SS詳細
永遠を終わらせるためには
登場人物一覧
●深夜3時――夜中の猫の悪霊は嗤った
「俺様に負けたら、永遠にココに縛り付けられる。そう説明したはずなんだがなァ」
『あいいろのおもい』クウハ(p3p010695)は王座かと見まごうような豪奢なソファーに身を預けている。為政者のようなコートは、この頭の持ち主が持っていた。
ごてごてと装飾のあるコートは重く、動きづらいものだった。
コートにも、襲撃者の頭蓋骨をもてあそぶのにも飽き、クウハはぽいと捨てる。
頭蓋骨は恨めし気にカタカタと歯を鳴らす。生前は裏社会の組織の一つを牛耳っていた男であったが、死んでしまった今となっては、できることはそれだけだった。
そこはかつては「敵」の拠点の一つだったが、今やクウハの城となっている。
クウハにとっては”単にケンカを売られて邪魔だったし、なかなか便利だったから”というくらいの執着でしかない。ふああ、と欠伸をしてみせた。
敵を倒せばまた敵が押し寄せ、亡者の数は一方的に増えていった。
死んだ敵は亡者となって、クウハを囲んで怨嗟の声をあげている。呪詛のように連なるそれは、クウハには単なるそよ風のようなものだった。クウハのほうが数倍も、数十倍も、禍々しい存在だ。
弱いほうが悪い。
否――弱いくせに、逆らう方が悪い。
クウハは黒だ。これ以上塗りつぶせない漆黒だった。
誰もクウハを変えることはできない。
月が嗤っているかのようだった。
まるでまばゆいばかりの月。赤みがかった月のある夜。
それでいて静寂のうちにあった。
静かな、とても静かな夜だったと、友人は記憶している。
――ひどい匂いだった。
血の匂い。それは常人でも吐き気を催すことだろうが、『夜鏡』水月・鏡禍(p3p008354)にとってはなおさらだった。かつては人だった者たちの匂いが辺りに立ち込めていた。嫌な気配。辺りの空気を悪くしている。
それでも進まないわけにはいかなかった。
この奥には、クウハがいる。
ローレットがクウハに討伐命令を出したと聞いた時、鏡禍は耳を疑ったものだ。
まさか、あのクウハがそんなことをするはずはない。
ここに来るまでのあいだは、心のどこかで思っていた。
きっと何か行き違いがあったのだ、と……。
まだ引き返せるのだ、と、そう思っていた。
しかし、そういった希望は、屋敷の奥へと進むにつれて打ち砕かれていくことになるのだった。
死体、死体……。
クウハに敵対したものたちの死体。
まるで、赤いカーペットのように、それは続いている。クウハに逆らうものは気まぐれに殺されているのだ。
容赦のない蹂躙の跡がそこにある。
重苦しい空気がねじれて、肩にのしかかった。
何がクウハを変えてしまったのか分からない。いや、クウハの本質は、そもそもからして邪悪なものだった。今までは強靭な理性でそれを御していたに過ぎない。
……もしもクウハがその手綱を手放したのであれば、誰にも止めることはできない。
「よう、遅かったな。ああ、ちょっと待ってくれ。客が来てるからなァ」
幾たびも聞きなれた声だった。
のんびりとした声は、どこか陽気さを孕んでいる。だからこそ、相容れず、引き返せないことを悟った。そのままの調子で、先に居た討伐者の身体を斬り払ったのだ。
「クウハ……」
そこにいてほしいと思ったし、同じくらいいてほしくないとも思った。
「で、どうした? 遊びに来たのか?」
今のクウハは、――まぎれもなく悪霊だった。鏡禍は呼吸を整えると、手のひらを構える。
「止めに来た」
「そうか、じゃ、くたばっちまいそうだな――残念だ」
●鏡合わせの闘い
互いの闘いを、見たことがある。
二人は、互いの強さを認め合っていた。
今、違うのは、隣同士、または背を預けあっているわけではないということだった。互いの刃は互いに向けられている。
クウハが片手をあげると、するどい斬撃が振り下ろされる。一、二、と、リズミカルに。これは出方をうかがっているものだろうか。三番目、は外れた。代わりに、その攻撃は頭上に放たれる。揺れたシャンデリアが頭の上から降ってくる。
ぶらりと垂れ下がった鎖がブランコのように揺れて、おかしそうな笑い声が闇から聞こえる。
舞い上がる埃と暗闇の中に、鏡禍のすがたはない。
