方がなくて『全然待ってないよ、今来た所』だなんて戯れに言ってみたりして、其の御手を取るのだ。
「お待たせしました、って、え、え、ラピス……?!」
ほらね、と云いたい所だが、少年の姿を見た彼女が今日はあんぐりと口を開けて居た。アイラが何時もと違ったお洒落をしてきた様に、対するラピスも少し背伸びをしたカジュアルな装いなのだから。
白シャツに柔らかなパステルグリーンの春ニットを重ねて、紺のジャケットはきっちり目だけれど、ロールアップして水玉模様の裏地を見せれば小慣れた着こなし。気持ち上で仕立てて貰ったストーンウォッシュのデニムクロップドパンツからは白のソックスを覗かせて、黒のスリッポン。
胸元でエボルブルスの花揺れるループタイは、彼女が何時も髪に飾る想いに応えたくて。花言葉は、『溢れる想い』とか『ふたりの絆』なのだと云う。そして、左耳の片翼だって、勿論ちゃんとに連れている。
「男子、三日会わざれば刮目して見よ、ってね?」
「三日もラピスと会えないなんて死んじゃいそうです……! じゃなくて、そ、其の。凄く似合ってます」
「そうかな、普段とは違う色をって選んだけど、結局慣れなくて上は馴染みある色を選んじゃった」
紺のジャケットを摘んで見せて、頬を掻く。お互い、見慣れない服装で、違った人の様にすら見えるから、並び歩くのが照れ臭くて。褒めたい所がいっぱい有って、其れを語り尽くして居たら屹度家から数歩出た場所で日が暮れてしまいそうな気分だから。何方からともなく手を繋いで、其の日の『君』『キミ』がどれだけ素敵かを頭の天辺から爪先まで、うんと語りながら歩いてみた。
街に辿り着いた頃には、すっかり甘い言葉も出し尽くして、顔が茹だる様に熱くって。熱覚ましに氷がたっぷり入ったアイスティーを木陰で啜ってから、手が空いてる内にと、ふたりの
何処かで、少しだけ、期待してしまうのはラサの依頼だろうか。アイラは『お師さま』の姿を探して。ラピスにしてみたらやや目の上の瘤の様な存在。其れでも、再会が叶うのであれば、言いたい事も、聞きたい事も山程ある。暫し、同じイレギュラーズで賑わう此処で、噂話に耳を傾けて。今日ははずれだったね、とギルドを後にした頃にはお腹がくう、と鳴る時間だった。
「ランチにしましょうか」
「そうだね、何処に入ろうか」
『彼処なんてどうです?』と見つけたのは、こじんまりとした喫茶店。重い樹の扉を潜ると、やや薄暗い店内にはバーカウンター。此の時間なのに客は居らず、開いているのか不安になってふたりで首を傾げていると、奥から『嗚呼、いらっしゃいませ』と愛想の良い定員が顔を出して席を勧められたので、中へと歩を進める。小洒落た背の高いバーチェアは足元が少し余ったけれど、此れも一興。『お客さん方、初めてだったらこちらは如何』と促される儘に頼んだのはクロックムッシュ。
オーダーが有ってから焼き上げるらしく、アイラはメロンフロートソーダ。ラピスは直搾りのオレンジジュースをちまちま飲み進めて、心地良い静寂を満たす、じゅうじゅうとパンを焼く音と良い香り。軈て出て来たのは――。
「わ、わっ? お野菜で下が見えません」
「……サラダ、じゃないよね?」
山盛りのルッコラには、シンプルに塩とオリーブオイルの味付けのみ。掻き分けた一番下に、パリッとしたチーズの羽がついたクロックムッシュと、ぷるぷるの温度卵が見えた。卵の黄身と絡めて頂くパンは新鮮なルッコラと相性が良く、単体で食べればやや苦味の有る其れも良いアクセントで、成る程、初めての客に出す物としては話のネタにもなるし、サイドに滑り込む様に飾られたジューシーなグレープフルーツも、心を掴んで離さないではないか。良い仕事が見つけられなかった事をはずれと云うなら、此の思い掛けない出逢いは『大当たり』。ふたり共、無心で食べる事に集中してしまったのが何よりの証拠で、食べ終えた頃には『また来たいね』と笑い合った。
