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SS詳細

花婿たちのマリッジブルー

登場人物一覧

リースリット・エウリア・F=フィッツバルディ(p3p001984)
紅炎の勇者
リースリット・エウリア・F=フィッツバルディの関係者
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リースリット・エウリア・F=フィッツバルディの関係者
→ イラスト

 リースリット・エウリア・ファーレル

 この綴りで記すのも、あと何度であろうか。
 ペンを置き、紙面に書かれた文字をなぞる。
 貴族の務めとしていつか来ると思っていた。覚悟もしていた。
 だが実際にこうやって一歩一歩、かつての自分と変わっていくものを目の当たりにすると自分は貴族としての生き方を選択したのだと実感する。
「リースリット嬢」
 柔らかな声に呼びかけられてリースリットが顔をあげれば、蒼天を宿した瞳と目が合う。
「お疲れでしょう。少し休憩にしましょうか」
「そうですね」
 紛れもなく愛しい相手に向ける眼差しに、リースリットの頬に朱がさした。
 フェリクス・イロール・フィッツバルディはリースリットの伴侶となる男性だ。
 穏やかな物腰に豊かなハニーブロンド。まるで幼子の寝物語に登場する理想の騎士のような甘い微笑みを浮かべている。
 最近のフェリクスはリースリットへの愛情を隠さなくなった。幻想を巻き込んだ暗殺事件の渦中であっても、そうだ。
 フェリクスがリースリットに向ける愛情は、一見小春日和の陽射しのように暖かい。
 だが、その核となっているのは太陽のように苛烈な慕情だ。
「ああ、雪が降り始めましたね。温かいお茶を淹れてきましょう」
 立ち上がろうとしたリースリットをフェリクスが留めた。
「たまには私に淹れさせてください」
 リースリットは驚いたように口元に手を当てる。
 主人自らが茶を淹れるだなんて、本来であればありえないことだ。
 しかし今のフェリクスからは『リースリットのために何かしたい』という気持ちがあふれ出ている。
「貴女のために、何かをしたいのです」
 それを言葉に出してしまうところが可愛らしいというか、愛らしいというか。くすくすとリースリットは鈴のように笑った。
「ではお言葉に甘えて、お願いします」
「お任せを」
 貴族のファーレル家としての立場であれば、リースリットは屋敷の家事を取り仕切る女主人として呈茶の役目を果たそうとしただろう。
 けれども今は、婚約者と二人で執務を摂っているだけ。咎めるものは誰もいない。
 貴族のなかでも変わり者といわれるフェリクスだが、リースリットも相当である。
 こうやってふとした瞬間に夫婦や恋人としての愛情を向けられることには慣れておらず、初々しい微笑みではにかむように頷いた。


