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とくべつ
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きっと、何て無い事が始まりだった。誰かを救いたいだとか、人を護りたいだとか、それから聖女の持ち得る博愛の精神だとか。
そうした物だと誤魔化すことだって出来るだろう。なのに、目を離すことが出来なくなったのは彼女が此れから進むだろう『普通の女の子』らしい未来を一緒に見て見たいと思ったからだ。
散々な雪だと天を見上げたのは、底より冷えれば復興を必要とする天義各地でも死人が出かねないからだ。
傍らに立っていた元聖女も遂行者としての衣装と身一つだけで放り出された実情に散々だと言いたげに肩を竦めている。
シャイネンナハトは雪が降るのが例年のことではあるが、その服装では寒いだろう。何せ、激しい戦いの後だ。彼女は何も持っては居ない。
帰る家も無ければ、着るものも碌に用意して居らず、愛した主君は死に、己の領域も消え失せた。現状にして『何もかもを失った少女』として隣でくしゃみをするのだ。
「ルルちゃん、風邪を引いちゃうから着替えに行かない?」
「私、服が無いわ。てか、何もないんだけど」
「そうだよねえ。でも大丈夫。
……近くにヴァークライトのタウンハウスがあるんだけど、そこに私の服がいくつか置いてあるんだ。
ルルちゃんが良ければだけれど私の服を貸すよ。今日は寒いし、風邪を引いちゃったら台無しだからね」
「オーケー、スティアの服借りに行きましょう」
案内なさいと踏ん反り返る彼女は
まるで、自らの生き様であるかのように――まるで、
彼女は遂行者だった。遂行者だ。だからこそ、その振る舞い方を止めることはないのだろうとはスティアも肌で感じていた。
己の犯した罪は消えず、誰ぞに取っては未だに敵だとして迫害される可能性だって理解した上での振る舞いなのだろう。
(それでも、これからは普通の女の子だから、ルルちゃんが好きなことが出来ると嬉しいなあ。
ルルちゃんにとって毎日が幸せなものになりますように。何気ない毎日が、ルルちゃんにとっての平穏でありますように)
シャイネンナハトを終え、新年祭の空気を纏い始める天義国内でカロルは「寒くない?」と独り言ちた。
元々は外で待ち合わせる予定だったが変更。スティアと待ち合わせする場所は聖堂だ。そんな身勝手な変更が出来る程度に彼女は天義国内で伸び伸びと過ごしているのだろう。
「おはよう。ルルちゃん」
「おはよう、良い朝だわ」
遂行者の白いコートを脱ぎ、聖女らしいローブを仕立てて貰ったのだという彼女は顔を隠すヴェールを纏っては居なかった。
薔薇を意匠に盛り込んだローブを着用する彼女は何処からどう見ても天義の聖職者である。元々が天義立国の際にも携わった聖女だというのだから違いは無いのだろうけれど――
「それが仕立てて貰ったお洋服? 似合ってるよ」
「んふふ。まあ、一応聖女だし。まあ、一応だけどね。
住む場所は幻想の大名ハウスを間借しようと思ったの。遂行者だった女が自由に出入りしてても困ってしまうでしょうし。
ほとぼりが冷めれば良いって訳じゃ無いけど、天義には出向? なんてーの? 手伝い? 位なモンで居たいなって。どう思う?」
「うん、良いと思うよ。その方がルルちゃんが楽だったら賛成!」
朗らかに笑ったスティアに「あと、清廉潔白、美しい聖女様で居なくっちゃならないのムリでしょ?」とカロルは囁いた。
確かに、カロルは非常に言葉遣いが荒い。聖女ルゥーロルゥーが大凡しなかったであろう軽口を交え、他者に対して堂々と振る舞うのだ。
シャイネンナハトを終え、沙汰を求めるという便宜上の断罪を教皇シェアキムに求めた際にも彼女は「まあ、おまえの言い分は分かるけど私の言い分も聞いてね」等と言いだしたのだ。元から彼女の人となりを知っている教皇始め騎士達は苦い笑いを浮かべたが聖職者達は憤慨したようではある。……良く、無事に出て来たものだ。
「聖職者達の中でも秘匿された歴史を知っている者は居たのよ。それこそ、アリスティーデに居た者はね。
アリスティーデの頌歌の冠……まあ、聖遺物が私だってんならそりゃあそりゃあ、美しくってェ、丁寧でェ、誰が見ても聖女様を期待したんでしょ」
「聖女様……」
「向いてないわよ。ンなの。イケメンがいたら目で追うし、恋バナがあれば喜ぶし、私って本当に凡庸だから」
カロルはけらけらと笑ってから腹を抱えた。その横顔を見詰めてから「その方が良いよ」とスティアは笑う。
向かう先はアフタヌーンティーを楽しめる店舗だった。予約制で一ヶ月待ちとも言われるその店舗に行きたいと言ったのはカロルだった。曰く、遂行者の頃に雑誌で見たのだそうだ。
如何したものかと頭を悩ましていたスティアに「シェアキムに頼んどいたわ」と軽いテンションで言ったのがこの元聖女である。
「ルルちゃんってさ」
「ん?」
「猊下の事、便利な人だと思ってない?」
「まあ、最高君主ってのは便利なモンよ。シェアキムは、どっちかっていうと気分的には孫みたいなもんなのよね。
アイツ、おっさんだけどさ。……カロルのほうがうんと年上でしょうし、ロンを知ってるからアイツの子孫でかくなったのねって」
「知ってるの?」
「知ってる気がする。でも上書きされたわね、ルルに。カロル・ルゥーロルゥーの頃の記憶なんて朧気で、馬鹿みたいに手から溢れていって居るから」
