PandoraPartyProject

SS詳細

冬色のカンファタブル

登場人物一覧

澄原 晴陽(p3n000216)
國定 天川(p3p010201)
決意の復讐者

 ひゅうと吹く木枯らしは何処からやってきて、何処に向かって行くのだろう。この再現性東京は人により作られた箱庭だ。誰ぞの手が加えられてそれらしくなっている。
 長い髪を押さえて付けてから晴陽は何となく、風が過ぎ去った方向を眺めた。車道を走り抜けていく自動車とその傍を悠々自適に進んだバイク。反対側の歩道に行く人々は寒さに凍えるように指先を擦れ合わせていた。これがこの箱庭を作り出した旅人達の求めた景色だというならば良く出来て居るではないか。少なくとも、そうしていれば外界の喧噪も、魔法に剣にモンスターに、そんな王道のファンタジーシチュエーションも当たり前のように存在して居ないように思えるのだ。
 人工的に作り出されたこの場所はある種、旅人達の精神安定のためにシミュレーションされているのだろうと幼い頃から晴陽は考えて居た。だからこそ、そうであると言う前提で暮らしてきたし全体的に不足するであろう満足度を充足させるために夜妖等が奇抜なシチュエーションに姿を現すのではないかと解釈していた。
 少なくとも、だ。少なくとも、それが練達で産まれた旅人二世達が抱き得る感想であり、再現性東京という場所しか知らずに育てば芽生える当たり前の感情なのであろう。
 モンスターに対しての抵抗が大きく、怪異やそれに類する物に対しての恐怖心が薄い。その精神構造はある種、知った物であるかという事が大きい。だからこそ、晴陽はこの箱庭の外に出ることは出来やしないと自己の在り方を認識していた。つまり――のだ。
 そうやって過ごしてきた彼女の前に現れたのは、当たり前の様に再現性東京が再現したの知識を有した、異世界の人間であった。
 彼は外形のモンスターに恐れる事は無く、人殺しという当たり前の世の中では罪に問われる事――混沌ではモンスターの数を鑑みればそうした事例は多く、盗賊や山賊もいる。つまり、死への倫理観は再現性東京の方が強いと晴陽は考える――も熟してきたというのだ。そんな彼を初めて見たのはカウンセリングの現場だ。晴陽は「何とも、不安定な人だ」と言う大地印象を抱き、同じ痛みを抱えて居る事も承知した。晴陽が失った親友は桜吹雪に掻き消えたようなものだが、彼の妻子は悪戯に命を奪われた。その何方がより深い傷となるかなどとは言いやしないが――少なくとも、晴陽にはそれを前提で考えることがある。
 その切欠というのは共に過ごす従妹から齎されたものである。
 恋愛的に言えばというのが現状の晴陽と天川だ。無論、晴陽も年齢と立場という物がある。そうした関係性になるならば婚姻を前提にせねばならないのだ。
 その関係性の変化に聡く、そして『二人に言われるまでは触れやしない』というスタンスを貫き通す従妹の娘は「姉さんは、そういえば、割り切れたのですか」と問うた。
「割り切れた、と言うと?」
「ほら。天川さんって男やもめでしょう。それに死に別れ。姉さんとしてその辺りに複雑な心境という物は」
「……」
 晴陽は問うた水夜子の顔を見た。晴陽の助手となるべく教育を施され、それなりの知識や怪異対策の勉強を積んできた年の離れた従妹は恋愛事に関しても晴陽に似た感性を有していたのだが――どうやら、現状の疑問に関しては彼女の方が明るいという事か。
「考えたことがありませんでした」
「まあ、天川さんも葛藤があるのかもしれませんね。奥様は良い方だと仰って居ましたし、新たな一歩を祝福もしてくれそうですけれど」
 そんなことを言いながら、持ち込んでいたショートケーキをテーブルに並べる水夜子に晴陽は考え込む。
 確かに、少しだけ気には掛かったのだ。死別した妻君は背を押してくれるだろう。だが、死別為ていると言えど息子はどうなのだろう。その辺りが妙な気がかりになってしまう。
 ショートケーキのいちごを突いていた水夜子は「あ、悩んでる」と笑った。わざわざ悩ましく思う言葉を残したのは其方の方だと言いたくなったが晴陽は唇を引き結んで「はい」とだけ返した。

