PandoraPartyProject

SS詳細

2023/12/24

登場人物一覧

綾敷・なじみ(p3n000168)
猫鬼憑き
越智内 定(p3p009033)
約束

 11/10 23:55の表示を確認してから定はごろりとベッドに転がった。ソーシャルゲームのデイリーログインボーナスは獲得したはずだ。後はなあなあにSNSでも見ながら寝てしまっても構わない筈だ。
 aPhoneを電源ケーブルに接続してから何気なくインターネットブラウザで表示したのは希望ヶ浜のデイリー情報である。どこもかしこもクリスマスシーズンが近づけばイベント情報に溢れ出す。何処かに『あの子』を誘って――いや、二人きりはなあ、なんて考えて一人で肩を落とすまでがワンセット。
 そんなことを繰返しているウチに11/11がやってきたのだ。カレンダーのリマインダー通知は猫の絵文字だけが表示されている。それも、毎年繰返すように。
「……ん?」
 定はごろりと体を起こした。何かの予定があったのだろうか。それにしたって猫だけ。しかも毎年――其処まで考えてから定は消去できない画像データを確認したかった。パスを解除すれば其処に答えがある筈なのに。何とももどかしさを感じながら、忘れている時点で心当たりは一つだけなのだとメッセージアプリを開く。
 メッセージアプリは便利だ。誕生日登録をして居れば『本日が誕生日です』なんて表記がでるのである。つまり、そう、定はその時点で答えを知った。
 ただし――『それが相手が本当の誕生日を登録している』場合である。定はメッセージアプリの前で硬直した。さて、ここから如何するか。
「綾敷なじみ」をタップする。此れまでの他愛もない会話が並んでいる。そこに定は一か八か、崖から飛び降りる勢いでハッピーバースディと描かれたスタンプを送信した。
 直ぐに折り返し電話が掛かってきたことに慌てて一度はaPhoneを手から落とした。布団の上に軟着陸したそれを慌てて掴んで電話に出る。「もしもしィ」と声が裏返ったのは屹度仕方が無い事なのだ。
『もしもし。ありがとう。覚えてたんだね』
「あ、いや」
『もしくは、カレンダーに登録されてた?』
「……うん、良く分かったね」
 電話口で楽しそうに笑う声がする。定はゆるゆると肩を竦めた。相手には見えやしないのにどんな反応をしているかを見透かされてしまうような感覚がある。
「改めて、おめでとう。ごめんね、忘れててさ。カレンダーが有能って事で許して欲しいんだけど」
『祝ってくれるだけで嬉しいよ?』
「いや、ほら、誕プレとか」
『んー、でも、忘れてたんなら……』
 そう、なじみの言う通り、何もないのだ。忘れていたのだから仕方が無い。定は「そうなんだよね」と息を吐いた。
「なら、今日の予定は? ほら、遊びに行っても良いかなって――」
『土曜日だしねえ。でも、ごめんね。ちょっと課題が終ってないんだ……』
 提出期限が差し迫っていると告げるなじみに定は「急だしね」と呟いた。当日0時に誘って遊びに来てくれるタイプではあるのだが、今日ばかりは難しいらしい。
 定は少しばかり考えてから「なじみさん」と彼女を呼んだ。『へあいー』と曖昧な返事を返した辺り、彼女は歯磨きでも始めたのだろう。
「もう寝るだろ? じゃあ、次の約束だけ。スケジュール帳の準備をして貰っても良いかな」
『オーケーだぜ。はい、どうぞ!』
「……じゃ、クリスマス。クリスマスの当日とかどうかな? 課題は終らせようぜ、僕もあるし……」
 少しばかりの間が開いてから『了解だぜ』とだけ帰ってきた。楽しげな声音にほっと胸を撫で下ろす。それからおやすみなさいを告げて電話を切って――定は枕に埋もれて叫んだ。
 クリスマスデートの約束を勢い良く取り付けてしまった自分に対して誰かコメントをくれ!