肩を竦めてから「その方が居心地も良い物よ」とカロルは笑った。スティアは『孫に集り続けるおばあちゃん』みたいなものかとカロルを見てから良いのか悪いのかは取りあえず意識の隣ぐらいに置き去りにした。
広々とした店内に着いてから、窓際の席に通される。リンバスシティは元の通り、この店舗も平穏を保っているのだろう。
アリスティーデ大聖堂を見ることの出来るこの席をシェアキムが用意したのは聖女カロルへの気遣いだったのだろう。
「きれいね」
カロルは窓にそっと手を当てた「嬉しい?」とスティアが問えば「景色が綺麗なのは嬉しいけど、建物を見ての感慨は分からない」とカロルは首を振る。
きっと、彼女は別の存在として育っている。スティアとて彼女の事を聖女ルゥーロルゥーとして扱っているわけではない。ルル、そう名乗った遂行者として、だ。
「そっかあ」とそれだけ返してから運ばれてきた茶器やセッティングされていく菓子を眺めた。皿に施された薔薇の意匠はアリスティーデ大聖堂に飾られていた頌歌の冠を意識してのものなのだそうだ。
「頌歌の冠って実は余り見たことがないんだ。どういうものだったの?」
「最近のはもうボロボロだったけど、昔は薔薇を意匠にした美しい物だったわ。
カロル・ルゥーロルゥーは薔薇の花が好きだったのよ。寒村に産まれた彼女は薔薇に囲まれて育った所もあったみたいだしね、まあ、それは今の私も同じか」
彼女の作る聖域は薔薇の庭園だった。そうした部分は引き継がれているのだろう。
「何だか、聖女のカロルと、ルルちゃんじゃ似ていたり、違っていたり。そう言う部分を探すのも面白いね」
「そうかしら?」
「双子の妹? お姉ちゃん? が居る気分じゃない? 私は一人っ子だけど……リスティアを見てたらこうだったのかなあ、ああなのかなあ、って思ったりしたし」
「そうね、そうかも」
カロルはリスティアを懐かしむように目を細めた。あの戦いの中では遂行者は切り伏せなくてはならない存在だった。カロルというのは特異な状況下で救われただけだ。
彼女は幾人もの命の上に立っている。聖竜アレフの力をその魂に宛がわれたことで生き延びた
「みーんな、死んじゃったものね」
自らだけが生き延びて、先に散った者を思う。カロルにとってはマスティマやサマエル、アドレと言った存在も良き友人だったのだろう。
「ルルちゃん……」
「マスティマはクソほど口が悪かったけど、私よりも。私なんて女の子らしくってかわいい悪口だけど、あいつは罵るしね。
でも、悪い気はしないのよ。ああは言いながら付き合いも良いし。……あいつはね、屹度、ルスト様なんて大嫌いだったけど、曲がらない所が好きだったわ」
「うん」
「サマエルって奴はドM野郎だったけどね、屹度私のことを大事にして居たわ。
それでもテーブルには薔薇を。何かあれば跪いて指先に口づけを。そんな男だった。まあ、私達は巡り会い方がアレだからどうこうはならなかったけど」
「それって、ええと……」
「いや、よく考えたらあのドMが遂行者の中じゃ一番私に似合ってたわね。まあ、ルスト様と比べれば顔面が劣るけど」
ルスト至上主義の調子で笑ったカロルにスティアは「サマエルもいい人だったんだねえ」と笑ってから、じいとカロルの顔を見た。
「所で、ルルちゃん。私とルストの顔面選手権はどっちが勝利かなあ?」
「おまえとルスト様? 悩ましいところがあるわよね。おまえはどっちかっていうと童顔で、可愛らしい顔立ちだわ。
ルスト様は鋭い氷みたいな所があったでしょう。まあ、イケメンって研ぎ澄まされている方がいいんだけど。だから、悩むよね」
「うーん、引き分け?」
「引き分けかも知れない」
スティアはそっかあと唇を尖らせた。話して居る内に彼女の恋心を上書きしてやろうと息巻いた。それが恋情なのか友情なのか、スティアの中に結論があるわけではない。何せ、スティアという娘はそういう事にはとことん疎いのだ。
「私の顔が良いのは確かだよね?」
「やけに押すわね、いいわよ」
「ふふ、じゃあ、私の顔を見ただけでも『なんでも許せちゃう!』って位になって貰わないとだ」
スティアはにんまりと笑って見せた。顔が良すぎる女とカロルが彼女を称したとおり、スティアはその評価を受け入れて、その上でカロルの中にあるルストへの後悔を払拭しようと考えたのだ。
「おまえ、それで私がおまえの顔面が好きすぎることになったらどうするの?」
「えー? うーん、どうしよう」
「おまえの顔面を守る為に私がおまえを守る未来、ある?」
「私がルルちゃんを護りそうだなあ。あ、ほら、私って鋼系女子だったんでしょ? だったら傷付かないよ」
「顔面は止めなよ」
「ががーん」
大袈裟な様子で仰け反って見せたスティアにカロルは紅茶に口を付けてからふ、と小さく笑った。
当たり前の様に雑談をして、当たり前の様に未来の話をする。そんなこと、想像しても無かったから。
「変なスティアねえ。おまえの中で私って何かしら? 護ってやらなきゃならない人? 元聖女様?」
「うーん……特別かな」
「口説き上手」
カロルが揶揄うように笑った。そうかなあとスティアはぱちくりと瞬いた。口説き上手と言われるたびに何だか擽ったい心地になるのだ。
恋情でも、友情でも、曖昧な部分にその感情がある。スティアにとっては少なくとも
(でも、ルルちゃんはこれから一緒に生きてくれると言ってたし、何だか不思議な感覚だなあ。
これから世界が大変な事になって、それでもそれを乗り越えた先に、私達の未来があるなら……その時、私はルルちゃんとどうなりたいんだろう?
