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SS詳細

『帰』

登場人物一覧

澄原 水夜子(p3n000214)
恋屍・愛無(p3p007296)
終焉の獣

 帰るという字の語源は諸説はあるが二つの字を組み合わせたのだと言われている。神に供える肉という象形とほうきの象形から成り立っているのだそうだ。
 人が無事にかえった時に清潔な場所で神に感謝をするというさまから「かえる」を意味する文字が成り立ったのだそうだ。
 奇妙な異界より帰還してから愛無は何時も通り澄原邸内で資料整理をする水夜子の横顔を眺めて居た。何の変化もなく、あの夕暮れの下で囁かれた言葉の影も見えないような姿が其処にはあった。
 逃げ出したくなったならば、手を引いて逃げる覚悟は疾うにあるが彼女の望みに釣り合う答えであるのかばかりを考え倦ねていた。
 共に過ごす時間で愛無が実感したのは水夜子という娘は表面上に置いては他者を愛し、他者を懐に入れるタイプだが、その反面、真実の彼女は誰も踏み入れさせない。心の柔らかい所にナイフが突き刺さることを怖れるようにして彼女は常々笑顔を武装しているのだろう。
 餓えた娘であるという認識がより一層強くなった。家庭環境の複雑な不和、求められた存在との性の不一致。ならば、と宛がわれるはずだったスポットには生憎ながら似合いのものも存在せず、唯一得られたのが『付き人』のような曖昧な隣人生活だったのだろう。従姉は強かな女だが、立場故に実務には向かない。だからこそ彼女は身を張り生死の境をスキップをしながら歩き回っているのだろう。
(それが水夜子君の不安定さなのだろう。彼女は死を恐れないが、独りになる事には怯えている。
 いっそのこと怪異の方がやりやすいのは其れ等は人間の生命そのものに惚れ込んでいるからなのだろうか)
 愛無はふと、なんと為しにそんなことを思った。怪異だらけの異界を歩くことには余り怖れた様子は無かったが、たった一人になった時に自らの在り方が揺らいだ場面を見て彼女は盛大にブレたのだ。張付いた笑顔を崩して子供の様に取り乱す姿は真新しい玩具のようにも思えたが――
(今は、それも鳴りを潜めたのだろう。大凡彼女は、そんな自分を見せたくは無かったか)
 愛無はいそいそと作業を進めている水夜子を見詰めていた。斯うしたときに自分自身がどの様に対処を行うべきなのかを愛無は理解出来ないで居た。何せ、ひだまりのような温かさに触れることはあっても自らがひだまりであろうと考えたことは無かったからだ。
 戦士の休息たる場所を与えられようとも、与える側になるにはそれなりの才覚が要るのだろうか。愛無は自らの両手には何も抱えていないことにたった今気付いた。
(成程。欲することが恋だというのは納得できる。恋とは欲するだけのもので、愛とは与えると言うが、ひょっとすれば僕は恋をしているが愛することはできていないのではないか)
 そんな一般論に悩ましく思うほどに愛無は狭苦しいトンネルを潜り抜ける心地でその場に立ち竦んでいたのだった。
「どうかされましたか?」
 資料をある程度片付け終ったのだろう。ボールペンのノック部分でこめかみを押してから渋い表情をした水夜子は其の儘椅子に深くもたれ掛る。
「いいや、随分と真剣だと思って」
「姉さんに前回の調査結果について提出しておきたかったのです。私、これでもああいう調査が中心でしたし……ひよのさんの事を考えれば、そちらの対処にもある程度『手』が必要ですからね」
 水夜子は肩をぐりんと回して見せた。ぼきりと音を立ててから「あら」と笑う。同じ姿勢でずっと資料と睨めっこしていたのだから体も硬直するだろう。
 ある程度のストレッチを終えた後、彼女はゆっくりとした仕草で立ち上がって「珈琲でも買いに行きません?」と問うた。
「きっちんで淹れようか」
「いえ、散歩がてら。愛無さんも何か食べませんか? チョコレートとか」
「甘い物は思考にも善い結果を与えると言う。水夜子君が食べたいのであれば一緒に購入しに行こう」
「あら、嬉しい」
 微笑む水夜子は適当な鞄を手繰り寄せて中に必要物品が入っているかを確認する。適当なカーディガンを肩に羽織ってから外に出れば、11月とは思えぬような陽気が身を包んだ。
「陽射しが暖かいだけで気分は弾むものですね。まあ、そうして楽しんで居る間に冬が来て、寒々しくて外に出ることも面倒になるのですけれど」
「こうして散歩が楽しめるのは秋の特権だろう。再現性東京は四季の変化を自在に作り出しているが、安定的気候を作り出さないのは『もでる』に合わせてのことなのだろう」
「そうですね。やはり、この場所は旅人達にとっての安寧の地であらねばなりませんから。
 地場に由来する何らかが存在することも人の思念が作り出す理外の存在を許容する事も必要ですが、根幹だけは揺らがせてはいけません。
 だからこそ、私はイレギュラーズの皆さんのように家を捨てることも出来なければ、逃げ出すこともないのです。ただ、口先だけで反抗してみせる駄目な娘なんです」
