PandoraPartyProject

SS詳細

雪は涙で溶けるでしょうか

登場人物一覧

シャルティエ・F・クラリウス(p3p006902)
花に願いを
シャルティエ・F・クラリウスの関係者
→ イラスト
ネーヴェ(p3p007199)
星に想いを


 カルセイン領に一台の馬車が走った。雪道をかき分けたそれは、普段使われている馬車とは違った装いの、とびきり上等のものであることをリルは知っている。
(『大切なお客さんなんだ』と語っていましたが……)
 冬の寒さが厳しいカルセイン領に、わざわざシャルティエが招く客。良い意味で人に頓着せず、誰にでも分け隔てなく。それこそ騎士のように振舞い、そうあろうとするシャルティエの『大事な客』。リルが気にならないはずもなく。
「え、一緒にお出迎えに?」
「はい。父の大切な客人を一緒に出迎えたいと思うのは娘としても当然のことなのではありませんか?」
「いや、どうだろう……揶揄い半分だったりしない?」
「さぁ、どうでしょう。でもただの客ならわざわざ一番いい馬車を手配して迎えにいかせたりは、しませんよね」
「なんのことかな……」
 シャイネンナハトが来れば新年も近い。カルセイン領もまた、来る輝かんばかりの夜を思い領民が一丸となって準備をしているところだった。
 そんなカルセイン領を西へ東へ走り回るシャルティエをサポートするのはリルのつとめでもあったし、父であり兄に等しい彼の負担が少しでも減ることは、リルにとっての喜びに変わらなかった。
「あ、シャルティエ様……」
「うん、行こうか」
 晴天も最中、白雪がはらりと落ちてくる。カルセイン領の刻印が彫られた扉から出てきたのは。
「……あ、」
 雪に紛れた白兎のようなひとだった。
 リルの目が見開かれると同時、かしゃ、と鉄のきしむ音がした。白磁の義足には銀色のスプリング。しゃなりと揺れたパールは爪先が雪に触れると同時に音を鳴らして。
「お招きいただき、ありがとうございます。シャルティエ様」
「いえ、その。……来てくれてよかった、ネーヴェさん」
 晴天から紛れるようにシャルティエの手によって日傘がさされる。随分と手馴れているな、とリルは感じた。
 今のネーヴェにとって太陽は恐怖のそれ。白い肌を覆うような黒いレースの手袋が、恐る恐るシャルティエの手を取った。
 皮の鞄は随分と軽い。義足を履いてきたのだ、きっと自ら動くつもりなのだろう。身体に負担のないようにという願いは彼女自身が自ら打ち砕いてしまった。であれば車いすを領地で作れたらいいな、なんて思案して。
 鞄を受け取ってから別世界へと思考を飛ばしていたシャルティエを引き戻したのは、ネーヴェのか細い声だった。
「ええと、そちらは……」
「あ、そうだ。リル、挨拶を」
「は、はい! リルと申します。リル・ランパートです。シャルティエ様の養子です」
「え、ええと……養子?!」
「ご、語弊があるなぁ……ええと、ほら。ヴィーグリーズ会戦のことなんですけど、ええと……」
 わたわたと焦るシャルティエを見て笑うリル。そんな二人を、日傘の陰に区切られるように一歩遠くから見守るネーヴェ。
 日傘を、その白を覆うように、雪が積もっていく。
 じわじわと。何かが心を蝕んでいくようだ。みじめで、さむくて、つめたくて。
「――で、まぁ養子だけど、兄妹みたいな、親子みたいな、そんな感じです。領地の経営は勿論、それ以外でも何かとお世話になってて。本当に良い子なんですよ」
「同い年ですからね、シャルティエ様とは。改めてよろしくお願いしますね、ネーヴェ様」
「え、ああ、そうでした、のね。こちらこそ」
 慌てもたつくネーヴェに、シャルティエは気付かない。
 一歩。二歩。三歩。遠ざかっているネーヴェを振り返ることはなく、シャイネンナハトに浮かれる喧噪を進んでは楽しげに声を弾ませて。
「リルはあまり遠くへ行く機会もありませんから、ネーヴェさんさえよかったらリルの友達になってあげてくれると嬉しいです」
「ええ、勿論です」
「わ、いいんですか……!」
「ふふ、構いません、よ」