「晴陽」
 ひらひらと手を振った天川に「こんばんは」と晴陽は穏やかに一礼をした。仕事の終了時間が早いのであれば食事でもどうかと彼が誘ったのだ。
 勿論、断る理由も無い。終業も早く、積み残した仕事も多くはなかったことから時間を指定した。病院のロビーで待っていてくれれば構わないと告げたのは導線の都合であったのだが。
 冬物のコートを折り畳むようにして持っていた天川は「外は寒いがここは暖かいな」とそう言った。人気が失われつつあるその場所は院長室でぬくぬくと仕事をして居た晴陽には寒々しく感じられたが、外からやってきた天川には至福の場所だったのだろう。
「もう少し暖かい場所に向かえば、ここはなんて底冷えする場所だろうかと恨み言も言いたくなりますよ」
「違いないな。院長室は暖かいんだろう。暖房をケチってたらみゃーこが勝手に温度調節をすると言って居ただろう?」
「はい。私が風邪を引いては元も子もないと言いますが、お陰で寒さにはめっきり寒くなった気がします」
 元から運動量がそれ程多くなく筋肉量が少ないことから寒さには弱いのだと晴陽はぼやいた。天川から見れば彼女は細く、折れてしまいそうな肉体をして居る。
 じいと見詰めていた天川に「どうかなさいましたか」と晴陽は問うてから、彼は「いや、晴陽を太らせなくちゃな」と頷いた。明後日の方向の目標を抱かれた気がして晴陽は僅かに眉を寄せた。
「衣服で調整できますよ」
「ああ、すまん。女性に太るという言葉は適切じゃ無かった。だが、今のままなら折れるかも知れない。段差に躓くだけで危険となる可能性は否めないな」
「大丈夫です。案外頑丈なのですよ。ほら、同じ血の通った龍成など何があってもピンピンとしているでしょう」
「……弟を比較対象に出されてもな」
 天川は頬を掻いた。コートを着用することを促され、晴陽がいそいそとマフラーを巻き、手袋を嵌めている様子を眺める。しっかりとした防寒が行われているならば天川とて無理強いはしない。
 自動扉を越えてから途端ひゅうと吹いた乾いた風に晴陽は身を竦めた。マフラーに埋まった顔から覗いていた二つの瞳が天川を見る。
「寒いですね」
「そうだろう? まあ、何だかんだで屋内は暖かいからな。大丈夫か?」
「……はい。すみません、ですが、提案があります。行き先についてです」
「オーケー、聞こうか」
「スーパーマーケットで。鍋の準備を買い出ししましょう。それから行き先は私のマンションです」
 天川はその言葉から『もう二度とは家を出ません』という含まれる意味合いを認識してから「了解」と笑った。
 彼女のテリトリーに簡単に踏み入れさせてくれるようになったのは信頼の証なのだろうが、何とも物寂しいものではある。交際を開始した男女なのだ、それなりの浮いた話が――ある訳もなく。晴陽はスーパーマーケットのカートにカゴを乗せてから「参ります」と淡々と告げた。
 病院の院長であり澄原の令嬢である女がスーパーマーケットのカートを押している光景は何とも愉快だ。からからとカートを押しながら晴陽はトマトを手に取った。
「何鍋にするんだ?」
「トマト鍋です。ブロッコリーとしめじをとっていただけますか? キャベツも入れましょう」
「ほう。洋風鍋か。分かった。エリンギが安そうだが入れても?」
「構いません。タマネギと人参が家に余っていましたのでそれも使いましょう」
 チーズと鶏肉、それからソーセージと指を折りながら数える晴陽に「トマト鍋にする理由は?」と天川は問うた。晴陽はまじまじと天川を見てからふい、と視線を逸らす。
「あの」
「ああ」
「笑いませんか」
「勿論」
 天川は何か彼女が気を揉んでトマト鍋をセレクトしたのだと考え――そして、彼女が口にする前に気付いた。
 今夜のディナーはオムライスでもどうか、と誘っていたのだ。ふわふわとした卵が絶品のレストランがあると聞き、共に行く約束をして居た。
「……鍋の〆に、遺ったスープにごはんを入れて卵を流し入れることでオムライスを……と」
「成程。そのオムライスリゾットにチーズを掛けても構わないか?」