「……それは……」
「あら、私のそうした所で悩んでいたのでは? 連れ出して欲しいと望むなら連れ出してやろうと、そう考えて下さっていたのでは?
 それでも私が何を望み、私に何を与えられるかをあなたは考えて満足の行く結果が得られていないと見ました。あたってますか?」
 愛無は「完敗だ」とそう言ってから水夜子に合わせて大仰な仕草で驚いて見せた。白旗を揚げるように両手を上へとやれば水夜子はそれはそれは嬉しそうに微笑んで見せるのだ。
「結構、愛無さんのことを見てきた自覚はあるのですよ。喜んで頂いたって構いませんもの」
「水夜子君にとっては僕も理外の存在だろうからね。練達で産まれた旅人と、そうでない旅人であれば姿形の差である程度の距離が出来る事も頷ける」
「ふふ、旅人を見て恐れる事はありませんが、愛無さんは常々、私のことをじっと見ていましたから、お返しですよ」
 愛無はにんまりと頬笑み乍ら歩く水夜子を見詰めて肩を竦めた。何故見て居たのかとは彼女は問わないのだから何とも言葉にし辛いではないか。
 君に良く似合う花を探していたとでも言うべきか、それとも――
 何にせよ彼女には見透かされている気がしてならないのだ。この感情に名前を付けて『あぷろーち』をしたところで、ふいと躱されてしまうのだろう。
(きっと彼女は決別できていないのだろう。期待されて然るべきであった愛情の在処にさえ気付けないままで足踏みをしている)
 楽しげに歩き始めた水夜子の背を追掛けながら愛無はふと考えた。彼女が目指しているコーヒーショップはもうすぐだ。近場に良い店が出来たと水夜子が言って居たことを良く覚えて居る。
 ベルを軽やかにならして入店した水夜子は慣れた様子でコーヒーを二つ注文してから愛無の袖をくいくいと引いた。
「何か、欲しい物はありませんか?」と。店内のショーケース内にはエクレアやシュークリーム、プリンが並んでいる。どれも自家製であるという。
「エクレア、余り甘くありませんでしたよね。プリンも。シュークリームややや甘いなあと思いました」
「シュークリームはお子様向けでチョコレートクリームとカスタードがあります。カスタードの方は甘さ控えめにしていますよ」
「悩みますね。甘い物の気分なような、そうでないような」
 愛無の袖をくいくいともう一度引いてから水夜子は「気になるものを幾つか買うので分け合って頂いても良いですか?」と問うた。
 エクレアは半分ずつ食べたいと彼女は言う。シュークリームは二種類を購入して後ほどの気分で決めたいのだと言う。
「何処で食べる? 帰ってからにしようか」
「いいえ、折角暖かいので外でどうでしょうか。ベンチにでも腰掛けて……私と愛無さんが揃って平穏を楽しんで居るというのも妙な心地ですね」
 会計を済ませてから何気なく散策をして休憩にぴったりな場所を探す水夜子の言葉に愛無は面食らった。確かにそうだ、何時だって怪異と死という概念が二人の間にはあった。
 それは蟠りである。人間ならば誰もが抱くものであるが、どうにもそれを定義づけるには難しいのだ。水夜子は死に対して余り頓着をしない。
 其れ処か、死そのものをある程度の許容を行って居る節まである。どちらかと言えば、そんな危うい彼女に惹かれた『側』であった愛無には何とも言えぬ結論ではあるのだが――
「こうした日常も悪くはないとは想うよ。ただ、水夜子君はあまり人間らしい平穏を望んでいないように見える」
「ええ、そうでしょうね。私も人間らしい何不自由ない生活なんて望んじゃ居ないのだと思います。そんな当たり前な生活を送っていては私は私ではなくなりますから」
 どのみち、帰ってくる場所は決まっているのだ。彼女が澄原である以上は、澄原としてあるべき場所に収まるように。
 彼女の立場とは誰かが押し付けたものであったのだろうが、本人が意固地になってしがみ付いているものである。生きて帰れたことを感謝して、神に捧げるとはよく言ったもので、彼女は死地にまで何食わぬ顔で赴いて「今日も生きていました」と報告書を認めるのだ。
「水夜子君は自分への価値定義が低すぎるきらいがあるようだが」
「私がもしイレギュラーズとして戦えたのであれば真っ先に外に飛び出して死地で戦いますよ」
「いの一番に犠牲になりそうなたいぷだ」
「ええ、そうでしょうとも。なんたって死ぬ事に対してそれ程怯えることがありませんから……きっと、戦えればです」
 その言葉に愛無は頷いた。彼女は対抗手段を持ち得る怪異にたいしてはその様な『部分』がある。モンスターに対してからきしであるのは対抗手段を持ち得ないからなのだろう。
「屹度、神様が戦う手段を与えなかったのは命を大事にしてくれとでも言って居たのだろう」
「愛無さんらしくない」
 水夜子は揶揄うように笑ってからベンチへと腰掛けた。先程の店舗で買ってきた珈琲は熱すぎて飲めないと言って居たが十分な温度になったのだろう。