お腹いっぱいで店を後にしたら、あっちやそっちやの大冒険だ。美味しいと評判のパン屋さんのバゲット、市場では採れたての彩り豊かな野菜達。今日のお夕飯は何が良いですか、と新婚さん気分で尋ねれば、『アイラの作ったシチューが食べたいな』なんて甘えてくれるものだから、奮発して良い牛肉も。
途中、入り組んだ路地で見かけたショウウィンドウの中で、マネキンが着ていたペールブルーのカーディガンが可愛くて。頭から離れず行った道を戻った心算が、迷ってしまった末に、漸く見つけた頃には空が浅葱に舂く時間だった。
そうしたら、お店の中に飾られていたレース飾りのついたデニムジャケットが此れ亦良くて、『今日のお客様のお召し物にもお似合いですよ』なんて言われた上に、ヴィンテージの一点物だと聴けば、何方にしようか悩んだ挙句、彼が『片方プレゼントしても?』と優しくしてくれるものだから、結局可愛く包んで貰って、幸せの重みを感じながら帰る事と為る。
「何だかごめんなさい、ラピス、ボク、優柔不断で」
「良いんだよ、何方も似合ってて可愛かったし、あれだけ悩んでたんだもん、よっぽど欲しかったんだよね」
「でもすっかり日も暮れちゃって、少し寒いですね」
「ん、――……じゃあさ、」
不意に肩に掛けられたジャケットは、彼の温もり其のもので。慌てて返そうとするも、其れより早く帰ろう、だなんて決して軽くはない荷物を抱えて手を差し伸べられたら、余りに格好良くて、『嗚呼、男の人なんだなあ』なんて実感せざるを得ない。
「……狡い、です。帰ったら美味しいシチュー、作りますからね」
「うん、楽しみにしてるよ」
シチューは得意料理と豪語して、少しばかし拘りのあるアイラ。寒い冬に食べる其れも良かったけれど、春の玉葱やじゃがいもを使ったものは野菜の甘味が出て違った味。手際良く、具はごろごろと大きめに。やれる事が無い時でも、ふたり色違いのエプロンをしてキッチンに立つのがお約束。ミルクも飛びっきり新しいものを使って仕上げたシチューは極上で、一度炒めてから後入れした牛肉もほろりと柔らかな仕上がり。
『家族』の幸せを噛み締め、頂く食卓には帰り道に採った苺を添えて。恥ずかしいから、苺の花言葉だけは未だ、彼女だけの秘密である。
暗くなる前に着替えて、歯を磨いて。
睡っていた夜光蝶達が羽ばたき出す時間には、ベッドに寝転がって、擽りあったり、戯れあったり、ふと抱き合ってみたりし乍ら、深とした夜を待つ。
「ねえ、ラピス。あれがしたいです」
「あれ? 嗚呼、良いよ」
向き合って、手を結んで。ふたりは、謳う。
健やかなる時も、病める時も、互いを愛し、慈しみ、そして――、
「死が二人を別つまで……いいえ、分かつとも」
「此の手は離さない。汝、そう誓いますか?」
「誓います」
「僕も、誓うよ」
「で、では、ラピスは、ボクに、キスを」
「あは、何時も其処で声が震える。言われなくても、――……愛してるから、アイラ」
「ボクもです、あいしてます、ラピス」
ふたり、そうしてまた一つ。約束を、脣を、夜を重ねて。朝よりもっと、もっと、長いくちづけを、眠たくなる迄、何回も、何回も。火照った貌は、薄月咲くばかりの暗無限が覆い隠してくれるから。
『明日の朝は、ボクが勝ちますよ』、『楽しみにしてる』、そんな細やかなさいわいを噛み締めて。解いた手は、もっと温もりを求める様に伸ばして、ちょっと心臓が苦しい位に抱き締めて。肺から漏れる息に名を乗せるふたりは、互いを想い、華泳ぐ未来を想い、此れは口には出さないけど、あわよくば、『僕』『ボク』等に光あれと願って、安楽に眠って、瞼の裏でも君との未来を描いていた。