この程度で死ぬような鏡禍ではないということを、クウハはよく知っていた。
友人がやってきてくれて、嬉しかった。だから、クウハははしゃいでいる。単なるあいさつ代わりである。
視界の端、その気配が未だに健在であることを察したクウハは嬉しそうに地を蹴り、跳ねるのだ。
「そうこなくっちゃなあ!」
床を蹴り、天に上り、世界がよじれるのだった。
天が地に、地が天にひっくり返る悪霊の世界だ。
ここは鏡の世界ではない。
鏡禍の世界ではなかった。
クウハの世界、悪霊が法を支配する場だ。
しかし、鏡禍は禍々しいこの世界の中で、その境界と、己の身体の使い方をよく心得ていたのだった。
薄灰の霧がまとまるように形を結び、鏡禍はそこに姿を現した。
まだ、原形を失うことは赦されていない。
負けることは赦されてはいなかった。
止めるしかないのなら全力で止めなくてはならないと鏡禍は覚悟せざるを得なかった。たとえ、それがクウハを殺すことになったとしても……だ。そのくらいでなければクウハに勝つことはできない。身体でわかっていた。本気なら、無力化できる相手ではない。
妖力の衣が、薄紫の霧となって辺りに揺蕩う。
反撃を避けたクウハもまた、およそ人の動きではない。
人ではないのだ。
ふたりとも、人ではなかった。
同じ世界とはいわないが、二人が見ている世界は、一面ではよく似通っている。
人の理を外れた存在でありながら、それでもなお居場所を見出してきた。かけがえのない友人同士だった。
良い友人関係だった。「だった」という言葉で断ち切れるほど、ふたりの関係は薄いものではない。互いの命のやり取りをしている今でもなお、ふたりの間では強い絆があった。
こう動けばこう返ってくるだろう、という信頼があった。一手読み違えれば首と胴体がバラバラになるだろう命の応酬は、軽やかな軽口のように交わされる。
「これはどうだよ?」
ふっと鏡禍の息が漏れる。それは普段の礼儀正しい彼とは少し違う表情だ。妖力をまとい、鋭さを帯びていた。妖怪としての本質が、すき間から顔をのぞかせる。
「これがホンキか。クウハ、冗談だろ? 今までの連中はそんなに弱かったのか?」
「残念ながらな。今までのオモチャは、遊びがいもなかった――。威勢のいいコトをいいやがっても、すーぐ終わっちまってな。ナァ、もっと遊んでいいってことだよな?」
冠を授けられたクウハはまたしても別種の気配をまとった。悲鳴のような呼び声が頭の中に響き渡る。破壊衝動が割れるように反響する。
クウハから繰り出される攻撃は苛烈なものでもありながら、それでもなおどこか楽しそうでもある。意識的にか無意識にか、クウハは今まで力をセーブしていたのだ。……オモチャを壊しすぎないように。
鏡禍は薄灰の霧から形を成した。
一点の曇りもない一撃が、クウハの胸を貫いた。
心の臓というものがあるのならば、それを止めたに等しい。しかし、鏡禍は手を緩めることはない。相手の「死ななさ」にかけては信頼を置いている。
鏡面妖怪たる鏡禍は何物にも写らない。代わりに人を通して己を見る。
「まだやれるぜ?」
血だまりに染まった空間から、クウハは姿を現した。魔力を帯びている。
鏡には映らない。
かわりに、鏡禍は今、相手に、はっきりと己のすがたを見ている。
●∞と収束
じつは、1度か2度ならば、討伐者の中にもクウハに土をつけたものはいた。
クウハは遊んでいたのであり、ホンキではなかったが、それでも、致命傷を受けたことがあった。
彼らが幸運だったとはとても形容することはできない。
クウハの命には続きがあった。
襲撃者は幾たびも起き上がる悪霊の悪夢に呑まれ、抵抗する気を失くすこととなった。
クウハは止まらない。止められない。常人にはおよそ止められぬものだった。無限に命のある猫のように、立ち上がっては再び相手をなぶる。今回の一つのイレギュラーは、ピリオドを打ちにやってきたのが鏡禍であったことだった。
「一生、ここで、遊ぼうぜ、なぁ!」
通常であれば、永遠に飽いたものから死ぬのだった。
互いが互いの合わせ鏡となる瞬間がある。
永久に永久を映し出すように、何度も立ち上がるクウハであったが、鏡禍はそれを是とするつもりはない。
きらきらと、火焔気が散っていた。