誰かが死んで見送ってしまうような毎日の傍に居てくれるなら、それってどう言う関係性になるんだろう……?)
聖女として一緒に歩んでいく事を選んでくれた彼女はスティアにとっても心の柔らかな部分にそっと触れてくれるかのような不思議な感覚だった。
愛おしい友人はアフタヌーンティーを楽しんだならば「買い物に行こう」と笑うのだろう。ただの友人とも言えず、かと言って恋人でもない、特別な人。
口から発した口説き文句を笑ってくれるその人が親友とはまた別の特別だというならば、大切に大切に護っていかなくてはならないけれど。
「ルルちゃん、此れから何処に行こうか? お洋服を買いに行く?」
「ええ。自分の服を用意しなくっちゃね。大名も私に旅装束をくれるって言うけど、もっとお洒落も楽しみたいし」
「あはは、着せ替え人形になっちゃうね」
「良いでしょ」
その指先できらりと指輪が光っていた。スティアが贈った御守りだ。此れからの彼女の未来が明るいものであるようにと願って用意したものでもある。
「うん、着せ替え人形にして頑張っちゃおうかな」
「ガイドブックって言うのを貰ったのよ。ジェットコースターってのに乗りたいから練達にも行きたいし、シレンツィオリゾートに旅行もしたいし、あ、あと、大名の言ってた豊穣にも行きたいのよね。スティアも何処かに行きましょうよ。おまえの好きな国はある?」
「うーん、天義……」
「骨を埋めるのは早いわよ。どうせ、この国に何かあれば私もおまえも黙っちゃ居られないんだから」
カロルはくすくすと笑ってから「持ってきたんだけど」とガイドブックを取り出した。混沌の観光地が掲載されたそれは随分と読み込まれているようにも見えた。
少しばかり破れた箇所があるのはカロルが雑誌を雑に扱ったからだろうか。その位置を指先で伸ばすように弄ってから「こことか、素敵なカフェじゃない?」ととんとんと叩く。
彼女は薔薇の花と紅茶が好きだ。アフタヌーンティーを楽しんで、薔薇の花を愛でて過ごしてきていた。スティアは「うんうん」と優しく頷く。
「あと、この辺りの通りも行ってみたいし、寒そうだけど鉄帝でオーロラも見たかったわね。幻想王国のカフェも素敵なものが多いわ。ねえ、スティアってダンスは出来るの?」
「え? 一応、貴族の嗜み……位は……」
――鳥渡の嘘だ。記憶を喪失していた部分もあり、得意ですとは言い切れない。「ふうん」と呟いてから「幻想は舞踏会があるんでしょ、ドレスを着て行ってみたい」とカロルは行った。
「ルルちゃん、やりたいことばっかりでいいね。沢山、これからのことが詰ってる」
「そうじゃなきゃ、おまえらが生かした意味も無さそうだから」
カロルは踏ん反り返るようにそう言った。そんな彼女だからスティアは特別な人だと認識出来るのだ。
これから何をしよう。これから何処に行こう。
そうやって話せる度に積もる想いに名前はまだ無くて。ただ、大切な大切な『特別』は、長命種である自分と共に歩んでくれる聖女なのだ。
「色々、楽しい事をしようね。ルストの顔より素敵だって言わせるからね」
「ふふ、ずっと言って居てよ。認めてやるまで時間が掛かるだろうから、その分、遊ぶのに付き合って貰わなくっちゃ」
楽しげな彼女にスティアは「ずるいんだ」と笑った。これくらいの距離が丁度良い。だから、特別なままで――離れないように手を握っていなくっちゃ。