SS詳細
猟兵、毒姫と激突す
登場人物一覧
言ってしまえばただの私闘。
今更戦う理由も必要も、公的にはない。
竜との相克は終わり。
ひとまず、といえど。共に歩むべき道は見えている。
されど――。
おろさなければならぬ幕もある。
恨みか。怒りか。もっと違うものか。
いや、そういった様々なものが絡み合ったゆえなのかもしれない。
一度となく敵対したもの。
今は友誼を語る相手のその手が、血にまみれていないとは言えぬ。
今は、友好的とはいえ、確かに敵対し、殺しあったもの。
それは間違いない。
心情は複雑であろう。余人では思い図れぬほどに。
激動の中心にいたものだからこそ、抱ける思いもある。
アルヴァ=ラドスラフには、その権利がある。
ザビーネ=ザビアボロスには、それを受ける義務がある。
故に今、ここにいる。
一月も終わりに近づいた日のことである。ヘスペリデスの外れに、二人はいた。
未だ復興の完了せぬ危険地帯であることに変わりはないが、ザビーネが眷属を用いてある程度の厄介払いはしてくれていた。
同時に、それゆえに全力を出せる場所である、ともいえた。
――全力じゃあねえんだろうけどな。
と、アルヴァは思う。
ザビーネは、未だ『完全』ではない。先の戦いの消耗は、未だに彼女の力を減じているはずである。
多少は戻ったか。それも特に、ザビーネの口から語られることはない。ただ、そうだとしても、今、彼女が越えるべき壁であることに変わりはない。
相手は、竜である。高位の竜だとしたならば、最強クラスのローレット・イレギュラーズが立ち向かい、様々な手を使ってなお命を失わなければ勝てぬ。そういう相手である。
だから、勝てるかはわからない。勝てるつもりでいる。それでも、解らない。
現状把握ができないほど無鉄砲ではなかった。しかし過剰な悲観を抱くほどに気弱でもなかった。
勝てるか勝てないかはわからない。それは自覚し、しかし『勝つ』ためのあらゆる手は惜しまない。いつもと同じだ。相手がだれであろうとも。
――もし、奴が本気であるならば。
と、アルヴァは考える。まず、躊躇なく周辺に毒素をばらまくだろう。それがスタートだ。以前の、練達での戦いの際は、周辺の人間を殺すためにつかったそれを、こちらを殺すためだけに使用してくるはずだ。
だが、今回はそれはないだろう。まず、何度も言う様にザビーネは消耗しているし、単純に『殺す』ための毒を、今のザビーネは使用するまい。
つまりどうあがいても手加減をされている、というわけになる。些か重い感覚を覚えるが、何せ相手は毒竜である。得手がそもそもタイマンのそれではないのだから、そこは割り切るしかない。
とにかく、ザビーネは『本気』ではない。であるならば、そこに勝機を見出すべきである。言い方を変えれば、自分の命を人質に、得手を一つつぶしたものだと思えばいい。
となると、やはり最終的にはフィジカルの戦いになるだろうか。それだけだとしても、相手は竜。その辺りの魔物と戦っているわけではない。アルヴァは『自己完結型』の戦士であるが、それがどこまで竜という規格外のバケモノに通じるかは未知数である。
「悩んでいるようですね」
静かに、ザビーネが言った。
普段は――というか。ここ最近はどこかふわふわとした印象を周囲に与えているやつではあるが。初めて会った時も、深緑であったときも、もっとソリッドで、攻撃的な印象だった。それが『本当にこちらを殺そうとしている』時の彼女であるとするならば、なるほど、まさに死神がごとき竜であるのだろう。
「――では、少し、悪い人のようにいきます。
『うぬぼれるな。人如きが竜に勝てるとでも?』
あなたのことは評価に値しますが。
それでも――そう容易に首を取られるつもりはありません」
ゆっくりと、ザビーネが目を開いた。
右目のやけど痕は、かつての戦いでイレギュラーズたちがつけたそれである。
竜の生命力であれば、竜の魔術であれば、それを癒すことはたやすいであろう。
にもかかわらず、それを残しているのであれば、それはザビーネにとって何らかの禍根であるはずなのだ。
それが、当時と、今で、どのように変化しているのか。それはわからない。
ただ、彼女は未だ、それを消してはいない。
戒めか。備忘か。あるいは怒りか。
――考えてみれば。まだまだ我々は、彼女のことをよく知らない。
竜の内に見れば、かなり有効的な部類とはいえ。
彼女が、どのような思いを有しているのかを、本質的には、知らない。
「敬意を持っています。友意も。そのうえで。しかし、私には勝てない」
その気配が、徐々にソリッドになっていくような気がした。その本質、人の融和に興味を抱くザビーネではなく、頂点生物としての竜、ザビアボロス。