「オマエがそういう奴で、心底よかった……よっ!」
よかった。
それは、クウハの心からの吐露だった。
クウハにとっても、鏡禍は大切な親友だった。
だから、クウハは嬉しかった。
もしかしたら、鏡禍は、自分がこうなってしまったあと、こちら側に来てしまうのではないかと思っていた。
だから、よかった。
ホンキで殺しに来てくれるなら、良かった。
クウハが斬り伏せたそれは、鏡禍の作り出した写し身に過ぎない。
永久の万華鏡には鏡禍だけは映らない。その永劫に付き合うつもりはなかった。それは、鏡禍にはできないことだった。
一瞬の隙が出来た。いや、隙というものですらなかった。クウハは、この一撃ではもしかすると鏡禍を倒しえないことを知っていた。鎌を再び遠心力で振り上げ、もう一度振り下ろすだけのことだった。微かな綻びがあった。その綻びに向かって、手を伸ばす。砕け散った鏡の破片のような微かな刃物を手に取り、鏡禍は両手で握りしめ、押し込んだ。
最後のひとひらは、鋭い一撃だった。
永遠の応酬が終わるかのように途切れる。
鏡禍は片方の手には妖怪のための十字架を握りしめている。
その時だった。境界の外から、声が聞こえた。
「クウハ」
「いたぞ!」
「水月さん、応援です!」
ローレットの応援がやってきた。
ありがたいというよりは間に合ったという気持ちが強かった。
彼らは無駄死にせずにすんだのだ。
鏡禍は、討伐隊が組織されることを知っていた。ただ一人、自分だけがこの永遠の悪夢を終わらせることができると負い、これ以上はと思ってきたのだ。
「クソッ、なんだ、これじゃあ、もう壊せないじゃねぇか……。はは、クソッ」
やはり気が狂っていたのですね、と討伐隊のひとりが言った。
「……」
悪辣に振舞っているのだと見抜けぬ仲でもなかった。悪霊として振舞うことで、微かにでも償おうとしているのだと。
「あばよ」
友人を手にかけた確かな感触がまだ手のひらに残っている。
生々しい感触にぞくりとした。
永劫を繰り返していた世界が終わる。
ここは、クウハによって支配されていた空間だ。
……もしかすると現実と想像の合間のような世界なのかもしれない。
クウハの遺体を、たとえ悪霊だとしても持って帰りたかった鏡禍は虚空に向かって手を伸ばす。クウハは、しかし「よかった」というように、ふっと嗤った気がする。
大丈夫ですか、ひどいけがです、と、応援の誰かが言った。
ああ、……戻れるだろうか。戻らないといけない。戻らないと。肉体を得た今勝手が違う。嗅覚に慣れぬころが戻ってきたかのようになる。懐かしい感触だった。嗅覚は記憶を思い起こさせてくる。
「クウハ」
名前を呼ばれて、振り返る。
そこには虚空が広がっていて、返事は帰ってこなかった。
虚空に吸い込まれていった声は、反響もせずにどこかへと消えた。
聞き違いだったのかもしれない。
戻らなくては。
行け、というように手のひらが揺れる。欠片の一つをもっていかれたような喪失感を覚えた。
……鏡禍には、帰る場所があった。戻らなくてはならない。戻らなくては……。
欠け落ちる前に、身体を抱きながら、己の身体を引きずって、その場をあとにすることにした。
この悪夢から出なくてはならない。
おまけSS
――なぁ、もし、敵同士になったらどうするよ?
クウハの言葉に、鏡禍は困った顔で笑った。
「クウハさんと戦うことになったら、ですか? 僕が……?」
それはとてもつらい状況であるはずだ。そうはなりたくない。
だが、しかし……想像することは可能なのだ。
「敵がどんな手を使ってくるかは分からないだろ?」
「そんな、まさか……。でも」
鏡禍は、クウハがそうやすやすと己の理性を明け渡すような人物ではないことを知っている。
「戦えるかもしれないし、戦えないかもしれませんね」
「そうか? んじゃ、恨みっこなしだ」
……己の中にある悪意のようなもの、それはもしかしたら人間であっても誰しももっているかもしれないが、硬質で冷たい感情の芽があることを否定することはできない。
己の中にある愉悦や暴力性を、人から外れたところがあることを知っている。しかしそれを律して保ち、人の形を保っていることを知っている。
親友たるふたりは、互いの戦い方を知っていた。