SS詳細
諸行無常。或いは、世界で一番、悲しい日…。
登場人物一覧
●足を愛でる
幻想。
昼間だと言うのに、ひたすら暗い森の奥。
じっとりと湧き立つ湿気や黴の匂いが目に見えるような気がする場所に、ひっそりと1つ、粗末な小屋が建っていた。
じめじめとぬかるんだ沼地を超えた先にある小屋だ。まともな神経でそのような場所に家を建てる者はいないし、ましてや住もうと考えるような輩もいない。
ならばきっと、それは山賊か何かの隠れ家なのだろう。
否……隠れ家“だった”と言うべきか。
かつて小屋を根城にしていた山賊7名は、遺体となってそこらの沼に沈んでいるから。
森奥の小屋の現在の主は、どうにも常人には理解しがたい嗜好の持ち主であるようだ。
小屋の地下に設けられた隠し部屋には、壁一面に木造の棚が立ち並んでいた。チーズ棚か、或いはワインラックのような棚である。
埃だらけ、黴だらけの上階と違い、地下室には塵の1つも落ちていない。黴の匂いも、埃の匂いもしない地下室には、代わりに防腐剤の匂いが充満していた。
ペタペタと誰かが地下室に降りて来る。
壁際にかけられたランプに、火が灯された。
オレンジ色の炎が揺れて、地下室をうすぼんやりと明るくした。部屋の真ん中に立っていたのは白い肌をした長身痩躯。一糸纏わぬ痩せた身体を前のめりに屈めて、壁際の棚へ近づいていく。
彼女の名はピリム・リオト・エーディ (p3p007348)。
狂人である。
「……あはぁ」
頬を朱色に染めたピリムが棚に顔を近づけ笑った。
脳が蕩けてしまったような、恍惚とした吐息を零す。熱く甘い吐息は、棚に並んだ“コレクション”に向けられたものだ。
脚である。
幼い子供、色白の女性、筋肉質な男性、鱗を生やした魔物、巨大な虫……と老若男女種族を問わずに無数の脚が棚に並べられていた。
丁寧に防腐処理を施され、小まめに手入れをされているのがひと目で分かる。
ここは彼女のコレクションルームなのだろう。
「後で皆も綺麗に磨いてあげましょうねぇー」
うっとりと、慈しむように。
ピリムは脚の1本を撫でた。
ほっそりとした女性の脚だ。
「でも、先に新入りの子に防腐処理をしてあげないとですねー」
そう呟いて、ピリムは脇に抱えていた布の包みを顔の高さへ持ち上げた。
血の滲んだ白い布がはらりとはだけ、中身が露になる。
まぁ、およその予想はついていたものの、それは1本の脚だった。しなやかな筋肉を備えた、褐色肌の女性の脚だ。
切断されてからまださほど時間は経っていないのだろう。腿の断面は瑞々しい。
冷たい脚に頬を摺り寄せたピリムは、そっと部屋を出て行った。すぐ隣にある作業室へと向かったのだ。
上機嫌な鼻歌が聞こえる。
薄暗い作業室に、肉を弄る音が響いた。
防腐剤と血の匂い。
新しい“コレクション”に防腐処理を施す時間は、ピリムにとって至福であった。
あぁ、幸いとは今、この瞬間のためにある言葉なのだろう。
けれど、しかし……。
「んー……?」
作業の手を止め、ピリムは「おや?」と首を傾げた。
ごく僅かな物音と、人の歩く気配がしたのだ。
少年である。
年のころは、10を少し超えたところか。多く見積もっても15歳は過ぎていないだろう。
茶色い髪に、頬に散ったそばかす。
緊張と焦り、そして不安、恐怖の混じり合った面持ちで、コレクションの棚に向かって何か細工をしているようだ。
泥棒だろうか? このような森の奥の寂れた小屋を訪れるとは、泥棒にしても随分と奇特な性質である。
飛んで火に入るなんとやら……という言葉があるが、なるほどそれは、きっとこの少年の為にある言葉なのだろう。
足音を殺して、ピリムは少年の背後に近づく。
少年は、ピリムの接近に気が付いていないようだった。ピリムの猟奇的なコレクションを見て、茫然としているからだろう。
「お気に召しましたかー? 苦労したんですよー、ここまで集めるのー」
そっとピリムは少年の脚に指を這わせた。
腿の上を蟲が這うような悪寒を感じ、少年は小さな悲鳴をあげた。絶叫を零さなかったのは、肺の中の空気が足りなかったからだ。
「ひ、ぁ」
ぺたん、とその場に座り込んだ少年が、すっかり怯え切った瞳でピリムを見上げる。
瞳が揺れる。
明確な怯えの感情が、少年の瞳に浮かんでいる。
「あらー? 腰が抜けちゃいましたかー?」
優しく少年に声をかけつつ、ピリムが刀を引き抜いた。
しゃらん、と。
鞘の内を刃が滑る音がする。ランプの明かりを反射して、ピリムの刀がぬらりと光った。
「ピ、ピリム……」
「あー?」
なぜ、自分の名前を知っているのだろう。
もしや、ここが誰の隠れ家か知って盗みに入ったのだろうか。
だとすれば、少年は愚かだ。
「なーんで、自分から怪物の口の中に飛び込むような真似をするんでしょうねー」
理解できない。
理解は出来ないが、まぁどうでもいい。
少年が不法侵入者であることに違いは無いのだ。つまりは、犯罪者なのである。