「――とはいっても。竜の姿にならないところは、結局」
ふ、と。アルヴァは笑った。
「まぁ、いい。
行くぜ、お姫様」
たん、と。
アルヴァは踏み込んだ。ザビーネは動かない。待機。迎え撃つ型である。
アルヴァにとってみれば、現在の戦い方といえば、体術をメインとしたそれである。狙撃銃は、どちらかといえば『棍』のように使うことメインであり、銃撃として扱うことはまれだ。
まずは挨拶。
「目をそらすなよ」
釘付けにする! ザビーネがうなづいた。
「ええ」
動くはザビーネ。その手をゆっくりと振るう。やはり、インファイトか! 身構えたアルヴァは、しかし同時に天地がひっくり返ったかのような衝撃を受けた。いや、ひっくり返ったのは自分か。ザビーネがふるったのは、その手。華奢にも思える其れは、しかし実態には竜の腕である。
魔術的に再現された『竜の毒爪』は、命を奪わないまでも、アルヴァの内腑に甚大なるダメージを与える魔毒である。この世あらゆる『毒』が体の内で咆哮を上げるのを感じた瞬間に、平衡感覚までがそれに屈したが故の混乱。何も食べていないはずの胃が盛大に胃液を作り上げ、さあ外に出せと暴れ始めるのをこらえながら、「自分は立っているのだ」と理性を叩き込んだ。
「ちっ……!」
舌打ちとともに、アルヴァは狙撃銃をふるった。エクス・カリバー。銃にまとう光の粒子が、内腑の毒をどうにか消し飛ばすのを感じつつ、大上段から振り下ろす。刃の軌跡とも、光条とも思える光のそれは、毒の姫の闇を穿つべく直進した。
ザビーネは慌てない様子だった。ぶつぶつ、と簡素な竜言語呪文を唱えるや、空間を『腐らせながら噴き出した毒素』が、世界を呪いながら泥のごとく中空へと広がる。聖光がそれとぶつかり、異臭を上げながら毒素を焼くが、しかしそのうちにいる毒姫には届かず。
「相変わらず――」
いや、違う。ザビーネは消耗し、全盛期の圧倒的な力を出せない。それは確かだ。それゆえに、彼女は『出力』のしかたを変えた。万人を殺す猛毒を、たった一人を殺す猛毒へと『絞る』。そうすれば、たとえ『全力』でなくても、『人一人と戦う』には充分以上といえた。
無尽蔵の魔力、といってもいい竜の力を、より繊細に、よりピンポイントに変えた。言うは易しであるが、無論それを行うのは容易ではない。やわなホースで水をふさげば、内部から爆発するように、濁流のごとき力を引き絞り運用するには、高度な能力とタフさが必要である。
例えば、ザビーネの従者であるムラデンやストイシャ。レグルスとはいえ、同じ竜である二人であっても、こうはいくまい。薙ぎ払うことはできても、狙撃、をすることはできないだろう。まだまだ幼き彼らは未熟だ。だが、ザビーネは違う。若輩なれど、バシレウス。頂点に近き上位竜である。
――全力じゃあない? 甘かった! こいつは、『よっぽど厄介だ』!
弱体化しても、竜なのだ! 弱体化したから複雑な、等という甘えたことを言っている場合ではない! 以前と同じ、いやそれ以上に、『殺すつもりでなければ勝機はない』。いや、そこまでしてようやく、挑戦する権利を得られるものだ。
「――」
ザビーネが踏み込む。『人間の出せる速度ではない』! が、アルヴァとて歴戦のイレギュラーズである。対応できない速度ではなかった。そこは流石に弱体化の如実に見えるところではあるが――。
「ええ、ええ。あなたは手ごわい。そして生存能力、追い込まれたときの爆発力。すべて覚えています」
ザビーネが、ひどく冷たい声で言った。練達のそれを思い起こさせるような、声。
「だから、一撃のもとに打ち倒します」
轟、と、ザビーネは吠えた。吐き出された毒手のブレスが、その手に強力な爪のごとき形状を現出させる。ふるった。とてつもない、暴風のような衝撃が、アルヴァの体をたたく。痛みとともに、強烈な毒が体を駆け巡るのが分かった。『ザビーネは、全力だ』。今出せるすべての力を以て、最適の経路で『アルヴァを打ち倒そうとしている』。殺すのではない。『倒す』のである。それはただ羽虫を殲滅するだけの竜の戦い方ではない。だが強者の戦い方である。
それは、ザビーネなりの敬意に間違いないのである。アルヴァという勇者の力を理解し、敬意を示す、その上で叩き潰す。
「は――ッ!」
アルヴァが獰猛に笑った。
「竜なんじゃねぇか、やっぱりな!」
「ええ、ええ、そうですよ」
ザビーネが応える。
「でなければ、挑みなどはしないでしょう」
その通りだ! アルヴァは渾身の力を込めて、飛びずさった。激痛をこらえながら再度銃を振り上げる。
小細工なんざなしだ。全力を以て、叩き潰す。ぶち倒す! ザビーネと同じだ! 最初からこれは、そういうものだったのだ!