「よかった。こちらに来てくださってる間は僕かリルが基本的に一緒にいられるようにしますね。身の回りのことでなにか不自由があればいつでも言ってください」
「そんな、気にしていただかなくて、いいのに」
「ネーヴェさんは僕のお客さんですから。折角来てくださってるんですし、格好いいところを見せたいじゃありませんか」
「へぇ。それじゃあシャルティエ様の恥ずかしいお話でもしてみますか?」
 なんだかやけに耳が赤いような気がする。それはきっと雪が冷たいから。でなければ、何か他の理由があるから。
 伸ばそうとした手はひかりの反射に触れて、ひっこめて。その背がやけに遠く感じてしまう。
(……あんなにも近かったのに)
 先ほどまであの手に触れていたのに。それなのに。
 今彼の隣にいるのは、私ではなくて、あの子。
「リ、リル。僕の話は良いけど、変な話はしないでね……!?」
「ふふふ。勿論ですよ、まさかそんなこと」
「も、もう……!」
 今日はシャルティエとふたりで、カルセイン領を見て回れるのではないか。
 あの夏の苦い思い出を今度こそ振り払えるのではないか。そう思って、馬車に揺られてきたのに。勇気を出すのだと自分を叱咤してきたのに。
(ああ、折れてしまいそう)
 どうして。彼の隣には、知らない女の子一人がいるだけで。それだけで、曇ってしまうのか。
 そんなにもこの心は狭かっただろうか。或いは、醜かっただろうか。
 しんしんと降る雪は勢いを増していく。みるみる、険しくなっていく。
「ネーヴェ様、ご存じですか?」
「あ、ええと……?」
「あのお店、シャルティエ様が好きなお店なんです。なんでもポテトサラダが美味しいとかなんとか……」
「そう、なのですか」
「あ、ええと、はい……リル、そんなこと言わなくたっていいだろう、ポテトサラダなんて……」
「美味しいじゃないですか、お芋に罪はありませんよ! まだまだ味覚は子供のままなんですって。こんなに身長も伸びたのに」
「い、いいだろう。ハンバーグだってエビフライだってオムライスだって美味しいんだから!」
 兄妹のようで。でもなぜかしら。歳だって、距離だって、きっと一緒にいる時間だって、ずっと長くて近いふたりは、恋人同士にだって見えてしまう。
 どうしてわたくしの知らない彼を、わたくしの前で知らしめるのかしら。
 きっと優しさなのであろうことはわかる。そのつもりがないことだって。だけど。もう。うんざりだ。
 どろりとした感情が、とけて。くすぶって。焦げて。今にも溢れそうなのを、唇を噛んで堪えるだけ。
「…リル様、は。わたくしの知らない、クラリウス様を、たくさん、たくさん……知っているのです…ね」
「え? はい、そうですね。でもきっとネーヴェ様だけが知っているシャルティエ様の一面だって、あると思いますよ」
 戦いの場にいくことはないリルがそういうのは若干の羨ましさからだったのだろう。ともには戦えない。一般人と特異運命座標とでは、明らかに力の差は明確だ。ましてやリルは奴隷として売られていた身。発育も不十分で、今から筋力が発達することはあるのだろうかなんて自らのみすぼらしい身体を見て絶望した日もあった。
 けれど。今のネーヴェにとってその言葉は刺激物だ。リルの事情は先ほどシャルティエから聞いたごくわずかなことしか知らない。苦労も、痛みも。慮ることはできても、心の余裕のない今のネーヴェにはずっと、ずきずきと痛むばかりで。どうしてと、涙があふれる前に、言葉が出てしまった。
 裾をひいた。シャルティエの裾を。
「あ……え、えっと。歩くのが早かったですか?」
「……いえ。いいえ。ごめんなさい。なんでも、ないのです」
 動揺。混乱。困ったように笑うシャルティエの顔が見えるだけで、みじめで、苦しくて。
 どうしたらいいのかわからない。こんな気持ちになってしまうくらいなら。笑顔を見るだけで毒づいてしまうような自分が、きらいで、きらいで、きらいで。もうずっと目頭が熱いのだ。嫌なのだ。
 きっとそんなはずはないのに。仲良くしている二人を見るのが嫌で。近くにいないでほしくて。もうなにも、いわないで。
