PandoraPartyProject

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煙霧、宵に紛れ

登場人物一覧

チェレンチィ(p3p008318)
暗殺流儀
チェレンチィの関係者
→ イラスト
チェレンチィの関係者
→ イラスト


(……思ったよりも早く終わりましたね)
 チェレンチィ(p3p008318)は空を仰ぎ、小さく息をつく。未だ空は橙色の兆しを見せないものの、吐息がすぐさま白く変化し、風にあおられて散っていった。
 冬だ。幻想も、鉄帝も、海洋も、深緑も、豊穣だって――ラサの日中はそこまで寒くもないだろうが――この天義も例に漏れず、刺すような冷気と熱を奪い去る風に包まれている。これらが和らぐまでまだ暫し。
 しかしてチェレンチィの懐は冬の気配に反して温かい。いや、より温かくなる予定というべきか。ローレットに戻って依頼の達成を報告しなくては。
 この街からは空中神殿までのワープゲートが使えないので、乗り合い馬車を探さなくてはいけない。首都から離れた場所での依頼も少なくないので、まあいつも通りのことである。
 達成した依頼を報告するだけ、となれば足取りも軽い。さて、次の馬車はいつ来るだろうか――?
「……チェレン?」
「――あ、」
 "いつも通り"に異なるものが混じる。ああいや、以前の"いつも通り"には存在していたものだったのだ。ただ、あまりにも懐かしすぎて、チェレンチィの思考が一瞬止まった。
 その声は、その呼び方は。振り返ったその先に、いた人は。
「やっぱりチェレンじゃない!」
 真っ白な髪をなびかせて駆け寄ってくる女性。ああ、以前は燃えるような赤だったそれ。ちょうどこの季節を彩る六花の色を携えた彼女は、チェレンチィの数少ない旧友だ。
「今までどこにいたの? どうしてこんなところにいるの? すぐどこか行っちゃう?」
「え……っと、すぐに行かないといけない用事はない――」
「それならウチに寄っていきなさい! 少し、いえ大分賑やかだけれど良いところなのよ!」
 しどろもどろなチェレンチィが、彼女の勢いに勝てるわけもなく。彼女の言葉にチェレンチィはこくこくと頷いた。ここでノーと言う選択肢も勇気もない。
(……言いたいこと、沢山あるんだろうし)
 彼女とは、さよならも言えないまま別れてしまったから。彼女にとってのチェレンチィは、行方知れずになっていた知人と言っても過言ないだろう。
 きっと今まで、チェレンチィに言いたかったことを飲み込んで過ごしてきたに違いない。この様子を見るからに。
「あっ、急いだほうがいいかもしれない! さっき馬車がもうすぐって聞いたの」
「え? アトリー、一体どこから来たんだ?」
「ザヴェリューハって……知らないわよね。天義の端っこの方にある領地よ」
 田舎らしく、土地だけはひたすらに広い場所。首都から離れていることもあってか、以前の冠位騒動の被害も少なく、またアドラステイアの一件も、奇跡的に影響を受けずに済んでいるのだそうだ。
 首都ではないにしても、彼女の住んでいる場所からそれなりの距離にあった街を訪れていたのは本当に偶然だったらしい。まあ、その分馬車の乗り過ごしは危険なのだが。
「チェレン、ちょっと走って!」
「え――えぇ?!」
 手を掴まれ、2人は走り出す。

 彼女――アトリー・アヴェリナは、チェレンチィにとって数少ない『昔ながらの友人』である。

 乗り合い馬車に2人で乗り込んでしばし。ザヴェリューハの地へ足をつけたチェレンチィはくるりとあたりを見回した。
「こっちよ」
 アトリーの後に続いて進むチェレンチィの脇を、子供達が駆けてすり抜けていく。どこかから香るこれは遅めの昼食だろうか?
(……平和だ)
 人々の営みを感じながら、チェレンチィは小さく目を細める。世界が破滅へ向かっているだなんて、この領地に閉じこもっていたらわからないかもしれない。
「チェレン、あそこが孤児院なの」
 指さされた場所からは子供達の楽しげな声が聞こえてくる。その中のひとつがアトリーの名を呼んだ。
「アトリーねーちゃん!」
「あ、ねえちゃんだ!」
「その人だぁれー?」
 敷地内に入った2人をすぐさま子供達が取り囲む。無数の無邪気な瞳がチェレンチィへと集中した。
「おにーちゃん?」
「アトリーねーちゃんの彼氏?」
「恋人ってこと? アトリー姉に!?」
「ちょっと、チェレンに失礼よ!」
 眦を釣り上げたアトリーにわっと逃げ出す男子。そんな様子にチェレンは小さく笑う。
「もう、あの子達ったら……!」
「後で誤解は解けばいいさ」
 あっという間に逃げていった子供達も、チェレンチィが追いかければ簡単に捕まえられるかもしれない。しかし、そこまでする必要性も感じなかった。
 アトリーはむぅんとしばし悩んで、それから肩をすくめた。
「……そうね。折角のお客様を放って捕まえに行くわけにもいかないし」
 さあ、中はどうぞ。
 彼女に促されたチェレンチィ。子供たちもそうだが、孤児院も小綺麗にされている。真っ当に経営されている証だろう。
「ここに座って? お茶をいれるわね」
 そう告げて茶葉を出し始めるアトリーを見送っていれば、先程逃げなかった――つまりアトリーに怒られなかった――子供たちがそっと様子を見ていることに気づく。
(アトリーなら、早々に打ち解けられるのかもしれないけれど……)
 彼女ほど気の利いた言葉はかけるのは、チェレンチィには些かハードルが高いかもしれない。さてはて。
 少し考えたチェレンチィは、その子らに向けて小さく手を振った。敵意はないよ、と言うように。
「チェレン?」
「アトリー。今、そこに子供が――」
 怪訝そうな声に振り向いて。覗き見していた子供の方へ視線を戻せば――おや、もういない。
 しかしアトリーは状況を把握したようで、くすりと笑いながらチェレンチィの向かいに座った。
「ああ、お客様が来るのって珍しいから。興味津々なのよ」
 カップに飴色の液体が注がれる。それからテーブルの真ん中にはクッキーの皿。
「さあ、チェレン? 今まで何があって、今はどういう状況なのか、聞かせてもらうわよ」
 紅茶に一口、口をつけて。にっこりと微笑むアトリーに、チェレンチィは長くなりそうだと思いながら首肯した。