振り下ろした銃が、再びの光条を放つ! ザビーネがとっさに身をよじるのへ、しかし光はその腕を貫いた。わずかに顔をゆがめながら、ザビーネはしかしさらに踏み込む!
もとより、ひきつけたのは此方だ。とはいえ、こうも『殴り合い』になるとは想定外だったかもしれない。
だが、この時――アルヴァの心に浮かんだのは、ある種の高揚。
まっすぐに、ザビーネがこちらを見つめ、その一挙手一投足に神経を向けている。
今この世界に、この二人だけだ。
ある意味で、最も深いところでつながったかもしれないといううぬぼれ。
命をすり減らす綱渡りの上でしか分かり合えぬ、戦うもののサガ。
がおうん、と、世界を喰らうような爪撃を、アルヴァは受け止めた。間髪入れずに回復術式を唱える。瞬く間に癒された傷が、再びえぐり取られる。
「回復なんざしてる場合じゃないな」
アルヴァが覚悟を決めた。
「前のめりだ……やられるまえにやる!」
ある程度は、ザビーネの体力も削れているはずである。あくまで『完全』ではないのだ。となれば、『体力面での低下も間違いなく存在する』。現に、アルヴァが与えた一撃は、ザビーネにとっても軽いものではない。ならば、打ち倒される前に全力で打ち倒す。それだけ――。
「行くぜ、お姫様、ここからが本番だ!」
再び放つ、光条。爆発せんばかりのそれを、しかしザビーネは『真正面から突撃して、受けた』。
「ええ、そうでしょう。
受ければ隙が生じる。
躱せば隙が生じる。
ならばこれが、最適」
踏み込んだ。体をぶすぶすと焼く光を受けながら、咆哮するは竜のプライドか。握りこんだ拳が、アルヴァの腹をとらえた。途端、爆発せんばかりの、竜気のようなものが膨れ上がり、アルヴァを強烈に吹き飛ばしたのである。
「く、そ……!」
体勢を立て直す。両手足をふるう。何とか立ち上がり、また、攻撃をしなくてはならない。でなければ、勝てない。でなければ、届かない。
「まだ、なの、か」
アルヴァが悔し気に呻いた。まだ、遠いか。まだ、届かないか。あれからまだまだ強くなった。それでも、それでも、まだ。
気づけば、背中から地面にたたきつけられていた。ほんのわずかに意識が飛んで、すぐに戻ってきた。
ヘスペリデスの空は、慰めるように青い。
「……負けた」
アルヴァが、そうつぶやいた。
「ああ、負けたよ。また……」
「ええ」
ソリッドに、ザビーネは言った。
「申し上げました通り――。
そうやすやすと、竜の首はとらせません。
私にはまだ、その矜持があります」
そう冷たくも告げるそれは、アルヴァへの最大限の敬意に間違いなかった。同情? 憐れみ? 賞賛? そのどれもが、全力を以て戦ったアルヴァへの侮辱にあたる。
ただ、そういうことだ、と、そう告げるだけでよい。
空を見上げながら考えれば、理解はしても複雑な気持ちは強い。
ザビーネ=ザビアボロスへの想い。
自分の力不足への想い。
それでも――。
「勝つさ」
アルヴァは言った。
「次は勝つ。必ず。いくら地べたを張ったとしても、何度でも立ち上がって、必ず」
力も、経験も、知識も、通じなかったわけじゃない。
ただ、それ以上に、竜という存在は、強大だった。ただそれだけだ。
「……付き合ってもらうぜ、オヒメサマ」
そう告げるアルヴァに、ザビーネはうなづいた。
「ええ、何時でも」
そう言ったザビーネが、わずかに目を丸くした。アルヴァがその体勢のまま、意識を失っていることに気づいたからだ。しゅん、とザビーネが肩を落とした。
「…………やりすぎてしまいましたか?
でも、手を抜く、のは勇者に対してあまりにも無礼。
……ですが……ええと……」
気づけば、ここ最近のザビーネのような、ふんわりとしたそれを取り戻していた。瞳はいつものように閉じられ、わたわたと慌てる様子は、なるほど、世間知らずのオヒメサマのようでもある。
「……最近、学んだのですが。
ええ、治療の術式です。
……うまく使えるかは自信がないのですが……」
てとてとと、ザビーネがアルヴァの隣に腰かけると、そのまま頭を持ち上げて、自身の膝の上に導いた。それから、ゆっくりと手をかざす。暖かな光が、アルヴァの体を包んだ。それは、竜にしてはまだまだつたないそれであったが、少しずつ、アルヴァの傷を癒していた。
「……しばし、ゆっくりとお休みください」
ザビーネは、大切な友をいたわるように、そうほほ笑んだ。
勇者は戦い、傷つき、されど決意をさらに胸に刻む。
竜は戦い、勇気あるものをたたえる。
誰にも知られぬ、誰にも語られぬ、英雄譚。
これはその一幕に、間違いないのである――。
目が覚めたアルヴァが、膝枕にめちゃくちゃびっくりしてひと悶着あったりもしたが、それはここで語ることではないと思われる。