「おはよう」
 12/24。10時過ぎに集合を決めてやってきた。バイクで移動すると告げたからだろう。彼女はバイクに跨がりやすいようにジーンズでやってきた。
「ズボンなんだ? 珍しいね」
「アウトレットに気になるお店があってね。コートだけ新しいのを買いたいんだ」
「そんな計画してたんだ。いいよ。荷物は詰めるし」
 定がバイクのシートを叩けば彼女は嬉しそうにぴょんと乗る。猫の尾も耳もない。普通の女の子になった彼女は「レッツゴーだぜ」と朗らかに笑うのだ。
 なじみがそれだけ楽しみにして居たのはこの日に何をするかの『作戦会議』で「新しいアウトレットに行きたい」という話が出たときからだ。まだ言った事が無いというなじみに「遠出ならバイクでできるよ」と提案すれば心の底から喜んだのだ。それまでに、食堂での一件みゃーこアシストがあったりしたのだが――まあ、横に置いておこう。
「取りあえず着いたランチ?」
「ドリア食べたい、ドリア。定君は? ラーメン?」
「それ、何時も食堂で食べてる奴だろ」
 定は「ドリアでいいよ」と付け加えた。そっかあと楽しげに笑う彼女の声がヘルメットの内側で響く。ヘルメットに取り付けたインカム越しのくぐもった声は弾んで聞こえていた。
 背にぎゅっとしがみ付く彼女に相変わらず慣れやしないまま――それでも、安全運転を心掛けて平常心を求めながらやってきたアウトレットは流石にクリスマスという事もあって買い物客の姿が多く見られた。
「凄い人が多いね……お腹空いちゃったぜ」
「少し早めにランチに行った方が良さそうだね。並びだし」
 早速レストランが建ち並ぶ店舗に向かおうかとマップを見る。それなりの広さがある事から初めてでは迷ってしまいそうだとなじみは定の手を握り締めた。
「な、なじみさん?」
「迷子対策」
「……ウン、分かった」
 突然、手を握られるとビックリするのですが――とは言い出せず。共に歩く。その途中に見えたのは『XXX』のショップだった。
 その名前は聞いた事がある。コフレメーカーの一つだ。クリスマスは限定のコフレセットが販売されていた記憶が定にはあった。
(あ、いいな……)
 デザインは毎年変わるが、質が良い事は知っている。 バスボム、ボディスクラブ、バターハンドクリーム、ボディローションをボックスに詰め込んだクリスマスコフレセットはプレゼントに丁度良いだろうか。
 クリスマスのプレゼントはそれに決めても良いだろう。ならば、誕生日プレゼントは如何したものか。定は難しい顔をして居た。二つのプレゼントを頭の中で比較検討を重ねながらゆったりとした足取りで行く。
「定くん、何見てるんだい?」
「あ。ううん。色んな店があるなって。あとで寄っても良い?」
「了解だぜ。私もあっちのお店行きたいな」
 じゃあ順番に、と笑いかけてから定は手をぐいぐいと引かれた。「そんなにドリアが食べたいの?」と問えばなじみは「勿論」という。希望ヶ浜中央街では出店していない店舗なのだろう。チェーン店ではあるが、なじみの活動圏に無い店は彼女にとって『試してみたいお店』候補に入りやすい。
「ドリア以外にもわりと珍しい店があるみたいだぜ」
「うーん、凄い悩んだけど、ドリアの口かな。今度一緒に来ようよ」
「……うん」
 そうやって、未来の話をする。そんなところに白旗を上げてしまうのだ。これから先に、大人になって行けば独り立ちをする。その頃に一緒に居られるとは限らない。
 特に、普通の『友達』ならばいつかは別々の先を見る可能性だってある。そんなことを思いながら定は「じゃあ、今度ね」ともう一度繰返すのだ。

 ――クリスマスも、先の話をする彼女も。やっぱり、僕はさ。

「定くん?」
「ううん」
 胸の奥深くに鍵を掛けていたつもりだったけれど、その南京錠は壊れていたみたいだ。自覚をすれば溢れ出す。胸の奥深くからそれが滲んでやってくる。
 難治性の病だとか、患っているぜとか、そんなことを言っている場合じゃない程に。自覚をすれば膨れ上がるから厄介な奴なのだ。
 食事をする彼女のひとつひとつが気になって仕方が無い。今、茸を避けたな、とか。やたらベーコンばっかり食べて居るな、とか。ほら、案の定。
「定くん、茸食べない?」
「食べないと大きくなれないぜ?」
「……あざみを呼ぼうかな」
「ええ……」
 茸を「あーん」と口元に運んできて食べてくれたと喜ぶのだ。そんな姿を見ていて、楽しくならないわけがない!

