PandoraPartyProject

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登場人物一覧

ジェック・アーロン(p3p004755)
冠位狙撃者

 雪は全てを覆い隠してしまう。ひゅうひゅうと音を立てたその気配に耳を欹ててからジェックは瞼を降ろした。それは恐ろしき冬のこと。
 任務の遂行の為には荒ら屋で一夜を明かす必要があった。標的ターゲットが姿を現すまでの僅かな休息時間だ。迚もじゃないが肉体は休まる気配などない。
 背には真白き翼を。そして身には黒を纏ってジェックは息を潜める。紅玉随ひとみをぎょろりと動かしたのはそれから暫くしてからの事だった。
 時の流れさえ忘却させる真白き簒奪の気配に立たず見続けていた女の耳に響いたのが靴音であるように感じられたからだ。はた、と顔を上げてから誰であるかと伽藍の部屋を見回した。
 翼も、髪も、雪に融けてしまいそうな程に幽かな色彩をした女はその存在を表すような射干玉の衣服を揺らがせてからゆっくりと獲物を手にする。
 無骨な獲物それは僅かな音を立ててから標的を探す様に構えられた。しかし、何も気配はない。
 ジェックは小さく息を吐く。気が急いたのだろうか。まだ時刻は来ていない。足音であると感じたのは風が悪戯に立てただけの音であったのだろうか。
 銃を下ろしてからジェックはもう一度目を伏せた。誰も彼もが居てはならぬのだ。白に残されるのは紅色であり、それをも覆い隠すかの如く雪が降るはずなのだ。
 春の陽射しのように眩い愛しい人の髪色は未だこの地にはやってやこない。だからこそ、死神の振りをして易くひとを狩り取る準備をして居るのだ。
 狩人は赤頭巾をぺろりと一飲みしてしまった獣を狩り取るように単調に命を奪う事だけを目的としているのだから。

 雪風を凌いだ荒ら屋の中でジェックは鼻先に花の香りを感じた。何処からもするはずのない気配だ。さてやそれは何処から感じられたものなのだろう。
 ジェックは瞼を押し上げたフリをしてから首を傾げた。さて、それは気のせいであっただろうか。転た寝でもしてしまったのだろう。そうで無くては春の日尾差しなどこの場で感じる事は無いのだから。
「ああ、そっか。夢か」
 寒さに悴む指先を忘れたように自由自在に走り出すことが出来る。頬を撫でる風は穏やかで、先程までの喧噪など遠く置き去りにしたかのよう。
 雪に覆われていた大地には青青とした若芽が顔を出し揺らぐ。咲き綻んだ花の中央で晴れ晴れとした彼女が笑っているのだ。
 そんなことなど有り得やしないと知っている。だからこそ、夢は夢である事を理解された瞬間に壊れていくのだ。
 ばりん、と。音を立てた。硝子を踏み抜くようにジェックは立ち上がる。懐中時計の針は1時間ほど進んでいたか。胸元に仕舞い込んでから、息を吐いた。
 眠ってはならない。こんな場所で眠ってしまえば死神の鎌はそっと首に宛がわれて「いいのか」と囁くのだ。玩具の人形を捻るように易く命までをも奪ってしまう。
 それは実に無様な姿だろう。だからこそ、眠ってはならない。眠ってはならないのに――体は云う事は聞きやしないのだ。
 だが、夢では彼女が笑っていた。屹度、それが夢である事を教えてくれているのだ。
 まるで夢に落ちた己の頭蓋骨に扉でも存在して居てノックをしながら「おはよう」とモーニングコールを歌うように、その姿が夢の中に浮かび上がる。
 するとジェックは「ああ、夢なのだ」と認識してから瞼を押し上げることが出来るのだ。繰返すこと三回。
 漸く白んだ朝がやってくる。標的の近づく音がする。それが誰ぞの命をも奪い去る吹雪の如き一撃であれど、情け容赦などしてはならない。
 悪く思わないで欲しいと囁くことしかできまい。懺悔の言葉など聞き飽きただろうが、仕事なのだ。これをしくじれば誰かが危機に瀕する。それはそう言った類いなのだ。
 だからこそ、大衆の中で溢れ落ちたものを踏み躙りながらようやっと生きてきた。ジェック・アーロンは息を吐く。魔種も、魔物も、そうやって命を狩り取って来た。
 それは食事のために動物を殺す事と同じなのだ。だからこそ、銃を撃つときに考えたのは『来世ではどうぞ、お幸せに』という祈りの言葉である。
 標的の気配が強くなる。孕んだ死臭は此れまで踏み躙られた者共の気配なのだろう。地獄に堕ちるというならば、徒花を一つ供えてやろう。
 手向けの花にはなりやしないが、それが唯一の成せる弔いではあったのだ。
 雪の上に残される足跡はそれまで歩んで生きた結果であろう。もう二度とはそれは続きやしない。荒ら屋に開いた穴から覗き込む。
 距離は正確に測れていた。僅かな眠りと、寒さに奪われつつあった正気を支えたのは信念であったか、それとも、執念であったか。
 そんなことなど関係はあるまい、と。女は眦を下げた。ああ、どうか、許しておくれと唇に含まれたそれは呼気に混じり白く気配を宿す。
 ほら、さよならの時間がやってきた。
 ジェックはゆっくりと引き金に指先を掛けて。先に繋がる希望を求めるように。銃弾は、宙を踊った。


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