 手渡されてから愛無はその隣に腰掛ける。水夜子が膝の上で広げたスイーツの類いを眺めて居る横顔を見て「好きな者を食べれば良い」と付け加えるように言った。
「それはそうなのですけれど、愛無さんは何がお好きですか」
「僕の好みというならば、水夜子君が優先されることで構わないが」
「あら、違いますよ。これって実は愛無さんのお誕生日のお祝いなのです。産まれた日に関して特別視するというのはそれはそれは愉快な話ですが。
 産まれた日によってはそれが忌み子であったりするそうですよ。何だか、それも巡り合わせなのでしょうけれど……あまりこういう事は言うべきではないのでしょうね」
「いいや、僕は気にしない」
「其れは良かった。通常の友人関係を構築する際には怪異の話を行なうべきではありませんしね」
 水夜子は肩を竦めてから「お誕生日おめでとうございます」とエクレアを差し出した。何を思ったのか貰ってきていたのであろう蝋燭を不格好に突き刺してある。
 チョコレートのコーティングが剥がれ、無残な姿になったエクレアを見てから流石に不味いと思ったのか水夜子は乾いた笑い声を漏す。
「ケーキとかのお店を知っていれば良かったのですけれど」
「水夜子君はそうしたものに詳しそうだが」
「ええ、詳しいかと思います。姉さんと色々なお店を開拓しました。ですが、此処での問題は『愛無さんの好みのケーキショップを知らない』事なのです。
 存分にご理解頂きたいのです。私って思ったよりもあなたのことを知りませんね。
 勿論、愛無さん自身もご自分について深く悩んでいらっしゃいますし、私に関しても余り知らない所があるとも思っていらっしゃいそうです」
 ぼろぼろのエクレアを掌に載せたまま、水夜子は目を伏せた。それでこの有様なのだと呟く彼女は妙に愛らしい。
「これが一番だ」
「嘘を仰いな」
「いや、水夜子君が僕のために用意したのだろうから。それでも蝋燭は突き立てない方がもしかすると良かったかも知れない」
「それはそうですね。ええ、全く以てその通り」
 水夜子は頷いてから蝋燭を引き抜いた。その場所には穴が開きっぱなしだ。取り返しが付かなくなったエクレアに妙な顔をしてから水夜子は「最早仕方が無い事でした」とそれだけを返す。
「それでは、改めてお誕生日おめでとうございました」
「ああ」
「無事に帰ってこれたことに感謝しています。ええ、勿論。あの空間は居心地がそれ程悪くはありませんでしたけれど、長居したくはありませんでしたから」
 水夜子は何時も通りの笑顔を貼り付けていた。愛無は小さく頷いてからエクレアから毀れ落ちたチョコレートの破片を囓る。甘ったるい、が、悪い気はしない。
 きっとあの夕暮の中に立っていた彼女は放って置けやしない存在だったのだ。誰も彼もが彼女に声を掛け、彼女の手を引く辺り彼女が一人ではないと思えたことは喜ばしいが――
 胸焼けでもしたかのように残った感覚は、成程、嫉妬と名前を付けるべきだったのだろうか。どうにも彼女を相手にしたときだけ冷静には居られなくなる。
(悪い事なのだろう)
 嫉妬など見苦しいとは言ったが、恋というのはそれが付き物らしい。ならば、これが恋なのか。それとも――
 未だそのカテゴリを分ける必要は無いだろうか。エクレアを愛無の膝の上に置いてから優雅にシュークリームをかじり始めた余りにも『相手に構わない』マイペースな水夜子を見てから何となくそう思った。
「シュークリーム、それは?」
「カスタードです。やっぱり甘い気分では無かったみたいで」
 残ったのは甘ったるいチョコレートクリームだというのだから愛無は甘味のコンボを確定されたのだろうか。
 味に関して問い掛ける等の気を遣われなくなったのはそれだけ彼女の日常に自らが入り込めたという事なのだろうか。
 愛だの恋だの理解するのは難しい。死や別離の方が分かり易く、それに焦がれた享楽的な生き方であるほうが分かり易い。
 傍に居る限り、一生は付き纏うのであろう感覚と、自らが何をするべきであるかを悩ましく思った今日に至るまで。
「水夜子君、ぷれぜんとを頂いても?」
「ええ。手でも繋ぎますか」
「随分とおざなりだ」
 それも悪くは無いかと空いた手を繋いでから愛無は肩を竦めた。歪な関係性ではあるが、たった一つだけ結論が出たことだけ記載しておこうか。
 彼女が誰かと逃げ出そうとも、彼女が死に焦れ怪異と踊り始めてしまったって、それが彼女にとっての根幹なのだから仕方が無い。
 ただ、これっきりは確定しているのだろう。――彼女にとっての帰る場所に成り得たら、それだけで屹度構わないのだ。
「エクレア、美味しいでしょう」
「穴が開いていて食べ辛くはある」
「両手を使いましょう」
 ぱっと手を離してから水夜子はからからと笑った。甘くなどないと聞いていたエクレアが甘ったるく感じられてから喉に落とした珈琲の苦みに愛無は眉を顰めたのであった。

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