 食事を終えてから、気になる店舗を除いてみようと踏み入れる。なじみはと言えば少し離れたショッピングモールで気に入っていたというレディースファッションの店舗を目当てにして居た。
 コートが欲しいのだと言うが、それを購入するほど大学生の懐は温かくはない。むしろクリスマスコフレだけでも結構な出費ではある。その辺りは様子を見たのが越智内定のリアルな事情なのだ。
「さっき見てたのって『XXX』?」
「ああ、そう。ハンドクリームが結構良いって学部の皆が言うんだよね」
「わかる。私もお母さんに買おうかなあ」
 母親との関係性はそれなりに良好なのだろう。深美との関わりはどちらかと言えばあざみのほうが深くなってきたそうだが、猫鬼怪異への嫌悪感が薄れているというならば良いことだ。
 年末は深美と共に鍋パーティーをするとなじみは決めて居た「定くんも来る?」と誘われてから「あ、じゃあ、他の皆も呼ぶ?」と返したのは意気地なしだったのかも知れない。一瞬きょとんとしてから「良いよ、ルシアちゃんとかさ」と彼女はaPhoneの連絡先で九天ルシアを探し始めるのだ。
「あ、じゃあ、呼ぶのはまた後にしてさ、とりあえず深美さんにも買うなら見に行こうぜ?」
「うん。じゃあ『XXX』から出発」
 かぐわしい香りに包まれている『XXX』には女性客が多かった。なじみはと言えばハンドクリームを見に行くが、定はレジに突進した。
 実は取り置きを頼んでおいたのだ。彼女の誕生日にクリスマスに出掛ける事を約束し、そして『おせっかい』を受けて直ぐに購入する品を決定した。
 売り切れてしまっては元も子もないと取り置きと予約をし、店舗で受け取ることにして居た。
 受け取れることを一度確認してからなじみの元に戻る。「これとこれどっちがいいかな」と手の甲に塗りつけたハンドクリームの香りを確かめるなじみに「良い?」と確かめてから鼻先を近寄らせた。正直、テスターの香りよりなじみに近付いた方が定としては心臓に悪かったのだけれど――「うん、こっち」と仄かに薫った薔薇の香りのものを選んだ。
「じゃあ、コレにする。ありがとう」
「いいえ」
「定くんのお目当ては?」
「あ、もう大丈夫。じゃあお会計しよっか」
 なじみが手に取ったハンドクリームをさっと受け取ってからクリスマスコフレの限定ボックスと合わせて会計をする。
 深美のものは自分が出すと言ったなじみに「いや、僕も連名ってことで」と告げた定は脳内でひよのパイセンに「つまりなじみの母親から籠絡ってことですね?」と言われている気がした。大人しくしていて欲しい。
「ふふ、お母さんも喜ぶね。ありがとう」
「いいえ。次は何処に行く?」
「んー、服屋さん。あ、雑貨屋さんも見る?」
「オーケー。そうだ、なじみさんの誕生日プレゼントは何か欲しい物はあるかい?」
 クリスマスコフレはあくまでもクリスマスプレゼントなのだ。レジで手にした時点でバレているのだろうが彼女は余り気にしていないのだろう。
 なじみは何処か悩ましそうに店舗を見回してから「ピアス」と言った。
「ピアス? 何時も通りだね」
「うん。あのね、耳が……人の耳になったでしょう? だから、ここに改めて欲しいなって。
 あ、それともう一つあるんだけど、それはまだかなあ」
「……何かな?」
「ん? ふふ」
 定はどきりとした。何かを見透かすような顔をしたなじみが指先を触ったからだ。いやいや、自惚れてはならないのだ。その左指に予約をさせてくださいなんて『決まらない』事は言えやしない。
 なじみが「何もないよ」と笑う背中に「敵わないぜ」と呟いた。目的地は彼女が好んでいるレディースファッションの店だ。
 お目当てのコートがあったと喜びながらも、手にしたのはスカートだった。可愛らしい臙脂色のプリーツスカートと睨めっこをするなじみの横顔をじっと見詰める。
(似合いそうだな。確かに。前に付けてたマフラーと、それからなじみさんは結構オーバーサイズのセーターとか好きだし、それと合わせて……。
 あ、あと足元はブーツかな。なら、寒くないようにタイツ……いや、何を考えて居るんだろう。僕は)
 思わず全身コーディネートを考えた定は首を振った。じいとなじみが眺めてくる。まじまじと見詰められてから「ど、どうかした?」と震える声を絞り出した。
「こういうの、好きかい?」
「いや……まあ、嫌いではないけれどさ……似合うとは思う。うん」
「ふふ、そっか。バイクでお出かけの時はズボンにするけど、近場だったらスカートだからね」
 定は「ん?」と首を捻ったから、合流したての頃に彼女と話した事を思い出す。