「チェレン、特異運命座標イレギュラーズだったの!? じゃあ、さっきの街にいたのも……」
「丁度、依頼が終わったところだったんだ」
 無理してない? なんて心配されて。チェレンチィは大丈夫だと頷く。
 実際は多少疲れている気もするが、依頼終わりなどこんなものだろう。動けなくなるほどのことでもない。
「なら良かった。対策はしていても、やっぱりチェレンたちが守ってくれるのは心強いもの」
「そういえば――この領地、アドラステイアからそう遠くないけれど」
 うん、とアトリーが頷く。アドラステイアに程近いこの領地は、奇跡的に襲撃を免れていたのだという。それもあって、他の街よりはいくらか孤児の受け入れも積極的なようだ。
 孤児院の話をするアトリーは目を輝かせていて、やりたいことをやっているのだと感じさせる。首輪の痕の残っていない彼女は正しく"自由"なのだろう。
「――チェレン?」

 アトリーの言葉に、何、と返した。返した、つもりでいる。
「チェレン? ねえ、ちょっと、」
 嗚呼、何故こんなに彼女は焦っているんだろう?
「チェレン!」
 嗚呼、何故こんなに彼女が近くにいるんだろう?
「――!」

 嗚呼――。



 さら、と頬をアトリーの指が撫でる。肌色の悪さにアトリーは眉根を寄せた。
(……大丈夫だって言ったくせに)
 チェレンチィの様子がおかしいことにすぐ気づいて良かった、と言うべきか。椅子から転がり落ちる前にアトリーが受け止めたおかげで、頭を打つなどの物理的な怪我はない。
 ――昏倒と、急激な衰弱。いつ何が起こってしまうとも知れない。
 病魔は見つからないと医者は言っていた。今は休ませて、様子を見るしかない、とも。
 再会した時には、こんなことが起こるなど考えもしなかったのに。
「早く起きてよ……」
 眠るチェレンチィの顔に生気はない。このまま目覚めなかったらどうしようと、思うほどに。

「――はい、お邪魔しますよっと」
 静かな呼吸音だけが聞こえる部屋へ、招かれざる客が来訪したのはチェレンチィが倒れてから3日後のことであった。
 建物はひっそりと静まり返り、夜の帳に包まれている。これは真実"ただの勘"であるが、きっと朝まで皆ぐっすりと眠りについているだろう。
(それにしても、まあ、)
 ベッドで眠りにつくチェレンチィを見下ろした男は片目をすがめた。
 細々とした呼吸。青白い表情。急激な衰弱を起こしたその体はが近いらしい。
「このままだと死んでしまうね?」
 軽薄な笑みを口端に乗せて、男はチェレンチィの頬を撫でる。冷たい。彼がどうにかしない限り、チェレンチィは間違いなくその言葉の通りの未来を歩むだろう。
「でもそれじゃあ面白くない。そう思わないかい」
 目覚めていたなら手負いの獣の如く噛みついてくるのだろうが、当然ながら応えなどない。それを多少残念に思いながら、チェレンチィの首元へ手を伸ばす。
 そこにあるのは嘗て男が刻んだ紋様だ。彼の刻んだ中でいま最も古いかもしれない。そういう意味でもこの"玩具"に愛着はある。
 男はしばししてチェレンチィの首元から手を離す。紋様が正しく作動していることを確かめ、それから極度の疲労を覚えて小さくため息をついた。
(随分持って行かれたかな……チェレちゃんがその分強くなったってことか)
 瀕死とまでは行かないが、イレギュラーズとまともに戦えば負け戦になることを確信する程度には生命力を削られた。まあ、その分チェレンチィの顔色が良くなっていることを思えば、後悔などありはしない。
「……元気になって、早く僕と遊んでおくれよ」
 わざわざ敵であるチェレンチィを生かすのは、その方が楽しそうだからだ。この玩具はきっと面白いことを起こす、そんな予感を感じさせるのだ。
「そうだなぁ、今から行くなら……天義なんてどうだろう」
 少しの休息を経た後なら、あそこが動きを見せるだろう。自分の存在を匂わせたならチェレンチィはきっと来てくれるに違いない。頼もしい仲間たちと共に。
(どうやって遊んであげようか? 嗚呼、魔種に生かされたと教えてあげてもいいかもしれない。どんな顔をしてくれるかな)
 静かに笑みを浮かべて、男はふぅ、と何もないところから煙を吐き出した。床に溜まった煙は消えることなく、男の足元を取り巻いていく。
「じゃあね、チェレちゃん。また遠くないうちに」