「……! それはいいですね」
 約束を反故にはしたくないという気遣いだったのだろう。ならば、と天川が提案すれば『楽しみにしてくれているのだ』と感じたのだろう晴陽は晴れやかな顔をする。ただ、その表情の変化も長く共に居ることで気付けるようになったものだ。表情筋の変化が乏しいのは感情を察知されることで不利益を被るかもしれないという彼女の出自によるものだったのだろう。天川はそうした彼女が少しずつでも本音を出し、表情を変えてくれることが何よりも嬉しかった。
「しかし、得したな。晴陽が寒さに凍えたお陰で鍋にありつけて、其の儘チーズオムライスか」
「……本当はレストランのオムライスが気になっていたのでは?」
「何時でも行ける。だが、それ以上に自分好みのチーズオムライスリゾットを楽しめる可能性というのは中々無いことだろう?」
「ええ、まあ」
「何なら、デザートも買っていける。流石に一流シェフの提供するスイーツとはいかないが……高価なアイスを買っていくのも吝かではないだろう」
「大人の力ですね」
 ウキウキとしている様子の晴陽は小さめのホールケーキを手にしていた。ガトーショコラはスイーツとして陳列されている一般的なものだ。二人で食べるのかと問うた天川に晴陽は軽やかに首を振る。
「いえ、一人です。天川さんはどうぞ、アイスを」
「晴陽。少し交渉をしても構わないか?」
「はい。どうぞ、お聞き致します」
 ガトーショコラをカートに入れてから自慢げにして居た彼女へと天川はバニアラアイスを二つ手にしてから「アイスクリームを乗せるというトッピングを思いついたが、別けて貰うことは?」と問うた。ぱちりと瞬いてから考え倦ねていた晴陽は「喜んで」と笑う。
 案外食いしん坊な所を見せた彼女と共に飲料なども買い込んだのはそれだけ彼女が自宅に戻らないからだ。多少の野菜が遺っていたのは従妹が持ち込んだからと聞き納得する。
 天川はビニール袋に詰め込まれた食材を手にしながら、のんびりと歩く晴陽の横顔を見た。他愛も亡い会話を繰り返しながらも、彼女は何処か言葉を選ぶ素振りがあった。
(また何かに悩んでいるか、それとも何か心境の変化でもあったか)
 横顔は美しく、澄んだ白い息を吐く。寒々しいとマフラーに埋もれて頬を隠した彼女の視線だけがちらりと零された。
「どうかなさいましたか?」
「それは俺のセリフだな、晴陽。何か考え事でも?」
「……まあ。お鍋でもつつきながら良いですか。少し考えたことがあるのです」
「分かった。まあ、そう言うならそうしようか。何か買い忘れたと言うわけではないというならばそれで良い」
「強いて言うなら天川さんの煙草ですが、天川さんは外に出る気力があるでしょうから。私はありません」
 寒いので、と強い語調で言った晴陽に天川は「そうだな」と笑った。それも我儘の一つで、甘えなのだ。この女医はそうした部分をぽろりと溢れるように見せて子供の様に唇を尖らせ拗ねたり照れたりと繰返す。その変化をなくしたくはないと考えて緩やかに帰路を辿った。

 鍋の具材を切り、そそくさと準備をする晴陽を天川は眺めて居た。調味料は一式揃っているのに余り使われた形跡がないのが物寂しいところだが彼女はそれ程考えては居なさそうだ。
 鍋も従妹が持ち込んだのだという。料理スキルはまあまあ心配な部類だが、従妹と共に作ったというならば手伝ってやれば難もないだろう。ソファーの上に置き去りにされたチベットスナギツネに留守番を頼んでから天川は慣れた手つきで調理を手伝った。
「……意外ですね」
「それなりに手伝いはしていたんでね」
「……そうですか」
 ああ、まただ、と天川は思った。晴陽の妙な間。どこか困ったような、それでいて、何かを問いたがっているときの微妙な間が開いた。
「仕事がそれなりに忙しくて任せていたが、暇があれば手伝うべきだろうと一通りは知識を得た」
「そうですか……そうですね。知識とは大事です」
 何処か気を取り直したように言う晴陽に天川は「晴陽、何か言いたいことがあるのか」と問うた。やや眉を寄せて、それから何処か困った顔をした晴陽は「少しだけ、悩み事があります」とそう言った。