 ――「ズボンなんだ? 珍しいね」

 それを彼女はスカートの方が好きだと受け取ったのだろうか。そんなの『僕がむっつりすけべみたいじゃないか』と叫び出したくなってから、なんとか抑えて「なじみさんの好きな服装で良いんだよ」と声を絞り出した。
「え? うん」
「あ、そうだよね、聞いてないか」
「ううん、定くんはスカートが好きって事だよね」
「だからァッ!」
 違うと言いたかったが、それ以上は言えなかった。越智内定、今日もなじみに完敗なのである。
 うきうきと気に入った服を買う彼女は「お母さんがね、お小遣いをくれて。あんまり服がなかったからさ」と何気なく言った。
「無かったんだ?」
「猫の尾があったから」
 穴が開いているんだと呟いたなじみに「ああ……」と定はなじみの尾を思い出した。丁度尻の辺りから生えていたそれは衣服を貫通していたのだろう。
 勿論、尾の為の穴を開けていないスカートなどは今も変わらず着用できる。穴が開いていたものは全てあざみに渡したとなじみは言った。
「スカートだったら尾は下から出してたよね。ズボンだと穴を開けてたのかい?」
「うん。履けないし。此の辺りから」
 腰の下辺りをとんと指差すなじみは「ここ穴を開けたらもう二度と履けなくって」と肩を竦める。ちょっぴり想像してしまった定は『僕はむっつりすけべだった』とげんなりとした。
「だから、一式新しい物が欲しかったんだよねえ。あ、このあと雑貨屋も見に行こうよ」
「うん。なじみさんの行きたいところで良いからね」
 定がゆるゆると肩を竦めて「荷物持ちはするし」と笑えば彼女は「やったぜ」と手を打ち合わせて笑うのだ。

