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冬の朝顔

登場人物一覧

星影 向日葵(p3p008750)
遠い約束

 背を伸ばそうと思っても、知らずと猫背になってしまうような、そんな寒い風の吹く日のことだ。
 隠岐奈 朝顔は、ひとりで大通りを歩いていた。他の季節よりも響くような気がして、足音を抑えつつ。
 そのうちにある窓の向こう、建物の中から、音が聞こえた。
 冬の石畳を確かに歩むような、そういう印象をもたせるピアノの音だ。
 メロディーに浮いて、まとわりついて、しかし離れないヴァイオリンが続く。
 朝顔は、なんとはなしにそこで足を止めた。この演奏には聴衆が必要だと、思ったのだ。
 差し込む光の邪魔にならないよう、壁に沿って立つ。
 窓枠の向こうでは、二人の人物がそれぞれの音に集中している。
 メトロノームのない合奏。それでいてリズムの破綻がないのだから、互いによほど慣れた相手なのだろう。
 かれらのこの、言葉のない感情の発露が、誰に聞かれることなく減衰してしまうのは、あまりに寂しい。
 ――けれど、例えばここに多くの人が集まって。
 それで『見世物』になるような事態は、違うと思う――。
 音楽が止まった。素敵な音楽だった。余韻を含ませた和音が長く伸び、呼吸のように終わった。
 朝顔はその場を離れる。心のなかで拍手を残せば、それでもう残る理由がなくなったからだ。
 しかし進む理由もまた、ない。それで構わないと、朝顔は思う。
 あてのない散歩というものは、楽しくもなく悲しくもなく、だからこそありがたい。
 楽しくもなく悲しくもない記憶を、いつかの為に、蓄えておくことができるから。
「いえ、それも違うような……?」
 マフラーに顔を埋める朝顔を、すれ違う少年たちが見上げる。気づいて手をふると、彼らは興奮した様子で、しかし足早に去っていった。
 あちらには、確か広い公園があったはずだ。手に持っていたのは遊び道具。
「ふふ。楽しそう」
 公園も良かったかなあと今更に思うが、引き返すのも少年たちを追いかけるようで、それも気がとがめる。何かが違う。
「冬の朝、朝顔は行き場所を見失っていた。……って、そうでもないですね」
 ただ歩き回るだけで。それだけで彼女は『良い』とされている。理由は言わずもがな。
 同じように『良い』とされている者、あるいは単にローレットとしての『良い』を責務とする者も、何人かと行きあっていた。
 今思えば、かれらに付いていけば良かったのではないか? いや、それも――。
「――なにが、違うのでしょうか」
 最前から思考はずっと、その地点を堂々巡りしていた。違うのだ。
 何をしても何を見ても、違うと心にささやくばかりの、違和感を朝からずっと抱えている。
 だから『良い』とされていることをしようとして、たぶんこの大通りを三週はしている。
 屋台で焼きイカを売る兄ちゃんも、今度は軽く会釈を上げるのみだ。朝顔も同じく軽くうなずく。
「――役に立ってるのかなあ」
 抑止効果で言うのならば悲しいかな絶大だ。いや悲しくはない。違う違う。
「目的地……は」
 ない。前から行きたいなあと思っていたところは、あるにはあるのだ。
 けれど今日はそのタイミングではない。
 予報では、これから雪が降るという。寒くなるともいう。
 日向のぬくもりを求めるための場所に、雪が降り、寒くなると人は言う。
 朝顔は空を見上げた。言われる通りの空模様だった。自分でもこの空は、すぐに曇るとわかる。
 街路を歩く人たちも、わかっているのだろうか。
 この空を遠くから眺めている人も、わかっているのだろうか。
 私が――私は?
「………………」
 そこから先は、言葉にならなかった。
 だから無性に、話相手が欲しくなった。
 とりとめもない話で、寒さが訪れるまでの長い時間を、埋め尽くしたくなった。
「朝顔の姐さん!」
「え?」
 先程の焼きイカ屋台の兄ちゃんだ。見れば四週目の屋台は半ば撤退を終えており、兄ちゃんは手際よく焼きイカを包んでいる。
「見回りご苦労さんでした! これ、お礼っす。今日中なら温め直せば大丈夫っすから」
「え、え」
 ひょいと投げ渡された焼きイカの包みは、まだ温かく、そして少々匂いが強かった。
「あ、もしかしてイカ、ダメだったりします?」
「そんなことはないですよ。ありがとうございます」
「ざッス! 姐さん背ぇ高いんすから、お風邪引かないよう気をつけて!」
 朝顔はぺこりと頭を下げて、少し進んで少し考えてから、そっと包みを開いた。
 優しいなあ、とか、デリカシーないなあ、とか、いくつかの感想が浮かぶが、それも違うかと思い直し、無心になる。
「あむ」
 少しだけ犬歯で噛みちぎったそれからは、暖かな冬の味がした。そして少々匂いが強かった。
「ん~………………」
 朝顔は、あたたかいうちに今日はもう帰ろう、と決めた。
 締まらないなあ、と、そういうようなことを考えて。


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