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人と竜とハイエナと
登場人物一覧
「しにゃは考えました!」
バーカウンターへ飛びつくように。勢いよく両手をつき、しにゃこがドヤ顔を披露する。
シルバーのカクテルシェイカーがびりりと震えた。
「……ひっくり返すんじゃねえぞ、落ちたら曲がっちまうからな」
ルカは片肘をついたまま、グラスに注いだワインの香りを転がしていた。
「銀は柔らけえんだ、気をつけろよ」
「あ、はい……じゃなくてですね、真剣な話です!」
「おう」
「心機一転、お店を改装しましょう!」
ここはクラブ・ガンビーノ――ラサの有力な傭兵団、その幻想支部である。
傭兵団でありながら、平時は酒類を提供するユニークなスタイルも、評判に一役買っているだろう。
だがラサでの知名度や、そしてルカ自身の名声とは裏腹に、幻想支部のバーはひどく閑散としていた。
「これでもう穀潰しだなんて言わせません」
「言ってねえけどな」
しにゃこからは一応家賃や食費などを取っている。だが店舗が常に赤字なのは確かだ。
実際のところ潰れかけのバーを居抜きで購入し、多少のリフォームはした。
だが飲食の界隈は過酷である。サービス内容を問わず、些細な立地の如何さえ客入りを左右する。たとえ繁盛店の真向かいであったとしても閑散としているなど、ままあることだった。
「第一、別にいらねえだろ」
ルカもしにゃこも、イレギュラーズである。
そもそも論としてバーの収入に頼る必要自体がない。
両者とも戦いに忙しく、店など一週間の内に数日開店していれば良いほうだ。
閉まっていることのほうが多い店になど、人は寄りつかない。それも不定休なら尚更ではないか。
「ですが勿体なくないですか、資源の無駄遣いというか」
「資源ねえ」
「しにゃの! この可愛さを! 街の人達が誰も知らないだなんて!!」
「食った皿はきちんと洗っとけよ」
「あ、はい……って、ちゃんと聞いて下さい」
「聞いてはいるだろ」
一体なにが不服なのだろうと思う。
食う場所があり、寝る場所があり、傭兵としての仕事がごまんとある。
だったら、それでいいではないか。
バーの経営など副業に過ぎない。
「じゃあ、いいんですね!?」
だが今日は、ずいぶん粘るではないか。
「そんなにやってみてえなら、止めはしねえけどな」
そして、明くる日が来た。
「どうですか!」
ふりふりのウェイトレス服を纏ったしにゃこが、片手でハートの半分を作る。
「あの、こう。こうしてください、打ち合わせ通りに」
「……こうか?」
「そう、そうです! やはりしにゃが見込んだだけはありますね」
「……」
「宇宙一可愛いしにゃの次ぐらいに可愛いのは間違いありません」
しにゃこは表情一つ変えないアウラスカルトの手を引き、ハートを合わせて満面のスマイルを披露した。
「これはいつまでやればいい?」
「あ、もう大丈夫です!」
「……」
「と言うわけで、最強の助っ人に登場願いました。
「バイト代は出ねえぞ」
ルカは酒棚の瓶を一本一本傾けながら、劣化をチェックしていた。
これはそろそろ香りが飛びそうだ。飲んでしまおう。
オールドファッションドグラスに、琥珀色の液体を注ぐ。
店内には目をきらきらに輝かせたしにゃこや、目を潤ませたアウラスカルトが描かれたポスターだの、ハートや星型に切った
一体全体、何をやる気なのか。
というか、そもそもこれは改装なのか。
「まかないはパスタでいいか?」
「ミートソースでお願いします」
「手抜きで良けりゃな」
湯を沸かしながら、挽肉を固めてフライパンで焼き付ける。
徐々に崩しながら赤ワインを注ぎ、作り置きのソフリットと煮トマトを加えた。
そしてローリエを一枚落として、トマトの甘みが出るまでくつくつと煮詰める。