 買い物を終え、誕生日プレゼントにもありつけた。シンプルで学校に着けて行きやすいピアスが欲しいと言った彼女は「お揃いにしよう」と定のものも購入してくれた。
 お揃いという言葉を反芻しながらもやってきたのはショッピングモールに併設されていたイルミネーションだった。
 寧ろ、今日の目的はこの場所だという来訪客も多いのだろう。人の数はそれなりで、手を離せば逸れてしまいそうにもなる。
「なじみさん、逸れないようにね」
「うん。結構混んでるねえ。流石はクリスマスかな」
 再現性東京ではクリスマスと呼ばれるシャイネンナハトは全国的に平和な夜だ。だからこそ、誰もが安心してイルミネーションを見て、パーティーを楽しむのだろう。
 実に穏やかな光景だと定は周囲を見回す。混沌では沢山の戦いが起こっているが、この再現性東京ではそんな片鱗もないのだ。
 そこに彼女がいる。大切で、護らねばならない人だ。
「あ、ほらほら、こっちだよ。見て、ツリー。定くん。ほら、こっち。綺麗だねえ」
 走って行くその背中を追掛ける。なじみさん、と呼び掛ければ彼女はくるりと振り返った。
「あ、似合う?」
「うん。そのコートが買いたかったやつ?」
「そう。イルミ見るなら一番可愛い服が良いなって思ったんだぜ。ふふん、定くん、可愛いって褒めても良いよ」
 嬉しそうに笑って手を引いてくれる彼女に定は「かわいいよ」とか細く返した。そんなことをあっけらかんとも言えない関係なのだ。つまり、意識をして居る。
 これが花丸ちゃんやひよのさんいつもの友達なら「可愛いよ」「似合ってるんじゃない?」「良いと思う」なんて息をするように滑り出すのに。
 彼女を前にすればそんな言葉も出てこない。上手くもいかないのだ。厄介な事に、それだけで一層彼女が輝いて見える。
 これを恋でなくて何と呼ぶのか。
 クリスマスツリーを背にして彼女は「可愛いでしょう」と笑った。
 そうだ、可愛いのだ。これが恋をしているという事ならば、その通りだと答えねばならない。
「……なじみさん」
「ん?」
 見上げる彼女の眸に自分が映っていた。手が離れる。それでも、至近距離で見下ろせば彼女は本当に幸せそうに笑うのだ。蕩けるように微笑んで「なあに」と。
「……ごめん、以前格好付けておいてなんだけど。やっぱり、無理だ。止められない」
 ――記憶を無くす前の自分より君を好きだって思えたら。
 ――待っていてね。
 そんな、自分が止めた感情が溢れ出す。シャイネンナハトだ、クリスマスだ、恋人の日だ、そんなことひっくるめて。を噛み締める。
 仕方ないじゃないか。だって、好きだった。思い出せやしなくても。食われてしまった感情でも、残っていたのはただ君が好きだというそれだけだった。
 だから、前言を撤回させて欲しい。
 考えて自分でブレーキを踏めるような感情では無かった。
 寧ろ、事を評価して欲しい。そう、それくらいに、恋をしている。
 どれだけ戦えるようになったとしても君の前では余裕もないし、ダサくて凡人で、当たり前の様に君に笑われる。それが『越智内定』だった。
「ああだこうだって言ったってさ……止まるわけないよね。
 だってさ、なじみさん。イルミはめちゃくちゃ綺麗だろ? 冬の澄んだ空気で星空だってよく見えるんだぜ。
 雪が降って来たら寒いし、手を握ったらなじみさんの手は温かいし、新年は初詣に一緒に行きたい。何なら、桜並木も歩きたいだろ。団子も食べたい。
 海も行こうよ、もう一度さ。それから、大学だって一緒に行こう。食堂で他愛も無い事を話したり……つまりさ、まあ、やりたいことが一杯あるんだ」
「うん」
 水夜子に言われて自覚もしてしまった。彼氏だとか付き合っているだとか。そんな関係性を意味する言葉を聞けばどうしようもなく『中途半端』なままではいられないと気付くのだ。
「でも、一応聞いてくれよ。
 僕は自惚れちゃいないんだ。左手の薬指を確約できるほど、良い男じゃあないし、ほらさ……ほんとダサい尽くめだけどさ」
「……うん」
 なじみは聞いてくれている。小さく笑っている。そうだ、ダサくて良いのだ。ダサい自分の傍に何時だって彼女が居てくれた。
 自惚れちゃいないのだ。自分の限界って奴が良く分かる。今すぐに結婚してください、なんて言ったって此れから色んな事があるだろう。
 大人になりきれない僕らのモラトリアム。大人と子供の狭間だからこそ、そう思う。何時か、その言葉を口に出来る日がくるかもしれないけれど。
「今はただ、君に約束できます」
「何をかな?」
「これまでの人生よりずっとずっと、なじみさんが笑っていられるようにするって」
「本当に?」
「マジ、大マジで!」
 定は真っ直ぐになじみを見た。彼女の瞳が揺れている。さざなみのような静けさに徐々に光を帯びていく。
 君の眸に吸い込まれてしまいそうだ、なんて言えなかった。此れから一生一緒に居てください、なんて口が裂けても言えやしない。
 格好付かないで良い。ただ、想いを伝えたいだけ。その衝動が胸の奥から沸き立って――
「僕の彼女になってください。綾敷なじみ、ラブです!!!!!!」