「……わたくしのことは、もう、放っておいてくださいませんか」
 どうしたらいいのかわからない。一歩、二歩。後ずさって。それから、気付いてしまった。ふと前を見れば、困ったような二人の顔があって。
 泣いてしまいたいのはわたくしのほうなのに。壊してしまったのは、わたくしなのに。
 もう、だめだ。
「ご、ごめんなさい、頭を冷やしてきます、1人にしてください…!!」
 脱兎のごとく。いや、彼女は兎ではあるのだけれど。飛べない兎とはどこのだれが言ったのか、跳ねるわ逃げるわでその義足が音を鳴らして崩れてしまいそうだなんて思ったのもつかの間、彼女の背はみるみる遠のいていく。
「え……えっ?!!!」
「ちょっと、何ぼーっとしてるんですか、追いかけて下さい!」
「えっ、ちょ、でも荷物は?!」
「私が先に宿に運んでおきます。いくら同じ獣種でも特異運命座標なら追いつけません、シャルティエ様じゃないと!」
「っ……わかった、よろしく頼むよ、リル!」
 いかなければいけない気がしたし、いかせなければいけないような気がしていた。だからその背中を一目散に追いかけたのはシャルティエで、皮の鞄を抱き留めて二人の背中を見送ったのはリルだった。
(まさか――……なんて。ちょっと、妄想にも程があるかな……)
 追いかけながらも、息が上がりながらも頭は冷静で。彼女のその真白を抱きしめて赤く染めてしまえたらと思うのに、嫌がることはしたくないなんて理性的な紳士を騙る自分もいる。男というのは面倒で、愛しいひとをとらえてしまいたいと思うのに、そんなことをうじうじと悩んでしまう自分もいるのだ。
 走っていた白兎――ネーヴェは静止の声すら振り切って、名前も道も知らないカルセインの街を駆けていた。白い長耳は、油もささず音を鳴らす義足はどうしたって人の目を引いてしまうのに。知り合いもいないこの町では唯一頼れるよすがこそがシャルティエで、客人としてもてなそうとしてくれていたのも枯れであって、宿も服も何もかもを彼の手に任せてのこのことやってきただけの子兎であるのに。
 星に想いを。花に願いを。そうして積み重ね、結び、叶うことだけを願ってきた。雪に埋もれたのなら、きっと熱い涙だって消してくれるから。
 何もかもが消えてしまえばいい。なくなって、そうして、とけて、いなくなってしまったらいい。こんなわたくし、誰にも知られたくないし、見られたくも、慰められたくもない。
「……クラリウス、さま」
「はい。どうしましたか、ネーヴェさん」
 ぼそりとつぶやいたはずだったのに。きっと追いかけてこないだろうと思っていたのに。
 とめどなく溢れる涙を拭おうだなんて思考がよぎるよりもさきに、雪に埋もれた身体を起こす。
「……どうして?」
「どうしてって……心配しましたから。それに、ネーヴェさんは、大切なお客さんですからね。此処で迷子になったら、今日は雪に降られてしまうから」
 つらつらと言葉が流れる自分の唇はなんて軽薄なんだろうと、シャルティエは己を詰った。どうしたらこの赤い目を余計に腫らして泣いている人を笑顔にできるのだろうと思っていた。
 時計の針はいまだあの夏の夜から動かない。悲し気に線香花火を見つめていた彼女が、頭の奥から離れない。
 だからこそ追いかけると決めたのだ。拭うと決めたのだ。その瞳から寂しさをすべて奪うと決めたのだ。もうきっと、あの日のように一人で抱え込ませたりはしない。失わせる気もないし、この伸ばした手が空を掠めるなんてことも許さない。
 今度こそつかむと決めたのだ。例えそれがあの日のように炎の中だったとしても、四肢をもがれ焼かれるような苦痛の海だったとしても。決してもう、彼女一人にはしないのだと。
「――――、」
 ネーヴェのかんばせが歪んだ。あつい、あつい、しずくが零れ落ちた。
 もうすぐ彼女の誕生日。それから。それから。きっと幸せにしなくてはならないのに、どうしてこのひとを泣かせてしまったのだろう? シャルティエが反射的に彼女を抱き留める。嗚咽と、謝罪と。その果てを、雪だけが見守っていた。


PAGETOPPAGEBOTTOM