合間に平たい太麺をゆであげ、ゆで汁で塩気と水気を調整したらできあがり。
おまけにチーズを粉に削ってのせてやり、ちぎったバジルとフレッシュなオリーブ油で香りを整えた。
「これ、これです! どうですか!」
「うまい」
ルカのお手製だというのに、なぜかしにゃこがドヤ顔をした。
別に構いはしない。どちらも喜んでくれているようで何よりだ。
「皿は洗っとけよ――」
「では早速、ウルトラ可愛いパワーで営業です!」
「えいぎょう?」
「――って、おい。……ったく」
しにゃこがアウラスカルトの手を引き、店の外へ飛び出していった。
仕方ない、皿を洗わなければ。
ルカは皿を下げ、テーブルを拭き、洗い物を始める。
正直な所、嫌いな動作ではない。
リズミカルに、身体に焼き付いた所作を繰り返す。
より効率良く、より正確に。
それは剣の修練にも、どこか似ていた。
すっかり片付け終えたら、再び琥珀の液体へと向き合う。
無名の銘柄だが、味は良い。香りが飛びやすいのが難か。
価格を考えればパフォーマンスは悪くないが。
しかしかれこれ一時間、あいつらは一体どこで油を売っているのだろう。
客引きに出たしにゃことアウラスカルトは、誰一人店に引き込むことが出来ていなかった。
ルカが窓から外を覗くと――
「ほっぺを近づけてですね、さっきのハートを、そう、そうです!」
「これに何の意味がある」
「最強可愛いので! 今なら美少女のお酌付き! 二時間飲み放題で! なんと!」
何やら勝手なサービスを作っているが、道行く人は目をそらして足早に通り過ぎて往くばかりだ。
「退かれてんじゃねえか……」
明らかにいかがわしい店だと思われている。
そんな時に限って、暗雲は立ちこめるもの……
「なあ嬢ちゃんら、んなことよりみんなで楽しいコトしようや」
頭をつるりとそり上げた大男が、乱ぐい歯を剥き出しに近付いてくる。
「おやめください、どうか」
二十代前半とおぼしき女性の手を無理矢理に掴みながら、しにゃことアウラスカルトに迫っている。
「げ……」
しにゃこが呻いた。
ともあれ面倒な事態になった。
ルカが制止しようと、扉を開ける――
――するとさきほどの暴漢は、アウラスカルトに胸ぐらを掴まれ、両足を宙でばたつかせていた。
「ア”ッ! ア”ッ! 痛ダ! 痛ッダ! アァー”ッ!!」
「よわいものいじめは、だめだときいた」
五発のデコピンに、暴漢は悲鳴をあげながら涙を流しているではないか。
竜は、男の脳髄が秒で飛散する、だいぶ手前を手加減してくれていた。
「許じで、許じでグダダイ! もうジマゼン!」
これではどちらが弱いもの苛めなのか、これはどう考えたものだろう。
辺りにはすっかり遠巻きな人集りが出来ている。
「その辺にしとけ」
「……わかった」
ルカの言葉に、アウラスカルトが手を離す。
石畳に尻餅をついた暴漢は、ほうぼうの体で逃げていった。
竜を相手に命があったのだから、幸運な男だったのだろう。これに懲りてほしい。
それよりも大事なのは――
「大丈夫か?」
ルカが女性の手をとり立ち上がらせる。そして微笑んで見せた。
「あの、助けていただいて、ありがとうございます。なんとお礼を言ったら良いか」
助けたというか、成り行きというか、むしろ迷惑をかけたのではないかとすら思えたが。
ひとまず安心したのか、女性のお腹がふいにぐうと鳴った。
「あうう。はずかしい。晩ご飯まだでした」
「だったら、良ければ食ってってくれ。そういう店なんだ」
「はい……!」
「はっ! 一名様ご案内です! やはりしにゃの可愛さがお客さんを店に呼び寄せたんですね!」
「それ、全く関係なくねえか」
「そ、そんなことはなくてですね!」
さて、カレーでも作ってやろう。
色々あったが、珍しくお客が来てくれたのは確かなのだから。