 具材を切り分け、鍋に投入し、火に掛けながら晴陽はどう言葉にするべきかと迷うように「その」と「あの」を繰返す。急かしては居ない、これで苛立つこともない。彼女とはそういう人種であるからだ。
「……天川さんには晶さんがいらっしゃいました。息子さんもです」
「ああ」
「私は天川さんと交際させていただく上で、屹度、話に聞く晶さんは了承してくださるのでしょうが、息子さんはどうなのだろう、と思いまして」
「……と、言うと?」
「いえ、未練を持てというわけではないのです。ただ、私なりに向き合わせていただくべきなのではないかと。
 世界が違います。墓前に花を手向けることも出来ません。ですが、私は私なりにけじめというものを欲しいのです。天川さんが、ではありません。私がです」
 晴陽はたどたどしくも言う。つまり、彼女は改めての交際と婚姻を目掛けて、きちんと挨拶をして置きたいというのだ。それが世界を股に掛ければ叶わない、と。
「成程。それは晴陽なりの気遣いなんだろうな。……墓参りも難しい随分な場所に来ちまったからな。
 どうすれば晴陽が納得できるようなけじめになるかは分からんが……息子も背を押してくれるとは思うぜ」
「どうしてですか?」
「晴陽は俺に晶や息子を忘れと言ったか?」
「いえ、覚えているべきです。それが、生きていく者の背負うことです。私も心咲を忘れません。詩織先輩もそうです」
 晴陽は鍋をじいと見詰めてぽつりと呟いた。もしも忘れてしまうような人だったならば、自分はここまで心を開くことは出来なかっただろうと。
 無論、僅かな負い目を感じるのは『自分たちだけが幸せになって良いのか』ということだ。天川も、晴陽も同じ事で悩みを抱き進んで来た。
「だからだよ。晴陽はそれを受け入れてくれている。なら、息子は晴陽を嫌いになることはないだろう」
「はい」
「それに、晶は『天川君、大丈夫ですよ』なんて笑うんだ。明るいアイツは俺が昏く沈んだままで居る事も良く思わない。
 むしろ、晴陽に任せる位な事を言う奴だぜ。俺が好きになったアイツはそんな明るい奴だった。だから、大丈夫だ」
「……はい」
 俯いた晴陽はキッチンのシンクを見詰めていた。その背中を包み込むように抱き締めてから「他に何か困り事が?」と問うた。
「余計な提案であれば申し訳ないのですが」
「ああ」
「子が成せたなら、光星さんの弟か妹として扱っても宜しいですか」
 突拍子も無い事を言うと天川は瞬いた。確かに彼女は澄原の跡取りを求める立場だ。だからこその言葉なのだろうが――少し、予想外ではあった。
「構わない、が」
「どうしましたか?」
「いや……」
 何も考えて居ない顔をした晴陽に「晴陽らしい」と呟いてから頭をくしゃりと撫ぜた。髪が乱れれば少しばかり不機嫌そうな顔をすることを知っているのも僅かな数人だけだろう。
 チベットスナギツネと共に座卓に置いた鍋を突きながら晴陽は「水夜子に聞かれたので」とぽつりと呟いた。
「それで、ずっと考えて居たのです。光星さんの事を忘れて欲しくはありませんし、それを受け入れた上がいいな、と。
 晶さんと光星さんが私を受け入れてくださるのならば、私もその上で、誠意をと考えた結論だったのですが妙な顔をさせましたね」
「いや、気にしないでくれ。驚いただけだ。そうだな、晴陽は跡取りを求めなくちゃならない立場だ」
「はい。養子縁組でも気にはしません」
 淡々と告げる晴陽に天川は「本当に晴陽らしい」と笑った。余り浮いた離しも無い初心な恋人は野菜を食べながら「蟠りがなくなりました」と言った。
 晴れた様な顔をする彼女に天川は小さく笑う。鍋の具材は少な目にして居たため、オムライスを食べる準備を彼女がうきうきとした様子で整えているのだ。
「鍋だったなら、みゃーこたちを呼ばなくて良かったのか?」
「……それも考えました」
「俺は構わなかったが、って居ても、食う前に言えば良かったか。晴陽が何か考えて居たからって聞きそびれちまったな」
「いえ、私も提案しませんでしたから。