 もうすぐ世界は終わってしまうから。
 全てが消えて無くなってしまう前に、紋様の種明かしといこうじゃないか。



 ピチチ、チ、と小鳥の鳴き声が聞こえた。
(朝か……)
 チェレンチィはまだ寝ぼけたような状態でそんなことを思いながら、ゆっくりと瞼を上げる。窓越しに見える空はいい天気だ、なんて視線を巡らせて――。
「……!?」
 ベッドの脇から覗き込む子供達にぎょっとした。
「……おきた」
「……起きた?」
「おねーちゃんおきた?」
「……お、おはよ、う……?」
 口々に問うてくる子供達に、困惑しながら挨拶を口にする。なんだか喉に違和感を感じるような。いやそもそもどういう状況なんだ、これは。
 そんなチェレンチィをじぃと見つめていた子どもたちは、次の瞬間弾かれたように部屋を飛び出した。
「アトリーねーちゃーん!」
「おきたよぉー!」
 廊下からドタバタという足音ともに、そんな声が小さくなっていく。ゆっくりと上半身を起こしたチェレンチィは、改めて部屋を見まわした。
 知らない部屋だ。眠る前は確かアトリーと再開して、お茶を飲んで語らっていたはずで――。
 思考の淵に沈んでいると、その耳にバタバタと荒い足音が入ってくる。
「――チェレン!?」
 部屋に飛び込んできたアトリーと目が合う。凝視しあって暫し。それから、アトリーの瞳がぶわっと潤んだ。
「アトリ――ぃっ!?」
「良かったぁぁ……!!!!」
 抱きつかれて息を詰める。が、鼻を啜る音を聞くとそれを無理に引き剥がそうという気にはなれなかった。

「あの医者、ちゃんと診ているのかしら」
 アトリーがそうぼやく程には、急なことだったらしい。
 そしてその医者はと言えば、終始『異常はない』との診断である。チェレンチィが目覚めた後も。
「まあ、確かに体は楽になったよ」
 チェレンチィは軽く体を捻って見せる。無意識に無理をしていたのだろう、疲れや不調がさっぱり無くなった。イレギュラーズとしての仕事には慣れたと思っていたが、若干生活の見直しをした方が良いだろうか――などと言えば、アトリーに眦を吊り上げられること間違いなしだろうが。
「やっぱり体調悪かったってこと?」
「あ、いや……多少無理をしたのかもしれない、かな」
 いや、すでに眦は吊り上がっていた。しどろもどろにそう告げれば火に油を注ぐことはわかるのだが、いかんせん他の回答をしても――あるいは答えなかったとしても――マシな未来が思いつかない。
 結果としてチェレンチィは、滋養の高い食事をきっちり取らされた。ついでに暫くここで休んではどうかとまで提案された。だが依頼の報告がまだ済んでいない上、すでに3日も経過していたとあれば、ローレットの情報屋が心配するかもしれない。
 アトリーは残念そうな表情を浮かべたが、すぐさま「いつでも来ていいからね!」と精一杯の微笑みを見せた。

 かくして、その日のうちにチェレンチィは孤児院を出て幻想へと戻ることになる。
 アトリーからはすぐに食べられる携帯食料を。子供達からはなんだか色々――綺麗な石やら花やら、お見舞いの品らしい――を袋に詰めてもらったので、往路よりも随分と荷物が増えた。一体どこに子供達から好かれる要素があったのかは謎だが、折角くれるために集めたものを無碍にすることもできない。
(落ち着いたらまた顔を出しにいこうかな)
 その時はちゃんと手土産を持っていこう。別れ際に感謝は述べたが、あの様子だと子供達も一緒に看病してくれたに違いない。子供の好みはわからないが、王都の菓子などは喜んでくれるだろうか――?

 チェレンチィは知らない。
 自身がどうして回復したのかも、そこに関与したのが誰であるのかも。
 ただ――次にその相手と敵として再開することは、相手が魔種である以上紛れもない事実であった。

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