 声に出た。予想したりもボリュームが大きく、歩く人々の視線が突き刺さる。定の顔に熱が昇り「おやあ」と声を漏してにたりと笑うなじみと目があった。
 差し伸べた手に、お決まりのような『告白シーン』
 本当はイルミネーションの下でそっと抱き寄せて「君が好きだ」なんて言いたかったのに。
 じいと掌を眺めて居たなじみが笑い始める。くすくすと声を殺した彼女をちらりと定は見た。
「……なじみさん?」
「手まで出してくれた」
「……応えは……その……」
 どこか戸惑った様子で定は言う。まさか、これで保留にされてしまうのだろうか。ダサかったからか、それとも慌てたからか、定はいまいち決めきれなかった『告白』に途惑いながらも顔を上げた。
「お願いがあるんだ」
「……何なりと」
 定は赤らんだ頬の儘、なじみを見下ろした。彼女は楽しそうににたりと笑って定を見上げてくる。
「明日も一緒に居よう。さっきのお店で洋服を一式買ったでしょ。次はバイクじゃなくて近場ね。可愛いスカート、あの服を買ったから、見て欲しいんだ」
「うん」
「駅前のイルミが綺麗なんだって。……前も行ったね、ひよひよたちと。あの時はお友達だったから、次は私を彼女として連れて行って」
「……凄い格好いいセリフだよね」
 僕はダサいと定が呟けばなじみは心の底から面白そうに笑ってから「私も結構ダサいぜ。私が新しい服を見て欲しくってお願いしてるんだぜ」と言った。
「いや、それは勿論見るよ。さっき買ってたスカートでしょ。可愛いなって思ったよ」
「私が着ているの、ちゃんと想像した?」
「えっ、あ、うん」
 勿論しましたけれどとか細く返せばなじみは「定くんが好きそうな服を選んだ。君の好みも聞いておかなくちゃね」と肘で小突いた。
「だから、好きなことを沢山教えてね。冬の寒い日は手を繋ごう、イルミネーションだって色々見に行こうよ。
 美味しい物も食べに行こう。新年は初詣に行きたいし、お餅も食べたいな。それからね、桜並木も歩くよ。
 学食のコロッケが美味しいんだ。80円の奴。あれも食べよう? それと、ポテトも買おうね。100円だ。
 ああ、それで……それで、海も行こう、旅行もね。色んな事をしようよ。忘れてしまった分も補えるくらい、沢山」
「うん」
 次は定が聞いている番だった。定の眸に彼女が映る。
 猫の耳も猫の尾もない。出会った頃は怪しくもあった夜妖憑きの女の子、目の前に居るのは怪しさなんて何処にもなくなった普通の女の子。
「私はいつまでも待っていようと思うんだ。この薬指に君が予約をしてくれれば良いなって思うし、いざとなれば私が養うし」
「待って」
「嘘だよ。君なら何だってうまく出来るよ。ちょっと失敗してへこたれるかも知れないけど」
「僕を何だと……」
「でも、それが君なんだよ。定くん。何時も格好悪いとか、情け無いとかそんなことを言うけど、本当は一生懸命で、我慢強くて、諦め悪くてさ。
 何かあれば私の事でもお友達のことでも叱ってくれる。嬉しいときは嬉しいって言って、悲しいときは泣けるんだ。それがいいんだよ」
 なじみはそっとその手を握り締めてから、一歩近付いた。
 そんな君だからこそ、好きになった。彼女の眸は雄弁だ。何も言葉にしなくっても全力でその眸が、その態度が物語ってくれる。
 けれど、その声で、その唇で聞かせて欲しかった。定はただ彼女を見詰めている。
「私にも約束させてね。君の人生をこれよりも更に楽しい物にする。沢山笑って沢山泣こうね、時々喧嘩するかも。でも仲直りしようね」
「……うん」
 定の指先に力がこもった。彼女の眸は真っ直ぐに見上げてくる。光が雨のように降り注ぐ。
「私を彼女にしてください。越智内定くん、ラブだぜ」
「――ほら、そういう!」
 君には敵わないと定は叫んだ。いつだって悪戯を成功させたように言うのだ。
 揶揄うように笑う彼女が飛び付いてくる。祝福の声が聞こえたのは大声でやり合っていたからだ。
 岩のように固まった定が「聞かれて」と呟けばなじみは「結構大きな声だったからねえ」と納得しているかのような素振りで頷く。
 恥ずかしさで此の儘消えてなくなりたいと呟いた定に「じゃあ、そうしようか」となじみは笑ってその手を引いた。
「そら、逃げるよ」
「えっ、どこに」
「分かんない。あ、でも、あっちでコロッケ売ってたよ」
「まだ食べるの?」
 少しだけ伸びた紫色の髪の合間から耳が見えた。人の耳だ。その耳に『約束』が揺らいでいる。

 ――……それに、髪の長いなじみさんもきっと可愛いぜ。普通で、特別な女の子だ。

 ――君が可愛いって言ってくれるなら、いいかもね。伸ばそうかな、少しずつ。

 意気地なしの僕に、意気地なしの君が笑う。
 新しい約束は、きっと忘れることはない。これから、約束は増えていく。ひとつひとつ、確かめるように増やしていこう。
 これからの日々に初めましてをしよう。全く違って見える素晴らしき日常だ。
 君と生きていく世界ならば、何があったって絶対ハッピーなものになると信じているのだから。


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