 その、理由があります。少し考え事をして居たのも確かですが、一応、恋人ですから」
 晴陽は何処か気恥ずかしそうに俯いた。天川は「予想していなかった」と呟く。手強い相手であると思ったが、彼女なりに歩み寄ろうとしてくれていたのだろう。
 彼女は婚姻関係の縁者には必要以上の接触は必要ないと考えて居た性質だ。無論、恋愛的関係になったとしても手を繋ぐ事や抱き締める程度の接触くらいしか熟してきていない。
 そんな彼女が『恋人と過ごすならば二人の方が良いのではないか』と考えたのだ。成程、天川が思う以上に彼女なりに考えてはくれていたのだろう。
「晴陽がそんなことを言うなんてな」
「いけませんか?」
「いや、嬉しいよ。真逆、抱き締めたら硬直していた晴陽がそんなことまで考えてくれるなんてな」
「……いけませんか」
「いいや?」
 笑みを堪えきれないと言った調子の天川に晴陽はじいと怨みがましく見詰めた。紫水晶ひとみに映り込んだ自分が余りにも破顔していることに天川は気付いて居る。
 これで喜ばない方が可笑しいだろう。そう思えるほどに、晴陽は少しずつでも距離を詰めてきてくれているのだ。
 オムライスを調理し終えたのだろう。食事をとり、片付けを熟した後に「デザートは後ほどです」と晴陽は言った。それなりの量があったことで腹が随分と膨れてしまったのだ。
「ああ、そうしようか」
「はい。何をしますか? 水夜子が置いていったDVDなどならばありますが。娯楽には余り乏しくて……」
 本も医学書が多いと晴陽はクッション代わりのオオサンショウウオのぬいぐるみを引き寄せながら言った。ゆるキャラに囲まれた晴陽の居所は彼女が好ましく思うものが並んでいる。その中に天川の贈り物が飾られているのが好ましいのだ。ことある毎に仕事の度に探し求めて買っていた品々を彼女はひとつひとつ飾ってくれていたのだ。
 大きなサモエドのぬいぐるみを持ってきて、ゆっくりと腰を下ろした晴陽は「むぎは今日はお泊まりですか?」と問うた。
「ああ。むぎと遊んでいる子供達が一緒に『お泊まり会』とやらをするらしい。そこに呼ばれていっちまった。案外アイツも近所付き合いが得意みたいでな」
「ふふ、むぎは皆さんに好かれていて良いですね。ですが、寒いでしょうから冬用のコートなどを用意してやらなくてはなりません。ポンチョでしょうか。
 ぶたさんに似合うセーターがあればよいのですが……なければオーダーメイドしましょう。むぎ本人……本豚? にも聞かねばなりませんね」
 晴陽はいそいそとむぎのアルバムを持ってきてどの様な冬服を着せようかと考え始めたようだ。
 彼女の希望で飼育しているアーカーシュのブタは触覚をゆらゆらとさせながらも再現性東京の子供達に人気だ。その異色な存在は害されるものでないならば『なんとなく』で受け居られるのもこの再現性東京らしいものなのだろう。
 人の作り出す、人のための場所。誰ぞに執っての心の安寧で、何も恐れる事の無い『当たり前の日常』。脅かされることはないように、その地を護るのが彼女だ。
(まあ、それでもいつかは外に連れ出してやりたいが――)
 天川はそんなことを思いながら晴陽をじいと見た。
「晴陽、抱き締めても?」
「どうぞ。私も天川さんのぬくもりは嫌いではありません。ただ……」
「ただ?」
「もう少し、色々と……その、考えた方が、よいでしょうか」
 晴陽はおずおずと言った。天川は「色々というと?」と問う。予想だにしない答えだった。何時か外に連れ出してやろう、考えて居た天川の思考の更に上に行くような言葉に僅かな困惑を抱いて天川は「晴陽、こっちへ」と呼ぶ。手招けばすとんと膝の上に座った彼女は視線を右往左往としながら「雑誌を見ました」とテーブルの下から引き摺り出した。
「雑誌か。デートスポット特集? 晴陽が探したのか?」
「はい、一応……色々と……私は無理解ですし」
 みゃーこに言われて、と呟いた。あの従妹も随分と気を揉んでくれているのだろう。年頃の少女という事もあり耳年増なタイプではある。自分事にはからっきしな所は従妹同士良く似ているタイプではあるのだが、従妹の側はに対して真摯な対応をして居るようだ。