「感心出来ない態度ですね」
「リシュオン、来ていたのか」
 部屋から出たフェリクスを待っていたのは壁に背をつけた親友だった。
 リースリットの義理の兄、リシュオン・ファーレルは怜悧とよばれる双眸を僅かにしかめた。
 難しい顔は普段通りだが、今日はそれに輪をかけて険しい。
 フェリクスやリースリットの白い顔にも隈が浮かんでいたが、リシュオンもまた同様に、白い肌にくっきりと黒い隈が刻まれている。
「体調は大丈夫なのか? 病み上がりと聞いたが」
「周囲が大げさに騒ぎたてているだけです。二人の挙式が迫っているというのに臥せってなどいられません」
「やっぱり倒れていたんじゃないか」
 病弱なリシュオンの体調不良が発覚するときは、大抵本人が限界を超えて倒れてからである。
「気持ちは嬉しいが、無理をしてくれるなよ」
「無論。それよりも、アレをあまり甘やかさないで下さい。あからさまな好意を向けるのは弱みとなります」
「弱み?」
 わざとらしくフェリクスは肩をすくめた。
「君から見て、あの子は僕の弱点になりうると思うのかい? その逆だ。僕にとって彼女は守護の女神。長年恋愛相談を聞き流してくれた君が一番よく知っていると思っていたのだが」
 答える代わりにリシュオンは溜息を吐いた。
 リシュオンとフェリクスの付き合いは長い。幻想内部貴族における勢力争いの中でも、公に互いを親友と呼べる貴重な存在だ。
「リシュオン。君も素直に義妹のことが心配で様子を見に来たと言えば良いのに。ここなら誰も咎めない」
 心置ける親友の顔を見て、フェリクスの少年じみた一面がひょこりと顔を覗かせる。
「生憎と、美辞麗句を並べ立てる生き方ができるほど、器用ではありませんので」
「もう少し角の立たない生き方はできないのかな、君は。しかし、それで上手く立ち回っているのだから恐れ入る。僕は君の生き様が好ましい」
「ご冗談を」
「冗談ではないよ」
 リシュオンを共に連れたフェリクスは階段を降りていく。
 フェリクスはけして冗談を言っているわけではない。
 巷で堅物と言われがちな親友は、もっと自己評価を高く持つべきだ。
 婚礼の儀が間近に迫っている事もあり館内は忙しない。
 シャイネンナハトに式を挙げるということもあり、冬の贈答品に混じって華やかな色彩の絵画や花、菓子箱が無造作に置かれている。
 それら全てを通り過ぎて厨房に足を踏み入れると、一斉に料理番たちが悲鳴をあげた。
 愛想よく手を振りながら、フェリクスは手際よくポットとソーサーを取り出し、リシュオンは勝手知ったる戸棚とばかりに茶缶を取り出した。
「よし。ここなら彼女にも聞こえないな」
 茶葉を蒸らす時間が勝負だといわんばかりに、フェリクスは砂時計をひっくり返すと真っすぐにリシュオンを見た。
「リシュオン。他でもない、君に相談がある」
 フェリクスの瞳に射貫かれて、リシュオンは頷いた。
 リースリットとフェリクスとの間に正式な婚姻が結ばれることにより、ファーレル家とフィッツバルディ家の様相は大きく変わる。
 ここ最近における幻想の情勢変化は潮の満ち引きなどという生温いものではない。全てを巻き込む、渦潮だ。
 リースリットとフェリクス。二人の前に立ち塞がる困難を排する覚悟を、リシュオンはとうに決めている。
「相談とは?」
 言葉を選びながらリシュオンはゆっくりと切り出した。
「今後、リースリット嬢のことを何と呼べば良いと思う?」
 リシュオンは沈黙で応えた。
 理由は二つ。
 一つ目は自分が想定していた相談とかけ離れていたため答えを持ち合わせていなかったこと。
 二つ目は聡明な頭がフリーズしたためである。
「彼女の事は、ずっと昔からリースリット嬢と呼んでいただろう。だが僕らはこれから夫婦になるんだ。そうなれば、こう、もっと何か、気の効いた愛称で呼んだほうがよいかと悩んでしまって。今更呼び方を変えるのもおかしな話だろうか」
 リシュオンの沈黙をどう受け取ったのか、フェリクスは普段よりも少しだけ早口で慌てたように続けた。
 これは非常に珍しいことだった。普段から悠々と余裕や優雅な振る舞いをすることに長けており、権謀術数を間近で見てきたフェリクスが焦る事はない。
 リシュオンはほんの少しだけ、慌てたフェリクスを愉快に思った。
「おかしくは、ないと思います」
「そう、だよね?」
 フェリクスとリシュオンは参考として互いの両親を思い出す。次に血の繋がっていない親、親戚、血縁関係者を順に思い出し、家族の関係性を自分たちに置き換えて考えた。
 そうして最後には二人でそっと、己の胃の上に手を置いた。
「いや、つまらない話をしたな。今の質問は忘れてくれ」
「けしてつまらない質問ではありませんよ。今のは安定的で良好な夫婦関係の模索です」
「そうか」
「そうです」
 リシュオンの表情は変わらない。けれども僅かに気分が沈み込んでいる事を、フェリクスは感じ取った。
「フェリクス。こういった人の心の機微に関する問題に、私は疎いのです。恋愛相談であれば私よりもリシェルの方が長けていますので……」
「待ってくれ、君だからこそ聞けたんだよ、リシュオン。こんな話、君以外の誰にもできやしないんだからっ」
 いつも微笑みを絶やさない、貴公子然としたフェリクスの表情がすねた子供のようにふてくされている。
 リシュオンの青玉瞳が驚いたように見開かれ、柔らかく弧を描いた。
「そうですか」
「おや珍しいな。フィッツバルディ家の者がこんなことで弱音を吐いてどうするのですか、とは言わないのかい?」
「今日は止めておきましょう。可愛い妹が独りで待っていますからね」
「ああっ、そうだった!!」
 リシュオンは手早くポットにキルトのティーコージーをかぶせた。人数分のソーサーとスプーン、砂糖を盆に乗せ歩き始める。
「早く戻りましょう。妹は放っておくと勝手に仕事を再開させますよ」
「一族揃って仕事中毒者ワーカーホリックなのかな?」
 長身の男が二人、悠々と書斎へと向かっていく。
「しかし参った。結局彼女の事を何と呼べば良いんだ?」
「まだ迷っていらっしゃったのですか。ただ『リースリット』とだけ、名を呼べば良いだけではないですか」
「リースリット、か」
 ぬくもりを抱くように大切に、フェリクスは愛しい名前を口にする。
「それだけでは、彼女に紳士的な印象を与えられないのではないかな?」
「関係性を構築するにあたって、その地点はもう通過しています。今、貴方は、妻を何と呼ぶかを考えるだけで良いのです」
 フェリクスの顔が明るく華やいだ。
 書斎の扉を開けると、そこには山と積まれた書類に前に、片手ずつ持った書類を交互に読みふけるリースリットの姿があった。
 ふと顔をあげ、両手に盆を持った義兄の姿に、紅い目を大きく見開く。
「お兄様?」
 癖で顔をそむけてしまったリシュオンを咎めるように、フェリクスは肘で脇腹を小突いた。
「丁度玄関で会いましてね」
「この部屋に来るまで、フェリクスに延々と貴女の惚気を聞かされましたよ。仲睦まじいようで何よりです」
 リシュオンの言葉にフェリクスはやめてやめてと顔を赤くして首を横に振り、リースリットもまた『惚気』と聞いて何を言われたのだろうかと頬を紅く染める。
「息災でしたか、リースリット」
「はい、お兄様もお元気そうで何よりです」
 淡々とした物言いのリシュオンだが普段よりも表情は柔らかい。
 フェリクスと共にいるからだろうか。
 そう考え、リースリットは嬉し気に微笑んだ。