そして、罪には罰が必要だ。
悲しいかな、隠れ家に憲兵など呼ぶわけにはいかないので、あぁこの愚かな少年に罰を与える役目はピリムが担うしかない。
「なに、命までは取りませんからねー?」
ピリムは寛大で、優しいのだ。
ガタガタと震え、滂沱と涙を流す少年の太腿に鋭く研がれた刀を突き刺す。
「ぁ“ぁ”ぁ“!!!??」
絶叫が響く。
すっかり聞き慣れたものだが、絶望と恐怖と痛みを混ぜて、1つに束ねたような悲鳴は何度聞いても心地が良い。
「若者の肉は斬りやすくていいですねー」
まずは1本。
次いで、もう1本。
少年の脚を斬り落とす頃には、少年はすっかり静かになっていた。
幸いか、それとも不幸か。
息はあるし、意識もある。出血量が多いため、放置しておけばそう遠くないうちに息絶えるだろうが。
このまま血を流し過ぎて死ぬのは、可哀そうだとピリムは思った。
「子供には優しくすべきですかねー」
イレギュラーズとして活動を始めて、それなりの期間が経っている。その間にピリムも世間一般で言うところの“慈愛”という精神を学んでいるのだ。
少年の首に刀の切っ先を突き付けた。
その時、背後で銃声が鳴った。
●誰かの絶望
ピリムの頬を銃弾が掠める。
背後から、階段を駆け上がっていく足音がした。
ガチャガチャと妙に硬質な足音だ。そして、異常なほどに音が遠ざかるのが速い。
「あー……お友達ですかー?ここを見られたからには誰であろーと生きては返しませんよー」
瞳を狂気の色に染め、ピリムはにぃと口角を上げた。
ピリムを撃ったのは、痩せた身体の女性であった。
時折、銃弾を撃って来る以外はひたすらに沼地を逃げるだけ。背丈の割に足が速いが、ピリムから逃げ切れるほどではない。
5分ほど、森の中を駆け回っただろうか。
「まー、頑張ったと思いますよー?」
ピリムが姿勢を低くして、走る速度を1段、上げた。
地面を這うようにして疾走する様は、まるで血に飢えた獣のようだ。顎から腹までを地面に押し付けた不自然なほどに低い姿勢は、彼女の本性が百足であることに由来する。
空気の流れに沿うようにして、ピリムが刀で虚空を薙いだ。
バキ、と硬質な音が鳴る。
「……はぁ?」
肉を斬った音じゃない。
女性は湿った地面に倒れ、盛大に泥をぶちまける。飛び散った泥がピリムの白い頬を汚した。だが、飛び散ったのは泥だけだ。血飛沫の1つも上がらない。
代わりに沼地に飛び散ったのは、ピリムの刀で切断された義足の残骸。
「あなたー、脚はどうしたんですかー?」
刀で女性の背中を刺して、ピリムは問うた。
脊椎を損傷しただろう。これでもう、彼女の下半身は二度と動かない。
絶叫が森に木霊する。
だが、絶叫はやがて笑い声に代わった。
「んー?」
気でも狂ったかと思った。
ピリムは女性の首に刀の切っ先を押し付ける。
「あ、あはははは! ざまぁみろ! ざまぁみろ!」
「何を言ってるんですかねー?」
フードが外れて、女性の素顔が露になった。
見覚えの無い顔だ。
ピリムはその喉に刀を突き刺し、息の根を止める。
「私の、脚を……返せ、よ」
最後にそれだけ言い残し、女性は笑顔で息絶えた。
その直後、ピリムは“異変”に気が付いた。
何かの燃える臭いがするのだ。
「へ……あー……はぁっ!?」
背後を振り返ってみれば、隠れ家の辺りで炎が盛っているのが見えた。
ごうごうと小屋が燃えていた。
「あぁ……ああっ……」
ピリムの隠れ家が燃えていた。紅蓮の業火に包まれて、激しく燃え盛っていた。
「あ“あ”あ“ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
当然、地下室も燃えている。
ピリムのコレクションも、炎に飲まれて今頃は炭か灰になっているだろう。
喉が裂けんばかりに絶叫を上げた。
瞳からは涙が零れて止まらない。
「あ“あ”あ“!! あ“、あぁしぃぃいい!」
炎の中に手を伸ばす。指先が熱い。皮膚が火傷し、激痛を発する。
「う“ぇぇぇ!! あ”し“ 私のあ”し“ぃぃぃぃいいい!!」
一心不乱に炎を掻き分けようとする。だが、無理だ。指が、腕が焼けるだけだ。
泣き喚き、絶叫し、そしてピリムは嘔吐した。
嘔吐しながら炎を掻き消そうとした。
不可能だ。
やがてピリムは地べたに転がり、手足をバタバタと動かした。絶叫しながら顔を掻き毟り、地面を叩いて泣き喚いた。
赤ん坊がそうするような、情けなく、みっともない姿である。泥だらけになって、顔を涙と鼻水、そして吐瀉物でぐしゃぐしゃにして泣いていた。
「や“ぁぁぁだ”ぁぁ!! や“だ”ぁ“! えぐっ、ひぐっ、オぇ……う”ぁ“ぁ”!」
泣いても、喚いても、炎が消えることは無い。
そして、全てが灰になる頃。
「…………」
ピリムの脳髄は、生まれて初めて感じる“純粋”な怒りと憎悪、そして殺意に黒く染まっていたのであった。