「それで……こうしたものをみると、口付けに関してコメントしている方も多いのです」
 おずおずと指差されたのはイルミネーションなどのスポットだった。口コミには恋人と過ごしたといううら若き少女達のコメントが掲載されている。
「まあ、そうだろうな。クリスマスはそういうイベントとして位置付けられたりもするだろう」
「はい。その……私はそうした事には疎く……しかし、それは避け続ける物でも無く、あと、口付けは、結婚式でもしますでしょう」
「……ああ、そうだな。確かに……」
「このままでは、できません」
「それは」
「恥ずかしいではありませんか。私には経験がありません」
 か細い声で晴陽は言った。そうした接触を厭うのは嫌悪ではなく羞恥からなのか。それとも、そう思って貰える程度の関係性になったと云う事か。
 天川にはその何方であるかは分からないが、成程、これは――
「ああ……どうする? 俺は別に晴陽に無理はさせるつもりはないぜ。形式だけの物であるならそれで構わないが」
「いえ、その慣れた方がよいのでは、と」
 晴陽の耳朶が髪の間から覗いている。赤い。関係性をゆっくりと進めてきた。
 向き合うならば、晶達に『婚姻します』と言うならば、それなりに誠意を見せたいと考えたのか。自分に合わせて貰ってばかりでは不義理だとでも思ったのか、何にせよ彼女なりの心境の変化だ。
「慣れるって、言ってもな」
 ゆっくりと膝から降りてから、向き合った晴陽の肩に手を添える。僅かに身を引いた彼女に「大丈夫か」と問う。
「無理ですね」
「だと思って居た」
「はい。無理です」
 おとがいに指先を添えた天川は「だろう」と笑う。口づけを交しては居ない、その手前の距離。ただ、そのぎこちない距離に天川も気恥ずかしくなる。
 慣れたいと言われたとて、実戦がなければ慣れることも出来まい。それはどのようなこのでも同じだ。困った顔をした天川の手を晴陽はそっと握り込んでから降ろさせた。
「ですが、式の際にはきちんと、口づけは熟さねばなりません。式次を私の都合で変えて仕舞うのはあまりに忍びない」
「無理もしなくて良い」
「いえ、それに……ええ、どういうべきか……天川さんは、ご興味はありませんか」
「そうとも言って居ない」
 困った顔をする天川に晴陽は俯いて「どう致しましょうね」と呟いた。
 抱き締めることもぎこちなく、髪に触れる程度の優しい距離だった。それを、少しばかり惑うように詰めてくる様子は猫が恐る恐ると近付いてくる様子にも思えて。
 慣れない飼い猫の努力を伺い見えた気がして天川はなんとも言えぬ心地になる。そんな慎重な距離感に「抱き締めることも、困った顔をしてる晴陽が口付けなあ」と笑った。
「はい」
「口付け、という言い方が晴陽らしい」
「……努力はしているのですが、余りにそうした事に馴染みがなさ過ぎるのも問題ではありましたね」
「いや、それだけ他の事にも努力を重ねてきたという証拠だ。……それに、そうした事で悩んでくれる事は俺としても喜ばしい事だ」
「……天川さん、だからだと、認識してください」
 これは家のための結婚というわけではないのだからと晴陽はか細い声でそう言った。恋愛関係にも疎く、そうした感情にもあまり気を配ることのない彼女らしからぬ言葉だ。
「それだけでも喜ばしいよ」と天川は言った。晴陽は悩ましげに視線をあちらこちらへとやってから「よし」と意気込む。
 ゆっくりと彼女は何かを決意したような顔をした。真っ直ぐに向き合う眸に天川は「どうした?」と問う。
「これで、今は」
 膝で立ち、天川の肩に手を乗せる。それから頬に口づけを一つ落としてから晴陽は慌てた様子で離れた。
 一瞬のことであったが、頬に触れたことは確かだ。呆けた顔をしてしまったか、それとも、驚いたまま天川は晴陽を追いかける。
「晴陽」
 呼び掛けた天川が晴陽の手を掴む。顔を背けたままの晴陽はちら、とその顔を見てから「要努力です」と呟いた。


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