おまけSS『まつりごと』

 幻想で起こった暗殺事件。
 今でこそ貴族による情報統制が敷かれているが、おしゃべり好きな市井の小鳥たちがいつまで沈黙を続けられるか分かったものではない。
 故に彼ら、彼女らは餌を撒いた。
 狙いは情報の混乱と錯綜、ついでに凶事への目くらまし。
 大々的に報じられたフェリクスとリースリットの婚姻はいささか熱狂的過ぎる幻想市民によって受け入れられた。
 フェリクスは甘いマスクと加えて王国副将軍としての名声もある有名人だ。
 リースリットもまた、ハーモニア特有の神秘的な美しさを宿した女性である。燃えるような真紅の瞳と流れ落ちるクリーミーブロンド。嫋やかな微笑みに桜貝の唇。
 二人が並んだ夫婦の肖像画には、恐ろしい価値がつけられ、一部は闇市に流れた。
「酒場には二人を主役にしたと思わしき詩が幾つか作られ既に吟じられているらしいですよ」
 曰く、病床に伏せった父親のために祝い事を報告する孝行息子。
 曰く、幼い頃から共に背中を預け合った二人の騎士との友情。
 新作。呪われし貴族令嬢と紡ぐ禁断の恋~シャイネンナハトに雪が降る~
 淡々と報告を続けるリシュオンの冷静さが羨ましいと二人は思った。
 部分的に真実が混ぜられた虚構は大勢の目を欺くために必要だと理解はしているものの、増えていく報告を聞く度にフェリクスとリースリットは顔を覆う。
「ある意味、情報のコントロールが成功したとも取れますね。これはなかなか興味深い現象といえるでしょう」
「リシュオン……やめてくれ……」
「お兄様、それ以上は、もう……」
 仲良くストップをかける二人。
 シャイネンナハトにむかって、民衆たちのハッピーエンドは加速する。
 


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